第2幕 5
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「窒息させる気かぁっ!!」
アーラが叫んだ。
裏庭いっぱいの『砂漠』は、スフェラが指をぱちんとひと鳴らしただけで、幻のように消えてしまった。
「仕方ないだろう?君たちが喧嘩なんかはじめるからっ!!」
クレイがアーラに食ってかかる。どんなに苦労したと思ってる。という表情を滲ませて。
そしてヴノは初めてにしていきなり大技を繰り出し、疲労で立ち上がることもできなくなっていた。
「大丈夫ですか?」
カリディアが心配そうにヴノに話しかけた。
「…あぁ、まぁ。でも疲れたぁ。それにしても俺ってすごい?」
「えぇ、誇っていいです。初めてであんなに…。本当にすごいですよ」
カリディアの笑顔に、ヴノは頬が少し熱くなる思いがした。
そして裏庭を一望し、自分が出した『砂漠』が急に消えたことに、実は嘘だったんじゃないかと疑いたくなる。とヴノは呟いた。
「ヴノさん。『綺晶魔導師』の力の源は、自分の『霊力』なんです。
その『霊力』が、『神杯』を媒介とし、『精霊力』の力に干渉するんです。さっきヴノさんが出した『砂』は、ヴノさんが持ってる『神杯』の『名誉』が影響して…そうですねぇ。『神杯』は、『四大精霊力』である『地、水、火、風』と『二大霊力』である『光、闇』の6つのいずれかに該当する能力を持ち合わせます。自分が選ぶ持ち主の能力の傾向も、『神杯』にはとても大事なんですよ。ヴノさんは『地属性』の能力が強い傾向があります。だから『神杯』が『エリモス《砂漠》』であることは、とても相性がいいということが言えます。
高名な『綺晶魔導師』になると、複数の『神杯』を使うことができますから、自分の持つ属性の違う『神杯』を持つこともあり得ることです。
話が逸れちゃいましたけど、『綺晶魔導師』が発する具現化した力は、その本人の『霊力』が続く限り、この世界に具現化し、存在し続けることができますが、その力を使う本人の『霊力』がなくなってしまえば、この世界に存在する力を失い、
消えてしまうわけです。
ヴノさんはスフェラ師匠の指を鳴らした音で、緊張感が切れ、『霊力』が消えてしまった。
だから『砂漠』も消滅した。
ですが、その能力が具現化した力が起こした世界に対する『事象』の爪あとは消えることはありません。例えば、ジンさんやアーラさんのやけど。あれは2人の戦いによることで負った傷です。それはあの2人の『霊力』が消えたからと言って、傷は消えることは無い。その『綺晶魔導師』の能力の影響力が大きければ、大きいほど、世界に起こす事象も大きく、あとに残る影響も大きいということになります」
カリディアは、優しく丁寧に説明をしてくれた。
よくわかった。気もするが、疲れた頭には理解するのに時間がかかった。
が、なんで『砂漠』が消えたのかはよくわかった。
「ようは、俺が疲れて『霊力』が続かなくなった…ってことだな」
「簡単に言えばそうなりますね」
なるほど。さすがに双子だけあって、話し方や笑顔の雰囲気はカメリアによく似ている。
そんなことをヴノは、ぼうっと考えていた。
そして視線をアーラたちに移し…。
「うわぁぁっ!!」
すぐそばにアーラの顔があり、ヴノは叫んでしまった。
「いい雰囲気出してるね」
「う…うっせいっ!!元はと言えばお前がぁ…」
「ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げられ、ヴノは振り上げた拳の行き先を失ってしまう。
「…もうこんなこと勘弁してくれよ」
「気をつける…本当に気をつけるよ」
2回繰り返したその言葉の、特に2回目はアーラが自分自身に対する戒めの意味が込められていることは、ヴノにもしっかり伝わった。
「…カリディアはヴノがお気に入りらしいな」
「そ、そ、そういうわけではっ。確かにかっこいい方です…でも、そういうわけじゃ…」
師匠のスフェラにからかわれ、カリディアは顔を真っ赤に俯いている。
「スフェラ師匠。相手が俺じゃカリディアが可哀想ですよ。
アーラとかクレイとか。かっこいいやつは他にいますって」
自分の後ろに立つスフェラに、ヴノは顔だけをなんとか後ろに向け話しかけた。
へたり込んでいる今の自分を考えると、これからやらなければならないことがたくさんあることがよくわかった。
そんなど素人の自分にカリディアのような美少女はもったいない。そう感じていた。
「うわぁ、ヴノかっこいいっ。この中で一番かっこいいかも」
アーラが真顔でヴノを褒める。
「そうだよね。僕もそんなこと言えないよ。この中で一番かっこいいって」
クレイも間髪入れずにアーラに続く。
