第9幕 2
夕暮れ前の『アカデメイア』、医術実技棟内。
『アカデメイア』内でも、『魔導医術』は重要な魔導術のひとつとして、大規模な敷地が用意され、医術実技棟は地下2階、地上5階の大きな建物だった。
その一室に、プリムラの住居兼、実技室が存在した。
専用の実技室が用意されるというのは、余程の実力が認められた『綺晶魔導医術師』か、高ランクの『アトスポロス』か。彼女の場合は両方だった。
フルネームはプリムラ・フィラフト・アケル。ティミは『フィラフト(お守り)』。
『薄紅色の天使』の名を持つ彼女は、ピンクのツインテールに、青い瞳の美しき医術師として、普段、男性准士の憧れの的として、その腕を存分に振るっていた。
そして『アトスポロス』ランクは『第2級』。それも対『ブルゾス』と戦うための戦闘要員ではなく、治療能力を主とした貴重な存在だった。
彼女はエルピスの幼い頃からの親友であり、ピサ島に来たときは、必ず彼女の部屋を訪れ、宿泊するという仲でもあった。
この日もエルピスは訪れた。しかしそれは――。
西日が眩しい室内で、プリムラは変わり果てた親友の姿を凝視した。
「…エルピス…よね?」
髪色は金色。瞳の色は水色。エリュシオンでは、一般的な髪色と瞳の色である。造作はエルピスの面影を宿しているものの、言われなければ、エルピスとは判断できないほど別人となっていた。
「そうそう。初めて『ヘベ』の力を借りて、『変身』してみたんだけど…」
自信なさそうに答える、まったくの別人と化した親友の姿に、プリムラは戸惑い――否。すでにかなり混乱をしていた。
「『ティミ持ち』ってこんなこともできるの?」
「私も話しだけ聞いていただけなんだけど…。今日、フロガさんが別人になってるの見てね。私もできるかなって思ってさ…」
「で?そうなった理由は何?」
プリムラの疑問は最もだった。
「…もう一度、『アカデメイア』で、2年前にやり切れなかった、『医術師』の資格を目指そうかとね」
「その姿でやる理由は?」
「こっちの方が、エルピスとしてやるより、静かにできそうだからね」
「まぁ…それはよくわかるけど…でもねぇ……」
プリムラは呆れ顔だ。エルピスは苦笑いを崩せないでいる。
「で、私の名前は、エペ・アイギス・ククリでよろしくね」
プリムラは完全に呆れてしまい、まったくの無反応でため息しかつかなかった。
「で。エペさんは、これからどうしたいの?」
「…女王の要請で、このピサ島の護衛として、改めて任務に着くことになりました」
「そっちを先に言いなさいよっ」
「本当にごめんなさい……」
怒る親友に、エルピス――エペは頭が上がらなかった。
「でも、いつまでもそんな姿でいられるの?」
「そんな姿って…。その気になれば、『神杯』の力を借りて、時々だけエルピスの姿に戻れば、一生エペでもいられるらしい。性別だって変えられるんだよ」
「…そうなの?」
プリムラはその青い瞳を大きく見開いた。
「男性版エルピスもできるわけ。それも一生可能みたい。但し、容姿維持の力を考えると、『第2級』以上の能力者に限られるらしいけどね……」
「…呆れた。そんなことする必要が、私にはわからない」
「実際にいるんだけどね…」
「いるの?」
「誰かは私もわからないけど……」
エペはプリムラに苦笑いをしながら、肩を竦めて見せた。
「まぁ…私にその姿に慣れろというわけね」
「あはは…ごめんなさい」
エペの何度目かの謝罪に、プリムラは2度目の――今度は大きなため息をついた。
「ところで…んと、エペ」
「…なぁに?」
互いにどこかぎこちない。勢いで姿を変えてしまったエルピスは、それでも受け入れてくれた親友に、感謝の笑みを称えた。
「何か良いことあったの?」
「ん…まぁ、ちょっと。長年の勝手な誤解が解けた…というか……」
鋭いプリムラの指摘に、エルピス――エペはぎこちない態度を保ったまま、親友に答えた。
「まぁ、いいわ。それより補佐役から連絡来た?」
「…何の?」
少し表情が和らいだプリムラだったが、呆気に取られたエペの姿に、再びその表情は引き締まってしまった。
「少々厄介なことが起きてるみたい」
「フランさんから…連絡あったの?」
「あなたがここへ来る少し前に来たわ。あなたもキスカさんから聞いてないの?」
「…会えてない」
「もう。まさか、その姿になることも、伝えてないんじゃ……」
えへへと苦笑を浮かべるエペに、プリムラは怒る気力さえ失せていた。
そして仕方なく、その内容を話しはじめた。
「…エリュシオン十二騎士家の令嬢が、不可解な行動をとっているんだって。
どうも彼女に付いている補佐役が、別人の可能性があるらしいのよ。
その令嬢に会っても、けして刺激をせず、今までの関係を保ってくれ…って。
でも、だからって彼女に近づく真似だけは、くれぐれも避けてほしい…とね」
「…誰?」
