その手腕、認めます
「どこ行ってたの、なんて言えないよね。ズケと揉めてたなんて」
とある豪邸に呼び出されていた。
ダンジョンマスターの先輩エリカ・ビクトムが、いつになく柔らかい口調でそう話した。
彼女には結果としてペットにされた挙句、不本意な主従関係を結ばされていた。
その邸宅は、独りでいるには寂しいと感じるぐらいにずいぶんと広かった。
しかし、他に声ひとつ聞こえない。しーんと静まり返っている。
今いる一室だけでも、あの洞窟よりも大きいように感じられた。
公園の広場ぐらいある大きな部屋に、豪華な天井付きのベッドがある。
そこにエリカ・ビクトムは腰掛けながら、恥じらいもなく白いハイソックスを履き上げていく。
その太ももまで、義足を隠したいという意図が感じられるぐらいに高く。
彼女は白いワンピースを着ているが、そのスカートを上げるぐらいにハイソックスを履いていく。
まるで日常なのだろう。
伝崎がいることを意識することもなく、当たり前のように着替えている。
ペット扱いだから、当然と言えば当然なのだろうけれど。
伝崎は老いぼれたようにしみじみと言う。
「ああ、色々あった……」
思い出すだけで、どっとエネルギーを持っていかれるようなこともあった。
一方でなんとか乗り切ってきたからこそ、伝崎の中には確かな自信が満ち満ちていた。
エリカは美しい金色の髪をとぎながら、金縁がある机の上の不思議な光を放つ鏡を見つめて。
「首輪の位置情報だけ見てると、ダンジョンと王都を往復してるようにしか見えなかったけど……今日、ズケのダンジョンに行ってたのも記録されてるね」
そう、エリカに監視されているからこそ。
「ああ、行ってた」
大弓士ライン・ハートの証言が重要だった。
それがない状態で、もしズケのダンジョンに行っていたら単なるタブー破りだ。
ダンジョンマスターギルドにはすべてが終わってから報告した。
大弓士ライン・ハートの証言によって、うまく話がまとまるかに見えた。
だが、ギルドにはズケの子飼いの人間がいたのか疑う者もいた。
「嘘の証言をさせてる可能性だってあるだろう?」
ギルドの裁決場で、その発言が出たときイラっとした。
さすがに証人までねつ造してると言われたら。
「私は伝崎様の話を信じます」
エリカがぴしゃりとそう発言すると、他のダンジョンマスターは黙った。
彼女には影響力があるのだろう。
間接的な証拠の水晶の話もあがり、誰も反論するものがいなかった。
ズケはギルドから永久追放ということになり、賞金首として国に申請するとのことだった。
あくまでもズケが先制攻撃を加えてきたのだから、こちらが反撃するのは正当な事由に当たるとのことだった。
ズケがまた王国に戻って来たら、そのときこそ終わりだ。
冒険者からダンジョンマスターにまで、袋叩きに合うことになる。
不正は正され、珍しく正義が勝ったというわけだ。
その話がまとまったおかげで、今こうして話していられるというわけだ。
エリカはベッドから立ち上がると、優雅な足取りでこちらに歩いてきて両手を腰に当てて、にらみつけてくる。
いや、にらみつけてくるかのように見えた。
その切れ長の目のせいで、ちょっときつい印象を受ける。
「私にもっと早く相談してくれたら、助けてあげたのに」
エリカは顔をのぞきこむようにして、ちょっとがっかりした目つきでそう言った。
話してほしかった、と言わんばかりだ。
伝崎は両手を後頭部に回しながら言う。
「まぁー、ズケと俺との問題だったからな」
たぶん相談しても証拠や証人がいなかったら、揉めていただけの可能性もある。
言った言わない。やったやらないという問題になっていただろう。
何より、ズケが邪魔していて、エリカに会いに行けなかった。
エリカはじっとこちらの目を見つめてから、人形のように美しい顔をそらすと窓の外を見て。
「そっか」
「俺には俺のやり方があるしな」
伝崎が間髪入れずにそう言うと、エリカは机まで歩いていって、その上を見つめる。
その机の上には、ギルド新聞の号外が置かれていた。
一面が社長タチの不正を問いただすものであり、裏面にはただの洞窟の躍進が書かれていた。
エリカはそのギルド新聞に一目やってから、すこし嫉妬するように悔しそうに唇を噛む。
それから、両目をつぶって胸を張って言う。
「その手腕、認めます。認めるというか、素直にすごいよ。ダンジョンがこのスピードでBランク超えたのって、王国史上初かもね」
それだけ危ない橋を渡ってきた。
安全策ばかりを施した悠長な経営をしていたら、こんなスピードを実現できなかっただろう。
