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 酒場のにぎやかな雰囲気の中。

 速戦士の青年はミイラのような風たいで酒をあおり、話していた。

「ホントなんだよ! ホントにただの洞窟で重装先生がやられちまったんだよ。

 最初、洞窟から変なアウラが出てるなって思って、他に洞察スキルをろくに使える人もいない(重装先生は特化型で、そんなちゃちなスキルを好まない)し、俺が使ったんだよ。

 そしたら、ありえない能力が見えてね。

 こりゃ変だなって。俺の洞察スキルはD+。

 誤差だ、誤差って思って、そのまま入ったら、ほぼ全滅してたんだ」

 今までの酒場の流れでは無視されて当然だったが、速戦士の重傷ぶりを見て、信じるものが現れ始めていた。

 しかし、少数ではあった。

 また飲んだくれの一人や二人が冒険に失敗して気晴らしにホラを吹いているとしか思わない人間が多かったのである。

 酒場の奥でその話を聞いていた一人の青年が反応を示す。

 赤毛のリュッケである。

 しかし、赤毛のリュッケはもう赤毛のリュッケではなかった。

 ずいぶん前から、スキンヘッドのリュッケになっていた。

 心労がたたって、すべての髪の毛が抜け落ちてしまっていたのである。

 リュッケは今まで死人のような顔で酒場のテーブルに突っ伏していたというのに、急に顔をゆがめ、憤怒とも憤激ともとれる表情になり、眉間にしわを寄せて、両手を強く握る。

 手の肌に爪が食い込み、血がにじんでくる。

 ――俺は何をしてる! 俺は何をしてるんだ!

 重装先生の敗北を聞いて、なおのこと発奮していた。

 ことの経緯は昨日にさかのぼる。

 いつも通り飲んだくれていたリュッケは、街中でただの洞窟の話を誰かれ構わずに言い触らしていた。

 そんな中、街角で誰かにぶつかった。

 それは重装先生一行だった。

 ただの洞窟には上級悪魔がいるという話をパーティの人間が嘲笑う中、重装先生の反応だけは違った。

『なにか、あるさ』

 周りの人間は、度肝を抜かれた。

 あの重装先生が数ヶ月ぶりに喋ったのである。

 時間の無駄ですよとか、ただの洞窟だぜとか、ちょっと変な噂を聞いたことあるけどと言いながらも、どうせ王都の近くにあるのだから、ということで重装先生に折れる形で一行は向かっていった。

