表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/119

小さな時間

 死が迫るがゆえに時間が止まり、思考が拡大していく。

 アカネに殴られ、マリにレイピアを突きつけられる今の状況。

 ――おかしくて。

 洞察スキルで見れば分かる。

 アカネはレベル8、筋力B-という能力と霊獣化というスキル以外に見るべきものはない。

 おそらく霊獣化は捕まえた敵を改造して手下に加えるか、あるいは自身を強化するスキルだろう。

 マリはレベル7、器用CCというところ以外に特に優れた点はない。

 ――おかしくて仕方がない。

 レベル36のゴブリン王に圧勝できたかと思ったら、今はたかだかレベル8そこらの少女たちに殺されかけている。

 戦闘能力では明らかにこちらが上なのに、罠にはめられて、ボコられれば殺されるってわけだ。

 能力差もレベル差も戦い方次第で超えられる。

 あるのは現実だけだ。

 こんなときも、それとは別に考えてしまう。

 商売人としての思考をやめることができない。

 ――ああ、どんなダンジョンを作れば儲かるのか見えてきた。

 思考を繰り広げていると、現実が追い上げてくる。

 マリがレイピアを首に突きつけると、鋭い痛みが走る。

 薄皮一枚を突き破り、血がにじんでレイピアを伝い、その剣元をこぼれ落ちていく。

 説得不可能。脱出不可能。

 どこにも打開策はない。

 毛嫌いしている虫に見えた自分をこの子たちが霊獣化する可能性もない。

 終わりだ。

 なのに、どうしてだろう。

 伝崎はこらえきれなくなって、へらへらと笑いながら血まみれの口を開く。

「なんでか知らないけど、死ぬ気がしないんだ」

 これからのことばかり考えている人間の明るい声。

 まるで無精ひげをはやした飲んだくれが口から酒の代わりに血を垂らして、せせら笑っているみたいだ。

 アカネは、ちょっと頬をひきつらせ、気色悪がる。

「こいつ、頭おかしくなったみたい……笑うな!」

 そういって、拳を振り上げる。

 死。

 数瞬、伝崎は小さな時間の中におぼれた。

 ――俺が生きることが、より多くの殺戮を生むとして。

 しかし、あの騎士を殺したからにはもう引き下がることはできない。

 なるほど、そんな責任感が自分を突き動かそうとしているのか。

 否。

 あの騎士が何のために死んだのか。

 自分が何のために死んでいくのか。

 その根幹の意味。

 人間が生まれた意味。世界が生まれた意味。宇宙が生まれた意味。全て何もかも一切合切の意味。自分がここでこうしている小さな意味でさえ。

 教えて。

 ずっと悩み続けた子供の頃の後姿が目の前から消え去っていく。その姿の代わりに現れた宇宙の中心の渦のような黒の中は、空っぽでカラカラだから。

 解ってる。

 意味、そんなもの初めから無かった。

 ――俺が生まれたことに意味が無いように、あの騎士が死んだことに意味なんて無い。

 アカネの目の前で、形容できない不可解な変化が、伝崎の表情に起こり始めた。

 真新しい黒い首輪にまで鮮血をしたたらせている半笑いの顔が、凝視しなければ見いだせないくらい小さく小さく、力無い表情に変わっていくのである。

 冷血漢のごとく整った顔全体が次第にあらわになるにつけて、いつの間にか冷たさとは別のものが現れ、その底から透きとおってきて。

 伝崎は、ただの少年の顔になっていた。

 その体から放たれるアウラが、限りなく透明に近い夜色になっていた。

 アカネは拳を振り下ろすことができず、小刻みに肩を震わせた。

 絶対的優位の立場にありながら、三歩後ずさる。

 後ずさざるをえなかった。

 気色悪さよりも、畏怖のほうが今は優っていた。

 こんな無垢な顔をして殺されようとしている人間を見たことが無かった。