ズケにギルド新聞を操作されている以上、牛歩のような着実な経営を選択していたら期限内にDランクの目標を達成できずにゾンビ化されていたかもしれない。
そして、安全策ばかりを取っていたら戦力増強が間に合わず、大弓士ライン・ハート辺りで全滅してただろう。
できるだけ早く人材を育てるために、すべてを突き抜けていくために、いくつもリスクをとらざるを得なかった。
伝崎はそのことを考えているだけで、自然と生き生きした表情になっていた。
――それが最高に楽しかったけどな。
というような、何も言わなくとも、その表情に今までの最高にスリリングな楽しさが際立って出ていた。
エリカは伝崎の表情を見て、またひどく悔しそうに血が出るんじゃないかというぐらいに唇を強く噛む。
だが、ごまかすかのようにすぐに表情から悔しさを消したように見えた。
これからは。
「でも、今度は相談してね。話が聞きたいの。色々と興味あるし」
エリカは、人差し指を伝崎の鼻先に当てると、ニコっと笑って見せた。
卑怯な笑顔だと思った。
いつもいつも機嫌が悪そうなのに、ちょっと笑うだけで急に可愛げが出てくる。
エリカにはこちらも興味があった。
罠設置A+、罠解除C-、交渉B、洞察B、迷宮透視B、道具の心得C、堅牢B、煙玉B-、脅威への耐性A-、闘争本能C、見切りB+、的確な一撃C、防腐処理B、呪詛A、洞窟の使者C。
エリカは尋常じゃないぐらいに良いスキルをたくさん持っているから、協力してもらえると助かった。
これからは、エリカにもスキルを教えてもらえそうだ。
しかし、珍しく協力的なことを言ってくれると思ったが。
「あんたは私のペットなんだから……」
エリカはその美しい顔に闇を宿して、伝崎の首に付けていたペット用の黒い首輪を引っ張って、そう付け加えるのだった。
意外と力のある手で引っ張られて、伝崎は一瞬態勢を崩してしまうが。
じたばた服の中で暴れる銀ちゃんを守るために、とっさに態勢を戻す。
以前よりも成長したおかげか、すぐに直立した姿勢に戻すことができた。
「え……ちょっと」
「これからは対等で行こうぜ」
伝崎はそう澄んだ声で言いながら、セシルズナイフを黒い首輪に当てて外してしまっていた。
首輪をつかむエリカの手を握って、ゆっくりと自分の首元から離していく。
別に抵抗するという感じではなく、極めて繊細な手つきで、その手を彼女の腰に帰していた。
「いや、え、な……その、そ」
エリカのうろたえ方はすごかった。
その場で固まったようになって、目をぱちぱちと何度もまばたきさせていた。
困惑したように目を左右に動かして、しどろもどろになりながら、後ずさっていく。
怒っているのか照れているのかわからないぐらいに頬をすこし紅潮していた。
あまり、誰かに強く何かを言われたことがないのだろう。
あるいは自分の言うことを聞くペットがある日突然言葉をしゃべってしまったかのようでもあった。
犬がいきなりしゃべったら、飼い主はこんな驚きを見せるだろうなと思う。
それがおかしかった。
Aランクダンジョンを経営しているトップクラスのダンジョンマスター。
闇世界の主のようなエリカ・ビクトムでもこんな動揺するのかと。
伝崎はぐっと笑いをこらえながら、彼女の手を離して正々堂々と言う。
「教えてくれたことは感謝してる。証言台での援護も助かった。
恩返しはする。俺がどうやってダンジョンを一気に発展させたか根掘り葉掘り話すよ。
その代わり、スキルを教えてくれよ。それぞれ交換し合えばイーブンだろ?」
今や彼女に依存する必要のない一人前のダンジョンマスターになっていた。
ペットを辞めたとしても全然問題なかった。
それだけにこんなふうに強気に出ても問題なかった。
対立さえしなければ、それで十分だった。
もし、彼女がノーと言えば、それまでだ。
エリカはさっき握られた手をわざとらしく振ると、顔をそらしてこの部屋の扉に歩いていく。
急に立ち止まって、ぎこちなさそうに言う。
「その、あんたは……ああ、もう」
彼女の背中は今までよりも小さくなったように見えた。
なんだか急に大人しくなって、本当にどこにでもいる少女になっていた。
強がっていた化けの皮がはがれたみたいだ。
今や素の彼女に近いように見えた。
ダンジョンマスターの名門に生まれたものとして、今までずいぶんと気負っていたのかもしれない。
あのかしこまった態度や高圧的な態度は、自分の周りにバリアを作るためのものであって、実際の彼女は違うのだろう。
今やそのバリアが全部なくなったかのように見える。
そうしたら、そこにはただただ可愛らしい少女が立っている。
伝崎は深い意味を込めずにかなり軽い口調で話し始める。
