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ダンジョンたるもの

 伝崎は三日三晩、狼たちと踊り明かした。

 回避こそ戦闘の要と断じ、見切りスキルを狂ったように鍛え上げた。

 狼にうまいこと挟み撃ちをかまされた。

 なるほどなるほど、これはDランクの難易度だと思いながら、問答無用で一番苦しかったのは下痢を我慢することだった。

 見切りスキルは体力の消費が少ない。何回使ってもあまり疲れなかった。

 狼たちの攻撃を避けた回数は、気付いたら数百回に達していた。

 見切りはEからD+に成長した。

 かなりの数をこなしたのもあるが、これもまた成長が早かった。

 幼少期から暴力にさらされ続けた伝崎の宿命的センスだった。

 レベルが4、5、6、7と成長した。器用がAAになり、筋力はD++になり、知力はAになった。

 迷宮透視はDになり、懐剣術はE+になった。

 セシルズナイフは「16」という数字を示した。

 オッサンは調子が良さそうだ。

 すべてにおいて、どんどん強くなっていくのである。

 伝崎は何かの骨の山で一枚の金貨を手に入れたときに「ひゃっほう!」と声を上げた。

 1万Gの収入である。

 所持金は2万9121Gになった。

 伝崎は洞窟から出てきた。

 目の下にクマを作り、少し痩せた顔でお尻を押さえながら下の服をにじませている。

 なぜか後ろには、白い狼がついてきている。

 柴犬のような愛くるしい顔立ち、うるうるとしながらも真っ直ぐな目。

 その体は小さく伝崎の靴くらいのサイズである。

 伝崎を見上げて、さかんに尻尾を振っている。口には伝崎の手持ちの袋をくわえていた。

 その狼をヤザンと名づけた。

 白狼レベル14。

 筋力E+

 耐久E-

 器用C

 敏捷B+

 知力D

 魔力F

 魅力A

 かなり賢く、すこし人語も話せた。

 ヤザンは、くわえていた袋をちょこんと置く。

「デンザキ、デンザキ。メイレイ、して」

 強い者に従う。

 それがこの世界の狼の論理だが、別種のものに従うわけではない。

 しかし、この白い狼は風変わりだった。

 踊り明かす伝崎のことを気に入ってしまったのである。

 その洞窟自体にダンジョンマスターがおらず、野生の狼だったのも仲間になった一因だ。

 伝崎は地図を広げて指し示す。

「よし、お前を探索兵に命ずる。まずは、ただの洞窟から王都周辺を一から十まで調べ上げろ。

 ただの洞窟に近づいてくる奴がいたら伝えろ」

「ワカッタヨ、デンザキ」

 ヤザンは風を突っ切った。

 緑一杯の中の白い点となって、森のほうへと消えていった。

 伝崎は徹底的に服を洗った後、野原の食事を取り身支度を済ませた。

 森のほうへ向かうと、懐剣術E+を発動する。

 木を切りつけた。腕ぐらいの太さのある木が一発で切り倒せた。

 今度は太ももぐらいの木をスキルを使って切りつけた。

 一回で七割ほど中身が切れている。

 切りつけ二回で倒せた。

 それから三日間は、森の木を切り倒し続けた。

 懐剣術は消耗が激しく、一日に数十回が使用限度だった。

 二百回を越えたあたりで、気絶しそうになりながら倒れこんだ。

 疲労しすぎたのか何かが森の奥の闇に見えた。

「なんだ?」

 白い円形の何かが動いたような気がしたのだ。

 ヤザンのようにも思えなかったし、お化けか何か別のものに感じた。

 よく見るとすぐに消えたので、それは幻覚か見間違いなのだと思った。

 鍛錬のおかげで懐剣術はE+からEEに成長していた。

 太ももぐらいの木も一発で切り倒せるようになった。

 筋力はDDになった(短刀スキルはC-からCになった)

