P08 白の光
「そうだリョウ。これも言い忘れていたが、おまえ、祈道士たちには極力近づくな」
「は? なんで」
「なんででもだ。おまえは別に調子が悪いわけでもないんだ、祈道士たちの手を煩わせる必要はないだろう」
「い、いやまあそりゃそうだけど、でもなんで?」
「くどいぞリョウ」
「いや、理由説明してってだけでくどいとか何で言われるの俺」
…あのあと妙にしつこくクレイが繰り返した言葉の意味は、翌日、比較的すぐに明らかになったのだった。
「神霊術、ねえ」
大量に炊いた米でせっせとおにぎりを作りつつ、がらんとしたクラリオンの中で椋はぼやいた。ちなみに椋以外の人間は皆祈道士のもとに出向いているため、ここにいるのは椋ひとりだけである。
本当は常に暇そう、かつ元気な家主も連れてこようかとも思ったのだが、こと発明に関して以外はまるでからっきしな彼を考慮してそれは事前に止めた。一緒におにぎりを作れ、誰それの世話をしろと言ったところで、おにぎりは増えないどころか逆に減るだろうし、絶対に妙なことをやり始めるだろうしと結局、余計な手間を取らされてしまうのがオチだろう。
最初に椋が祈道士のことを訊ねたとき、ヘイは祈道士の扱う魔術を特殊だと言った。
現時点では誰も、祈道士の扱う魔術、神霊術と他の魔術との違いははっきりとは分かっていない。だが、確かに神霊術と魔術師の魔術は違う。だからこそ、今でも神霊術に関連する魔具はどうしても、自分には作り切れずにいるのだとそのとき、ヘイは言っていた。
そして違うと言い切った、彼の言を椋は信じていた。
信じる理由は絶対に、椋しかわからぬもので、あったが。
「……何がどう設定されてるんだかな、ここは」
また一つ新たなおにぎりを皿の上において、今までに自分が握ったそれの数を数える。既に一回、四十個ほどを運んでもらってからまた軽く二十個は作っているが、できれば祈道士の診察待ちの人たちにもあげたいことを考えるとまだ、どうしても十分とは言えないだろう。
乾いてきてしまった手を再度水でぬらし、軽く塩をつけてから白米を手に取りつつ椋は考える。他の誰でもないあいつが、あえて治癒という面において職を二つ設けたのはなぜなのだろうと。
この世界において、他人を癒すことができる術を持つ職は二つある。ひとつは今、クラリオンにもほど近い広場で人々の診察を行っている祈道士、もうひとつはヘイ曰く「全世界的な絶滅危惧種」だという治癒術師である。
なぜ同じ「癒し」の術を持つはずの二つの職に、極端なまでの明暗が分かれてしまっているのかということへの理由は簡単だ。
祈道士が使う魔術は「神霊術」と呼ばれ、通常の魔術よりもずっと魔力の消費が少ないうえ術式の構築も比較的容易く、もたらされる効果も大きいのだ、という。対して治癒術師の扱う治癒魔術は、術式が複雑怪奇なうえ消費魔力が多大であり、そのわりにもたらされる効果は祈道士のそれとさして変わらないらしい。
その情報だけを聞いたなら、確かに癒しの術を持ちたいと思うような人間は普通、誰もが祈道士を選ぶだろう。
しかし太古の昔から、治癒術師という祈道士とは「異なる」治癒職は存在し現在も未だ消えてはいない、らしいのだ。
「…何から情報拾った、おまえ」
ぽいぽいとおにぎりを仕上げていきつつ、誰に聞かれることもないからこその独り言を椋は呟く。
同じ内容を担う職が二つ存在することに、とりたてた意味がないとはとてもではないが椋には思えなかった。他の誰でもなくこの世界の創造主が、その部分において無意味な分離を行うなど絶対に考えられないのだ。
なぜなら彼には椋という、ある種無限の情報ソースが存在していた。
常に勝手に椋を第一の読者と決めていた彼が、こと医療についての云々に拘らないなど絶対、ありえない。
「まあ、ここで一人で考えてても仕方ないか…」
だいたい三十個を作ったところで、おにぎりを握る手を椋は止めた。ここ以外でも確か誰かが何かしら作ってくれていたはずだから、不足の分はそちらに期待することにする。
ひょいとおにぎりの載せられた皿を持ちあげ、裏の扉を開いて椋は歩き出した。
ただただ一人で考えてみたところで、実物を見聞きしなければ現実などわかりようもない。
「リョウ! おお、それ、おまえの握り飯か」
