幕間 『クア』1
「…アーラ」
それは雨が多くなる雨季、6月のとある雨の日。
ヴノとクレイが同居し始めて2週間。
4人の年頃の少年が集えば、それなりに食材の減りが早くなる。買出しの回数は増していた。
この日はジンとアーラがその担当。
両手一杯に食材を詰め込んだ、防水の加工を施した布袋を抱え、2人は家路を急いでいた。両手が塞がっているので、覚えたての水を避ける魔導術を用いて雨を避けていた。
傘を差してる人々の中で、見慣れた様子で素通りしていく人と、奇異の目で2人を見ていく人と――。アミナはそんな街だった。
急にジンに呼び止められ、指差す場所を睨むように見つめた。
路地裏の一角。雨の雫が絶え間なく滴る屋根の下に、黒い物体が見えた。
「これ…カラスか?」
既に息絶えて――と思ったが、アーラが目を凝らすと、頭を羽の間に突っ込み、微かに震えていた。
「生きてるっ!!」
「俺が荷物を持つ。アーラ。カラスを頼む」
「え…あぁ」
アーラはジンにそう言われ、荷物を預けると、慌ててカラスを両手で抱えた。
滴る雨水ですっかり体温を奪われているのか、ひやりとする体に緊急性を感じた。
「急ぐぞ」
「あぁ…って、ひとつぐらい荷物を持つぞっ!!」
「お前よりは力がある。それよりカラスを落とすなよ」
「…わかってるっ」
ジンはいつもそうだ。自分ばかり大変なことを背負い込む。少しはオレにもやらせろっ。
アーラはそう思ったが、口にはせず――代わりにジンの後ろ姿を睨んだ。
同じ台詞は何度も口にしているが、ジンはまったく取り合おうとしない。
ジンは取り合わないだけでなく、確かに1人で何でもこなしてしまうのが、アーラには余計に悔しく感じた。
今はこのカラスの手当てを急ぐ為、ジンに従ったが、いつか本気で言うしかないと密かに思っていた。
◆◆◆
「火属系の『神杯』はこれくらいかな」
家に帰りつくと、ヴノとクレイが待っていた。
アーラからカラスの話を聞き、ジンに鳥の手当てには暖めることが肝心なのだと教えられ、クレイとヴノが素早く家の中に転がっていた資料用の火属性系の『神杯』を集め、カラスを入れた木箱の中や周りに敷き詰めた。
「あまり熱すぎてもだめだから……」
「人の体温より少し高めがいいな」
ジンの属性は『火』。『神杯』に次々念を込め、適温という温度まで上げていく。
その間もカラスはぴくりとも動かず、ずっと頭を翼の間に突っ込んだままであった。
いつしか木箱の周りは、居るだけで汗をかくような暑さに包まれはじめた。
「このくらいだろう。様子を定期的に見てやってくれ。俺はその間にメシの支度をしてくる」
ジンがアーラたちにカラスを任せて、キッチンに向かおうとしたとき、アーラはその背に向かって口を開いた。
「オレも手伝うよ」
「いい。カラスを頼むよ」
「少しはやらせろっ」
少しイラつきを感じさせるアーラの声音は、ジンだけでなく、ヴノやクレイを驚かせ振り向かせるのに十分だった。
「ジン。アーラはジンがなんでも1人でやっちゃうことに、ストレスを感じてるんだよ。
カラスは僕らが見てるから、今日は2人で食事の支度をお願いしたいな」
クレイが普段のアーラの愚痴や雰囲気から察して、ジンにさりげないフォローを入れる。
「わかった。すまなかった…一緒にやろうぜ」
「……」
無言のままアーラはジンのあとに続いた。
「どう思う?」
「ジンはアーラを大事にしすぎなんだと思う。ミゲにも訊いたけど、やっぱり昔から何でも1人でやってたみたいだ。ミゲもアーラと同じ愚痴を言ってたよ」
ヴノの問いに、クレイが答えた。
いつそんなことミゲに訊いていたのかとヴノは思ったが、クレイの洞察力には最近はずっと感心している。どっかすっとぼけているところがあるのはご愛嬌だが、だんだん『綺晶王導師』としての貫禄がついてきているような。クレイには天職なんだろうと感じていた。
「体が小さい動物は体温を奪われることが致命傷になるからね。こうして暖めて、体力をまずは少しでも回復させないといけないんだろうな」
クレイがカラスを見ていて、そんなことを言った。
「あぁ。うちの田舎にもカラスは多いよ。農作物荒らすし、嫌われていたけどな。
それでもこいつには助かってほしいと思う……」
ヴノは感慨深げにカラスを見ていた。
『カタフ』の一件以来、ヴノやクレイたちは目に見えない敵に命を狙われている。
それから特にヴノは落ち込み気味で、クレイやアーラたちも何かと心配していた。
こうして嫌でも戦いに巻き込まれていくのだろうか?クレイの心配が絶える事は無い。
◆◆◆
アーラの家は、ピサ島でも『聖浄化地』と言われる、その土地自体が浄化力に特に優れた場所なのだそうで、アーラの先祖がその場所に建てられた家を買い、代々こうして使い続けてきているのだという。
