明るい場所
「噂……そんなレベルじゃないだろ……クソォ、あの重装先生が」
速戦士の青年は、ただの洞窟から息絶え絶えで這いずるように出てきた。
頬から耳、横腹、そこかしこに槍の傷があって体中血まみれだった。
両腕はボロボロになっていた。
白毛皮で作った篭手は、手首や肘あたりで腕の皮膚ごと乱暴にめくれていて原型をとどめていない。
這いずる度に赤い線が地面に引かれていく。
すぐに血は地面に吸われて乾き、黒くなった。
速戦士はその地面を弱々しく叩いて、声にならない声で呟く。
「こんなの、ただの洞窟じゃない……」
ただの洞窟の壁に、いくつかの鎧が立てかけられている。
鋼の鎧はそれなりに傷ついていて、何本か無造作に線が走っている。
皮鎧に至っては穴だらけで売り物にならないだろう。
緑色の重装鎧、小さき緑竜の鱗で作られたといわれるその代物はほとんど無傷だった。
その隣には、角が砕けた緑色の兜があった。
側には小さき緑竜の背骨で作られたといわれる大剣や、赤鉄のダガーなり重そうな黒い槍なりが並べ立てられていた。
伝崎は、ふぃーと一息つきながら腰に手を当てて眺める。
内心ひやひやしていた。
――重戦士が強かった。リリンと俺の二人掛りで、やっとのことで倒せた。
重装備で全身をガッチガッチに固めてたせいで攻撃する隙間が無かったし、重装備のくせにヌルヌル動きやがった。
リリンの魔法で兜をめくってもらって、やっと攻撃できた。
今回の戦闘で、モンスターのレベル30と人間のレベル30は全然違うということがわかった。
装備が整っている人間は強い。
伝崎は知らない。
彼が倒した重戦士は重装先生と一部で呼ばれ尊敬されている重装備の名手だった。
四六時中、重装備で全身を固めていることから、そう呼ばれていた。
重装備を軽装備のように使いこなすといわれ、一部の心酔者の間では50、60レベルの強戦士に匹敵するか、あるいはそれを凌駕するともいわれていた。
しかし、今は。
ただの洞窟の壁に立てかけられている緑色の重装備の中身はなく、だらしなく肩を傾けて置かれているだけである。
中身の空洞の散漫な影だけが現実を表していた。
買い取り業者を呼び、冒険者が落とした装備を売り払った。
今回の戦果。
損害は、ほぼ0G(木の丸盾が壊れただけだった。それも一人分装備が余っていたので替えを与えた)
利益は、18万4321Gだった。
所持金は、9万2894Gから27万7215Gになった。
高レベル冒険者を倒すと、これほど儲かるのか。
伝崎は、思わぬ収入に両手を挙げて喜んだ。
広場を見回し、立ち並ぶゾンビたちの勇姿を眺める。
スケルトンの無表情を除いては、全員が全員、誇らしげな顔になっていた。
今回の最大の勝因は、軽装歩兵団だ。
リリンと二人掛かりで重戦士に挑んでいる間に、軽装歩兵団が他の侵入者三人をほとんど壊滅させていた。
想像以上の火力だった。
以前のゾンビたちはみんなで力を合わせても一人を倒すのがやっとだったのに、今は短い時間で二人を死亡させ、一人に深手を負わせた。
軽装歩兵団を育て上げたおかげで、強敵相手に損害ゼロで勝利することができたのである。
ゾンビたちの平均レベルは9から10になった。
スケルトンたちの平均レベルは1から3になった。
伝崎自身のレベルは11から12になった。
ステータス的に何らかの好影響は受けているのは間違いないが、洞察スキル的には能力値に変化はなかった。
実戦経験を積むことによって、軽装歩兵団の訓練度が36から40になった。
伝崎はゾンビたちの隊列の前に立ち、軽く片手を上げた。
指導者のごとき厳かな表情で登壇すると、澄み渡る声を洞窟内に響かせる。
「私が諸君たちに約束したように……この洞窟は勝ち続ける!」
二、三匹のゾンビたちはその言葉に酔いしれるように体を震わせた。
伝崎は、ひとりでに拍手をしながら。
「しかし、これは私だけの力によるものではない。
君たちひとりひとりの結束のもとに成し遂げられるのだ。
よくやったぞ、諸君! これが勝利だ。これが勝つということだ」
「やぁあああっ」
ゾンビたちが勇ましい勝どきを上げた。
皆、槍を上げたり、盾を揺さぶったり、スケルトンは落とした自分の骨を拾ったりと、洞窟内には勝利の明るさがあった。
しかし、それにしても。
伝崎はゾンビたちの前に登壇しながらも、血がにじむ左肘の浅い傷を気にしていた。
その表情にこそ出さないものの心の中では、気がかりで仕方がないことがあった。
――リリン、お前。どうしてあのとき、詠唱すらせずに突っ立っていたんだ?
