大切な人の名前を
「るぐぅああああああぁあああ」
伝崎は声を裏返らせながら、鬼のような形相で矢先をとどめようとしている。
鼻先で、いまだに矢が不思議な魔力で前進を続けようとしている。
妖精の女の子が作ったバリアの中には見たこともないような雷光がとどまり、落雷にも等しい太い電撃が走る。
そのたびに洞窟内が真昼のように一際白く明るくなる。
バリアの周りに漏れ出た糸のような細い電撃が、縦に横に走っている。
最初、矢をつかんだとき、ビリっという簡単な痺れがきた。
それが突き刺さる痛みに変わって、溶けてしまいそうな熱さに変わって。
無感覚になった今、全身が硬直状態になった。
伝崎は、死に物狂いで耐えていた。
誰もそこに近づいて、助けたりできるような状態ではなかった。
近づいたら、巻き込まれて死んでしまうように見えた。
伝崎は顔を小刻みに振りながら、「るぁああああ」と雄叫びのような声を上げて耐えに耐えている。
妖精の女の子の髪の毛はちりちりと焼け付く限界に達して、根元まで焦茶色になって逆立ってしまっていた。
その両手に作る青白いバリアが盛り上がったり、ゆがんだりするたびに、「きぁああああああ」という悲鳴に近い声を上げて耐えている。
大弓士ライン・ハートが反動で倒れていたが、首を振ってからその場に片手をついて立ち上がろうとしている。
後ろの炎中魔術師が苦しそうにその背を押し上げて、同じように立ち上がろうとしている。
大弓士ライン・ハートが傍らの弓を持ち上げて、また矢をつがえようとしているのだ。
――終わりだ。
と言わんばかりに。
もし今、身動きのできない伝崎に追い撃ちが入ったら。
そんなときにもし撃たれたら。
伝崎は絶対ガードができない無防備な状態だった。
軍曹の部隊は態勢を立て直すが、今も暴れる炎で足止めされていた。
軍曹が今から炎を払って、伝崎にその大盾を構えるのはほとんど不可能と言ってもいい状態だった。
小悪魔のリリンが詠唱をしているが、それにビクリと気づいて、まったく違う黒い円形を描き出す見たこともないような詠唱を始めているが。
どう考えても、間に合うような様子ではなかった。
白ゴブリンの部隊が矢を大弓士に向かって放つが、荒野武士がとっさに持ち上げた新しい一つの長方盾がそのほとんどを防いでしまっている。
反動で後退してしまった大弓士の地点は一本道の通路内であり、広場から矢が簡単に届く場所でもなかった。
だが、大弓士は、伝崎を一方的に撃つことができる。
最高クラスの技術があるために。
その大弓士が確かに愛用の木の弓に手をかけて、矢をつがえようとしている。
一発あればいい、と。
それは確かに、伝崎に向けられた的確な殺意だった。
炎中魔術師も両手を前に出して、詠唱を再開している。
もし、こんな状況で攻撃を受けてしまったら。
「るぅおあああぁああああああ」
伝崎は、いまだに顔面の前にとどまっている雷々魔の矢を押さえ込むので精一杯だった。
宝の山にもたれかかるような状態で身動きがとれず、一部の漏れ出した雷撃に感電してしまったかのように足先をピンと伸ばして硬直してしまっている。
伝崎の髪の毛も逆立ち、それが次第に蒸発して、ちりちりと焼け付いていく。
頭頂部から白い蒸気のようなものが出てきて、これ以上長く電撃にさらされ続けたら、このままでも死んでしまうかもしれない。
今この瞬間、なんとか耐えているような状態で。
伝崎と妖精の女の子のおかげで、他の仲間たちは感電せずに済んでいる状態で。
獣人のキキは。
ただの洞窟の天井に満ち満ちている炎が、思い出させてしまっていた。
それは、木が燃え上がって倒れてくるいつかの情景と一緒だった。
キキは、口をあわあわと動かすことしかできていなかった。
洞窟内の片隅に吹き飛ばされた妖精のオッサンは、必死に何かを振っている。
どこからともなく取り出した小さな小さな白旗を大きく振っている。
「降参だぁああ」
妖精のオッサンは思った。
伝崎には何か考えがあるのではないかと思っていた。
そのために行動しているかのようにも見えた。
でも、違ったんだ。
本当に本当に。
――油断していたんだぁ!
不安が的中したと思った。
「……ぁ……」
キキは、ぴたりとその場に結びつけられたかのように動けない。
炎を見たら、全身が硬直してしまう。
いつも、そうだった。
杭のように打ち込まれたトラウマが、呪いみたいに胸の奥に刻まれていて、それが炎ひとつで全身を捕まえてしまう。
そうなったら、小手先の意志なんかじゃ体を動かせなくなってしまう。
――いや。だから、私は。それ。やらなきゃ。ここで。知ってる。でも、だめだ。
どうにか心に決めて、もう一度進もうと。
もう一度、頑張ろうと決心すれば。
――どうしたら。こう。撃て撃て。だめ。もうムリ。もう何も。ここで。おわった。何もかも。そう。できる。できない。できないのは。それ、そう。
できるわけないから。
伸びていく時間の中で、意識の深い深いところに蓄積された澱のような記憶が湧いてくる。
記憶が次々と巡っていくと、本のページをめくるように自分の意識の奥深くに入り込む。
そのほとんどの記憶は、全部痛々しいものばかり。
思い出したくないことばかり。
最後の方のページに、真新しいのに一番深いところに刻まれた。
短くも愛おしい。甘い。何かがこぼれだすみたいに。
見つけた。
キキの中に、伝崎との思い出が駆け巡る。
『良い名前だ』
『よく言った。どーんと大船に乗ったつもりでついて来い』
『ほらキキ、お前も頼んでみろ』
『キキはキキのままでいいぞ』
『おわぁああ、まてまて』
『どんなことがあっても、お前は自分を責めなくていいんだよ』
『わかった。探す、つーか、見つけてやる』
『生きてるって感じがして俺は好きだ』
欠点を好きだと真っ直ぐに言ってくれた人が今。
死のうとしている。
キキは首を横に振って、涙目になりながら、胸の前で両手を握って、ガタガタと震える体を大きく前に倒して。
金切り声で、大切な人の名前を叫ぶ。
「デンザキィイイイイイイイイイ!」
体中の黒い呪縛が弾け飛ぶかのように、いきなり両手が動くようになって、青いアウラが解き放たれていく。
アウラの勢いは凄まじく、まるで滝が頭から上に向かって逆流するかのように解き放たれていく。
体中に感じたこともない高揚感が駆け巡って、燃え上がるように身体が熱くなっている。
青いアウラは、より濃厚な色合いの蒼となって、流星のような輝きを放っている。
――感じたこともない力。
頭が大量の生命エネルギーで押し上げられて、ミシミシと髪の毛がすべて引き抜かれたかのように感じる。
髪の毛が根元から競り上がるように変化して、何かがほとばしっていた。
「…………?」
キキの藍色の髪が、すべて真っ白になっていた。