 森を切り続けたせいか、切り株だらけの平地が目の前に広がっていた。

 百五十坪、約五百平方メートルぐらいの大きさだ。

 百メートルダッシュを五回繰り返せる。

 大きな畑を作れるぐらいだろうか。

 なだらかな丘の上も合わせると、八百坪から千坪ぐらいの大きさである。

 学校の大きなグラウンド三つ分の広さは間違いなく越えている。

 青空へと繋がる丘は、見晴らしがいい。

 今のところ、畑を作る気はない。

 いつか作る可能性はあるかもしれないが、今は必要がない。

 回せる労働力もない。

 この世界の栽培技術もない。ないない尽くしである。

 洞窟を旅立ってから、もう二十三日目になった。

 崖沿いを歩いていき、村を素通りして、Cランクダンジョン「ゴブリンたちが風をさらう巣窟」に挑戦することにした。




 伝崎が洞窟を発ってから二十三日目、リリンの日記。

『魔王様が怒ってる。

 きっと伝崎は殺されるか、ゾンビ化させられるかもしれない。

 帰ってこないほうがいいと伝えるか?

 伝崎には何とか生き延びて欲しいところ。

 冒険者は来てない』




 ランタンが壁に備え付けられた赤い洞窟の広場。

 凹凸のある茶色い肌のゴブリンたち十四匹が何かに群がっている。

 うらわかき村娘が服を破られていた。

 緑色のつややかな長髪を透明感のある白い肌の上に流す美しい少女だった。

 まだ、成人に達していないであろう幼さがあった。

 村娘は、目に涙をためていた。両手を胸の前で組んで体を震わせる。

 自分の番が来たのだという覚悟と両親の悲しそうな顔とが心の中で、ない交ぜになって胸をいっぱいにする。

 入り口のほうから足音が聞こえてくる。

「ほうほう、ここはこう広場がバっとこうなってて……なるほど、俺の洞窟に近いな。参考になる」

 伝崎だった。

 ゴブリンたちは手を止めて振り返る。

 紫色の吐息を吹き下げる。

 鉄槍と丸い木盾を拾い上げ、皮鎧を着なおす。

 木の長弓を拾い上げるものもいた。

 半裸に近い村娘を捨て置いて、ぞろぞろと広場の入り口に駆け寄っていく。

 伝崎は広場の入り口前の壁にもたれかかり、頭の後ろで両手を組んでいた。

 ゴブリンたちは粗雑な長方形の隊列を組み上げる。

「何者だ?」

 一匹の鉄兜を付けた大きなゴブリンが、つぶれた声で言った。

 伝崎は薄っすらと笑みを浮かべ、大胆不敵に聞く。

「話せるんだ。じゃあ単刀直入に言うわ。この洞窟の宝を出してくれないか?」

 ゴブリンたちは、目を丸くして顔を見合わせた。

 がやがやと話し始める。

 こいつ、商人だ。レベル7だぞ。何いってやがるんだ。

 どういう意味だ。人間特有の冗談か。などなど。

 伝崎は、口角の片方を上げて両手を広げる。

「この洞窟の宝をくれたら見逃してやるって言ってんだ」

 ゴブリンたちが止まった。

 伝崎は、ふっと小さく息を吐いて冷血に言う。

「なんつって。お前ら全員殺すの確定済みだって」

 一匹のゴブリンが激しく叫ぶと、全ゴブリンたちが一斉に怒り出した。

 鉄槍同士を合わせて、がちゃがちゃとうるさく音を立てる。

「下劣な人間に絶望を教えてやれ!」

 鉄兜を付けている隊長らしきゴブリンが叫ぶ。

 伝崎は洞察スキルを発動する。

 隊長ゴブリンレベル16。

 筋力D++

 耐久D+

 器用E

 敏捷D

 知力D+

 魔力F

 魅力E

 伝崎は思った。

 ――モンスターのくせに、ちょいと賢いな。

 大きな丸盾で長方形の隊列が視界を覆い隠す。

 伝崎は自分の筋力を確かめるように、足をゴブリンの盾にかける。

 今までに感じたことのない力が足に、みなぎる。

 跳躍した。

 一メートル近くの高さに飛び上がった。鉄槍の針山をかきわけていく。

 視界につけているのは、後衛の隊長ゴブリンの鉄兜。