エペの表情が険しさを帯びる。
「例の『銀の乙女』ことテミスって娘よ」
「…確か…グリスィナ家の超お嬢様じゃなかった?」
「そう。私もその娘の不可解じゃない行動ってなんだって、フランさん問い詰めちゃった」
「…で?フランさんはなんて?」
「困ってた…すごく」
プリムラの補佐役フラン・サーベルはとても人の良い、心優しい男性だった。
周囲にはプリムラの従兄弟ということで伝えている。
そんなフランの困った姿というのは――エペは想像するだけで、気の毒になってしまった。
エペ――エルピスの補佐役はキスカ・タルワールという女性。勝気な姉御肌の人物で、エルピスにとっては、良き姉のような存在だった。
キスカにまだ『エペ』になったことを伝えていないのは、会えていないということもあるが、こういう冗談みたいな出来事が大好きな性格をしていることもあり、脅かして笑わせてやろうという、エルピスの遊び心も介在していた。
「それでも、すでに当主としての兄がいるのに、惚れた相手に、次のグリスィナ家の当主になるようなことを迫ったらしいわ」
「…それ…不可解な行動なのかな?なんかその娘なら、『あり』って考えちゃいそうなんだけど……」
「失礼だけど、私もそう思った。その惚れた相手って言うのが、『入学時にティミ持ち』で話題になった、ジン・エクリクスィ・フェンツィくんだったかな?そうとうの美形だって、ここに来る女の子たちが話してた。その男の子といつも一緒にいる、アーラ・ケラヴノス・アンテニーくんも、かなりいけるらしくてね。でも、彼にはすでに許婚が2人いて、ジンくんの方がフリーらしいから…」
「えっ!?アーラくんって許婚がいるのぉ?それも2人っ?!」
プリムラの説明を聞いていたエペが、食い入るように、プリムラに迫った。
「あなたまさかっ。その子に興味あったのぉ?」
エペの態度から、プリムラにそう思われても仕方がない。
エペはふぅとため息をつき、今日の出来事を全てプリムラに話して聞かせた。
「なるほど。そういうことがあったのね…やっと納得した」
ここでプリムラが一息つく。
「でもね。アーラくんが…でよ。その…だったら…許婚の女の子たちって、かわいそくない?」
「かわいそ…だろうね。彼がどう考えているかはわからないけど。しかも2人でしょ?」
「話によると、ほとんどその2人の押し掛けらしいんだ。アーラくんは、乗る気じゃないみたいだって…その女の子たちからは見えるらしいけど」
「…あの子もつくづく……」
「ハードな人生よね…」
「本当にね」
自分よりも余程――でも楽しそうと考えてしまう自分もどうだろうか。
エペは苦笑いを浮かべた。
「何?」
プリムラが気持ち悪そうにエペを見た。
「でも、逆に、アーラくんはジンくんに気があったりして……」
「さっきの話?まるで親友というより、アーラくんの世話女房のような様子だっていう、ジンくんのこと?」
「うん」
プリムラがエペをじっと見た。
「ひとつ訊きたいのはさ。さっき、『神杯』の力を借りて、性別も…もちろん仮だろうけど変えられる。『変身』できるって、あなた言ったでしょ?」
「うん…まぁ」
エペはプリムラの視線が痛い。魔導医術を極めんとするこの親友は、時として、興味を持ったことに、恐ろしいほどの探究心を示すことがあるのだ。
「気持ち…心。精神面の話よ。それも、変わるのかしら?」
「私もなったことはないから……アエラスやネロさんに訊いたら、多少なりとも、異性としての感情の芽生えはあるみたい。たぶん、精神の奥底にある…女性で言うなら、『アニムス』のような……」
馴れない言葉に言い淀みながら、エペはそう表現した。
「女性の心の中にある男性…か。それを『神杯』が刺激をする…ということなのかな?」
「よくはわからないけど…そうかもしれないね」
「……アーラくん…興味あるわね」
時折、この親友が心底恐ろしく感じることがある。エペはなんとかアーラを護ろうと、話題を逸らそうと考えていた。が。
「…うん。会いに行こう」
「えぇっ!?今から?」
「そうよ。別に取って食おうと言うんじゃないから、安心して。
ただ、長いことそんな状態が続くと、アーラくん自体も心配ではあるのよ。
今、彼がどういう状況なのか知りたいし。もしあなたの言ったように、アーラくんの中に、異性や同性への好意という感情が同時に存在しているなら、思春期の不安定な精神状態で、悪影響を及ぼしかねない。しかも彼は高ランクの『アトスポロス』な訳だから…」
「……それもそうか…」
さすがにエペもそこまでは、考えが及ばなかった。
「それとね…」
と言いかけて、プリムラは窓から日が落ちかけて、朱色に染まった夕暮れの空を見上げた。
「さっきから胸騒ぎがして仕方ないの。すごく嫌な…ざわつき」
もう疑う余地も、迷うこともない。エペは椅子から立ち上がった。
「場所…わかる?」