戦闘開始直後、リリンはぼーっとした顔でなぜかこちらを見ていた。
――なぜだ、リリン。
詠唱を始めたと思ったら、その魔法はとんでもない方向に飛んできた。
伝崎と重戦士の間だった。
氷柱は伝崎の左肘をかすめたが、重戦士には当たらず壁に突き刺さった。
――まさか、俺を?
重戦士は頭が切れるのか後衛のリリン目掛けて突進してきた。
その突進を目の前にしながら、身動きしないリリンを見たとき。
伝崎は、ひどく動揺してしまった。
リリンが死んだと思った。
鍛えていた筋力のおかげで何とかリリンを抱えながら回避することができた。
「死にたいのか!」と揺さぶったら、リリンは正気を取り戻したようにまた詠唱を始めた。
明らかにおかしい。
あれだけの指揮を成し遂げたかと思うと、今回は先制すら逃している。
どうしてだ。
何か原因があるはずだ。
もしかして。
――時給が欲しいのか?
分かる。痛いほどにお前の気持ちは分かる。
誰だって無給で働きたくない。
そりゃ突っ立っていたい気持ちにもなるし、雇い主を殺したくもなる。
――しかし、今は許してくれ。頼む、許してくれ。
いや、待て。
それにしたって自分自身の身一つぐらい守るだろう。
他にも理由があるかもしれない。
伝崎は今に時間を戻す。
沸き立つ洞窟内の雰囲気とは別に、リリンはうつむいていた。
今にも死にそうな暗い顔で子猫みたいに体をちぢこまらせている。
伝崎はゆっくりと近づいていくと、リリンの肩をとんとん叩く。
「さっきはすまなかったな。声を荒げてしまって」
リリンは、両手を顔の前で必死に振る。
「そんな、伝崎様が謝ることではありませんデス」
じゃあ、どういうことなのだろうかと伝崎は思った。
リリンは顔をくしゃくしゃにして泣きそうに話す。
「伝崎様、あたし、あたし……そうとしてたのに、してたのに、それなのに伝崎様はあたしを守ってくれて」
「なにいってんだ?」
「ハ、イっ?」
リリンは驚いて聞き返す。
伝崎は自分の胸を叩く。
「当たり前のことだろ」
リリンは、はっと顔を上げた。目じりに溜まった涙が散った。
伝崎は、しかめッ面になりながら頭をななめにする。
「あのさ、なんていえばいいのか分からないけど、まぁそのお前ってやつが俺にとってどういう立ち位置なのか全然わかってないよな。
いや、その、つまりだ。簡単に言うとさ」
伝崎は自分の情緒の欠如をほとほと思い知らされた。
どう伝えていいのかわからず困りながら言葉につまっていると、リリンの表情は暗いものから穏やかに、ほころんでいく。
もしかしたら、自分を殺そうとしていたかもしれない。
今でも、そのことに対して心の奥にしこりのようなものがあって当然で。防衛本能みたいなものがその思考を邪魔してくるのは当たり前だったとしても。
――店長が従業員をここで信じなくて、誰が信じるんだ?
元カリスマ店長がカリスマたるゆえんが、ここにあった。
そうして、伝崎は確信を持った声で言った。
「俺は、お前を信頼してる」
リリンは丸々と目を見開く。
伝崎は照れくさそうに頭をかきながら。
「ああーこの言い方が本当に正しいのかわからないけど。なに悩んでるのか知らないけどな。
それだけは分かっといてくれよ。
だから、命を危険にさらすとかやめて欲しいわけだ。あと、お前の気持ち、たぶん半分くらいは経験あるからさ。相談してくれよ。できること限られてるかもしれないけど」
リリンは、はじけるような女の子の笑顔になっていた。
「ハイ!」
そう元気よく言った。
伝崎も口をすぼめて笑顔になった。
リリンは、噛みしめるように笑った後、目をそらして、細めて、憂いを漂わせるように下唇を前歯で噛んだ。
伝崎は快活に笑いながら、ゾンビたちと肩を合わせて踊り始める。
(よかったよかった。大勝利だ。改善点はあるにはあるが、今はいいだろう。
しっかし、まぁ、リリンが重戦士の突進を受けそうになったとき、俺はどうしてあそこまで感情的に取り乱したんだ?
