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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第二節 転機の出現/見霽の青年
75/189

P2-30 戻りし影の落とすもの



 静かな室内には影が二つ。

 ふらりふらりと不安定に、中空を浮く影とそれを見上げるもう一つの影。

 影は笑わず泣きもせず、ただ二つともがそこにある。

 しかし瞬き一つの後には、室内に存在する影はただひとつ揺れるだけのものとなった。





 その知らせがカリアたちに齎されたのは、今日も何も変化はなかったと王へとことづけた日の日没頃のことだった。

 それはあまりに現在のカリアたちにとって、予想外であり衝撃的な報告だった。確かに崩される可能性は決して皆無ではなかったが、まさか今この時期に崩されるとは思っていなかった箇所だった。

 うそ。半ば反射的にカリアの唇は動きかけたが、端的な状況説明の言葉を連ねる目前のマオシェ【影鳥】が主である彼女に対して嘘など決してつけないことはカリアが一番よく知っている事実だ。

 だからこれは、「事実」として受け容れなければならないあちらの一手。――とある一人の辺境の貴族が、死んだと。


「……お嬢様」

「大丈夫よ」


 カリアを慮る響きを込めたニースの声に、淡く苦笑してカリアは首を横に振った。

 その死をマオシェ【影鳥】が報じた貴族の名は、ランディア・ローゼライツといった。鍵をかけた自室内で、首を吊っているのが今日発見されたのだという。

 調査に当たった領内の騎士たちは、現場の状況と彼の社会的背景から、早々にその死を自殺と断定したらしい。確かに対外的なことだけを言うならば、「また」ランディアという男にも自殺の動機はあった。

 なぜなら彼は十年ほど前、とある男との権力闘争に負け、まだ三十半ばという若さで隠居せざるを得なくなった人物だからだ。現在はローゼライツ領の片隅で、細君とともにほとんど、世捨て人同然の暮らしをしているというのが、おおよその人々の見解であり、表面的な彼に対する「事実」だった。

 だがそれらの言葉は一切真実を示してはいないことを、カリアは知っていた。

 なぜなら彼がかつて敗れたのは、現在カリアが相手取らねばならない、良くも悪くも大きすぎる存在。

 国王への恭順を表では誓いながら、その裏で様々な手を回し、現国王アノイロクス陛下を、そしてラピリシアの現当主、カリアを冷たい地面へと引きずり落とそうとする存在だったからだ。 


「……」


 おそらく未だ、カリアと国王以外の誰も関連性など分かってはいないだろう「人死に」はこれで、五件目。殺人と言い換えた方がカリアたちには既にしっくりくる変死だ。

 今回命を落とした彼は、静かな、カリアたちの協力者だった。彼の居所だったローゼライツ領は隣国シェノンセイドとの国境にあり、決してこの国との関係性が良好とは言えない状態にあるシェノンセイドの動向を探るためにも、非常に重要な拠点だった。

 先だっての奇病騒動に関しても、かの国からの何らかの関与があった可能性を彼は挙げてくれていた。あくまでも可能性に過ぎないが、それでもカリアたちにとっては非常に大きな情報だった。

 表立っては完全に隠遁の生活を送りながら、カリアの、そしてアノイの影なる支えたることを誓い、その誠を行動によって常に示してくれていた彼が。彼のような人間が今更自殺など、絶対にあり得ない。

 そもそも彼はもう一つ二つ、誰の目にも見える功績を挙げさえすれば王都への帰還も目前というところにまで、裏では来ていたのだから。


「……ランディア殿」


 知らずその名を呟く。穏やかな瞳を思い出す。

 彼と実際に話をした回数は決して多くはないが、純粋に尊敬できる、信用に値する人物であるとカリアは思った。

 今度会うときは王都でと、ぜひあなたの屋敷をこの目で見てみたいと。

 確かに最後に会ったとき、彼はそう言って笑ってくれた。しかしそんな些細な願いはすべて、彼の死によって露と消えてしまった。

 この情報は、既に国王にも伝えられていることだろう。そこにまで伸ばされると思っていなかった手だ、彼もまた水面下で、衝撃を受けているのだろうかとカリアは思う。

 衝撃と哀惜、そして不可解に沈黙の中で混乱するカリアに、ニースが声をかけてくることはなかった。ただ、カチャリと目前で音がした。ふわりと紅茶の、少し甘い匂いが鼻腔をくすぐった。

