キキ、覚醒
「………?」
キキの両手の指先から美しい蒼のアウラが流れ出していく。
深海のような蒼。
そのアウラの周りが流星群のように輝いて、指先一本一本から光が出ていくのが見える。
――思ったよ。
その髪色もどうしようもなく白くなっていて。
――私、どうなっちゃったのかって。
すべての変化に戸惑うしかないはずなのに。
「…………!」
実際の体感は違う。
わかることはひとつだけ。
――できる!
怖いものが怖くない。
できないと思ってたことができる気がする。
自信に満ち満ちている。
彼女の髪の毛がすべて真っ白になったのには、れっきとした理由があった。
魔術の名門イースター家は、髪の毛が白くなる特質を持つ。
魔力が上がれば上がるほどに、目覚めれば目覚めるほどに、髪の毛がどんどんと白くなっていく。
それは年を重ねても起きる現象でもあったし、魔力が向上することで起きる現象でもあったが。
より覚醒的に起こる場合もあった。
その力を得る贄として、寿命が短くなる。
キキはイースター家の血筋をひいており、それが目覚めるのは遺伝的な背景として確かにあったのだ。
彼女は自分の命を捧げていいと。
自分の寿命を削り上げてでも、伝崎を助けたいと思った。
その願いが、この変貌を引き起こした。
キキから、蒼いアウラが解き放たれていく。
今まで感じたことがない魔力の高揚感のようなもので、わずかに身体が浮かび上がっていた。
――物質現象を引き起こすほどの圧縮された生命エネルギー。
より色が深くなるということは、そのエネルギーのクオリティが上がったことを意味する。
キキのアウラの色が青から、より深い蒼色に変わったのはなぜなのか。
アウラとは、いわば魂の輝きだ。
命の輝きだ。
生命エネルギーの発露であり、感情や思考、肉体を一番深いところから下支えするもの。
ちょっとした感情や精神の変化では、アウラの色は決して変わることがない。
今日の喜怒哀楽が、その色合いに変化を与えることなどない。
だが、魂レベルの変質が起きたら。
変わり得る。
強い強い願いが魂レベルの変容をもたらし、そのアウラの質を変え、髪の毛を白くし。
――魔力を増大させた!
魔力BB+ → A- → A++ → AA
キキはノモンの黒魔術書を投げ捨てると、両手で地面に省略術式を鮮やかに描き上げる。
一つの手で、一つ。二つの手で、二つ。
驚くほど手慣れた手つきで、素早く三つ目を描き上げると。
「ウァアアアァアアアアアア!」
キキは、獣みたいな叫びをあげて襲い掛かる。
大弓士ライン・ハートの最初の獣人キキに対する印象は、子猫のようなもので。
いつもいつも狩りのときに最初に撃ち殺すそこらの獣と変わらないはずだが。
今。
大弓士ライン・ハートは、はたと悟るのだ。
――すべてだ。
キキの変貌ぶりを見て。
――ここにいるすべてのモンスターを倒さねば!
もはや本能に近い決心のようなものだった。
この洞窟はモンスターを進化させる何かがある。
ライン・ハートは愛用の木の弓を投げ捨てると、脇に付けていたその弓を取り出す。
連射用の、それはただ敵を超高速で撃ち抜くためのもので。
『ロマンシング紅短弓』
たった一人で、ただの洞窟メンバー全員を皆殺しにできる絶望的な弓だった。
赤塗りの円輪のような、手に収まりそうな小さな弓を確かに持って。
そこに100本近くの矢を素早く装填する。
連射S+
そのスキルを発動して、黄色いアウラを激しく光らせながら。
今、四足で向かってこようとするキキに真っ先に照準を合わせる。
猫が飛ぶかのように一瞬でこちらに向かうが、わずかにこちらの方が先に照準が合う。
獣人を射るなど、いつものこと。
相手はこちらに辿り着けず、こちらは十発以上の矢を撃ち込んで死に至らしめることができる。
その絶妙な距離感が存在しており、相手の方が確実に間に合わないと。