 リュッケは酒場のテーブルを三度叩き、震える両手であるはずのない髪をつかむ仕草をする。

 ――重装先生だけが俺の話を信じてくれた。

 どんなことをしてでも友達の仇を討ち、重装先生に報いたかった。

 たとえ、禁忌に触れてでも。

 ――もう偽勇者パーティに頼むしか。

 偽勇者と重装先生は友人だと巷では云われていた。




 悪名高き偽勇者パーティ。スリルのためならば命を惜しまない冒険ジャンキー集団といわれている。

 その実力は、中堅パーティの中でも群を抜いているといわれる。

 真の勇者が行方不明となった今、偽勇者パーティこそが魔王を打倒するのではないかと囁かれている。

 偽勇者パーティと呼ばれるだけだけあってリーダーをはじめ、このパーティの人間には黒い噂が絶えない。

 リーダー本人は、なぜか偽勇者と呼ばれることを気に入っているようである。

 ある人は偽勇者に世界滅亡を吹き込まれて頭がおかしくなりそうになったとか。

『三年後に大半の人がメテオで死ぬが、偽勇者パーティは生き残る。それに備えて鍛錬し、非常食を準備しておけ』

 ある人は偽勇者のあくびで鼓膜を破られたとか。

『ふぁあああああ! ねみぃ、ねみぃ』

 あくまでも噂である。




 伝崎は、リリンと王都前で別れることになった。

 リリンには青黒いアウラを隠す技術がなく、悪魔であるということが丸分かりだった。

 騎士団に付け狙われるリスクがあり、とてもじゃないがそんな危ない散歩はできなかったのである。

 リリンのしょんぼりした顔が頭に焼きついている。

 そういうわけで、伝崎はひとりで地下都市にいる。

 けんけん、がやがや、声が飛ぶ。

 乱雑な喧騒と不思議な活気を横目に、軽くブラックマーケットを巡った。

 その理由は、金を儲けたからである。

 一応ダンジョン強化のための使い道を探しておきたかった。

 キキに買い手がつく可能性はゼロといってもいいし、ちょっとぐらい寄り道しても問題ないはずだ。

 とある古書店に辿り着いた。

 路地から街灯が差し込む本棚の間を歩く。

 ぴっちりと詰め込まれた本が今にもはみでそうになっている。

 足元にも古びた茶色い本が詰まれ、ところどころに紙切れが出ていた。

 むせるような本の匂いが知的好奇心を煽り立てる。

 ひとつひとつの本のカバーのざらついた指ざわりが気持ちよかった。

 役に立ちそうな本や興味深い本が山のようだ。

 とくに魅了的な本の紹介文をざっと見ていく。

 鍛錬白書(6万G)

 賢者モラリアトルが鍛錬方法や成長法則を簡潔にまとめた書物。修行者の必読書。

(育成にめっちゃ役立ちそうだな。絶対に欲しい)

 所持金は27万7215G。

 キキは10万G。

 鍛錬白書は6万。

 買っても問題なさそうだ。

(いかん、いかん)

 ここで1Gも使うわけにはいかない。

 キキを迎えた後からでも、本を買うのは遅くないはずだ。

 今まで軽率な行動で痛い目を見てきた。

 一応、慎重に慎重を期しておこう。

 ゼニアス王国式剣術書(15万G)

 短剣から長剣に至るまでその扱い方を指南した書物。

 上級騎士ゼニアスが「これからの人」のために親切に解説したもの。

(ゼニアスさん、ありがとう)

 パプーの異世界旅行記(21万G)

 異神の国ニッポンの見聞録。旅人パプーのショックがその情景と共につづられている。

(パプーのショックか……見てみたいものだな)

 白黒統率指南書(28万G)

 作者不詳。統率スキルを身につけるためのアウラの扱いから部隊指揮の実践に至るまで。

(統率スキルとかあるのか。学びてぇ)

 レレの槍術論(31万G)

 今や槍術の大家となったレレが三十代のときに自分のために記した書物。

 あまりにも短文で書かれているせいで、逆に難解だといわれている。

 その奥深い内容に、とある槍使いは三日間口を聞けなくなったとか。

(こ……)

 ノモンの黒魔術書(56万G)

 主に人間を殺傷するための下級魔法から中級魔法が記されている。

 黒魔術師ノモンが得意としていた雷系統の対人魔法から、その攻撃の当て方や隠し方。

 詠唱の簡略化方法。

 劣勢状態に陥ったときの対処法から逃げるときに適した魔法など多岐に渡る内容。

 ノモンの戦闘魔法哲学の総決算。

 ノモン曰く、上級魔法は一対一の対人戦闘に向かず、戦争に使うべきものだとか。

(もしもキキを一流の魔法使いに育てるなら、この本は良いものだ。

 しかし、ノモンの甘さは対人戦闘を一対一と見たところだな。

 本来、一対一のほうがレアなんだよ。だが、それでもこの本の良さは確かだろうけど)

 トリタニの水魔法書(77万G)

 水大魔術師トリタニ先生が陽気な語り口調で水魔法を解説。

 ヘイヘイヘイ、水魔法はたのっしぃよーという文句から始まる。

 トリタニは先の大戦の英雄の一人であり、共和国軍兵士撃破数268人を誇る。

 主に水のナイフで展開する近接戦闘から水のトラップ性など、陽気に敵を葬る水魔法が記されている。

(トリタニ先生、あなたに私は教わりたかった)

 シシリの転生論(188万G)

 大賢者シシリが人間の転生について記したもの。

 百年以上前の著作物。

 今の王国では一般的な価値観になった「転生」について語られている偉大な原著の初期複製物。

(帰るための最終手段は日本に転生すること……いやいや、絶対無理だろ。もっと変な世界に行きそうだ)

