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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第二節 転機の出現/見霽の青年
84/189

P2-39 やみゆきのひ 5



 彼ら(・・)が店へとやってきたのは、クラリオン開店間もない、ぱらぱらとまばらに客が入りだしたくらいの時刻だった。


「リョウ・ミナセを出せ」


 ドアにかかった営業中の札など見るつもりもなさそうな、営業の邪魔など考えもしなさそうな傲慢な声がドアベルの鳴る音とともに店内に響く。

 ひどく響き悪く聞こえる自分の名に、わずかに眉をひそめた椋は入り口の方を見やって驚いた。そこにいた四人の男たちの、顔ではなく装いに覚えがあったからだ。

 男たちが身にまとっているのは、灰青色の軍服。

 以前椋がクレイの仕事中に彼のもとへと押しかけたときにクレイが纏っていたものと、多少のきらびやかさの差はあれ、ほとんど同じものだった。


「失礼ですが、騎士様がこのようなところにどのような御用件でしょうか?」


 応対するアリスの声が、硬い。わずかに語尾が震えているのが、握り締めた拳が小刻みに揺れているのが遠目にも分かる。

 さりげなくこちらに、目線が振られた。さりげなくを装いながら、同僚たちに厨房の奥へ、奥へと椋は追いやられていく。

 この王都東区画一帯の住人たちは、冒険者やそれにちなんだ商売を生業とする人間が多いからだろうか。或いは以前のアイネミア病一連の騒ぎに対する無反応を受けてか、国から正式に認められ宮廷の組織に所属する、騎士や魔術師といったものをあまり信用していない。

 人々の信用を落とすような、一部の不貞なやからの話を聞かない日がないというのも確実にある。身に覚えもない罪を振られ、ひどい目に遭った人物の話も一つや二つでは済まない。

 ついでに言ってしまうと相対的にも絶対的にも、椋の評価は本人全く与り知らぬまま、ここ周囲とそして西区画の住人たちの中ではうなぎ上り状態になっていたりもする。

 次から次へと来る視線に、椋はただ首を横に振るだけだ。訳がわからない。なにもしていないのに。

 そして椋自身がなぜ彼らに呼ばれているのかの意味が全く分かっていない以上、それは相手側からの言いがかり以外の何でもなく、この場においては拒絶されるものでしかない。

 ……というのがどうやら、現在のクラリオンの椋以外の全員の共通見解、らしい。呼吸するように自然に向けられる、無茶苦茶だと思わず言いたくなるような信頼の大きさに、しかし現在の椋はまともな苦笑を向けられるような余裕もない。

 なんで、……俺が、何のために、どうして?

 ふと刹那脳裏によぎるのは、ついこの間目にした夜更けの銀色と金色の少女の姿。

 何かひどく冷たく嫌なものが、背筋を幾度も落下しさかのぼり、指先から這いずってくるような感覚がとてつもなく、気味が悪かった。


「……おい、リョウ」

「……」


 囁かれる声にも向けられる視線にも、ただ椋は首を横に振るしかなかった。そわそわと全身を撫でる感覚が本当に不気味で、両の指先を何度もジーンズになすりつけるようにして拭う。

 「なにか」が起きる。「どこか」から起きる。

 ……いや、しかしさすがにそんな、いきなり?

 アリスの問いにややあって、騎士たちから返ってきた答えはどこまでも不遜だった。


「口答えするな平民。我らはリョウ・ミナセを出せと言っている」

「何を隠し立てしようと無駄だ。ここに居る事は分かっているからな」


 それは巷に良く聞く「騎士」の、典型例のような男たちの姿だった。

 己の権威をかさに着て、そのくせ有事にはほんとうに何かきちんと為してなどくれるのか、少し姿を見るだけでも非常に疑問になってくる立ち姿だった。

 どうしようもなくただ鬱陶しいだけの言葉に、一斉に店内から不穏の声が上がる。


「ンなヤツなんざ聞いた事もねぇよ。言いがかりつけんのもいい加減にしろ」

「そもそもあんたらはまず質問に答えろよ。なんで第八騎士団の騎士サマなんぞが、こんな場末の酒場にわざわざお出向きなんだ」

「誰の払う税で喰ってると思ってんだ、まったく貴族ってやつはこれだからっ」

「……そんな変な名前の男、この場には居たこともありません。何か勘違いなさっているのだと思います、どうかお早い、」


 お引取りを。

 しれっと失礼を織り交ぜてのアリスの言葉は、しかし最後まで続かなかった。代わりに響いたのは、パンッという鋭い、人の掌が他人の肌を打ち据えたときの高い音。そして衝撃に耐えきれずに、彼女のからだが床へと崩れ落ちたがゆえのどさりという鈍い音。