 理由わけもなく、激しい焦燥感に襲われた。

 生物として本能的に思った。

 こいつだけは生かしておいてはいけない。

 アカネはマリの背に隠れながら声を震わせる。

「は、早く、こいつを殺して」

「じゃあ、死んでください」

 マリは平静にそのレイピアに体重をかける。

 その針のような剣先が首の真皮を突き破り、喉仏を越えて首の骨に達し、血がとめどなくあふれて、息が止まり、体が激しく痙攣し、絶対の致命傷を受けた。

 受けるはずだった。

 しかし、現実は違った。

 レイピアがダンジョンの壁に突き立っている。

 目の前で重厚な赤塗りの槍が螺旋を描く。

 伝崎が見上げた場所には、森の中に何度も見つけた白い円形の何かがあった。

 そこに立っていたのは、白面の男。

 エリカの従者だ。

 青が混ざる黒マントから白手袋を差し出して、槍をやわらかな手つきで使いこなし、静かな存在感を放っている。

 アウラが一滴も漏れ出していない。どこにも隙がない。

 マリは硬直し、アカネは目を見開く。

 伝崎は、ほくそえむ。

「持つべきものは友人だな……」

 白面の男は、まるで詠うように。

「貴方がオレを友と呼ぶのならば、オレも貴方を友と呼ぼう」

「名前を教えてくれないか?」

「ソノヤマ・オミナ」

「良い名前だ」

 伝崎は噛みしめるように、そう言った。

 ソノヤマ・オミナと名乗った白面の男は使者のように告げる。

「エリカ様の命令で、オレはここにいる。

 ただの洞窟に帰るまで私のペットを見張れ、場合によっては守れ、と。不自然な動きをしているから、と。

 エリカ様は新作の罠の作成に忙しいので、ここには来てない」

 黒い首輪によって位置が分かっていたのだろう。

 アカネが声を張り上げると、ダンジョン内から十数匹の凶悪なモンスターがあふれだした。

 ソノヤマは美しく、美しく、強く。

 舞った。




 オミナ家に生まれた男子は五歳になると、その一族独特の剣術と槍術をたしなむようになる。

 そこから三年ごとに二つずつ追加され、最後に一つの武術を教わる。

 成人男子になるときには七種の武術をおさめ、家伝の黒布、正確には青みがかった黒布を与えられる。

 その布の下に、七種の武器を隠す。

 戦闘に際して、その中から相手に最適な武器を選び出し、一撃の下に倒す。

 オミナ家の人間が戦う姿は美しいとすら言われている。

 元はといえば、オミナ家は高貴な騎士階級にあったのだが、歴史の変遷の中で裏側に生きる一族になった。

「オミナ家の人間に狙われたら、あきらめろ。そうしたら優しく殺してくれるから」

 それが裏世界の常識だった。

 なぜ、オミナ家出身であるソノヤマがエリカの従者をしているのか、裏世界でも謎だった。




 伝崎は脱出に成功し、ダンジョンの外で身支度をしていた。

 リリンは窮地を救うために「手詰まりダンジョン」近くまで空から駆けつけてきていた。

 助かった自分を見て安堵することもなく、逃亡を勧めてきた。

 しかし、帰る以外に他はなかった。

 どこにいても監視されている以上、逃げ切ることは不可能。

「オレが受けた命令は、貴方をただの洞窟に送り届けること」

 ソノヤマに援護を求めたが、拒否された。

 あくまでもエリカの従者であり、自らの仕事を優先するのは至極当たり前のこと。

 彼に助けを求めること自体、お門違いだった。

 この戦いにおいて敵になるか味方になるか分からないリリンには席を外してもらった。




 ただの洞窟の玉座前で、伝崎は地面に額をすりつける。

 女魔王は怒っていると思いきや、冷静に話す。

「ダンジョン経営に必要なのか知らんが、一ヶ月近くは行き過ぎだったよな……」

 その冷たい口調から、もう避けられないことがわかった。

 生きるためにできることがあるとしたら、ここで女魔王を倒すこと。