ここは『ブルゾス』だけでなく、『負』の感情が強い『カタフ』も近寄れない土地だからこそ、『アトスポロス』が住むにはとても良い場所なのだそうだ。
そしてスフェラの屋敷もそのような土地に建っており、女性メンバーは現在その館に住んでいる。
男連中はこうしてアーラの家に、共同で住むことになった。
が、最近は随分なれたが、『ブレイラ門』から下に続く千段以上の階段は登校時に登らねばならず、ヴノとしては寮から比べて遠く、寝坊が出来無いことが少々の不服を感じいるぐらいで、共同生活はそれなりに楽しいのだが。
が、こうして命があっての――なので文句は言えないだろう。
納得出来無いことは山のようだが、それを今吐き出したところで、事態は何一つ好転することもない。 だからヴノはじっと我慢していた。
アーラはずっと無言でジンを手伝っている。
どうしてこんなに腹が立つのか自分でもよくわからない。
確かにクレイが言ったように、ジンがなんでも1人でやってしまうことが気に食わないのは本当だ。それでも、もっと何か――。
「アーラ……」
ジンに呼ばれ、アーラがジンへと顔を向けると、ジンからキスの不意打ちを食らった。
「…な……お前なっ!!ヴノとクレイも居るんだぞっ」
頬を赤らめて抗議するアーラを、ジンは優しい笑みを浮かべて見つめているだけだった。
「ありがとう。俺のことでそんなに怒ってくれているんだろう?」
お礼って――こいつどこまで。アーラの苛立ちが募る。
「そんなにオレが居ることが邪魔か?!」
「……アーラ」
「お前…オレが大事とか言って、1人で何でもやるだろう?はっきり言うと迷惑なんだよ。皆でやればいいだろう?オレはお前の親友って言うけど……本当は……」
アーラが顔を真っ赤にして言葉を止めた。イラつきに任せて、自分は一体何を口走っているんだ――まるでこれじゃぁ恋人同士の口喧嘩じゃないか。そこに気が付いて、アーラは顔を俯けた。
「……ごめん。最近、お前とこんなゆっくりと2人きりになる時間も、そんなに持てなかったな」
命を狙われ始めて――ヴノとクレイが同居するようになって、毎晩濃厚に行われていたジンの「コミュニケーション」はなくなった。それより、一緒に寝ることも、ぐっと回数が減った。それはアーラにとってはとてもありがたいことだった。そのはずだったのに――。
たとえ2人きりになっても、やれ課題だ、予習だ、復習だと勉強に追われ、食事の用意や掃除や洗濯――共同生活はそれなりに楽しいが、2人だけの時間は確実に減った。
それは仕方がないことなのに――。
再びジンに唇を奪われて、キッチンの柱の隅に体を押しつけられた。
「な…なんだよ」
「今日からまたお前の部屋に行くよ。俺もお前に触れなくて、不満が募ってた」
「それじゃ、オレがお前にカマってもらえなくて、イラついてた感じじゃないかっ」
「…違うのか?」
本当にこんなところは相変わらずむかつくっ。
「違う」
「…本当か?俺がこのまま離れていいのか?」
「……」
どうして「構わない」の一言が声になって出ないのか――アーラは迫るジンの顔から、自分の顔を背ける。
「ほら。違わない……認めろよ」
「な…なにをっ」
あえてジンはアーラの耳元で甘く囁いた。
「俺がいないと寂しいんだろ?」
「…ふざけっ……んっ」
アーラの反論は、ジンの口によって塞がれた。
「本当に嫌な相手なら、キスされることすら嫌悪するはずだ。少なくともお前は俺を嫌ってはいない。好きなんだよ…そうだろ?」
ジンはアーラから離れると、そんなことを口にした。まるでアーラを挑発するかのように――。
アーラは顔を真っ赤にしたままでジンを睨んだ。
「……あぁ、そうだよ。オレはジンが大好きだ。悪いか?!」
一瞬。ジンは大きく目を見開いて――すぐにその藍色の瞳が愛しさを満たしてアーラを見つめ返した。
「……俺もだよ…アーラ。お前に触れられなくて…寂しかった」
「でもこれじゃ、恋人同士の会話だろうがっ」
「俺はお前の将来の婿だろう?!」
「それは……問題あるだろうがっ」
相変わらず固い奴だ。ジンはアーラの頑なな態度に、口元に笑みを浮かべた。
「問題なんて、解くためにあるんだ。いつもやってることだろうが」
アーラの口癖をマネて、反論してみる。
「……知るかっ」
ふてくされて、アーラはジンを手伝っていた作業に戻る。
それを見て――ジンは微笑んで、自分も夕飯の支度に戻った。
◆◆◆
夕飯が終わり、なんとなく恒例になったリビングでの課題やっつけ作業――とヴノが命名した集まりになる。
黙々と課題をこなしていく中で、4人の気は木箱の中のカラスに向かっていた。