 伝崎はそれらの本を眺めて、少々興奮気味に呟く。

「最高じゃないか」

 ひとしきり満足して、モンスター商人がいるマーケットに向かう。

 キキを迎えに行くついでに、人材も探しておこう。

 これからのことを考えると、欠かせないことがある。

 もしも、その人材がいなければ色々とあきらめなければならない。

 ざっと向かうまでの道のりで、いろんな人材を見つけた。

 黒サイクロプス(403万G)

 通常価格の四倍以上。サイクロプスは通常は黄色い肌のようだが、このサイクロプスは黒肌のレアモンスターだった。

 超怪力。

 大通りのど真ん中で、鉄の塊を振るう大道芸を披露している。

 二メートルはゆうに越える体格の持ち主だ。

 レベル49。筋力A+、耐久A、器用E、敏捷D、知力E+、魔力E、魅力D。

(お主こそ、万夫不当のなんとやらだな)

 獣人の荒くれ者(130万G)

 かなりの強者。背中の筋肉に大きな古傷がななめに走っている。

 レベル26。筋力B-、耐久C、器用C、敏捷CC、知力D-、魔力E、魅力C。

 魅力的なスキルは、槍スキルBB。

(この獣人は部隊の槍スキルを練成する上で使えるかもしれない)

 白ゴブリン(34万G)

 白髪のゴブリンのおじいちゃん。

 話を聞くと知的好奇心にかられて最後の旅に出たらしいが、人間に捕まってしまったとか。

 なぜかモンスター商人にムチを打たれて、いたぶられている。人語を流暢に話せる賢さがあった。

 レベル23。筋力E、耐久D、器用B-、敏捷C、知力B+、魔力C、魅力C-。

 目立ったスキルは栽培の神様A+、薬草術B。

(ビンゴ!)