 一瞬の静寂は、次には嵐となって弾けとんだ。


「な、…にしてんだよっ!? 何してくれてンだよオイっ!!」

「アリス! 大丈夫かっ」

「アリス、アリス!」

「何の抵抗もしてねぇ女に手ェ出すなんて、ハッ、それがまともな騎士のやることかよ!?」


 同僚たちや客の言葉のうちがわで、アリスはぐっと唇を噛み締め殴られた頬を押さえている。

 手に隠れていない部分が赤くなっているのが、見えた。全体は見ずとも容易に分かる、確実に先ほどの一撃には、容赦の欠片もありはしなかった。

 しかもそんな己の行動を恥じるような様子もなく、さらにと騎士たちは嗤うのだ。


「ハン、やはり女など下らんな。我々に嘘をつくことが、何を意味するか分かっていてそのようなことを言うか」

「ウチの従業員になにしてくれてんだ、キサマ!」

「その妙な名のヤツが男だと、いつ我らは言った?」

「……っ!!」

「まぁ、それでも白を切るというなら仕方が無い。我ら騎士に逆らうということが何を意味するか、まずは女、貴様から順に分からせてやる」

「きゃ、……ちょ、何するのよ、離しなさいよっ!!」

「うるさいッ!」


 パンッと、また甲高い耳障りな音が響く。今度殴られたのは、倒れたアリスに駆け寄った、アリスへと向かって再度騎士たちから伸ばされた腕を払おうとしたミーシャだった。

 どこか下卑た表情を浮かべた四人の男と、そんな四人をただ見やるだけで、止めようともしない無表情のもうひとり。

 テーブルが、椅子がひっくりかえった。その上のグラスが皿が床へと落下してひどい音をたてた。

 無理やり腕を引きずられ連れて行かれようとする、アリスをミーシャを止めようと立ち上がった席からひとりが別の騎士によって突き飛ばされ勢いよくその場にしりもちをつき、テーブルに激突したせいだ。おやっさんも、おかみさんも止めようとする、誰もが止めようとする、しかし不意に、ひとりの手の内に閃いた不吉な光が場の全員の動きを止めた。

 それはぐるりと男の手のうちで渦を巻く、薄青緑色のひどく冷たそうな「何か」。

 何の備えもなくまともに食らってしまえば、おそらく先ほどの客のようにただ吹っ飛ばされるだけでは済まないのだろう、……魔術だ。


「――――っ、」


 ぷち、と。

 その光景を見た瞬間、何かが小さく椋の中で切れた。相変わらず何が起きているのか本当にさっぱり理解できない。訳も分からない理由で同僚が乱暴され、それを止めようとした客やおやっさんたちもまた乱暴され、その理由が水瀬椋を探しているからだ、だと?

 椋をこの場から、遠ざけようとする全員。椋という存在を騎士たちから隠そうとする、誰一人としてこんな状況においても椋を差し出そうとはしない現実。

 しかしだからこそ椋の感情は、その瞬間にぷちりとキレた。

 そもそも何もしていないのに、逃げる理由が、どこにある?


「……ふざけるな」


 気づけば上げていた声は、なぜかひどく場によく響いた。

 あわてて伸ばされる、いくつもの手の制止を丁寧にひとつずつ椋は外した。一斉に自分へ集中した視線をひどく心地悪く感じつつ、彼らの、騎士たちの目前へと椋は姿を晒す。わずかに驚いたような表情を浮かべた騎士たちの顔が、次にはひどく下卑た笑みへとまたとってかわる。

 もしもこれが夢だというなら、どんな無茶苦茶な悪夢だ、と思った。

 何かが起きることは確定していた。それは分かっていた。

 分かっていた、けれど。


「……」


 それがこんな無茶苦茶で理不尽な展開であるなど、誰だって予想できるはずもない。

 黒髪黒目という、この国においては極端に数の少ない色を宿す彼の姿に、何とか腕を振り払うことに成功したらしいアリスが声を上げた。


「リョウ! ……っ!!」


 おそらくほぼ反射的に口をついてしまったのだろう名に、苦笑を返してやろうとしてうまくいかなかった。残念ながら現在の椋に、そんな余裕などまったくなかった。

 笑顔を作ることは早々に諦める。確定していた不確定事象に対する靄がかったぐちゃぐちゃな感情が、ひとまず憤りに近いものに腹の奥底で収束していく。

 何で出てきたんだ、バカ! 何で逃げなかった!

