キキの夢
「ごめんなさい……」
最初、いつも臭いから始まる。
きな臭い。
湿気を含んだ葉が無理やり焼かれたときに出るような水気の臭い。
そういうとき、決まって自分は森の外れの川の前で、トンガリ魚をとっている。
これは大好きお母さんが食べる分。
これは私の食べる分と。
でも、臭いがしたら、すぐに投げ出して、自分の小さな家がある方角に駆け出す。
――また。
木は葉をつけるものなのに、代わりに火をつけている情景。
森の中では火の雨が降っていて、その中を四足で駆け抜けていく。
「お母さん、お母さん!」
木の下に草と草を積み重ねただけの小さな家は燃え上がっていて、そこにはすでに誰もいなかった。
そこから先の記憶を辿ることもできず。
獣人のキキは、ただの洞窟の奥の通路で横たわりながら、うなされている。
「ごめ……ごめんなさい」
くるまっている草の葉を握りつぶしながら、寝返りを打つ。
「ごめんなさい……」
隣で一緒に寝ていた小悪魔のリリンがそっと声をかける。
「キキ殿」
「っ」
キキは声をかけられて、悪夢から解放される。
はぁはぁ、と息を荒くしながら、その頬に汗を二、三粒浮かべていた。
「大丈夫デス?」
キキは何も答えられずに寝返りを打って背を向けた。
洞窟の暗闇を見てると、いつもの悩みに心が向いていく。
――炎が怖い。
お母さんを連れて行ってしまった炎を見ると、身体中がウソみたいに固まってしまう。
自分の大切なすべてを村ごと焼き尽くしてしまった炎に慣れることができそうにない。
見たら、反射的にお母さんが消えてしまったあの光景を思い出す。
それで固まってしまう。
それでまた迷惑をかけて。
伝崎が背中を焼かれながら、自分を庇ってくれたことを思うと。
――痛い。
本当に胸に穴が開いてしまったみたいに痛くて、たまらない。
心が苦しくて、息が苦しくて。
自分なんか、ここにいる意味ないと思ってしまう。
捨てられることが怖くて、震えていると。
伝崎が、優しげに手をあげて見つめてくる。
――神様?
今度こそ、今度こそ、役に立つ。
絶対に役に立つと心に決めて、戦いに臨んだのに。
また戦闘で炎を見ると、硬直してしまって、ゴーレムのグーちゃんが死んじゃった。
――私のせいだ。
ちゃんとあのとき、魔法を撃ててたら絶対にそんなことにならなかった。
わかる。自分でもわかる。
今度こそ、ただの洞窟に見捨てられると思った。
いる意味なんかないって。
もうだめだって。
また、あの檻の中でなぶられて過ごす毎日に戻るって思った。
なのに。
『次、頑張ればいいんだよ……大丈夫だ』
伝崎は優しげに背中をなでて。
『何もミスしたくてしてるわけじゃないからな。いいんだよ』
叱りすらしない彼に、目をぱちくりとさせるしかなかった。
(どうして……?)
どこまでも優しげな表情に。
(神様……?)
「キキ、ちょっと来い」
伝崎のカラっとした呼び声に、キキはびくんと背をはね上げた。
手招きされて、ただの洞窟の外に呼び出された。
――今日こそ、もう終わり。
伝崎に着いていくと、行ったこともないような森の中を歩かされる。
曲がりくねった道を歩かされていくと。
とうとう捨てられるのだと思った。
勝手に肩が、がたがた震えて、どうしようもないくらいに怖くて。
――もう一回。
チャンスが欲しいと言いたくて。
言うだけの勇気も、自分を信じる気持ちもなくて。
見上げることができずに着いていく。
伝崎がこちらに振り返ることなく、前方に向かって言う。
「本当にたまたま」
キキはぎゅっと目をつぶって、両手を握って、なんとか言おうとする。
「その……」
「たまたま見つけたんだこれ。そこらので悪いけど」
森の中だったはずなのに陽が差してくるのがわかった。
わぁあ、と自然に声が出た。
美しい花畑が、目の前に広がる。
黄色い花が敷き詰められたように咲いていて、ところどころに赤い花や白い花が混じっている。
陽の光を充分に受けて、すべてが息をするように華やいでいる。
名前も知らない花たちが、綺麗に咲き誇るこの景色は人間の子どもが持っていた絵本よりも美しかった。