0,1秒だけ遅かったと思う間もなく。
「ッ!?」
射抜けると確信した時、目の前に四角い岩石が現れていた。
その岩に、紅短弓から連射される矢がダダダダダと当たっていく。
刹那的に思い出す。
獣人が地面に省略術式を描いた後、後ろのゴーレムがそれに合わせて、岩石を持ち上げていたことを。
うまくゴーレムを使って、岩を投げさせていた。
岩を盾にした。
今、大量の矢が刺さった四角い岩が一度バウンドしてから、荒野武士の頭上を通って、大弓士の目の前に通路を詰めながら迫っている。
大弓士がそのまま岩石の下敷きになれば、大きなダメージを受けることは確実。
洞窟内でそれを見ていた小悪魔のリリンは、「ナイスデス」と思ったが。
「憤っ!」
大弓士ライン・ハートは右拳で思い切り岩を殴りつける。
一瞬で岩石が粉々になった。
もはや大弓士とは言いがたい筋力Aで剛腕を振るって、規格外の動きを実現して見せたのだ。
弓士のそれじゃないだろう、という動きだった。
ステータス的弱点をほとんど克服している後衛だった。
前衛すら務まるような後衛だった。
そうして、大弓士はまた紅短弓を手早く構える。
だが、目の前には獣人のキキが、すでに両手にふたつのソードを持ちながら飛ぶように迫っていた。
左手には、電撃でできたソード。
右手には、アイスでできたソード。
地面に描き上げた省略術式から、電撃の柱を引き抜くかのようにしてライジングソードを作り上げ。
アイスの柱を引き抜くかのようにしてアイスソードを作り上げていた。
ノモンの黒魔術書の応用によって、アイスソードでさえも実現していた。
獣人のキキは、大弓士の肩に座り込むと。
「一、二、三、四!」
楽しそうに連打を打ち込んで、打ち込んで、打ち込みまくる。
ライジングソードが大弓士の頭に当たると、バチバチという音を立てて、一瞬怯むが電撃など慣れたものと腕を振るおうとする。
だが、追撃のアイスソードの尖った先端で問答無用で目を叩かれそうになって、焦ったように弓を持った手でガードしなければならず。
(獣風情に!)
「電撃、好き??」
キキは楽しそうに片方のライジングソードで執拗に大弓士の頭を叩いて叩いて叩き抜く。
そのたびに小さな電撃が頭の上で、ばしりばしりとほとばしる。
「がっがっ」
リズミカルにライジングソードで攻撃しながら、もう一方のアイスソードは違う動きをしているのだ。
まるでアイスソードだけ生きているかのように、ななめ前の壁に向かって省略術式を描いていく。
炎中魔術師が後ずさりながら詠唱を続けて、その両手をキキの頭に向けると。
キキは鋭い目つきで、炎中魔術師をにらみつける。
「邪魔しないでね」
アイスソードで描いていた省略術式の真ん中を思い切り突く。
キキの濃厚な蒼のアウラが注ぎ込まれる。
炎中魔術師も詠唱を終えて、その両手から炎を回転させながら解き放とうとするが。
それを圧倒する形で、巨大な氷塊が一気に出てきて、炎中魔術師の全身に横からぶつかる。
「ぐうぉあっ」
炎中魔術師を解き放とうとした炎ごと潰してしまった。
氷塊が通路内をふさぐようにして、きっちりと収まっていて、鮮血だけがあふれ出てくる。
大量の返り血が、キキの額や頬を赤く染め上げる。
即死した炎中魔術師のアウラが解き放たれて、キキに吸収されていくと、レベルが上がった。
魔力、詠唱、スピード、すべてで圧倒するかのように、炎中魔術師に何もさせずに、一方的に倒したのだ。
その間も、キキは大弓士の頭をライジングソードでリズミカルに叩いていた。
(負けるわけがっ)
大弓士はもう一方の剛腕で思い切り殴りつけようとする。
すると、キキは猫のような反射で体を後ろに翻して、大弓士の背中を転がって、股下を抜けて、左足のかかとに移動する。
いつもいつも狩っているはずの獲物に。
(ないだろうっ!)