 この人材を探していた。

 生物である獣人部隊を編成する上で、絶対に無視できないのは食料問題。

 一人や二人の間ならば、木の実や虫、草でも食っていればいい。

 しかし、仲間が数人以上に増えたら、もうアウト。

 自然のものは簡単に供給不足に陥る。

 かといって金で解決するのも厳しい。常人の食費は月に3万G掛かるわけだ。

 獣人だって普通に食ってれば、それくらい掛かる。

 いくら安飯を食わせたって、月に数千Gは掛かるだろう。

 このバカ高いランニングコストをどうすればいいか。

 ――食料を栽培すればいいんだ。

 今の今まで栽培技術がなかった。

 ずぶの素人が栽培を成功させるのも難しかった。

 それがゆえにあきらめていたことが、この白ゴブリンがいればおそらく可能になる。

 栽培の神様A+。

 ――すごそうだ。

 ダンジョン攻略時に見つけた丘の上の平地を畑として利用すればいい。

 森を開拓すれば、畑を増やし続けることもできる。

 大量の糧を確保できれば、大規模戦力を自由に運用できるようになる。

「必ず、あなたを助け出しますよ」

 そう語りかけると、ムチ打たれる白ゴブリンのじいさんは、まるで何かを悟ったような渋い顔で頷いた。

 なんてことはない目配せの往来に大きな意味はなかったが、しかし深い満足感があった。

 伝崎は、歩き出した。

 キキのいる場所へ。

 すこし嫌な予感がする。

 何か地下都市全体が前に来たときより少しだけ活気が出てきたような。

 ――やけに明るくなったような。




 白ゴブリンは伝崎を見て、この出会いは予言にあったとおりだ、と思った。

『お主は白き人に捕まって黒き人に救われるだろう。人の世界は震撼する』

 この出会いに注目している神もいた。

 占術と運命の神だ。

 一面の白。天界の平原にある巨大な天秤を傾けて、このことでもっとも影響のある王国の星を占った。

 すると、金色の十字架を背負った鳥が天秤から飛び立つ。

 その鳥に唐突に真紅に光るナイフが突き立ち、地面に吸い込まれるように落ちていった。

 落ちた金色の十字架を傷だらけの黒い猫が丸呑みにした。

 金色の十字架は王国の象徴。

 それが丸呑みにされた。

 ――王国だ、王国が死ぬ。

 あの男が白きゴブリンと出会ったことによって、王国は死ぬのだ。

 占術と運命の神が興奮しながら死に絶えた鳥を指差す横で、戦の神は彼ならやりかねんと言い、災いの神は笑っていた。

 災いの神は、その占いも運命も単なる「可能性の話」に過ぎないのだよ、と指摘し、それに神にとっては国家の興亡も一つの物語に過ぎないとはやしたてた。

 王宮の奥深く。宮廷魔術師の一人は、象徴的な占いの結果を王に伝えた。

 真紅に光るナイフを探し出せ、と女団長レイシア・ホスターは命を受ける。

 即日、捜索の職務とは兼任不可能だということで第七騎士団団長としての職務は解任された。

 騎士団の間では囁かれる。

「ばかげてる……占いで人事を決めるなんて」

 露骨な左遷だといわれた。

 騎士団と宮廷魔術師は百年前からいがみ合っていると揶揄されるほど、険悪な仲だった。

 宮廷魔術師にとって、騎士団から優秀な人材が輩出されることはあってはならないことなのである。

 竜も震え上がるといわれたレイシアの強さと質実剛健な指揮能力、二十代という若さと共にホスター家出身の誉れ高い家柄は、ただただ目障りなだけだった。

 王宮の隣の隣に建つ石造りの上級騎士以上向けの宿舎にて。

 宿舎の一室。レイシアは、何も気にしていない様子で身支度を整えていた。

 薄い青緑の長髪を銀色の鎧の上に流して。

 同僚の騎士が聞く。

「お前はいつもそうだよな。どうして不満一つ言わない?」

「私は小さい頃から運命に馴れっ子だ」

「たまに愚痴みたいなものをこぼしたらどうだ?」

「不満を言ってる時間が惜しい。それより今ここで最善を尽くす。それだけで現実は変わる」

 これから迫りくる運命について一抹の不安を抱きながらも、レイシアは口をきっちりと結んだ。

 頬の十字傷はいつにも増して、彼女の過去を物語る。

 強大な黒竜狩りに参加した経験を持つ彼女でさえも今までに感じたことのない焦りのようなものがあった。

 放っておけば、取り返しのつかないことになるような、そんな予感。

 払っても払っても、こびりつくような何かが、わいてくる。

 ――この予言。

 もしかしたら、アベルの失踪と何か関係があるのではないか。

 あの男の微笑、赤布のぎらつきが、頭の中を激しく、かき乱す。

 見たその日から一度も忘れたことはない。