「棒読み状態で褒めちぎるんじゃねぇよっ。俺が可哀想だろうっ」
ヴノが喚き、アーラとクレイが大笑いをした。「やっとヴノらしくなった」と実感を込めて話しながら。
「…本当にヴノさん、かっこいいです。アーラさんも、クレイさんも、ジンさんもかっこいいですけど、ヴノさんは負けないほどかっこいいです」
頬を赤くしながらも、微笑みを浮かべるカリディアに、ヴノの顔が真っ赤に染まる。
「おう。ありがとうな…うん、頑張るわ、俺」
「はい、頑張ってください。私もお手伝いしますから」
ほんの一瞬、ヴノとカリディアの間に良い雰囲気が流れた。が。
「いいねぇ、若いって。私も若いが、君らはもっと若いからねぇ。育てがいがあるわぁ」
満面の笑みのスフェラに、瞬間的に裏庭が極寒地へと変化した。
「育てがいって…スフェラ師匠?」
すでにスフェラに対しては、クレイは『師匠』となっている。
「んー。そりゃ、君らは私の『弟子』になるんだよ。そうしないと、さっき君らが仕出かした不始末で、この『アカデメイア』に入れなくなるよ」
この場合、該当するのは4人。アーラ、ヴノ、クレイ、ジン。
4人の表情から『感情』というものが消え失せ、作り物の仮面のように無表情で凝固していた。
「准士の無許可よる学宮内の破壊行為は、退学もしくは休学…君らの場合は間違いなく『入学取り消し』処分だろうね」
男性。第3者の声による突然の乱入。
スフェラを除いた、否。すでに彫像のように動くことさえできなくなったアーラを除き、他のメンバーで辺りを見回した。
「見せてもらってたよ。新入准士の立場でいきなりの『名誉』持ちかと思いきや、これまたいきなりの破壊行為。ねぇ…アーラ」
建物の影から、2人の男性。20歳前後の青年たちが出てきた。
「はじめまして。私たちはアーラの兄です。
私はケリーエ・ルラキ・アンテニー。こっちはすぐ下の弟で、パイク・モヴ・アンテニー。弟が大変お世話になったようで、『兄』としてお礼を言います」
アーラの家系はとんでもない美形ぞろいなのか。クレイ、ヴノ…ジンたちですら、2人の兄と名乗った青年に釘付けになる。
ケリーエは物腰の柔らかい、人当たりの良さそうな学者タイプ。パイクはジン以上に眼光鋭い、近寄りがたい精悍な顔つきの青年だった。
そのパイクの視線がジンへ向けられたまま離れない。
「…にいさ…」
「アーラ。お前、折角港から家に立ち寄ったのなら、どうして家の中に入らないんだい?
『母さん』がお前の声が聞こえて、中で待っていたのに。がっかりしていたぞ?」
「…家にいらっしゃるんですか?」
「そうだよ。もう荷物も私とパイクで運び込んだから、母さんと姉さんで荷解きは終わってる。家に帰ればすぐに住める環境にしてくれているはずだ」
アーラから生気というものが抜け、視線が焦点を失い、宙を彷徨っている。
「実はすっげぇ、過保護な家なんだな…アーラん家」
ヴノがなんとか立ち上がり、アーラの耳元で囁いた。
「過保護というより、みんな、アーラが可愛くて仕方ないんだよ。
君もアーラの可愛さはよくわかるだろう?ヴノくん」
ケリーエが笑顔で、ヴノのすぐ近くまで顔を近づけ話しかけた。
無言でヴノはこくこくと顔の上下運動を繰り返す。
笑顔がこんなに恐ろしいと感じることは、そうそうあることではないだろう。
「はじめまして『お兄様』っ!!私はミゲ・ケオ・フィークスといいますっ!!」
瞬間移動でもかけたのか、ミゲが抜け殻と化したアーラの隣に陣取り、ぺこりと頭を下げた。
「は、はじめましてケリーエ『お兄様』、パイク『お兄様』。わ、私はカメリア・ルルディ・ルーシュエです」
負けじとアーラの左側に立ち、こちらも丁寧にお辞儀をしてカメリアが2人に挨拶をした。
これにはアーラは全身が凍りつく想いがし、視線がパイクに焦点を合わせた。
「…いきなりモテてるな、アーラ。それもかなり2人とも可愛いじゃないか」
ミゲとカメリアは、『かなり可愛い』とパイクに言われ、「そんな」とか「そうかな」とか、顔を真っ赤にしても俯けたり、もじもじと恥ずかしそうにしている。
えっ、えっ、えっ??アーラが信じられないものを見ているような様子で、気さくな態度のパイクを凝視した。
「なんだよ…そんな目で見るな」
しれっと…パイクはアーラに告げた。
この台詞がどれだけ信じられないものなのか…ここにいる人間で知る者は、アーラとケリーエだけであろう。
「…と」
パイクの視線が再びジンに向いた。
「…貴様、俺の弟が気に入らないらしいな…」
「パイクー。殺人行為は駄目だぞーっ」
穏やかなケリーエの声。問題はその内容。
アーラはミゲとカメリアの手を振り解き、ジンとパイクの間に駆け込んだ。
「兄さんっ!!ジンはミゲのことが心配で、オレにつっかかっただけですっ!!