ことんと音がした。クレイがペンを床に落としてしまった音だった。
そのとき、カラスが初めてその音に反応し、頭を翼の間から覗かせた。
「……くぁ……」
4人が注目する中、カラスは再び頭を翼の間に突っ込んだ。
「……頭出したね」
「少しでも回復してきたのかもしれないな」
クレイにジンが笑みを浮かべて頷いて見せた。
「くぁ……」
再び元気のない声が上がる。元気がなくとも、鳴き声が出てくるようになっただけ、4人には嬉しいことだ。
しかし次の瞬間、部屋の空気は一変することになる。
「くぁぁ…お腹すいたよぉ」
「…あれ?」
ヴノが怪訝は顔をして背後のカラスを見た。
「今…俺の聞き間違いかな?」
「おなかぁ…すいたぁ……」
悲しいほど切ない声だった。
「…聞き間違いはないようだな……」
ジンが呟いた。既にその顔は呆れ気味である。
「行き倒れお嬢様猫に続いて、今度は腹ペコカラスか?!」
4人は互いの顔を見合わせて、同時にため息をついた。
◆◆◆
カラスは雑食性だが、すきっ腹に肉などはどうだろうかと、ジンはおかゆを試しに作ってみた。
それを小ぶりの椀に入れ、冷ましてからカラスに差し出すと、それはそれはすごい勢いで食べ始めた。
「腹……すいてたのか?」
「かっ…くあ…そう。すごいすいてたのっ」
ジンが尋ねると、カラスは食べる合間にそう答えた。
「そのおかゆ食べさせたら、外に放してやりなさい」
部屋で寝ていたアステが起きてきて、カラスと距離をとっては食べる姿を不機嫌そうに眺めていた。
「まだだめだよ、アステ。せめて明日ぐらいまで様子を見ないと」
「では明日離しなさい。夜明けとともに」
「……アステ…」
アステは小汚いカラスを嫌がって近づかない。本来なら、猫とカラスでは少々心配なところがあったのだが、アステの場合、その心配はないようだ。
「アステ。お嬢様なら、慈悲の心は必要だよ。それがカラスでもね」
クレイの一言が、アステにはかなり効いたようだ。
「……なら、元気になるまでよく診ておやりなさい。私は…それまで我慢するわ」
そう本当の問題は――その元気になってからだろう。
4人はちょっと――気が重かった。
◆◆◆
翌朝、キートが家を訪れた。
これは通学時の4人の安全を確保するため、毎朝の恒例となっていた。
そしてジンからカラスの説明を受けた。
カラスはその朝も、おかゆをたらげ、すっかり元気になっていた。
「……そうだね。君たちの周りには、こういう動物たちが集まるようになっているのかな」
さすがにキートも戸惑いの表情が隠せない。
「『名持ち神杯』ですか?」
「うん…『日光 (イリアコ・フォス)』これも随分と立派な『名持ち神杯』だな。アステの『稲妻』も、ジンとアーラの『神杯』に匹敵するぐらいに力のあるものだったが、けして引けを取らない代物だ。
なんか、『名持ち神杯』は食べるとおいしいのかな?」
カラスの体から、アステのときと同様に、『神杯』の波動。しかも『名持ち』の強力な波動を感じたキートは呆れた様子で4人に苦笑いを浮かべた。
「どんな味なんでしょうね?」
ジンもキートの気持ちに同情して、そんな冗談を言っていた。
「なぁ、ジン。名前どうするんだ?」
ヴノがカラスを指差してジンを見た。ジンは一瞬カラスを見つめると、左手で頭をかいた。このカラスは残念ながら、もう外に放すことは出来なくなってしまったからだ。
「……クア」
ジンがカラスを見て――そう呼んだ。
「くぁぁ」
カラスが答えた。
「それ…名前?」
「そう。変か?」
「かなり…」
ヴノとジンで短い会話が成される。
「来い、クア」
「くあっ」
ばさりと漆黒の大きな翼を広げた。カラスは鳥でも体が大きいためか、間近くで翼を広げるとかなりの迫力がある大きさとなる。
木箱から元気よく、ジンの差し出した左腕に飛び移った。
「お前…名前はクアでいいのか?」
「うん。くあはクアだよ」
ヴノの問いかけに、クアは大きく頷いた。どうやら本人?も納得したらしい。
「お待たせ……あれ?カラス元気になったんだ」
「クアだよ」
アステを連れ、部屋から出てきたアーラは、ジンの腕に止まるカラスに目をやり、カラス――クアはご機嫌な様子で名乗った。
「どういうこと?どうしてカラスに名前がついているの?」
すでに定位置となったアーラの肩に乗っているアステが、クアを見て激怒した。
「アステと一緒だよ。体の中に『神杯』が入ってしまっている。もう自然に帰すことは無理なんだ」
「なんですってっ!!」
キートの説明に、アステの声のテンションが一気に跳ね上がる。
「このカラスも高貴な生まれだと言うのっ!?」
一瞬の静寂。次ぎの瞬間、5人は笑いに包まれた。
第2章と3章の間に入るお話です。