 あの男は、何か知っているのではないか。

 あるいは。

 いや、つまらない憶測はやめよう。

 ――吐かせればいいだけ。

 レイシアはしなやかな腰に両手を当てて、部屋の一室に立てかけておいた武器を眺める。

 ハサミだ。

 巨大な漆黒のハサミがあった。

 その全容が右上の天井から左下の床にまで窮屈そうに伸びている。

 白い翼のような大鎌がハサミの取っ手の両横に二つ付いている。

 レイシアの与えられた部屋は決して小さなものではなく、三十人の屈強な騎士がベットをいくつも置いて寝ることができる。

 声を出せば響く。

 が、そのハサミの居場所にはなっていなかった。

 巨大なハサミの二つの黒い刃から漏れ出るように青い蒸気がゆらゆらと立ち上っている。

 その蒸気は脇に付いている大鎌の白い刃をなでて、くゆるように消えていく。

 振り方を間違えば、使い手が死んでしまうような返しの強い大鎌だった。

 振るえば百の首が飛ぶといわれ、挟めば一撃で竜を両断するとうたわれたハサミだった。

 1000万Gから1億4000Gの評価まで、鑑定士が酷評と絶賛を交互に繰り返す奇妙なハサミだった。

「やっぱ、怖いな」

 同僚の騎士は、いつ見てもそのハサミにびくついていた。

 レイシアは、巨大な漆黒のハサミをガチガチと鳴らしながら折りたたみ、あるものを作り上げていく。

 刃が引っくり返って三つ折りになったり、取っ手が押し込まれたり、大鎌は羽根のような形で背のような部分に収まっていく。

 次第に全容を表した。

 そこに現れたのは、真っ黒な全身鎧だ。

 レイシアは銀色の鎧を脱ぐと地味な青い騎士服になった。

 普段は押さえ込まれている胸がこぼれるように見えた。

 同僚の騎士はその姿を見ると、改めてレイシアは女性なのだなと思った。

 レイシアは、ハサミの全身鎧を無愛想に着た。

 真っ黒な騎士の姿となる。

 頭の先から足の先までその黒き鎧に包まれた。

 このハサミを扱うものは、鎧の時点で着ておかなければならない。

 そういう特殊な術式が施されていて、もしも鎧の時点で着ておらずにいきなりハサミを使ったら、大鎌が「無礼だ」と怒って使い手を刈り殺すらしい。

 鎧時の防御力は一級のもので、ありとあらゆる魔法をほぼ無効化し、ほとんど物理攻撃も通らないときている。

 じゃあ、鎧としてだけで使えばいいではないかと考えたものもいたが、ハサミの鎧を着ているときに他の武器を使っても、大鎌は「軽薄な」と怒って内側から切り殺すらしい。

 ハサミ時には凶悪な攻撃力を得る代わりに体は無防備になり、鎧時にはほとんどの攻撃力を失う代わりに最高峰の防御力を得る。

 二つの大きな振れ幅を持つのがこのハサミの特徴だった。

 もうひとつ大鎌が怒る条件があった。

 尋問するのに使える単純なものだが、誠実なものには便利すぎた。

「どういう仕組みで鎧に折りたためるように作られたのかねー」

 不思議そうに同僚の騎士は言う。

 レイシアは突然振り返り、全身鎧の下の視線を流す。

 ハサミの鎧が術者に同調して自動的に逆戻りし始める。

 ハサミが上に下に組み立ち始めて、大きさを取り戻していく。

 レイシアは華奢な両肩に乗せるようにしてハサミを構えると、薫り立つ長髪を振りまく。

 目から光が失せた。

 心眼AAを発動。

 レイシアの額の真ん中から一筋の光線が放たれて、空中の何かを補足する。

 同僚の騎士は両手を上げて、震え上がる。

「悪かった。何か気に触ったら許してくれ」

「動くな」

 ハサミが振り下ろされた。

 ガッという切断音。

 視界の全景がななめに一刀両断にされる。

 白い光が激しく散った。

 青緑の髪の毛も何本か散った。

 部屋の壁がななめに滑り落ちて、石造りの宿舎の一部が爆音と共に倒壊していく。

 煙立つ後ろの光景とは別に、部屋の片隅に芋虫のような生物が落ちていた。

 人差し指ぐらいの半透明な上体をうねらせている。

 魔界生物スカイボッシュだった。

 レイシアはスカイボッシュの上体を拾い上げて握りつぶす。

「こんなところに魔王の手先……宮廷魔術師は結界をもっと厳重に張るべきだな」

 あまりにも早く動くために肉眼で捉えられないスカイボッシュ。

 それを巨大なハサミで器用に切ってしまった。

 ハサミの至上の威力と大鎌の反則的な範囲、生命を刈り取ることだけを考えた癖のある武器を、レイシアは完璧に使いこなすことができた。

 同僚の騎士は無傷だったが、両手を上げたまま腰を抜かしていた。

 地面に刺さる巨大なハサミから燃えるような勢いで青い蒸気が立ち上っている。