 言葉より流暢に語るいくつもの目の存在を感じつつ、椋は口を開いた。


「彼女たちに乱暴などしなくても、わざわざ店で騒ぎなど起こさずとも、あなた方の探しているリョウ・ミナセは俺です。第八騎士団の騎士様がたが、俺にいったい何のご用向きですか」

「ハッ、なるほど」


 わずかにも、身体のどこにも震えがないことを祈りつつ騎士たちへと問いを向ければ、どこか椋を馬鹿にするようにひとりが椋を鼻で笑った。

 今現在椋たちの目の前にいる騎士は、全部で五人。そして五人のうち四人が、当然のように椋へ、そしてクラリオン全体へ、蔑み、見下すような視線を向けている。

 もうひとりはまったくの無表情で、どこか(うろ)にも似た淡々とした瞳で椋を見据えていた。態度もあからさまな四人にしても彼にしても、椋の味方でないであろうことは何となく分かった。

 脈打ち続ける心臓が、徐々に速度を上げていく。耳元で次第に明確になっていくその音に、さらなる口内の苦さを覚え椋は奥歯をぎゅっと噛みしめた。

 椋を見下す視線はかけらも変えないまま、相手に不快を与える類のひどく嫌な笑みをにやりと、また違う一人が浮かべた。


「まさか庶民風情が貴族を害するなど、何の冗談かと思っていたのだがな」

「ああ。だがなぁ、なるほどな。どうやら俺たちは、今ここでそんな考えを改めねばならんらしい」


 ……え、?

 不愉快な笑みとともに発された二人分の言葉の、意味を理解することが俄かには椋にはできなかった。

 ざわりと一斉に、クラリオン全体の空気もまた揺れた。

 今、この男はいったい、何と言った?

 庶民風情が、貴族を、害する?


「……ぁんだって? リョウが、」

「リョウが、……人を殺した、だと?」


 冗談。

 それこそ冗談だろうとこちらの方が言いたい、と一瞬停止した思考の橋がどこか暢気に思った。害する。考えを改める。害する。……殺す?

 だれが、だれを、何のために。いつ、どこで、どうやって。

 理不尽かつ、思い当たる節など何もあるわけもない言葉がぐるりと思考を巡る。意味が分からない、あまりの訳の分からなさに、ぐらぐらと地面が揺れているような奇妙な錯覚すら椋は覚えた。

 声も出せず絶句する椋をどう見たのか、ひどく嫌な笑い方でまたひとりが椋を嗤った。


「おい、何か言ってみたらどうだ犯罪者。まあ今更何を言ったところで、貴様が我らに連行され身柄を拘束されるのはただの決定事項でしかないがな」

「俺も正直、またあの副長が何の道化を演じなさるかと思ったんだがなあ。この肝の据わり様を見れば確かに、かけられた容疑にも頷けようというものだ」


 四人の騎士たちが口ぐちに発する言葉が、片っ端から意識を上滑りしていく。

 呆然とただ目を見開くしかできない椋の中で、一片だけ残った理性がそれら音声を脳内で処理し、推論を導き出す。容疑をかけられている。――水瀬椋に、殺人の容疑がかけられている。

 何を馬鹿なと否定したいのに、目の前にいる誰一人として何も、否定しようとしない。

 勿論そんな無茶苦茶は、今この場に居る誰もが否定してくれるだろう。しかし敢えて悪し様にこの男たちの言葉を借りるなら、「庶民風情」の「妄言」がいくつ重なってみたところで、果たして彼らがこれから行おうとすることが何か、少しでも変わるものなのだろうか?