 ゴブリンたちが見上げるその上から、飛び上がったままにセシルズナイフを振り下ろす。

 隊長ゴブリンは、渋い顔で丸盾を構えた。

 ナイフが突き立つ。

 ガツっという音がなった。

 木の盾を貫通していた。

 ナイフの刃先は、隊長ゴブリンの鼻の先で止まる。

 その場所で、伝崎は手に体重を乗せる。

 隊長ゴブリンは歯を食いしばり、全力で押し返そうとする。

 一際大きな一メートル八十センチ近くの図体から力をひねりだしている。

 豪腕とまでもいかないまでも、太い腕の筋肉が盛り上がっていた。

 部下のゴブリンたちが振り返り、隊列を組みなおそうとする。

 伝崎の腕に力がグンっと入り、表情が険しくなる。

 隊長ゴブリンは「ぐぉおお」と声を上げる。

 伝崎が「おらっ」っと一声上げて突き飛ばす。

 隊長ゴブリンは尻餅をついた。腰をすらせながら後ずさり始める。

 地面に丸盾が転がる。

「ああっ!」

 部下のゴブリンたちが、その光景に驚く。

 隊長が商人に力負けしたのだ。

 日本にいたときの非力な伝崎では考えられないことだった。

 伝崎の背後にいるゴブリンたちが一斉に襲い掛かってくる。

 何本もの鉄槍が突き出される。

 伝崎はその瞳に光の線を描く。

 見切りスキルD+を発動しながら、振り返る。

 複数の軌道が見える。

 前とは違って、クリアに。

 結果の点ではなく、白い線だ。

 ここに来るまでの流れが、はっきりとした白い線で見える。

 一本、右肩に向けて、一本、左胸に、三本、腹に。

 どのラインを通るのかが分かる。

 長弓が引き絞られていたが、どう曲線を描いて自分の体に落ちるのかさえ見えた。

 最有力の選択肢を見出す。

 伝崎は、ななめ後ろに体を倒す。

 何気ない手つきでナイフを振り下ろしながら。

 さっきいた場所に槍があふれる。

 矢が横腹をなでる。

 ほとんど同時に、ナイフが振り終わる。

 隊長ゴブリンの首から青色の血柱が上がった。

 血が立ち上る突然の光景に切られた本人は驚き、恐怖を覚えた顔でうなり声を放つ。

 数秒も経たずに白目をむいて、手に持っていた鉄槍を落とした。

 ゴブリンたちは、あっけに取られていた。

 回避、攻撃、すべてを兼ね合わせた選択だった。

 伝崎は、隊長の生命エネルギーを吸収しながら体を光らせ、ナイフを手のひらにのせて言う。

「悔しいか?」

 足元の隊長ゴブリンは微動だにせず、息絶えていた。

 数は力だ。

 だが。

「敗因を教えてやる……お前たちは遅すぎだ」

 村娘は地面を這いずって、ほうけたように見ていた。

 ゴブリンたちは、呪文のような意味不明な言葉を叫ぶ。

 何かを懇願しているようだ。

 その洞窟の奥深くへ向けたものだった。

 奥から、ブォオオという咆哮が聞こえたような気がした。洞窟全体がガタガタと振動した。

 ゴブリンたちは歓喜の声を上げる。

 ドスンっという大地を踏みしめる音が何度かした。

 奥深くの闇から巨大な緑色の手が出てくる。

 人間の体をひとつかみに握りつぶせる大きさだった。

 その手が洞窟の壁にかかって、図太い腕が姿をもたげる。

 全容が見えた。

 巨大なゴブリンだった。

 数メートル近くの体躯は洞窟の天井にまで届いている。

 布切れ一枚を腰に巻き、全裸に近い姿だった。

 赤い目をゆがませ、その口から舌を出している。

 顔面だけで伝崎の身長を越えていた。

 右手には、まがまがしいほど針がついた大きな棍棒があった。

 吐息が、霧のように目の前を覆っていく。

「眠りを邪魔するもの……」

 伝崎は、まゆをひそめながら洞察スキルを発動する。

 ゴブリン王レベル36。

 筋力A

 耐久B+

 器用D

 敏捷D+

 知力C-

 魔力E

 魅力D

 大力の持ち主だ。

(……通りでCランクダンジョンなわけか)