「なんつーか余計かもしれないけど、取り繕うよりもそうしているほうがみんな好きになってくれると思うぞ」
エリカはその横顔を真っ赤にした。
わざとらしく眉をつり上げて首を振るい、怒っているように見えたが、それだけでない動揺のようなものが見て取れる。
伝崎は追い打ちのように言う。
「まぁ、俺はそっちのほうが好きだな」
「もう……調子狂う」
「スキル、教えてくれよ。俺も知ってることは何でも話す」
ただただシンプルな信頼関係を求めていた。
エリカは追い詰められたように扉を開いて、もう一度立ち止まると。
「わ、わかったわよ」
それだけ言うと、足早に立ち去って行った。
何回か彼女が去ったのを確認してから、伝崎は「よっしゃぁあ」と小さいガッツポーズを作る。
やっと、ペットから解放された。
それが嬉しくて、たまらなかった。
エリカの反応を見ていると、興味と動揺と色々なものが混ざっているように見えた。
それは敵意ではないように思えた。
ペットじゃなくても、スキルを習えたり、情報を教えてもらえるならば、どれだけありがたいか。
ダンジョン経営が進展していくことで。
「これだよ。これ。これなんだ……」
ペットを辞められる。
それは、社畜を辞めたときの解放感に似ていた。
エリカ・ビクトムは豪邸の地下室の机の上に男性型の人形を置いて、それをいじくり回して、つぶやき続ける。
「この……この、こうなっちゃえばいい」
その男性型の人形は、どことなく細身の伝崎に似ているようにも見えたが。
顔には逆向きの五芒星の札が張られており、何か怪しげな雰囲気に満ちていた。
――罠の反応が面白いからペットにしてやってただけなのに。
エリカは頬をふくらませる。
――呪ってやってもいいんだから。
呪詛A
手にクギを持っていた。
そのクギを人形に一度打ちつけようとするが、寸前でクギを落として動きが止まる。
つかまれた手の感触を思い出して、それを確かめるように握ってみたりする。
抵抗されたことにビックリしてしまった自分がすごい屈辱的だった。
「……なんなの、あいつ」
なんで、こんなに気になるのか疑問だった。
そこらの駆け出しのダンジョンマスターの経営がそれなりにうまくいっただけじゃないかと言い聞かせるのに。
心臓の鼓動がいまだに激しくなっている。
頬に熱さが感じられる。鼓動するたびに熱さが増していく。
今まであんな人間と出会ったことがなかった。
お世辞ばかりの社交界にあんな人間はいなかったし。
ひどい生き方を強いるこの家の生業も一生自分をとらえて離さないのに。
なんで、あの男だけが自由になれるというのだろうか。
自由になれるなんて。
――ほんと。卑怯。
ここから誰か解放してくれたらいいのにと。
いつも思っていたのに。
あいつだけが自由に解放されていく。
とめどもなく、どんどんと進んでいっている。
――我慢の限界。
エリカは机の上に突っ伏して、両腕で顔を隠す。
――私だけがここに置いていかれる。
誰もいない豪邸の地下室には、研究用の拷問器具にも似た罠の数々がそこら中にあって、そこかしこに禁忌とされたような六芒星の術式が描き込まれていた。
この感情は。
ちょっとした憧れとも違う。単なる嫉妬や好きとも違う。
卑怯なぐらいに、反則的なぐらいに、成長できる異世界人を見て。
いくら否定しても思ってしまうことがある。
その生き生きした顔を見て「なりたい」と思ってしまった。
エリカは顔を上げて、しゅんとしたような目つきになって、ぼーっとしたように遠い目になって、次にきりっと目尻をつり上げる。
涙目になりながら机を小さく叩いて、悔しさがにじむ声で言う。
「次、逆らったら許さないから……」
呪詛A
彼女の得意スキルだった。
「証言してくれたおかげで助かった。お礼と言っちゃなんだが、この矢を返すよ」
王都外の北東のはずれの森の前で。
伝崎は大弓士ライン・ハートに雷々魔の矢を差し出す。
不釣り合いなぐらいに身長差があって、見上げないといけないぐらいだった。
大弓士ライン・ハートは大きな荷物を背に、実にさわやかそうな表情で話し始める。
「それはあなたが勝ち取ったものだ。何より、すでにその矢の役割は終えている」
伝崎は頬を人差し指でかいてから、やぶさかでもないと言わんばかりに雷々魔の矢をしまって言う。
「まぁ、そうなら全然受け取ってもいいんだけど」
大弓士ライン・ハートは前を向いて歩き始めるが、立ち止まると振り返って言う。
「もし、いつか必要が生まれたならば、我がエルフ族が力になる」
「まじか? そこまでしてもらうほどのことはしてないんだけどな」
「本来ならば、ダンジョンで命を落としている身。その命を助けてもらった。
