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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第二節 転機の出現/見霽の青年
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P2-42 黙黒考



 目前から黒が去ったあとも、エネフはそれについてひとり考え続けていた。

 現在の彼の顔にはおおよそ、感情らしい感情が浮かんでいない。

 それはどうにも驚くべきくらいの精度で、見事に彼自身の予想がひっくり返ってしまったことによるものだった。


「まさかこんな形で、彼に会うことになるとはなあ」


 ただ一人で思索にふけるためには、若干広すぎる部屋の中で彼は一人呟き苦笑する。

 リョウ・ミナセ。異国の色彩を髪と目に宿した、外側以上にその内面が異常に特殊であるという存在。

 ひとつ、ふたつと拾い上げられ、エネフの元へと入ってくる情報は常に不可思議な驚きに満ちていた。そう年を食っているわけでもない、この王都に存在が確認されてから大した時間も経っていないはずの青年に、いま彼の周囲の人々が向ける視線は信頼に満ち満ちている、という。

 正直、誰もが騙されているのではないかとどこかでエネフは思っていた。

 そんな表現でも使わなければ、どうにも納得がいかないような事実にばかり、彼に関する事柄は溢れていたからだ。


「……やれやれ」


 だからこそ、エネフもまた彼にある種の興味を一定値持っていた。そこには青年があのまっすぐで、まっすぐすぎて事あるごとにうまい立ち回りをしそこなう少女のこころにするりと入り込んでしまったからであり、彼の部下の中でもずば抜けて扱いが難しい、あちら側がそもそも心を開いてくれないはずのひとりの騎士と親しくなっているからという理由も無論、含まれている。

 それに「あの」ヘイル夫妻に治癒という観点から興味を持たれるという、異常。その難解さと分量の多さと面倒から、治癒専攻の学生や本職の治癒術師あるいは祈道士であっても、ほとんどだれも手をつけないという過去の学術文献を、当然のように凄まじい速度で読み進める「平民」。

 並べ立てれば奇怪な点など、いとも容易く数多く彼については挙げられる。したがってエネフには懸念もあった。全ては芝居、何かを起こすための彼の芝居であり、その何が何であるかも分からぬような戯曲に、あの少女やエネフの部下は巻き込まれているのではないか、と。

 なにしろ奴、第八騎士団所属の第六位階騎士のひとり、クレイトーン・オルヴァについていた唯一の騎士見習いは腕を落とした(・・・・・・)

 詳細な理由などエネフにはわからない。本人たちに未だ何一つの詳細な問いも投げられていない以上、状況も何も、エネフにはわかったことではない。

 誰にであっても明確なことがあるとするならば、その所業はどのような理由があったとしても少なくとも、この国においてはまず正気の沙汰ではないこと。

 真っ向から、この国の倫理に噛みつくような蛮行であること――それだけだ。


 ――その男が貴方の御敵に、繋がっている可能性があるとは考えられませんか、カリア様。


 エネフの脳裏によみがえるのは、ほんの少し前に確かにエネフが彼女へと向けて口にした言葉だ。今でもその可能性は決して皆無ではなかろうと思ってはいるが、正直なところ積極的に彼を疑うような気力もエネフはリョウを一目見た瞬間に削がれてしまっていた。

 なぜなら先ほど、ずぶ濡れのひどい恰好でエネフを見上げた青年の目はあまりに曇りがなさすぎた。

 年は二十三と聞いていたが、それは本当かと疑いたくなるほどにまっすぐな、おそらくひどく平和で幸福な環境で育てられてきたのだろう目だった。確かに混乱はしていたが、こちらを理解しようとするだけの理性は当然のように目の内にも残していた。

 嘘をつけないヤツの目だ、と思った。

 一度ついてみたところで、その嘘をすべて他人に見透かされてしまう分かりやすい、隠し事のひどく下手くそな人間の瞳だった。


 ――なにを、言ってるの?