 額をすりつけている場所から女魔王がふんぞりかえる玉座まで、七歩半。

 なんという絶望的な距離だろう。

 女魔王は敏捷S+だ。

 こちらは敏捷AA、スピードが肉薄しつつあるとはいえ、二回も移動を許してくれるはずがない。

 せめて三歩以内の場所にいてくれれば、うまく先手をとれる可能性もある。

 最初の一手、思わぬ動きにぎょっとする、それ。

 そこしかチャンスはない。

 しかし、勝ってるところがイメージできない。

 女魔王はありとあらゆる魔法を使いこなし、この洞窟ごと吹き飛ばしても対魔法の防御で生存できる無敵の存在。

 一方こちらは紙切れのような耐久。

 スピードが近いからといって、どこに勝ち目があるのか。

 接近中に壁を作られたら、それだけで負け。

 ――もっと時間があれば。もっと強くなっていれば!

 交渉スキルを使えば死。何か言い訳すれば死。

 相変わらず、玉座までの距離は埋まらず。

 まるで、女魔王はすべてのことを重々承知のように玉座に座り続け、とうとう最後の言葉を述べるように淡々と話す。

「さすがにお前の行動にぶち切れちまったよ。どう殺してやるか、そのことばかり考えてたわ」

 もう、今しかチャンスはない。

 アウラを凝縮し始めたら終わりだ。

 勝ち目なんてない。

 それでもやるしかない。

 服の中に手を入れる。

 女魔王は、想像とまったく違うことを述べる。

「まぁでも、勇者様に似てるところがあったから今回も許しといてやるよ」

 ――なに? 商人勇者のくだりか?

「落とし穴のときの顔が良かった」

 女魔王は、そのときのことを思い出したのか恍惚とした表情で、手元の水晶を撫で回すように見る。

 気持ちが高ぶったのか水晶を掲げて、大きな胸を押しつぶすように抱きしめる。

「勇者様もときどき、あんな顔する……」

 女魔王は、恋に落ちた乙女のような、ほんのりと赤みがかる微笑を浮かべる。

「全部あきらめてるくせに、心が折れてないって顔」

 伝崎は、勇者がどんな人間なのかを知らない。

 しかし、女魔王が勇者のどこに惹かれているのかほんのちょっと理解できた。

 その好意が、自分自身にもわずかに向けられているような違和感も覚えた。

 ――運がいい……

 伝崎は頬を震わせながら、胸をなでおろす。

 誇張抜きにして断言できる。

 最凶最悪の脅威が去ったのだ。

 実際にどこにも勝算などなかったのだから。

 もしも、勝とうとするならば寝こみを襲うくらいしかない。

 しかし、寝ているところが想像できない。

 もう戦う必要が無いから、そんなことも考える必要がないだろう。

 女魔王は立ち上がると、粛々と語る。

「まぁ生かしといてやるけど、さすがに限度を何回か超えてるよな?

 いい加減結果出せや。

 そうだな、期間は三ヶ月以内だ。ギルド新聞の評価をF-からEランク、いやDランクにしろ。

 できなかったらゾンビにしてやるから。それで一生かしづけよ」

 女魔王はどこか期待を持った高い声色でそう言った。

 目を遠くに、伝崎をゾンビにして手元に置いているところを想像しているのか、それとももっと別のことを考えているのか。

「あと、一週間は外出禁止な。仮に一週間経っても三日以上の遠出は許さん」

 伝崎は思った。

 ――上等じゃないか。望むところだ。

 ――三ヶ月以内にDランクダンジョン? 楽勝だろ。欲しい情報も手に入ってるし、ちょっとは金もある。

 武器も拾ってきた。レアアイテムもある。

 ――何より、やり方が見えてる。

 本格的なダンジョン経営の始まりだった。




 ズケは湖のほとりで朝食のミートを頬張り、一服がてらにギルド新聞を読む。

「今日も、ただの洞窟はクソだなぁ」

 ほのかな幸せに満ちた優しい丸顔だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