今の兄さんと同じなだけですっ!!」
「…アーラ」
戸惑うジンに、真剣な瞳を逸らさず、じっとパイクを見据えるアーラに、パイクはため息をひとつ付く。
「…次、俺の弟にどんな形でもちょっかいを出してみろ…」
パイクがアーラを抱きしめ、ジンの鼻先まで顔を近づける。
「殺すっ」
脅しでもなんでもない。明確で純粋な『殺意』。
ジンは恐怖で動くことができずにいた。
視線は宙の一点を見つめ、体も硬直したまま停止してしまっている。
アーラはパイクから体を離し、生まれて初めて…兄を睨みつけた。
「そんなことしたら、オレが黙っていませんっ。絶対阻止しますっ!!ジンはオレのライバルで親友なんですっ!!」
その瞬間、ジンの表情は生気を取り戻す。そしてアーラの背中を見つめた。
その細い…まるで少女のような細い体は、わずかに震えていた。
兄に逆らうということが、どれほどの勇気がいることなのか、ジンはアーラの言葉の真意をそこで知った。
「申し訳ありませんでしたっ!!」
ジンがパイクに頭を下げた。
「妹のことで頭がいっぱいでした。でも、あれはアーラくんを脅すだけ…それだけのつもりでした。でも、あまりの強さに…あの戦いぶりは見事です。俺もアーラくんの良いライバルでいたいと思っています。もう、アーラくんにあんな無謀な戦いをさせたりしません。
有事の際は、俺が身を持って護りますっ」
「ちょっと待てっ!!それじゃ、『告白』に聞こえるぞっ!!」
「そ…そうか?すまない…気持ちを伝えようとしただけなんだが…。と、とにかく。彼は俺にとっても初めての大事な親友ですっ!!」
ジンはアーラの突っ込みを天然なのか、真剣なのかわからない状態でかわし、パイクに精一杯の思いを告げた。
「…お前にも命より大事な『妹』がいるんだろう?ならば、妹のことを、体を張って命をかけて護れ。アーラは俺が護る」
そこはパイクの譲れないところらしいが、態度はかなり軟化した様子で、先ほどの殺意を感じたときとは別人のようだった。が、あれは嘘でもなんでもない。パイクの本心、本性が言わせた『言霊』だろう。ジンは自分との想いの差を突きつけられた気がした。
「で。話は終わったかい?」
スフェラは待ちくたびれた、という感じで全員に呼びかけた。
「すみません、スフェラ師匠。『弟』がお世話になりまして…」
ケリーエがスフェラに歩み寄った。
「君の『弟』だったのか。『スキア』なんて名乗っているから、最初わからなかったぞ」
あれ?とクレイが思った。アーラの名前…さっきわからなかったよな?と。
「すみません。『弟』は本当に恥ずかしがりやで…」
怖い。兄とスフェラさんの話が怖い。
初めて兄に立ち向かったのに、すぐに次の恐怖がアーラを襲う。
「大丈夫か?」
ジンが耳元で、様子のおかしいアーラに話しかけた。
「う、うん。大丈夫だ」
さっきまで死闘を繰り広げた相手だけに、こんなに親しくなることの違和感は拭えないが、とにかく親友と言ってくれたジンへ、アーラは感謝を込めて笑顔で横を…向いて一歩、すごい勢いで後ずさった。
「ど…どうかしたのか?」
「い、いや。なんでもないっ。ほんと、なんでもない」
ジンってこんなにかっこよかったか?さっきは顔を見るだけで憎たらしいと思っていたのに…。アーラを心配するジンの表情が…すごくかっこいい。
見られないよう赤い頬を右腕で隠し、「なんでもない」を繰り返した。
「さっきの…」
ジンはさらに心配をする。
「ち、ち、違う、本当なんだ。ちょっ…ちょっと、まさかここで兄貴たちが出てくるとは思ってなかったから…ちょ、調子が狂って仕方がないっ」
これは本音。心配かけまいとして、仕方なく本音を告げた。
「そうか。それもそうだな…」
これにはジンも納得してくれたようだった。
思ったよりこの『親友』は、そうとうな天然なのかもしれない。
と、今度は痛い視線を感じ、顔を向けるとパイクのそれが近くにあった。
「…そんなに邪険にするなよ」
「っていうか、どこから兄さんたちは知っているんですかっ!?」
「今朝、お前が家をでたときから」
パイクとケリーエが交互に話しかけてきた。
もうやってらんない。アーラは生きる力を使い果たした気がした。
「本当に大丈夫なの?」
と、右からミゲ。
「無理しないでください」
と、左からカメリア。
そうだ。この問題があった…。アーラは現実に引き戻された。
「君の『弟』は本当に面白いなぁ…」
「いい子ですよ。ほんと」
スフェラとケリーエの話の内容が咬み合っていない。
憧れていた『アカデメイア』の生活は、初日から難問を幾つもアーラに突きつけた。
(……でも、負けない)
アーラは強く――強くそう心に刻んだ。