 巨大なゴブリンが近づいてくる。

 ドンっと足が下ろされるたびに、小さなゴブリンたちが跳ね上がる。

 近づけば近づくほど、見上げる形になる。

 伝崎は、セシルズナイフを服の中にしまう。

 自らのアウラをバチバチといわせる。

 刃に全力のアウラを凝縮する。刀身が光った。

 懐剣術EEを発動。

 短い時間の中で、とりとめもなく思考する。

(こいつは強い。だが、頭蓋骨はもっと強い。たぶん心臓にはきっと)

 伝崎は前に出る。

 カクっと体が高速で動く。

 棍棒が振り上げられる。

 巨大なゴブリンの左足首から、すごい勢いで青い血が噴出していく。

 次の瞬間には右足首からも青い血が飛び出す。

 激痛に襲われたのか悲鳴を上げながら、棍棒を落として倒れこんだ。

 ゴブリンたちは、愕然としていた。

 伝崎が、のたうつ巨大なゴブリンの首にナイフを突きつけて。

 その首を掻っ捌いた瞬間、青い血しぶきが上がった。

 まるで豚の屠殺に近かった。

 ただ、淡々としていた。

 巨大なゴブリンの体から泡状の生命エネルギーが大量に噴出すと、伝崎の体に飲まれていった。

 また全身が光り、激しい快感に襲われる。レベルが9に上がった。

 戦慄するゴブリンたちが、唐突に言った。

「勇者だ……」

「とうとう現れたんだ、勇者が!」

「逃げろ。勝てるわけがない」

 向かってくる者、逃げ出す者、辺り構わず、ゴブリンたちを血祭りに上げた。

 二匹のゴブリンを除いて、逃げ切れるものはいなかった。

 レベルが10、11と上がった。

 筋力はDD+になり、魅力はAになった。

 懐剣術はEE+になり、心眼はE+になった。

 セシルズナイフは「29」の数字を示した。

 最近、刀身の黒に赤みがほんのりと乗ってきた。

 切れ味が上がってきたし、その上がる速度自体もかなり高まっているのだろう。

 オッサンの頭のところどころが常に光っている。

 伝崎はべとりと頬についた青い血を拭いながら、ゴブリンたちの散乱する死体をゆっくりと踏みしめていく。

 すぐに、その装備の価値を見出す。

 死体の十二匹は槍兵だったのだろう。

 鉄槍と木の丸盾と皮鎧、隊長はおまけに鉄兜を装備している。

 二匹の弓兵は逃げ切ったようだ。

 でかすぎる棍棒は……あきらめよう。

 彼らの装備をはいでいると、緑髪の村娘がおずおずと近づいてきた。

 半裸だったので、ゴブリンの布の服をくれてやった。

 村娘はそれを喜んだ顔で受け取り、目を輝かせる。両手を合わせて声を張り上げた。

「貴方様は勇者様なのですね!」

「いや、違う」

「どう見ても勇者様です」

「いや、商人だ」

「どうして、商人がお強いのですか?」

「商売で必要なんだ」

「いえ、私からしたら貴方様は勇者様です!」

「どっちでもいい」

「貴方様は私の勇者様です」

「はいはい、商人勇者、商人勇者」

 伝崎は、また変なのに絡まれたなと思った。

 正義の神が空から声を下した。

『その名称、しっくり来すぎだ』

 商人勇者という称号が与えられた。

 なぜか髪の毛が二本だけ頭の天辺で立った。

 二束のわらじ的なノリなのだろう。

 それにしても、あんまりだった。

 ナイフで切り落としても、また二本の髪の毛が立った。

 全ステータス、全スキルの成長限界と成長率が少し上がった。

 商人でありながら勇者特有の反則的な万能性をわずかでも享受することになったのである。

 村娘は布の服で体の前部分を隠しているのだが、声を張り上げるたびに小さな胸が見えそうだった。

 オッサンが、ヒューと村娘の裸体を見て口笛を吹いたのでゲンコツを食らわせてやった。

 しょげた顔して頭を抱える。

 伝崎は、どっちにしたって村娘にさっさと帰って欲しかった。

「とりあえず、村に帰ったらどうだ?」

「貴方様も来て下さい。歓迎しますよ」

「いや、いい」

「来て下さい」

「いやだ」

「どうしてなんですか?」

「時間の無駄だ」

 村娘は目を斜め上にして考え始める。

 伝崎は、装備をどんどんと縛り上げて一まとめにしていく。

 全部売ったら、何万Gになるんだ。

 すごいぞ、とも考えたし、待てよ、ただの洞窟のモンスターに装備させたらとんでもないことになるぞ、と思った。

 この装備を実装して、うまく密集隊形作ったら軽槍歩兵団の出来上がりじゃないか。