 大鎌はやはり憮然とその蒸気を受けていた。

 レイシアは両手の先のハサミを真顔で眺めて思う。

 これを、全力で使うことになるかもしれない。

 ――オミナ家のあいつ以来。

 上半身だけになっても戦おうとしたイカれた武芸者。

 赤布のあの男がなんだっていい。

 問題ない。

 王国に降りかかる火の粉は。

「すべて斬って捨てればいいだけだ」

 同僚の騎士はゆるんだ顔で口角を上げて、全身汗だくになりながら言う。

「カ、カッコつけてるとこ悪いけど、この宿舎どうすんだ?」

 部屋から訓練場が丸見えだった。精鋭の騎士たちが隊列を乱して、こちらを信じられないといった顔で見ている。

 レイシアは言う。

「頼んだ」

「言葉すくなに報告を押し付けるなよ。あと、絶対ハサミじゃなくても切れただろ。短剣とかでも切れただろ」

「着てたからな」

「だから、言葉すくなに話すなよ」




「先約は明らかに俺のはずだが」

「ですから、もっと高値で買うという方が現れたんですよ」

 嫌な予感は的中した。

 ――獣人を買い集めてる奴がいる。

 どれぐらいの資産の持ち主なのかは分からない。

 が、その影響力は看過できるものではない。

 全体の獣人が売られている数は2500近く。

 そのうち1800が子供の獣人で、700が大人の獣人。

 獣人は多産なため子供のほうが多いらしい。

 今朝方までの数を聞き込んで推察するところによると、獣人は2550近くいたらしい。

 一日で50の獣人を買う資産家ってどんなやつだ。

 このまま買い集められたら、獣人の市場価格に影響を与えられる可能性だってある。

 不幸中の幸いは檻の中にキキがいるということだ。

 キキは体を起こして顔を手で半分隠しながら、モンスター商人とのやり取りを聞いている。

 その茶色い瞳はどこか不安げで潤んでいるように見え、猫耳はペタンとなっていた。

 伝崎はかなり衰えた交渉スキルB+を発動し、透明な夜色のアウラをゆらめかせて苛立ちをにじませる。

「いったい、誰が獣人を買い集めてるんだ?」

「それは上客としか言えませんねぇ」

 話さないのは、当然といえば当然だろう。

 情報を漏らして客を取られたりしたくないからだ。

「買うといっている本人がいないじゃないか」

「手持ちのお金が尽きたということで今はおられませんが、今日の夕刻には買いに来られる予定になっているんですよ」

 今は昼下がり。もう時間がない。

「その買い手とはいつ約束したんだ?」

「今日の明け方ですけど」

 昨日は謹慎が解けていなかったし、今日の朝に最短でただの洞窟を発っても間に合わなかっただろう。

 ただの洞窟から王都まで徒歩で片道3~4時間かかる。

「その買い手はいくらで買うといっている?」

「15万Gですが……」

「じゃあ、16万G出す」

 その言葉を聞いて、モンスター商人の中年の男は額のしわを上げて足元を見た。

 本当に足元を見てきた。

 靴の汚れ具合を舐めるように見た後、伝崎のアウラを洞察したのか、ぼそりと言った。

「商人ならまだしも、無職に」

 その先は聞こえなかった。

 目の前が止まって見えた。

 風景が死んでいた。

 意識が遠くなった。

 あーあー何も聞こえません。

 何も聞きたくありません。

 しかし、現実逃避している場合ではなかった。

 震える右手を抑えながら意識を取り戻し、交渉のテーブルに戻ろうとする。

 モンスター商人の中年男性は、わかっているだろうといわんばかりにめんどくさそうに本音を吐く。

「上客と無職、これからのことを考えると言わなくてもわかるでし」

 また気が遠くなった。

 戻ってきた意識がもう一度、ななめ上に飛んでいった。心を一瞬にして折られた。

 偉人の名言でさえ捻じ曲げてしまう異次元能力が付与されている身近なチート職をご存知だろうか。

「人間は考える葦である」by無職。

「少年よ、大志を抱け」by無職。

「われ思う、故にわれあり」by無職。by無職。by無職(引用元、某掲示板のスレより)

 これこそが、無職のチート能力である。

 すべての言葉の説得力を無に帰す。

 逆に言えば、言葉の説得力なんてものは誰が言ったかで決まるということ。

 なんてざまだ。なんてざまなんだ。私にも某掲示板のネタが笑えた時期がありました。

 飲食店に転職できるまでに味わった空白期間に、そんな少年の心はとっくに色あせていた。

 背を向けて、目を伏せて、ぼそぼそと呟く。

「ちき、ちき」

 地団駄を三回踏んだ。

(ちきしょぉおおおおお!)