匂いは甘く、甘く、青く、やさしい。
伝崎に手をひかれて、その花畑をおそるおそる歩いていく。
瑞々しい草木が足の裏に触れて気持ちいい。
耳がピンと立って、鳥や虫たちの新鮮な音をとらえていた。
当たり前の花畑なのに、はじめて見た花畑。
伝崎は真ん中にそっと座り込むと、ポケットから差し出してくる。
「食え。うまいぞ」
キキは獣の小さな手で受け取ると、隣に申し訳なく思いながら座って、かぶりつく。
冷たくて、シャキシャキして、とっても美味しい甘味が口の中にすーっと広がる。
伝崎は耳の穴をかっぽじってから、言いにくそうに話し始める。
「俺は悪いけど……」
――やっぱり。
キキはうつむいて、目をそらして。
「お前にすげぇ期待してる」
伝崎のその言葉に。
キキは目を見開いて、ピクンと耳を立てた。
伝崎の方こそ、申し訳なさそうに軽く頭を下げて言う。
「勝手に期待するとか、まじで迷惑かもしれんけどな。なんつーか、それでも最高に期待してるんだ」
迷惑なんかじゃ、ない。
でも、そんなことも言えなくて。
伝崎は向こうの空を遠い目で見ながら灰色の横顔を見せて。
「生きてて一度も期待されなかった俺はさ、期待されたかったのかもな」
伝崎はニカっと歯を見せるぐらいに笑うと後頭部をかいて、すぐに否定する。
「なんつって」
キキの頭をがしがしなでる。
親が子供に期待するみたいに、伝崎が期待してくれている。
心強くて、たまらない気持ちになる。
お母さんも魔法の使える獣人になって、獣人の見方を変えて欲しいと期待してくれていた。
「ほらっ」
明るい女の子の声。
気づいたら、ガントレットの妖精の女の子が、いつの間にか作った花の輪をキキの片耳にちょこんと置いていた。
「女の子だから、お花似合うでしょ」
えっへん、と妖精の女の子が肩の上で胸を張る。
キキは確かめるように耳の上に置かれた花の輪を触る。
ふさふさして、柔らかくて、不思議な気持ち。
自然に笑みがこぼれてしまう。
伝崎は陽の光を顔に宿しながら、こちらを見てさらっと言う
「かわいいな」
キキはぴたっとその場で止まった。
生まれて、はじめて、そんなことを言われたような気がした。
そっと胸に火が灯る、本当に嬉しい言葉だった。
伝崎は立ち上がると、服についた草を払って言う。
「望み、あるか?」
望むものは、なんでもくれるといつか言ってくれたような気がする。
あのときは、何も言えなかったけど。
「お母さんに、会いたい」
キキは素直に言った。
心から望んでることだった。
きっと生きている。
死んだところを見るまでは生きていると信じてる。
伝崎は手を差し出してきた。
「わかった。探す、つーか、見つけてやる」
こんなに頼もしい言葉を人間から聞いたことなかった。
この人には、信じたくなる何かがある。
キキも手をそっと差し出した。
ふるふると震わせながら。
でも、伝崎の手をそのまま握れなくて、その手前で止めた。
握ってほしくて、黙ってた。
「オッケー」
伝崎はもっと手を伸ばして、しっかりと握って、引っ張り上げてくれた。
手をひかれながら、ただの洞窟に戻っていく。
この先に探してるものが見つかる気がするから、この手だけは離したくなかった。
ただの洞窟に戻ってくると、みんなが迎えてくれた。
小悪魔のリリンが一番に近寄ってきた。
「キキ殿、無理しすぎないでくださいデス」
そして、両手を握ってからハグしてきた。
キキは照れ臭くても、嬉しくて、ちょっと控えめにハグを返した。
後ろに立っていた軍曹が、黒騎士のフルアーマーの顔部分だけ出して不器用そうに言う。
「ぼかぁー、まだまだわからないことばかりですがぁ。キキ殿は頑張ってるでありますぅ」
軍曹は自分の頭頂部をかきながら、そう言った。
白ゴブリンのおじいさんは、微笑ましそうな表情で言う。
「ふぉふぉ、かわいい孫娘ができた気分ですじゃ」
いつの間にか、みんなが自分のことを仲間だと認めてくれていた。
はっとするように、そのことに気づいた。
キキはただの洞窟の中央で、小さな声で言う。
「みんな……ありがと」
みんなが優しければ優しいほどに。
苦しい。
嬉しくて、涙が止まらなくなる。