 それなりの爆発力が生まれるぞ。戦死率下がって、火力が上がる。

 最高じゃないか。

 金の音がすっごい聞こえてくる、と胸をワクワクさせていた。

 村娘は、何かを勘違いしたのか高い声を上げる。

「なんて無欲な人なんでしょう」

 どこをどう見たら、そう思うのかは分からなかった。

 村娘はイアスと名乗り、頭を下げた。

「必ずお礼はします!」

「そうか、分かった。お礼は受け取る。ただの洞窟というダンジョンがあるから、その前に積んどいてくれ」

 あまりにも素早い答え方だった。

 村娘イアスは元気良く「はい!」と声をあげて、弾けるような足取りで洞窟を出て行く。

 オッサンは口惜しそうに村娘のお尻を見ながら言う。

「おいぃ、このまま連れ去ったって誰も文句言わなかったぞぉ」

「ああいう美しい村娘には必ず思い人がいるもんだ」

 伝崎は心優しそうに目を細める。

 オッサンは、うぅうと唸って両腕を組みながら頭をもたげる。

「お前、本当に良い奴か悪い奴か分からないなぁ」

 オッサンにとって、まったく理解できない行動だった。

 伝崎は、こう考えていた。

 ――その思い人が金になるすごい褒美を用意するんだよ。

 伝崎は装備を一まとめにし終えると、ひとまず置いといて洞窟の奥に入っていく。

 鉄の宝箱を見つけたので開いた。

 側の壁から罠の槍が飛び出す。とっさに避ける。

 頬から、血がしたたり落ちていく。

 致命傷ではないが、かなり痛かった。

 Cランクダンジョンになると罠もあるだろう。

 だが、モンスター重視的なところがあったのか、一つぐらいしかなかった。

 そろそろ罠解除とか罠探知のスキルが必要だと思った。

 宝箱の中には、緑色の靴が入っていた。

 銀色の光る羽の模様が刻まれている。

 数秒ごとに、その靴から風が舞い上がる。

「おっ」

 風の靴だった。

 伝崎は、有無を言わさずに風の靴を履いた。

 一歩足を出すと、足裏に小さな風が発生する。

 ぐいっとその歩幅が伸びる。

 びっくりして、こけてしまった。

 一.五倍ほど距離が伸びていた。

 体を倒して動くのも試す。

 前に出ると、距離がずんっと伸びる。

 どこに継ぎ足せばいいのか分からず、顔面からダイブしてしまった。

 そんなことを繰り返しながら自分の感覚を慣らしていく。

 倒れる動きを殺さないように足裏の風で加速させる。

 視界が一瞬で動く。洞窟の壁のランタンが残像に見えた。

 すごいスピードだ。

 敏捷がAからAAに上昇していた。

 レベルを上げても敏捷だけは、なかなか上がらなかった。

 それは転心に依存していたからである。

 どう転んでも重力の加速度は変わらない。

 しかし、風を相殺せずに加えることができるならば上げることができる。

 足裏を思い切り返して、重力の加速度に風を乗っけるような形にしたのである。

 体捌きが速くなるだけではない。

 身長分しかなかった移動距離も伸びている。

 二メートル半ぐらいになっていた。

 これは……良い。

 風の靴は、レアアイテムだろう。

 あとで調べてわかったことだが、40~50万Gぐらいの価値があった。

 Cランクダンジョンを攻略しただけで、これほどのアイテムを手に入れてしまった。

 なんということだろうか。

 装備としても使えるし、財宝にもなる。

 売り払っても戦力増強に使える。

 想像以上に早くダンジョンを発展させられるかもしれない。

 伝崎は喜びの中で、気づいた。

 ――これだ。これが、ダンジョンなのだ。

 やっと冒険者の視点を理解した。

 それがどれほどダンジョン経営に役立つか。

 今は計り知れなかった。

 もう一度、一まとめにした装備や荷物を見る。

 伝崎の肩ぐらいの高さの小山になっていた。

 何キロあるのかは想像もつかない。

 引きずろうとしても地面にめりこんだようになかなか動かない。

 どれだけ重くとも、これから先の未来を想像すると希望しかなかった。

 伝崎は自作の歌を口ずさみ、荷物をじわりじわりと引きずる。

「無敵の商人現れた~ダンジョン攻略、ダンジョン攻略。無敵の商人現れた~大金稼ぐ、大金稼ぐ」

 オッサンは衝撃を受けていた。

(あの伝崎が歌を自作しやがった……世界が滅ぶぞぉ)