 結局立ち尽くすしかできない椋に、不意につかつかとひとりが、おそらくこの五人の中のリーダー格に当たるのだろう男が大股で歩み寄ってくる。

 よく見ずともその男が椋より小さいことをぼんやり思考の端で意識した瞬間、顔面に衝撃が弾けた。


「っ!!」

「無礼者が。貴様はただこちらの要求に楚々として応じ、こちらの問いにただはいと応えさえすれば良い!」


 硬い、指の骨の感触、衝撃に脳が揺さぶられる感覚、接触された部位を中心に炸裂する熱感と痛み。

 思いっきりグーで殴られたのだと、その声から一拍おいて全身へ走った諸々の感覚によって椋は理解した。えづきそうになるのを無理やり飲み下せば、いやに鉄錆びた舌触りの悪い味と、本気で吐きそうなほどの嫌悪がずるりと腹へ落ちていった。

 先ほどのアリスたちへのものと同じく容赦のない一撃に、理不尽な言葉と実際の暴力に、今すぐにでも五人を追い出しクラリオンのドアを閉じてしまいたい衝動に刹那、椋は本気で駆られた。

 朝から降り続く、今もこの店の窓や屋根を打ち続ける雨はやまない。この雨のせいで、クラリオンへ来る前はずっと自宅にいた椋が、ここ数日はクラリオンとこの家、そしてルルド家、さらにはリーの宿泊する宿にしか足を向けていない椋が一体、いつ誰をどこでどうやって殺したというのだ。

 椋は、何もしていない。そもそもいつ、どこで殺人があったという事実すらなにも、知らない。

 誰がいつどこでどう死んだことによって、彼らからこんな言葉を今自分はぶつけられなければならないのか。あまりにも何もかもが最低で、これが夢ならどんなにいいだろうと、夢なら今すぐ覚めて欲しいと願った。

 そんな思考がただの現実逃避でしかないことなど分かっていても、それでもただ仕方がないと我慢できる限度などとうに越えている異常事態に椋は、願わずにはいられなかった。


「……なんなんだよ、あんたらは」


 口の中だけでぼそりと呟く。痛い。悔しい。わけがわからない、意味が理解できない。

 気味が悪いくらいに、現在の店内は静かだった。誰も何も言えない。状況も、この男たちの喚き散らす「殺人」についても、誰もが何一つとして情報を持ち合わせていなかった。

 殺人。俺が、水瀬椋が人を殺す?

 何をバカなと笑いたかった。ふざけるなとキレてしまいたかった。なぜなら椋には人など殺せない。殺す理由がない。生かすと決めた人間はいても、動くことを願ってくれる人間はいても、殺したいと思うような人間など一人も居はしないのだ。

 それなのにどうして、今目の前にいるこの騎士たちは。

 まるでそれが当然の決定事項であり事実であるかのように、水瀬椋を殺人の犯人として連行しようなどと、するのだ。


「……貴様に対して出されているのは、事件の最重要参考人としての強制連行だけだ。もし本当に自分が事件とは無関係だと主張するのなら、弁解の機会はいずれ与えられる」


 ひたすら不条理と非常識と非日常に対する混乱と不快に揉まれていた椋の耳に、不意に届いたのはひどく、淡々とした声だった。

 いつの間にか下げてしまっていた視線を上げると、相変わらず感情が欠片も見えない表情でひとりの騎士は椋を見ていた。


「クリーゼ、貴様、いきなり何を」

「今は我らに従え、リョウ・ミナセ。これ以上、場を騒がせるのは貴様にとっても本意ではないはずだ」

「……」


 仲間からはクリーゼと呼ばれた騎士は、怪訝そうに眉をひそめた仲間の声を遮ってさらに続けてくる。

 クリーゼ、椋の持つ知識の中では急性増悪と変換される名を持つ男の瞳を見返す。しかしクリーゼはこれ以上の言葉は無用とばかりに口をつぐんだまま、再度その唇を開く気配はまったくない。

 目の前の五人の騎士のうち、四人は椋を完全に敵視し、あとの一人も今はまず自分たちに囚われろ、という。

 そして何の力も持たぬ椋は、このまま拒絶を続ければ、場の誰にも迷惑だけがかかることが分かりきっている状況の中で。

 今は全ての不満と理不尽を飲み込んで、彼らのなされるがままになるしか、なかった。




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