そのおかげで我が一族に予言の顛末を伝えることができる。それは命を貰うよりも大きな恩だ」
伝崎は人を見る目があった。
パッと見て、人となりや性格を読むのが得意だった。
大弓士ライン・ハートがすらすらと話すことにかなりの違和感というか、たぶん無口な人がめちゃくちゃ話してしまっているんじゃないかという異常事態に気づいていた。
これはとんでもないことになっているという。
話し過ぎだろう、という具合で気まずかった。
伝崎はごまかすように、へへへと笑ってから言う。
「まぁー、そう言ってくれるなら、いつか頼むかもな」
「それに自分自身が……」
「ん?」
「あなたのダンジョンが最後どうなるのかを見てみたい」
伝崎はやはり、大弓士ライン・ハートは話し過ぎているんじゃないのかと思っていた。
そして話を合わせて、かなりノリ良くしていたが、内心はこの異常事態にドキドキしていた。
天変地異でも起こるんじゃないのかという、ありもしない妄想が広がってくる。
伝崎は笑顔を作って親指を立てると。
「ああ、見に来てくれよ。そんときは手荒く歓迎するぜ」
とにかく話を早めに終わらせたほうがいいと思っていた。
この状態を続けると、大弓士ライン・ハートがしゃべりすぎで過労死するんじゃないかと思っていた。
大弓士ライン・ハートは、ふっと笑顔を作ってから王都のはずれを進んでいく。
その帰りの道すがら。
大弓士は思うのだ。
伝崎という男は実に不思議な男だ。
話を聞いていて、どこの文化、どの風習にも属さない異世界の人だというのは、ありありとわかるのに。
だからこそ、いや、そうであろうとなかろうとも。
――ズケという小悪党では、彼を止めるのはそもそも無理な話だった。
格が違った。
今まで彼が苦戦することがあったとするなら、それはあくまでもこの世界が不慣れだっただけ。
この世界の理解が深まってきた今、あの男は思う存分自分の力を発揮するだろう。
そうなったら止められない。
この世界で、もしあの男を止められるとするのならば。
――賢者の中の賢者だけ。
それもただ賢いというよりも、そのずば抜けた知性を戦闘に生かせる者だけだろう。
賢者は主に研究を愛し、冒険をする者のほうが珍しいし、まして戦闘を好む者など想像ができない。
そんな人間は想像もできないが。
多種多様な人間の中にはいる可能性もある。
そんな人間があのダンジョンに行ったとして。
もし、それらの知恵比べにすら勝ってしまったのならば。
――あの男は世界の縮図を変える。
世界は広い。
どんな人間がいるかなど誰もわからないほどに。
中にはあの男に軽々と勝てる者がいるかもしれない。
そこで負けたらそれまでの話。
勝つことに期待してしまう自分がいることに気づいて、大弓士ライン・ハートはまたふっと笑ってしまった。
サムライのマホトは宿屋の一室でうつむいている。
「また助かっちまった……」
頭を抱えて、喪失感に近い感情に襲われていた。
これからどう生きていけばいいのか。
刀も失って、道も失って。
あの男に見せつけられたものが大きすぎた。
でも、恨む気持ちはもう一切なかった。
ただの洞窟が、あのような低い評価を受けていた理由は、ギルド新聞の不正によるものだとわかったからだ。
あのダンジョンマスターは、自分なりにダンジョンを経営していただけ。
あくまでも悪かったのはギルド新聞だった。
今や、どこにぶつけてもいいのかわからない。
やるせない気持ちだけがあった。
「すんの……?」
氷中魔術師のすんのが目を覚ましていた。
ベットから体を起こして、窓を見つめながら突然言った。
「私、戦う僧侶になる」
サムライパーティは回復職がいないパーティだった。
だからなのか。
すんのは、前衛と回復職を同時にできる存在になりたいと宣言しているようだった。
伝崎は洞窟に戻ってきて、宝の山を見上げていた。
金貨の量がすごいことになっていた。
上にどんどんと積み上げていくのだが、両手いっぱいに腕を広げても抱えきれないぐらいの金貨の山だった。
ピラミッド方式で正確に積み上げないと部隊の居る位置まで広がってきそうなぐらいだった。
所持金1億2475万9312G。
(ちなみにズケに33Gを餞別で渡していたので、その分だけ減っていた)
この資金を一体何に使うのか。
「さーて、この潤沢な資金をどうするかで、決まるな」
ダンジョンを強化するための投資先を決めてもいい。
服の中で「ぴきゃぴきゃ」と鳴いている銀ちゃんに使ってもいい。
まさに、使うも使わないも自由。
この金をどう使うかで、これからのすべてが決まる。
まさに経営者としての手腕を問われていた。