 はあ、とひとつ大きく息をついて、俯けていた顔を前方へとおもむろにカリアは、あげた。


「どう考えるべきであると、思う? あなたは」

「……」


 真っ直ぐ見据えた先の、ニースの表情は無だった。深海色の瞳にどこか底冷えのするような感覚を抱くのは、カリアだけでなくニースもまた彼の死に少なからぬ衝撃を受けている、憤りを感じているということなのだろう。

 なにしろ未だ幼かったカリアへの助力を彼へと乞い、何度も直に説得に通ったのはニースなのだ。

 ランディア殿ならきっと、リョウにも、…異者である彼にも興味を持って下さったでしょうに。

 ふと脳裏に過ったあの不思議な黒にわずかに目を細めながら、さらに目前の傅役へ、そして平伏した姿勢を決して崩さぬ影縫う鳥へとカリアは続けた。


「あのランディア殿が、今更彼らの側に寝返るとは考えられないわ。自らの死を選ぶとも」

「ええ。私もそう思っております」

「それにつきましては、主様、フォゼット様。ひとつ、我らより申し上げさせていただきたきことがございます」


 首を上げることはなく、静かに、しかしどこか確信のこもった口調でマオシェ【影鳥】は口を開いた。彼の名は確かイスニ、すべてのマオシェ【影鳥】たちを統括する立場に在る(イスニ)だ。

 その発言を許可してやれば、わずかに顔を上げてイスニはこちらへと口を開いた。


「【誘滅の狂踊師】が、この国に入りこんだ可能性がございます」

「……なんですって?」


 マオシェ【影鳥】たちは嘘がつけない。ひとつでも主へと偽りを告げれば、その瞬間彼らの全身の血は文字通り凍りついてしまうからだ。

 そんなことは分かっている。先ほどもまったく同じことをカリアは思った。

 それでもイスニの発言がにわかには信じられなかったのは、一切の繋がりが、からむ鎖の方向性が彼女には見えなかったからだ。しかし今この国には、こちらからすれば奇妙な連続死だけではなく、もうひとつ非常に危険なものが裏側に出回り始めている――。

 キン、と小さく、瞬間脳裏に音がしたような気がした。

 頭痛めいたものを覚え思わず眉を寄せたカリアに代わり、口を開いたのは傍らのニースの方だった。


「複雑なうえに銘のないレジュナ【傀儡】が、今この国の闇市場に出回りだしていることとも今回の死は関連があると?」

「可能性としては、十分に考えられることかと」


 信じたくないような関連を、淡々とイスニは肯定してくる。用心深く仔細な調査を常に怠らない彼がここまで断言するのだから、可能性と言いながらその裏も既にほとんど取れてしまっているのだろう。

 その詳細については、また後ほど細かく訊ねていくとしても。

 傀儡とその作り手、そして辺境の協力者の突然の死。――それらを繋げ得る理由を、まず確たるものとせねばならない。


「以前より他国の札付きが、ローゼライツ領より国内へ流入していることは知っているわ」


 だからこそ同じような経路を使い、何がこの国へと流れてきたとしても方法論としてなにもおかしくはない。ため息しか出てこない、なんとも面倒な事実だ。

 それはこの国が代替わりの騒動を越え、確かな平安を取り戻してきているからであり、元来魔術を使える人間が他国より多い風土から、教育や研究といった分野の充実が図られているからであり、現国王が基本的に身分に囚われすぎぬ実力本位の人事を行う人間であるからであり。

 多くの鉱山や資源の豊富な山河、海洋を持ち、肥沃な平野の広がる「富める国」となってきつつあるからだ。

 他国より人々がつけられた札は、濡れ衣であることもあれば真実であることもある。どちらにしても常に、市井を徒に騒がせる原因にしかならない。

 魔術の才能がある子どもが連れ去られ他国に売り飛ばされるというおぞましい人身売買も、人を狂わせる多くの闇に流れる品々も、残念ながら未だに全てを断つことはできていない。