大弓士の拳は、通路内の壁にめり込んでいく。
壁がゆがんで、ひびが入り、そこに小さな円形の穴ができるが。
空振りだった。
「きゃはははは、楽しい!」
キキは人格が変わったかのように言葉数が多くなり、戦闘を楽しんでいるようだった。
いや、相手を翻弄して、なぶっていくのを楽しんでいるかのようですらあった。
キキは、情け容赦なく大弓士の左足のかかとのアキレス健に向かって、アイスソードを突き刺す。
刺して刺して、刺す方角を変えて、股下に突き立てようとする。
血があふれ出す間もない連続攻撃が軽快に決まり続ける。
大弓士は苦悶の表情で、とっさに左足のかかとをキキに向かって振り上げる。
キキは蹴飛ばされながら、通路内の天井に柔軟に張り付いたかのようになって、そのまま頭に向かって襲い掛かろうとしている。
見切りA
大弓士は体をねじって、その両目をアウラで輝かせて、彼女のアイスソードをつかもうとする。
キキはアイスソードをつかまれたら、当たり前のように手放して、大弓士の顔面を踏んで、前に進んで広場側に向かって転がっていく。
丁度、そこは荒野武士が盾を構えている付近だった。
キキは炎中魔術師の返り血を手に塗って、素早く地面にまた省略術式を描き上げる。
荒野武士はガチャリと甲冑を鳴らして、とっさに脇に差していた刀で斬り上げる。
キキは獣耳をぴんと立てて、まるで後ろからの攻撃がすべて見えているかのように前に転がる。
その刀は、彼女の首元の赤布の端っこの一部を切り裂いた。
「ねぇ!」
それは伝崎からもらった赤布で、最初のプレゼントだった。
キキは振り向きざまに。
「あなたの命より大切なものなんだけど!」
凍りそうなほど冷たい目線を投げかける。
どこか楽しげな声色なのに、本気で怒っているような雰囲気をはらんでいる。
相矛盾する、怒りと楽しさと冷静さを兼ね備えている。
その言葉を聞いた荒野武士は、背筋が硬直するような寒気を感じた。
「ぐおっ」
後ろから飛んできた岩石が荒野武士の後頭部に当たると、前のめりになって下敷きになった。
さっき地面に描き上げていた省略術式は、ゴーレムに対する合図だったのだ。
すべてがすべて、完全に支配できている。
この場に一番必要な最適解を、自由自在に選び取っている。
魔法もゴーレムも何もかも使いこなして。
上級パーティに匹敵する冒険者たちを。
――たったひとりで、圧倒していた。
獣人の本能と、流れる血筋と、その強い願いが。
三つとも、すべて理想的な形でかけ合わさっていた。
キキは思っていた。
――どうしようもなく。
戦闘本能のような熱と、目覚めた魔力による麻痺感。
――おかしくなりそう!
体の中で全部、ぐっちゃぐっちゃになって、自分ではない何かになってしまったかのようで、今なら空をどこまでも飛べそうな浮遊感すらある。
大弓士が姿勢を立て直して、紅短弓から矢を連射してくるが。
左足がひどく出血している。
キキは最小限の動きで近くの岩石に、はうようにして隠れて避ける。
当たり前と言わんばかりに、数々の矢を避け切って、また省略術式を描いて、応用し尽して、新しい世界を切り拓くように。
電撃の柱を引き抜きながら、キキは問いかけるのだ。
「まだ、できるよね……?」
岩石から、まるで可愛げに顔をちょこっと出して。
その目には殺気を宿しながら、美しい蒼のアウラを解き放っていた。
伝崎は雷々魔の矢に向けていた視線を、すっとキキに向けて。
「それでいいんだよ、キキ」
どこか嬉しそうに落ち着いた声で言っていた。
その表情には、いつもの冷静さがあった。
キキは、はっとしたように耳を立てて。
「デンザキ……?」
それが唯一自分の理性を引き戻してくれる大切な言葉のように、振り返らずに問いかける。
「そのまま行け!」
伝崎がそう言うと、キキは大弓士に立ち向かっていく。
雷々魔の矢は相変わらず、伝崎の鼻先で荒れ狂っている。
じゅーという音を立てて、つかんでいる左手の中身が溶けていきそうだ。
意識もくらくらするし、このまま気絶して手を離してしまいそうだ。
だが、離したが最後。
この電撃はただの洞窟のメンバーをすべて感電死させるだけの力があった。
正直言って、やりたくなかったが。
――試すしか。
夜色のアウラを凝縮することで、この雷撃を無効化するという選択肢。
しかし、それは大変にリスキーな選択肢だった。
夜色のアウラを凝縮すれば、確かに生命エネルギーを「吸収」できるというのはわかっている。
そして、魔力の原動力も生命エネルギーだろう。
この雷撃を動かしているのも、生命エネルギーに違いないはずだが。
よくよく考えれば、妖精の女の子が作っているこのバリアも無効化してしまうんじゃないか?