 ためていた感情が爆発した。

 怖れていたことが起きた。

 ここで投げ出すことはできる。

 しかし。

 あきらめるわけにはいかなかった。

 振り返り、檻の中のキキを見つめる。

 藍色の髪には絵具を幾重にもかさねた魅力があり、その茶色い瞳は人の心を貫くだけの強さがあった。

 たとえ、その顔にやけどの跡があろうが、それとは関係無しに可能性を感じさせる何かがある。

 目を合わせていると、訴えかけてくるような瞳なのである。

 ふるふると瞳が揺れているのである。

 キキは育てば、数百万Gの価値がある。

 それ以上かもしれない。

 彼女は、ただの洞窟の将来だ。

 伝崎は冷静さを取り戻し、彫刻のような表情となる。

「20万G出す」

「でもねぇ」

「25万Gだ」

「とはいえ……」

 すこしモンスター商人は怯んだようだった。

「26万G」

「それでも」

「27万G」

 これ以上はもう出せなかった。

 所持金ぎりぎり。

 伝崎は、ぴくぴくと眉間を動かした。

 ぐい、と交渉スキル発動中のアウラで引きつける。

 モンスター商人の中年男性は、最後の最後で流されるように言う。

「30万G出してくれるっていうならね、考えたっていいですよ」

 これを引き出したかった。

 人間というのは好条件を連続で出されると、欲が出て口を滑らすもんだ。

 たたみかけたのは正解。買える可能性が生まれた。

「上等じゃないか。30万G出してやる。ただ、時間を待ってもらうからな」

「ええ、でも、それはこの砂時計が十回転がる頃までですよ。それまでに払ってもらわないとね。上客が来てくださる時間を迎えますから」

 その砂時計は指折り数えると、十分ですべて落ちた。

 モンスター商人は小馬鹿にしたように鼻で笑うと、あと九回ですぜと追い討ちをかけるように言った。

 もう九十分しか時間がなかった。

 ポケットの中のオッサンが心配そうに聞いてきた。

「おいおい、大丈夫なのかい?」

 モンスター商人は分かっているのだ。

 そんな金、すぐには用意できないと。

 ましてや無職になんかできないと。

 事実、それを推し量って30万Gを吹っかけてきたのだろう。

 所持金は27万7215G。

 たかだが九十分で、2万2785Gを稼がなければならない。

 日本の感覚で言えば一時間ちょっとで2万円近く稼ぐこと。

 超高給取りか、ヤバイ仕事しかない。

 この世界でもたぶん、ヤバイ仕事しかない。

 速攻で酒場に行き、依頼を見てみた。

 2、3万Gの手頃な仕事はあるにはあるのだが、最低でも一日、二日掛かるものばかりだった。

 となると、他の手段を探さなければならない。

 ポケットの中のオッサンが言う。

「何か売るかぁ? 手持ちの何かを売るかぁ?」

 風の靴、セシルズナイフ、クテカ山の赤布、この三つが主に高額で売れそうなものだ。

 売るとしても、クテカ山の赤布ぐらいだろう。

 早速、価格を調べてみると、1万5620Gだった。

 足りない。煙玉三個売るか? 三つ合わせて最大で4500Gぐらいだ。

 まだ足りないか。

 とはいえ、風の靴とセシルズナイフはよっぽどのことがない限り売りたくない。

 手放すには良い装備すぎる。

 しかししかし、今、よっぽどのことかもしれない。

 売るか、売らないか。

 伝崎はこめかみを人差し指でとんとんと突く。

「何かあるはずだ……」

 ふっと視界に広がったのは地下都市のマーケットだった。

 店先の汚れた魔法のローブから次第に目線は移り、石敷きの街路の大通りに向けられる。

 視界を突き抜けるように市場の建物が両脇で無数に立ち並ぶのが見える。

 大通りに出るように置かれた檻の中にはボロ布に身を包む女の獣人から首をかたむけるスケルトン。

 場違いな古書店に、何を売っているのか分からない真っ黒なテント。

 積み上げられた武器防具を不器用に捌く女の店主の不機嫌そうな顔。

 酒を片手に行きかう人々が粗野な言葉を投げつけあっている。

 真っ黒な天井を背景に、マーケットはそれでも賑わう。

「無職だとか何だとかいいやがって……」

 伝崎は雑多な品揃えに身震いする。

「俺が本物の商人であることを証明してやる!」

 体中の商魂が燃え上がる。

 高ぶる精神状態によって能力が引き出され、一時的に交渉スキルがB+からB++に上昇した。

 しかし、さすがに精神状態の高揚ぐらいでは、全盛期の交渉スキルには戻らなかった。

 すでに六十八分しか時間が無かった。

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