確かにリリンを失うことは大きな損害だ。そう、大きな損害過ぎただけだ)
それだけのこと。
(じゃあ、なんで俺はこのこと自体を疑問に思ってしまったんだろう)
明るい場所がいい。
洞窟の薄暗い場所なんかじゃなくて、明るい場所がいい。
森の下なんかじゃなくて、ただ明るい場所がいい。
そうして探し出していたら、木々が開けた場所を見つけて、そこには群青色の花がびっしりと一面に咲いていた。
差し込む光がカーテンになって、可愛い花たちをめでていた。
それだけで十分だった。
ここに、あの騎士の墓を建てよう。
余った鉄槍を思い切り差し込んで、その上に皮鎧を掛けただけの簡素なものだった。
ゾンビと冒険者たちの墓でもあった。
武器と防具の墓は憮然としていたけれど、花の上で微笑んでいるように見えた。
リリンは、あの騎士の鎧に書かれた名前をちらりと見ていたらしく、相当に記憶力が良いのか覚えていた。
伝崎は、深々とポケットに手を突っ込みながら墓に呟く。
「アベル、良い名前じゃないか」
墓を建てたことに意味は無い。弔いの意味も無い。
意味は無い。
伝崎は、風に吹かれたように小さく呟く。
「意味がないってことが救いなんだよ……」
リリンは目を丸くして聞いてきた
「はい、どういうことデスか?」
「ああ、ただの独り言だ」
久しぶりに空を見上げたら、優しいだけの青があった。
意味なんて無い。
でも、それでも、その色を見ているだけで、胸が揺さぶられる。心が広がっていく。
伝崎は一通り満足したら、建てた墓の鉄槍と皮鎧を回収することにした。
鉄槍がなかなか抜けなくて苦戦する。
「あれ、ちょっ、やべ、もったいないことになるぞ」
伝崎がいつも通りのように、いつも通り空はどこまでも繋がっていた。
空が繋がった先で、絶対魔術師ヤナイは王都を陽気に歩いていた。
次第にその歩は、情報収集のために地下都市に向いた。
天井が、空が、黒くなった。
その黒の中に、ヤナイはイースター家の当主とのやり取りを見出す。
『先の大戦で息子は死んでしまったよ。今、一人孫のマシューを失ってしまったらイースター家は途絶えるのだ』
『わかりました。捜索させていただきます。生存は保障できませんが』
イースター家の当主はガリガリの体をベッドから起こし、骸骨のような顔を向けて問いかけてきた。
『君ほどの男が、どうして魔法に失望してるのだね?』
『本当は、殺す術しか知らない自分に失望しているだけです』
回想を終える。
絶対魔術師ヤナイが現れただけで、地下都市は明るくなった。
その黄金のアウラが陰気な雰囲気を追い払っていく。
その後光に差されているだけで、悪党はまぶしくて逃げさるように消え失せた。
だいたい地下都市には、そういう陰気なものが多く、ヤナイの周りにはほとんど人がいなくなった。
ときおり、ひざまづいて、その足にキスをしていくものがいるだけだった。
獣人の奴隷たちを見つけても、ヤナイの表情は曇りはしなかった。
ヤナイが明るい花のような笑顔を差し向けると、そこに一面の光が咲いた。
昔は感じなかったことを感じるようになったのですね、と、
そう自覚して、獣人の子供たちに慈愛に満ちた目を向けながら、洗練された所作で檻に手をかける。
「この子達を買うこととします」
自由を望むものには自由を与えよう。
王には直訴しよう。
ヤナイは獣人の子供の暗い顔に微笑みつつ。
「そんな顔をしなくていいんですよ。ここでこうして苦しんでいたことにすら意味はあるのですから。
誰かの苦しみを理解することができるようにと、誰かに優しくなれるようにと、神は考えたのです。
すべては学びです」
そう優しく語りかけられた獣人の子供は、まるで頬をぶたれたように目を見開いていた。
ヤナイから差す光に眩んでいるのか、その言葉の意味をとりかけねているのか。
見惚れたようにヤナイの顔を眺めていた。
ヤナイはその獣人の子供の手をとり、檻から解放した。
絶対魔術師ヤナイはマシューの行方を捜索しながら、救済の手を広げていた。