第1幕 2
2
アミナ最大の大通りを抜けて、ヴノが狭い路地へとなんの気なしに目を向けたときだった。
「…アーラ。あれ」
「ヴノも気がついたか」
身長はヴノより幾分低い程度。おそらくはどこかの貴族の出だろう。白い高級そうなローブを身に纏った青年が、体つきの良い数人の男たちに囲まれている。
いずれにしても、厄介な連中に間違いはない。
「ヴノ。腕に覚えは?」
「俺、村で『魔導騎士』さんに剣術とか体術とか教わってた。たぶん、それなりだと思うぜ」
「…上等」
2人は顔を見合わせると、その路地へと足を踏み入れた。
「だからぁ。さっきの店で金貨を恵んであげたんでしょ?俺たちも恵んでいただきたいって話をしてるだけなんだけどねぇ」
「恵んだわけではない。食事をして、その対価として支払っただけだ。手持ちが金貨しかなく、向こうはおつりがないという話をしてきたから、釣りはいらないと言っただけだが。こんな不快な思いをさせられて、どうしてお前たちのような輩に金を恵むのかがわからないな」
「いいとこのおぼっちゃんは話がわからなくていけないねぇ。んじゃわかりやすいように話してあげますね。「金だせ。痛い目にあいたくないだろ?」ってことですよ」
凄んだ男の迫力にも、青年はその落ち着いた表情を崩すことはなかった。
青みがかった長い銀色の髪を青い紐で軽く結び、整った面立ちの青年は、女性に見まごうほどのアーラにも負けない美貌の持ち主だ。なんとか『男』とわかったのは、その身長と声の低さだった。
「…そこの少年たち。貴方たちは僕を助けに来てくれたんだろう?」
男たちの体の隙間から見ていたのか、青年はしごく冷静な態度で、路地に入ってきた
アーラとヴノに問いかけた。
「はい…まぁ、そうですね」
と答えるしかない。人助けに来て、先に助ける対象から冷静に言われるとは、なんとも不思議な感覚に襲われるものだと感じながら、アーラは慌てて振り返った男たちに、とりあえず視線を移した。
「ってことなんで…。たぶん痛い目に合うのはあんたたちだと思うんだけど。金はいらないから、この人諦めてとっとと去ってくれないかな?でないと、ここの領主さんに頼んで、2度と商いをできないようにしてあげることもできるけど。どうする?」
「おいっ、アーラ」
「まぁ…まかせといて」
耳元でヴノの焦った声がしたが、少しも臆することなく、アーラは男たちから目を離すことなくヴノに答えた。
「小僧。お前、貴族か?」
「うん、一応。これから『アカデメイア』で学ぶことになるから、あんたらとも顔合わせることが多いかもね」
男たちの内の…リーダー格の男の表情が、アーラの顔を見て急に険しくなった。
「…そらっ」
その男が突然、ローブの青年に1枚の金貨を投げた。
「…どういう意味だ?」
青年が困惑する。
「その小僧に感謝するんだな。あんたもこんな街で金貨なんか使うとどうなるか、いい勉強になっただろう?金貨は返してやる。今度使うときは、『アカデメイア』内の店か、その周辺のいい身なりの奴らが行く高級な店にしな」
「そんなわけにいかない。あの店では食事をとった。これでは無銭飲食になってしまうじゃないか」
「口に合わなかったんだろう?たいして食わないで残しただろうに。俺のおごりにしてやるよ」
「おいおいおい?」
ヴノは訳がわからない。一体どうして男たちがアーラを見ただけで、態度が急変してしまったのか?