 ただの洞窟がある森のほうへ、三日ほど荷物を引きずり続けた。

 疲労が蓄積したので休んでいると、また白い円形の何かが森の中に浮かび上がるのを見つけた。

 はっとして見ると、すぐに消えた。

 荷物を引きずり続けたおかげで筋力がDD+からC-に上がっていた。

 森の中を歩いていると、Cランクダンジョン「手詰まりダンジョン」の側を通りがかった。

 ぽつんと円形の転移陣が木々の間にあって、青い光をゆらめかせているのである。

 伝崎は荷物のひもをゆるめた。

「ついでにここも攻略して帰ろう」

 そういって、「手詰まりダンジョン」の転移陣の上に乗った。




「なんだ、このヘドロ液は……身動きが取れない」

 伝崎は落とし穴に、はめられていた。




 伝崎は落とし穴のヘドロ液に埋もれながら、ダンジョンの天井を見上げている。

 砂浜に体を突っ込んで、顔を出すような形である。

 両手両足は、完全拘束下に置かれている。

 動かせば動かすほどにヘドロ液がくっついて、事態が悪化していくのである。

 セシルズナイフでも脱出不可能だった。

 こつこつと誰かが歩いてくる。

「あったしは、もう虫の襲来にうんざりしてんだよね!」

 ダンジョンマスターとおぼしき無駄に明るい少女の声が聞こえてくる。

 それに対して、落ち着いた声で違う少女が返した。

「いいじゃないですか、倒せば倒すほど有利になるんですから」

 二人の会話を聞いていると。

「アカネはいつもそうですよねー」

「マリのほうこそ」

 明るい少女はアカネという名前であることが分かり、落ち着いた声の主はマリという名前だと分かった。

 アカネという名前の女の子が落とし穴を覗き込んできたとき、かなり目のやり場に困った。

 女子高生服のミニスカートから、俗に言う魔の三角地帯が見えたのである。

 ただ白かった。

 アカネは頬を無邪気な桃色で常に染めているような少女だった。

 天真爛漫というか、あんまり物事に執着しないタイプに思えた。

 黒髪は肩にかかるぐらいの長さで、毛先をカールさせている。

 その髪を指に巻き込みながら、汚らしいものを見る目で見下ろしてくる。

 伝崎は手を上げられずに言う。

「はじめに断っとくが、俺は虫じゃない」

 アカネは、「はぁっ?」って顔になった。

 スカートを押さえながら足を折って、ふにゃふにゃに柔らかそうな桃色の顔を近付けてくる。

 じろじろと舐めるように見回した後に、やっぱりそうだよという感じで言った。

「どっからどう見ても虫でしょ」

「よく見ろ、虫じゃない」

「虫でしょ」

「だから虫じ」

「だまれゴキブリ!」

 顔面に右フックがぶち込まれた。

 目の前が真っ白になった。

 気絶しそうになった。

 頬の骨が折れたかと思った。頬っぺがねじくれるようにへこんでいるのが自分で見なくてもわかった。

 口の中が切れて、鉄の味がする。

 この子のパンチは常人の比ではなかった。

 とっさに洞察スキルで筋力を見るとB-だった。

 かなりの怪力。

 こちらは耐久E。子供の素肌と変わらない。

 軽く殴られただけで、このダメージ。

 本気で何発か殴られたら、冗談じゃなく死ぬ。

 アカネは、相変わらず頬を無邪気な桃色に染めていて、少女らしさを失っていなかった。

 うぅんと言いながら、頬をふくらませる。

 マリという子も両膝に手をついて覗き込んでくる。

 二人とも瓜二つ、双子の姉妹だと分かった。

 違うところがあるとしたら、マリは瞳がとろんとしていて髪がストレートだった。