 そしてそんな闇にからむ、様々なものたちが関与しているとされているのが隣国シェノンセイドであり、シェノンセイドとの国境であるローゼライツ領なのだ。

 シェノンセイドは「魔術師の棺桶」とも呼ばれる薄ら寒い噂の絶えぬ国だ。一度シェノンセイドに入った魔術師はどんな人間であろうと、貴族の位を与えられると同時に国家に拘束され、決して国外に出ることを許されない。

 それはシェノンセイドのやせた山ばかりの国土や、民に魔術の才あるものが生まれづらいことが直接の所以となっている。特産のシャドラ【陽告鳥】は乱獲のために数が激減し、民は常に貧困にあえいでいる。上層は腐り、数多の拘束の鎖ばかりが、加速して肥大していっているという。

 だからこそ人は、エクストリー王国へと流れるのだ。逃れるため、あるいはこちらから奪い去るために。

 そんな流れの最中にそして、途轍もないものが紛れ込んだと。さらにその一件に、ランディアの死までもが関係するのだと。

 今、イスニはカリアたちへと向かって言ってのけたわけだ。


「その経路が、【誘滅の狂踊師】の呼び水となったものがランディア殿の知るところとなった。だからこそこちらに何を伝えるより前に、彼は殺されたと――そう言いたいのね?」

「……おそれながら」


 わずかに胸が痛むのは、まともに彼の死を悼むより前に、この先のことを思考しなければならないからだ。

 以前と同じだ。またしてもことが大きくなりだしている。アイネミア病の件に関わったとされる人間の相次ぐ死、流れ出した禁忌の品レジュナ【傀儡】、さらにはその全てを創りだしている可能性が高いという、【誘滅の狂踊師】。

 あまりに物騒なその二つ名は、あるひとりのレジュナリア【傀儡師】を指す、恐れと嫌悪と唾棄、為政者たちが抱く全ての悪感情を乗せた言葉だ。

 その手が創り出すレジュナ【傀儡】は、常に完璧であり常に絶対服従、常に完全なる模倣を可能とするが故に存在と無を破壊する。すでに五つの国がその手で創り出された傀儡に欺かれ、傀儡におぼれ傀儡の手によって崩れ落ちていった。

 しかし有名なのは綽名だけで、正確な名はおろか、その年齢、性別すら誰も知らない。

 そもそもレジュナリア【傀儡師】などというものは確実に闇の内側にしか生きられぬ、表立った存在を許されぬ人間の代表のようなものだ。特に教会はその存在を、神を冒涜するものと断言しはばからない。

 そんなものが今この国に在ると知れば、或いは教会が黒に向ける目も少しは弱まるだろうか、と。

 ひどく些細でくだらない考えがわずかに脳裏をよぎり、そんなことを考えてしまった自分にわずかにカリアは驚いた。


「レジュナ【傀儡】の存在が言われ出した時点、そして今現在ほぼレジュナ【傀儡】の流通がここ王都のみに留まっていることを考え逆算すれば、ある程度の人物の特定は可能かもしれませんが」


 そして彼女の思考をふわりと裂くように、静かなニースの声が非常に現実的な言葉を紡ぐ。

 確かに事実ではあるそれに、小さく苦笑してカリアは肩をすくめた。


「正直それは、私たちより陛下のなされることよね。いくらラピリシアとはいえただの一貴族が、他領を無闇に探るようなものじゃない」


 この情報を手に入れれば、アノイは即座にその類の行動に出るはずだ。当然のことながら一国の絶対君主である彼の方が、カリアよりも表も裏も、動かせる駒の数は比べるべくもなく多い。

 それにあの破天荒な王のことだ。どのような文句をどこからつけられたところで、最終的には笑ってけむに巻いて、自分の意思はひとつも曲げないままにすべて収めてしまうのだろう。

 同じ破天荒と形容できるとはいえ、リョウに足りないのはたぶん、陛下のそういう部分だ。

 彼がそんなに器用な人間でないからこそ、きっと今も彼の患者は彼を慕っているのだろうけれども。


「ではお嬢様。どうなされますか?」


 思考のさなかにそんな問いをニースから受けながら、同時に同程度の思考ができる頭が、せめてもうひとつ欲しい、と少しばかなことを思う。

 アノイやエネフ、ニースの同期であり副団長のひとりである彼ならばそんなもの特に難しくはないと笑うだろう。しかし基本的に自分はそう器用ではないと、幸いか残念なことにか、カリアは事実として知ってしまっている。