「うん、あれだけじゃ流石に足りないだろうなと思って」
椋の姿に気づき声をあげたおやっさんの声は、昨日までと比べて少し元気を取り戻したようにも思える。広場のあちこちにいる近隣の人たちにしても、多少なりともそれぞれの病状は改善しているように見えた。
それまで場になかった椋の声に、人々の診療を続けていた祈道士たちが目線を向ける。
丁寧にひとつ礼をして、にこりと彼らに向かって椋は笑い、手にしたおにぎりの皿を差し出して見せた。
「今日はありがとうございます。粗末なものではありますが、もしよろしければ召し上がっていただけますか」
「いいえ。お気づかい、ありがたく受け取らせていただきます」
今日ここに派遣されてきた祈道士たちのリーダーらしき彼は、椋とそう年も変わらないだろうくらいの若い、柔和な顔立ちをした穏やかな男だった。申し訳ありませんが少し休憩を取らせて下さい、祈道士たちの申し出に、無論人々の否やはなかった。
白を基調にした修道服を纏う、彼らは全部で五人。症状を訴えている近隣住民がだいたい七十人ほどであることを考えると、随分結構な人数を教会は割いてくれたんだなと妙なところで椋は感心してしまった。
しかしそんな、口に出せば不敬罪に問われそうな言葉はおくびにも出さずただおにぎりの皿だけを彼らへと椋が差し出そうとした、そのときだった。
「あ…っ」
「あ?」
カタン、という音とともに聞こえたのは、押さえようとして押さえきれなかった、といった感じの小さな声だった。
良く分からないままに声の方向へ視線を向ければ、穴があきそうなほどの勢いで椋を凝視している、ひとりの少女の姿がそこにはあった。
「リョウさま、…リョウさま、ですよね!」
「あ」
名を呼ばれた瞬間、ぴんとすべての回路がつながった。ふわふわした金色の長い髪にきれいな碧色の眼、人形のようにかわいらしく整った顔立ちは、クレイと知りあうきっかけになった、あの日に椋が助けた少女のものだ。
予想外な事態に目を瞠る椋、そして彼女以外の祈道士たちにも構わず、きらきらと瞳を輝かせながら、まるで子犬のように彼女はこちらへと走り寄ってくる。
何とも言えない祈道士たちからの視線が痛かったが、彼女にはそんなことはつゆも気にはならないらしい。
「もしかしたら今日、お会いできるかもしれないとは思っていたのですが…。よかった、ほんとうにお会いできて」
胸のあたりで両手を組み、何の穢れも知らないような、本当にきらきらした瞳で見上げてくる彼女は正直、非常に椋には眩しかった。
ざわつくまわりの人たちの視線やら祈道士たちの目やらがいまいち気になって仕方がないのだが、けがれのない碧の目はただただ、本当にうれしそうに幸せそうに、かわいらしく椋を見上げて笑いながら言葉を紡いでくる。
「先日は本当に、ほんとうにありがとうございました。お兄様からお礼はした、と言われてはいたのですが、…でも、どうしても私、自分でひとことでも、お礼を申し上げたくて」
「い、いや、そんな、とんでもない」
何のためらいもなく深々と頭を下げられ、ただでさえ混乱していた椋の頭は更なる混迷を来した。うわあ目線が痛い奇異の視線が怖い、嬉しそうな彼女の姿よりも何よりも、衆人環視のこの状況はあんまりにも一般人の椋には辛い。
しかしはた、とそのとき椋は、彼女の兄はいくらこちらが謙遜してみたところでまったく無駄だったことに思い至った。兄も妹も当然のように庶民に頭を下げるのだ、その後の展開も絶対に大した違いはない、としか思えない。
気管支あたりで妙な具合に詰まっていた息を、はーっと一度椋は吐き出す。
とにかく平常心を意識しつつ、相手に向かって椋はぎこちなくだが笑顔を作って見せた。
「…俺なんかには、もったいないくらい丁寧に、ありがとうございます。少しでもあなたのお役に立てたなら、俺としても嬉しいです」
折れるしかないのだ、こういう真っ直ぐな手合いには。
しかしこれからのことを思うと、明確に顔に出すことはせずともやや憂鬱にならずにはいられない椋であった。カリアとクレイの云々は、その直後にラグメイノ【喰竜】級という普通ならあり得ない魔物が現れたりその魔物に魔術師団長閣下の魔術が炸裂したり、駆けつけた騎士団の面々による現場検めが行われたりと色々あったせいで結構に曖昧にできたのだが、…これは。