 その子も「やっぱり虫だと思いますよ」と当たり前のように言う。

 人ひとりを殴打しながら、少女たちは平然としている。

 それがこの事態を物語る。

 蚊を叩き潰しても誰もが日常を続けられるように、この子たちは本当に自分を虫だと思っている。あるいは。

 それよりも脱出方法を考えなければならなかった。

 ――女子高生服に、ゴキブリという単語? 待て。言語魔法に馴れすぎて気づかなかった。この子たちは日本語を話している。

 そこにしか打開策はなかった。

 交渉スキルを発動。

 オレンジ色の生命エネルギーを解き放ち、二人の少女を包む。

 伝崎は口元からわずかに血を垂らしながら静かに問いかける。

「お前たちは日本人だろ?」

「それが?」

「俺も日本人だ」

「嘘をつかないでよっ」

「嘘じゃない」

「嘘をつかないで」

「だから嘘じゃ」

「だまれゴキブリ!」

 顔面に右ストレートがぶち込まれた。

 目の前が真っ白になった。

 首がカクンっと後ろに倒れた。

 鼻が折れたかもしれない。

 思いっきり鼻を打ったら痛いというよりも、無感覚になることがある。

 まさにそれが今起きていた。鼻血が垂れてきて、口元のラインをなぞる。

 意識がぐにゃぐにゃになっている。

 もう一発貰ったら、気絶する。

 それは即ち、死を意味している。

 殺しても何も感じない。

 自分と同じ感覚の人間が目の前にいるということが、これほどのことなのかと思った。

 この危機的状況にありながら、ひどく冷静になっていく感覚がある。

 やっと、あの騎士の心情が少し理解できた気がした。

 自分がやってきたこと、そしてこれからやろうとしていることの重み。

 それを想像したとき、ここで死に絶えることも大して問題じゃないように思った。

 ――ここで殺されたとして、どこまでいっても自業自得だ。

 ダンジョンに来るとは、そういうこと。

 死を予感しながら、動揺していない自分がいる。

 しかし。

 やはり、ここで死んだとしたら。

 妙に安らかな死に顔を思い出す。

 ――あの騎士は、何のために死んだんだ……

 意識が戻り始めた。

 伝崎は、澄ました顔で問いかける。

「日本人だって……わかったらどうするつもりだ?」

「まぁ、そのときは謝るかな」

 アカネは、そんなことありえないけどって付け加えると、いたずらっぽく笑った。

 伝崎は淡々と語る。

「寿司、侍、ニンジャ、東京タワー、よく聞け。日本語だ、異世界なのに日本語を話してるだろ」

「あっ、ごめん」

「人の話はちゃんと聞いたほうがいい」

「だってほら、頭に二本の毛が立ってるじゃん」

 アカネは、てへっと嘘っぽい仕草で頭を叩いた。

 今までの殺伐とした雰囲気が和らいだ。

(助かった……)

 日本人であると分かってもらえれば、殺されずに済む可能性は高い。

 なぜならば、共有したい情報が山ほどあるからだ。

 なぜ、異世界に飛ばされたのか、どうやったら帰れるのか。

 何よりも、日本人であるという前提が共感と親近感を生み出し、対話を可能にしていく。

 こちらも聞きたいことが山ほどあった。

 伝崎が口を開こうとする。

 マリはまったりレイピアを構えると、はにかんだ。

「じゃあ殺しちゃいますよ?」

 あらゆる流れを否定する笑顔だった。

 アカネは、適当に聞き返す。

「ああ、そうする? べつに日本人だからって助ける義理とかないし」

 ――こいつら、誰かれ構わず殺す人間なのか。

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