 だからこそ何とか、少しでも前に進もうと常に足掻かねばならないのだけれども。

 ニースの問いに対しわずかに逡巡した後、ひとつ小さな息とともにカリアは再度口を開いた。


「ルーシェ様、ランディア殿の細君にご協力願って、もう一度仔細に彼らの屋敷を調査してもらいましょう。……あなたたち、マオシェ【影鳥】にはまた遠隔地にまで飛んでもらうことになるけど」

「我々はこのラピリシア家、ひいては主様のために在るものでございます。そのようなお言葉を頂けるだけでも、身に余る光栄というものです」

「ありがとう。良い結果を、持ち帰ってくれるのを期待しているわ」

「はっ」


 最後に改まってピシリと姿勢を正した直後、すっとイスニは音もなくその場から姿を消した。

 マオシェ【影鳥】たち独自の術であるそれを最初に見たときは、仕組みが全く理解できずに随分驚いたものだ。今でこそ(イスニ)以外の気配はどう彼らがあっても捉えられるようにはなったが、未だに彼だけはどうしても捉えきれない。

 カリアにとってマオシェ【影鳥】たちは、生まれたときから共に在る、鋭くもやわらかい優しい影だった。

 手元に一度は戻ってきたそんな影をもう一度遠くへと放って、ニースとふたりだけになった室内で彼女はソファーへと深々と沈み込んだ。


「お嬢様」

「……どうしてずっと、平和なままではいられないのかしらね」


 行儀が悪いとでも叱ろうとしたのだろう、ニースの言葉に先だってカリアは口を開き苦笑する。窓越しに見る、イスニが戻ってきたときにはまだ斜陽の紅が残っていたはずの空は既に、ほとんど漆黒に近い深い群青の色に覆い尽くされていた。

 暗い最中を駆けるのは、誰が、何を願ってだろう。

 どうして親しい、やさしいひとの、死を悼むときも、ないのだろう。


「彼の手紙の中味みたいに、ずっと、ただ進歩だけが、良いことだけが続いて行くならいいのに」


 少しの手慰みにふと手にとって眺める手紙には、決してそう多く長々と物事が綴られているわけではない。

 特徴的なやや角ばった文字が連なったそれの内側に在るのは、常に彼の思考錯誤と懸命の戦いの時間の一片だ。どこまで何を分かっているのか、なにをわかっていないのか、それすらカリアの予測のつかないあの黒は、……どうか今回のこの件には、あまり関わってくれるなと思う。

 どこに行こうと同じだろうが、闇というものには果てがない。そして同時に光とは、あまりに照らす範囲が、狭い。

 レジュナ【傀儡】が教会を今一度掻き回すというなら、その隙に乗じて少しでも彼の異端は薄まってしまえばいい、と。どこかでそんなものは時間稼ぎにしかならないと分かっていながら、それでもカリアは、わずかに確かに思う。


「彼は、相変わらずですか」


 ふと苦笑めいた微笑を浮かべ、ニースが問うてくる。

 半ば質問の形をした確認であるそれに、カリアもまた同じような表情で笑って頷いた。


「やっぱりずっと一生懸命、自分の患者のことばっかりよ」


 ――俺は、異者(イシャ)になりたいんだよ。

 彼の望むと望まざると、既にその願いはある意味叶ってしまっていることをきっと、リョウは何も知らないのだろう。彼の世界では祈道士や治癒術師のようなものたちを指しての言葉であるというそれは、この世界、この国ではまったく違う意味合いを持って存在しているのだということを。

 どうか今回はその異者の、手に何が落ち何が失われるということもありませんように。そんな波及の可能性を、ひとつでもこの手が潰すことができますように――。

 相手が相手である故に、原因が原因である故に、どこに、誰に向ければ良いのかも分からない願いが。

 どこか空虚であることを自覚しながら、それでもカリアは願わずには、いられない。



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