妖精力もいわば、生命エネルギーだとするならその可能性がなきにしもあらず。
もし、そうなったら、バリアがなくなって、この凶悪な電撃が解放されてしまう可能性も考えられた。
それはつまり、ここにいるすべての者の死を意味する。
このまま耐えきれるなら、耐え抜きたいところで。
妖精の女の子の作ったバリアが、上に下にひしゃげて、どんどんサイズがでかくなって、そのバリアの壁が薄くなっていく。
妖精の女の子はもはや正面を見ておらず、のけぞるように天井を見上げている。
普通なら、リスクを犯さずに。
耐えて耐えて、耐えて抜いて。
待って待って、様子見して。
それで失敗しても、全部周りに責任押し付けて。
死んだとしても、人のせいにして。
伝崎は苦笑して、自分に言い聞かせる。
――ないよな。
死んだっていいから、自分が選ぶ。
時間経過に選択させるなんてバカげている。
当たり前のように夜色のアウラをガントレットに向かって凝縮していく。
まるで墨が左腕を伝うかのように移動して。
「使ってくれよ!」
伝崎は、妖精の女の子に向かって叫ぶ。
このアウラを原動力として、変換・利用してくれることを求めたのだ。
できるかどうかなんてわからない。やってみるしかない。
墨のように凝縮された真っ黒なアウラを器用に動かしていく。
妖精の女の子には触れないようにして、青白いバリアをうまく包み込んで見せた。
そうすると妖精の女の子は振り返って、小さくうなづく。
もう一度、前に向き直すとバリアの周りに光り輝く妖精力を働かせて、夜色のアウラと混ぜ合わせる。
再度、息吹を吹き込んで新たにバリアを重ね掛けして見せた。
ブラックホールのようなバリアが生まれていた。
漏れ出すように小さくほとばしっていた糸のような電撃が収まっていく。
大きくなっていたバリアのサイズが急激に小さくなっていく。
周りの明るさが一段落ちて、天井の小さくなった炎だけが洞窟内を照らし出していた。
確かに電撃が収まって、その矢がガントレットにとどまっていた。
嘘のように静かになっていた。
伝崎は片目をつぶりながら、両手を振り下ろして。
「くぅーー、まじでナイス」
妖精の女の子は応えるように、へろへろの表情で片方の握った拳を掲げていた。
ブラックホールようなバリアが収まると、雷々魔の矢は前よりも大人しい電撃を帯びている感じになっていた。
もう感電死するリスクはないようだった。
雷々魔の矢をガラクタの機械兵の側に投げ捨てた。
機械兵が一瞬妙な音を発して目を点滅させたような気がしたが、その点滅はすぐになくなっていた。
「ぬっ」
大弓士ライン・ハートが大きな両腕を広げるようにして、キキにつかみかかろうとする。
器用S++
大弓士の卓越した器用さによって、今までの間に一、二発殴られたのだろう。
獣人のキキは鼻血を出しながら、ライジングソードを前に掲げて、後ろに転がって前に転がって、小刻みな動きで翻弄しながら戦っていた。
キキの目は力強さが増していた。
気持ち的には、大弓士のほうが焦っていた。
弓士が弓を捨てて、肉弾戦に持ち込もうとしているのだ。
(つかみさえすれば握り潰せるっ)
大弓士は、パワー勝負に持ち込めば勝てると踏んだ。
だが、途中で変なことに気づいてしまった。
戦闘中だから、そのことに意識を向けてはいけないと思う。
しかし、それはとてつもなく重要なことのようにも思える。
(エルフの未来が)
足元から、すべてが覆ってしまうような事実にも感じられるのに。
それに意識を向けてはいけないとも、左拳を振り上げながら思う。
(こんな小娘のごとき獣人に――)
視野の隅で、奇妙なことが起こっていた。
明るくなっていたはずの洞窟内が暗くなったように思う。
なぜか、大きな雷撃音も聞かれなくなったように思う。
(…………?)
気づいたら。
(……??)
黒服の男が握手するかのように、自分の右手をつかんでいた。
その右手に真っ黒な穴ができているように思えたが、それが実はアウラを凝縮したものだと思ったときには遅かった。
大きくなった筋肉が、しわくちゃに小さくなったかのような気がした。
実際には筋肉のサイズなど変わってなどいない。
ただ筋肉の出力が極限に下がったのだ。
体中の生命エネルギーが、その黒服の男の右手に吸い込まれていく。
「……ぐぅああ……ぅうぅううあ」
大弓士は全身に力が入らなくなって、地面に両膝をついていた。
エルフの未来が、意味不明なものに絶たれた気がした。