そんな椋の内心も知らず、にこにこと無垢な笑顔で彼女は言葉をつづけてくる。
「もしも今がおつとめの時間でないなら、リョウさまをおうちへご招待したいくらいです。私もいつかリョウさまのような、魔法の手の持ち主になりたいと思っています」
「魔法の手? …あ」
そこまで喋ったところで、くう、と。
随分可愛らしい音が、彼女のお腹のあたりから聞こえてきた。
「あ…っ」
途端に頬を真っ赤にする少女の様子に、今度は本当に椋は笑ってしまった。
結局差し出してはみたものの、まだ誰にも手を伸ばされていなかったおにぎりをひとつ手に取り、彼女へと差し出す。
「大したものじゃないですが、よかったらどうぞ。心をこめて、魔法の手で握りましたから」
「…ありがとうございます、リョウさま。いただきます」
頬を赤く染めたまま、恥じらいの表情で上目づかいに椋へ目線を向けつつ彼女はおにぎりを受け取る。
かわいらしい少女の上目遣いの、破壊力を改めて椋が実感してしまったそれは瞬間であった。
「まぁったく。ボァッとした緊張感のねぇツラしといてやるなあ、おまえも」
「ホントだよ。確かに噂には聞いていたけれど、まさか本当だったなんてね」
その後は色々大変だった。何とも言えない誰も彼もの視線の中で、しかし縋るような目をする彼女を前にしては帰るわけにもいかず。
ただ自分の目で祈道士の治癒魔術、神霊術が見られればそれでよかったはずなのに、ものすごく予想外に既に、疲弊してしまった椋なのであった。
「ははは、…なんか、すみません」
「なんでそこで謝る。別に悪いことしたわけじゃないだろ、リョウ」
クラリオンへの帰り道、おやっさんとおかみさんの言葉に苦笑すれば、従業員の一人であるケイシャがからかうような口調で笑って横から突っ込んできた。
昨日まではみんなの具合の悪さから、くだらない何ということもない会話もずいぶん減っていたことを思いつつ椋は肩をすくめる。
「いや、ないけどさ。…まさか、あの子が祈道士だったとは思わなかった」
「その間抜け具合もある意味、リョウらしいわね」
「うっわ、ひどっ」
また別の従業員の一人、アリスのざっくりした言葉につい椋は笑ってしまう。彼女の頬にも随分と赤みが戻っている、その事実にほっとせずにはいられなかった。
それはめいめい帰途につく、ここ近隣の住民の誰にしても同じことだった。はしゃぐ子供たちの声が聞こえる、それに応じる大人たちの声も優しい。良い光景だな、と椋は思った。
神霊術は、確かに劇的な効果を誰に対しても平等にもたらしていた。
やわらかな声で紡がれる術式とともに、祈道士の手のひらからあふれて病人を包んだ白色の光。その光は症状の重い人ほど強く鮮やかに脈を打ち、光が跡形もなく消えたころには、健康な血色を取り戻した女の人、頭痛が消えた、だるさがなくなったと喜ぶ男の人、おとうさんが、おかあさんが元気になったと跳ねまわる小さな子ども―――椋にとってはある意味、羨ましくて仕方なくなるような光景が広がっていた。
そしてそんな光景を、五人の祈道士たちの誰もが微笑ましく見守っていた。ありがとうございますと、何度も何度も向けられる言葉に笑顔で応じていた。
他人のために尽力する、人間だけが手に入れられるそれは声であり言葉であり表情であるのだとしみじみ、感じた。
「すごいんだな、祈道士って」
「は?」
思わず呟いた一言に、しかし椋以外の全員はぽかんとした顔をした。
そして次にはその全員が、一斉にぷっと吹き出した。
「そうかそうか、そうだった。リョウはすんごい辺鄙なとこにずっといた、ものすっごい世間知らずなんだった」
「基本的に頭はいいし要領も良いから忘れてたけど、そうだったわね。うん、リョウってそういう人だったわ」
「リョウ、あのな。凄いと思うんだったらちゃんと、祈道士様、と呼べ。傲慢で高慢な貴族たちと違って、俺たち平民のためにも魔術を使って下さる方々なんだからな」
「そうだよ。あの方々を呼び捨てなんざ、ばちがあたるってもんだ、リョウ」
「………」
素直な感想を述べたら、なぜか微妙に説教された。
つい口をへの字に曲げてしまった椋に、四人からさらなる笑いが向けられてしまったことはもはや、言うまでもない。