 あのときのカリアの動揺も、訳が分からないといったていの声も言葉も今になってみれば良く分かる。だが本人を目の前にしてみなければ、伝えられる彼の無茶の数々だけ耳にしていれば、こちらがどのような邪推をしてしまったところである意味仕方なかった、とも一応言い置いておきたい。

 エネフは思っていた。彼の部下であるクレイトーン・オルヴァとジュペス・アイオード、あのふたりが下手をすれば、カリアたちが敵として向き合わねばならない勢力とのいざこざに何かしら巻き込まれているのではないかと。

 なにしろ先ほども述べた通り、敵でない者の腕を落とすなど、まず常識からすればありえないことなのである。しかしそんなものに応じたということは、彼らが何らかの弱みを握られ、隠さねばならぬような事情を抱えているのではないかとと考えたのだ。

 あの青年が「クロ」だとすれば、状況証拠から立てた筋書きとしては決して可笑しい点はなかった。

 どうやらその前提条件が間違っていたかもしれないことに実際に青年と顔合わせすることになって思い至ったエネフだが、今更過去に向けた言葉を消すことはできず、まだまともな質疑応答もできていない以上は可能性が完全に消えた、というわけでもない。


 ――そもそも彼は、どうにも素性のはっきりしない異国の魔具師の家に身を寄せているうえに、


 筋書きをさらに足せば足すほど、カリアの表情はくもっていった。たった二カ月という短期間で、どれだけ彼に心を寄せているのか、預けているのかが何を言われずとも手に取るように分かった。

 傍らのニースの睨みがなかなかにきつかったのだが、それでもあのときのエネフは言葉をさらにと続けたのだ。


 ――またひとり、別の魔具師も拾い上げて何やら奇妙なことをやりはじめている、と。


 突拍子もないことをやりだす輩も多いが、確かに「全体」にとって有益なものを創り出すことができるのが魔具師である。だからこそエネフとて魔具師を無碍に蔑もうというわけでは無論ないが、魔具の開発よりも魔術自体の研鑽に重きのおかれる、魔具の研究に関しても大して金も、知識も人間もおろされてはいない国にわざわざやってくる魔具師となれば、話は別だ。

 なにしろこの国からあと二つ三つほど先には、このシュレイラ大陸においては随一の魔具生産と技術を誇る国が存在するのである。そこへの旅の中途ではなく、国に仕えるというのでもなく、ただこの国に「いる」だけの魔具師。それはエネフたちにとってみれば、確かに怪しむには足るものなのだ。

 それがひとりだけだったなら、まだ良かったのかもしれない。彼の居候する先の魔具師は、この国の人間としての籍をもち各種の税も納めている一応はれっきとしたエクストリー国民だ。

 しかし。


 ――……もういい、


 あのときのカリアにはそれなりに悪いことをしてしまったと、後々反省し、ついでにニースに雷を落とされるくらいにはなった。

 正直ニースはむしろこちら側に賛成してくれるのではないかと思っていたのだが、どうやらあのリョウという青年はニースも含めて、彼の側にどういう方法を使ってか或いは何もしないでか、強い引力をもって引き込んでしまっていたらしい。


 ――やめてっ!!


 最後には叫んだカリアの声は、どこか泣いているようにも聞こえた。実際にはその瞳に涙はなかったが、それでも彼女にそれなりの痛みを打ちこんでしまったことくらいを予想するのはエネフにも容易かった。

 ニースに帰れと言われたのは、それから割合、すぐのことだ。


「……まったく。こんな事態じゃなきゃ、もう少し色々と違うことも聞いてみたかったんだが」


 エネフは苦笑する。そう、彼に訊ねたいことならそれなりに多くあった。

 彼は一体何者なのか、どこからどう来て、なにがどのように変化しどのような転機が存在して、最終的には普通の手段ではまず取り入ることなどできるはずもないだろう人間ばかりを味方につけるなどという、途轍もない結果を叩きだしてしまったのか。

 それに彼は、カリアという少女のことをどこまで知っていて何と思っているのか。もはや彼女自身についてはおそらく自覚するのも時間の問題だろうと思うが、それを受け止め、そして返すだけの気概と情は果たして、あの青年に存在しているのかどうか。

 しかし非常に残念なことに、状況はそんな「与太」をエネフが口にすることを許さない。

 まず確認しなければならないことが多くあり、それに特に彼女に関することは、おそらく。


「一体何が誰の手で、どこまで動いているんだか、な」


 誰が何に翻弄され、最終的に誰の手に何が収まる結果になるのか。そしてそんな駆け引きの中に、まともな言葉を交わさずとも一目で異質であると分かるあの黒の青年は、どこからどこまでどのように関わりをもっているというのか。

 最終的な勝利というのは、果たしてどこに、誰の手に。

 問いかけるべき相手などいるはずもなく、今はただ静かにエネフは一人の思索にゆっくりと身を沈ませ続ける。




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