「おいっ。ガンズっ、急にどうしちまったんだ?悪いもんでも食ったのかぁ?」
仲間たちもそうとう動揺している。ガンズという男の態度に、当然納得がいくはずがない。
「ラベンダー色の瞳は『ニキティス色』って言ってな。ニキティス家の血筋にしか出ない瞳の色なんだよ。この小僧はその色をしている。しかもこいつは『直系』だろう。
ここでプロメテウス公に目をつけられたら、この島だけじゃなく、エリュシオンの国のどこにいても、肩身の狭い思いをさせられることになるだろうからな。
たく…厄介なやつが『アカデメイア』に入ってきたぜ…」
『ニキティス』、『プロメテウス』という言葉が出てきたとたん、仲間の男たちがぴたりと大人しくなった。
それだけではない。ヴノもローブの青年さえも、じっと驚愕の視線をアーラに向けていた。
「ありがとう。領主さんには黙っておいてあげるよ」
「…ふん」
終始笑顔のアーラとは対照的に、ガンズという男は不服そうに鼻をならし、アーラとヴノを避けるように路地を仲間たちとあとにした。
「…アーラ……お前」
ヴノの声が震えている。
「はじめに言っておく。オレは『ニキティス家』とは関係ない。この瞳の色の話は偶然の産物。前に同じことがあってさ。あの手の輩には結構効果あんだよね。
確かに珍しい瞳の色ではあるけどさ。まぁ、ヴノがどっちを信じるかだけどね」
「…アーラを信じるしかないだろう?お前がそういうならそうなんだろうし」
「へへ。ありがとう」
まったく。人を魅了する笑顔をなんとかしてほしい。と、ヴノは切実に思うのだが、ここはじっと我慢して問題のローブの青年に目を向けた。
「ありがとう。僕の名前はクレイ」
青年が笑顔をアーラとヴノに向けたとき、アーラの厳しい表情がクレイという青年に向けられた。
「たぶんこの仕打ちは貴方にも責任がある」
クレイはアーラの言葉に、唖然となった。
「別に貴方のような人がこの辺りの店に入るのは構わない。
ここのほとんどの店は味に誇りを持って商売をしているはずだ。それを、食事を残され、金貨を渡されるというのは、ある意味侮辱と取られても仕方がないことだと思う。
だからあんな行動をとったのかもしれない。
やり方はかなり問題があるけど、貴方の態度も改めるところがあるはずです」
ヴノはアーラの毅然とした態度に、凛々しさと更なる親近感を覚えた。
どちらにも非があることを認め、どちらの言い分も理解している。
こんなやつの親戚だか、身内だかがここの領主なら、さぞ名領主として民に慕われているだろう。どうせなら本当に『ニキティス家』の血筋ならいいのに。
アーラはわかっていないだろうが、そんなちょっとしたアーラの態度、言葉がどこか高貴な生まれを感じさせる。そんな雰囲気を漂わせている。ヴノにとっては、アーラが『ニキティス家』の人間だと改めて言われても、なんの嫌味や偏見も持たずに受け入れることができる自信があった。しかしヴノは伝え聞いた話でしか『ニキティス』という、エリュシオン王国最大、最強の騎士家を知らない。噂では、王家の血筋よりも大切にされるほど、この国では特別な存在だという。
それでもあんな荒くれ者でさえ、名前を聞いただけで逃げ出すのなら、本当にすごい騎士家なのだろう。そんな血筋なら、アーラは本当にとんでもないやつかもしれない。まるで神か英雄か、そんな存在でヴノは『ニキティス家』を考えていた。
このときまでは―――。
「…その通りだ。けして侮辱するつもりではなかったのだが…。ありがとう。君のおかげで本当にいい勉強になったよ」
クレイも素直に自身の非を認め、指摘したアーラに自然な動作で頭を下げた。
この青年もまた、ヴノには好感を感じさせる人物だった。
「で…クレイさんは、どこに行かれる予定なのですか?」
「敬語はやめてくれ。僕もこれから『アカデメイア』に学ぶいち学徒だ。これを機に友人として接してくれるとうれしい」
アーラの問いに、クレイは笑顔で応じた。
ここでヴノがあることを思い出した。
「お言葉に甘えてクレイと呼ばせてもらうけど…たしかお金は金貨しか持っていないと言ってたよな?」
「あぁ。船の中で、小銭が入った鞄を盗まれてしまったんだ」
好感は感じるが、そうとうの世間知らずなのでは?それともただの天然か?と、アーラもヴノもクレイに一抹の不安を感じた。
「…オレたちこれから『アカデメイア』に向かうから、クレイも一緒に行こう」
「それは助かる。よろしく頼む」
クレイの無邪気な笑顔が、アーラとヴノの不安を一層煽り立てた。
道すがら、クレイの話を聞いてみると、それまでの出来事の顛末が見えてきた。
クレイは、エリュシオンの同盟国であり、西側に位置する『ロイド王国』の貴族の出身だということ。
ここ数ヶ月の間に家に不幸なことが続き、精神的に落ち込み、不眠気味だったことが災いしたのか、ロイド王国のエイという港からピサ島に向かう船の中で体調を崩し、船酔いを起こしてその間に荷物を盗まれたこと。
ピサ島についてから、まだ本調子ではなかったが、とりあえず食事をとその店に入り、食事自体はとても美味しかったのだが、少し食べただけで気分が悪くなり、金貨しか手持ちがなく、それでも美味しい食事に感激して釣りはいらないと言って店を出たこと。
いろいろと不幸な出来事が重なり、けしてクレイ自身が、傲慢な態度で仕出かしたことではない。という理由がわかり、アーラはクレイに失礼なことを言ってしまったことを詫びた。
クレイは「そのおかげで君たちという友人と出会うことができた。それだけでも釣りがくる」と、気にする様子もなく、むしろアーラたちとの出会いを喜んでくれている態度で許してくれた。
ここでもひとつ、良い出会いをすることができたのかもしれないと、アーラは不安の中にも、喜びを感じることができた。
そんなやりとりの中、すでに3人の眼前には『アカデメイア』の象徴、『エヴァニエス宮殿』が迫っていた。