だから、なんとか次は失敗しないんだと自分に言い聞かせた。
3月13日の3パーティ目にまたやってきた。
3パーティ目。武道家LV56。傭兵LV52。炎中魔術師LV60。遊び人53LV。
炎中魔術師が両手を構えると、その両手から炎がほとばしりそうになる。
転倒しながら拳を突き出す武道家を無視して、伝崎が必死に前へ駆け出していく。
その後方で。
キキは後ずさりながら、何もできずに白目をむいてしまっていた。
口をあわあわと動かしているだけだった。
近くのゴーレムは大きな両手を地面につきながら、白い吐息を吐き出すだけで動こうとすらしていなかった。
いわゆる棒立ちである。
伝崎が炎中魔術師の腕を思い切り突き上げると、天井に向かって炎の柱が立つ。
隙を突こうと、傭兵がむきになった顔で宝の山に大剣を掲げながら突進する。
傭兵がキキに迫る。
そこに割って入るように黒光りする鎧が動く。
「軍曹っ!」
軍曹が前のめりになって部隊から突出し、星潜竜の長槍を投げながらフォローに入っていた。
時間差で大盾がキキの前に広がった。
敵パーティの後方が、最弱職の遊び人だったおかげもあるだろう。
連続攻撃を受けずに済み、パーティを倒すことができた。
奇跡的に被害はゼロだった。
中央のゴーレムは今回倒されることはなかったが、どう考えても危ない場面だった。
もっと強いパーティが来たら、確実にゴーレムは死んでいただろう。
「感動的なとこ、悪いけどなぁ」
ただの洞窟の出入り口の前で、妖精のオッサンが厳しい表情で両腕を組んで話す。
「気休めの言葉をかけてやるのもいいけどなぁ……何も対処しないのは典型的な無能な上司じゃねぇかぁ!」
伝崎はあごに手を置いて。
「確かにゴーレムが倒されたら、その分は赤字だよな。でも……経営全体で見ればプラスになる」
一日の売上800万G以上。
一体のゴーレム代120万G(値切った場合はもっと安い)
一体、二体がやられたところで、プラス収支だった。
なぜ、こんなことを言うのか
1Gの赤字も嫌いそうな男が、なぜこんなことを言うのか。
この言葉が洞窟内に反響しているように聞こえた。
――経営全体で見ればプラスになる。
もっと大きく伝崎が考えているように聞こえもしたが。
その顔をよく見ると、妖精のオッサンは腰を抜かしそうになった。
右手の平を上げて、仏の伝崎になっていた。
キキはただの洞窟の宝の山の後ろで、頭を抱える。
「どうしたら……いい?」
キキは髪の毛をかきむしりながら、ぱたぱたと獣耳を動かして、その場でうずくまる。
近くの石ころを拾って、気持ちを紛らわせるために魔法の省略術式を地面に書き込むことしかできない。
練習、というよりも他のことに集中することで今の葛藤を忘れたかっただけだが。
すると、意外なことにゴーレムが大きな岩石の手を差し出してきた。
「ガメちゃん……」
「グー」
「ガメちゃん……?」
「グー」
ガメちゃんと名付けたゴーレムは、魔法の省略術式を大きな手の甲でなぞろうとしている。
興味がある様子だ。
「もしかして……」
省略術式に反応しているように見えた。
「こっちのほうがわかりやすい?」
キキは思いついたように地面の魔法の省略術式の上に、「→ ☆」という記号を書いてみせた。
「ぶいやー!」
ゴーレムが右側に向かって、両手を地面に叩きつけた。
広場を拡張するために切り取られていた岩石が一発で砕け散った。
キキは、ぴくんと獣耳を立てて。
「これ……」
魔法生物だからかもしれない。
明らかに魔法の省略術式のほうが理解できているように見えた。
3月13日に4パーティを倒して、約824万Gの売上があった。
所持金が7052万8321Gから7876万8862Gになった。
資金がザックザク。増えすぎだろうという具合になってきた。
宝の山が小山から中山になり、大山になって金貨がこぼれ落ちるように周りにずれ込んでいく。
冒険者からしても、「これはやばい大金」という状態だった。
そうこうしているうちに、3月14日の朝を迎えていた。
王国歴198年3月14日。
伝崎のゾンビ化まで、あと51日。