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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第二節 転機の出現/見霽の青年
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P2-28 邂逅と懐疑 3



 しばらくはここにもあまり顔が出せないかもしれないと、ただそれだけを伝えに行ったつもりだった。

 しかしそんな場でクレイが遭遇したのは、明らかに怪しさしかないような人物と楽しげに会話を交わす友人の姿だった。





「クレイ君?」

「っ!」


 何とも耳慣れぬ呼び方で名を呼ばれ、びくりと反射的に肩が震えた。

 その声は女でありながら、この薄暗い夜道を一人で帰ると当然のように言ってのけた彼女、リーのものだ。極力その反応を悟られぬよう平静を装って彼女の方へ視線をやれば、初めて見たときと同じようにすっぽりとフードをかぶってしまっているせいで、まったく表情の見えない相手の存在がそこにはある。

 それは異様としか言いようのないような破格の条件で、ジュペスの失った腕の代替を作成することを了承した人物だった。レンシア・フロースと名乗る、異国の出自というこの人間を、なりゆきで現在のクレイは、その宿まで送り届けることになっていた。

 自身から言い出したこととはいえ、一体なぜこんなことになったのか、と。

 思わず口を突きそうになったため息をかみ殺したとき、ふっと不意に彼女の笑う吐息が聞こえた気がした。


「すまないな、クレイ君」

「……何の話だ」


 どうにも会話の主導権が取れない。元からクレイは自ら進んで話をするタイプの人間ではないが、ここまで相手に言葉を、会話を一方的に転がされるという感覚も久しくなかった。

 その決して快いとは言えない感覚そのまま無愛想に返す彼に、彼女はしかしまた小さく笑うだけだ。そして言う。


「君はもっと、別の話を彼としたかったんじゃないのか」


 などと。

 確かに今日クラリオンでの一連の会話は、クレイが予め心積もっていたものとは随分と違うものになった。ある命を仕り、しばらくはあの場に出入りすることもないだろうと。それだけを伝え、変なことするなよなどと、自身のことは完全に棚上げしたリョウの言葉を聞くことになるのだろうと、そう思っていた。

 だがそんな予想はすべて、目の前のこの女によって崩されてしまった。

 そもそも片腕となったジュペスをこれからどう支え使っていくべきなのかと、独り密かに頭を悩ませ始めていたクレイにとっては彼女の存在、そしてリョウが当然のように提示した可能性はあまりに、異常に光の強すぎるものだった。

 或いはそれがまるで、すべてを呑み打ち寄せる闇であるかのように。


「あいつの先客は、あんただろう。それに奴が必死になる原因を、作ってしまったのは結局のところ、俺だ」


 息を吐く。嘘は言っていない、規格外であることがとうに確定してしまっている友人のやることに、今更いちいち口出しをしても無駄だろうことも分かっている。

 しかし不快が消えないのは、このリーという存在が今まで、クレイが目にしてきた人物たちとは異なっているように感じられるからだ。失ったものの代替、義手などという言葉をクレイは今日初めて聞いた。それは騎士団に籍を置く、他の大部分の騎士たちにしても同じことであろうし、治癒職であるピアやリベルトに訊ねてみたところで何の変わりもないだろう。

 だが人形を創り、魔具師であるというリーはその存在を当然のように知っていた。

 知っていることが、己の手で「動く」ものを創り出せると断じて見せたことが。交換条件として彼女がクレイたちに提示したことが、あまりに単純で些細に過ぎるのが。

 そうでありながら詳細を、ふらふらとぼやけさせてしまうことがひどく、引っ掛かった。


「……彼も君も、本当に随分変わっているね」


 またひとつ、くすりとリーは笑った。何がそんなにおかしいのかクレイにはまったく理解ができない。

 そもそもリョウと己とを、同列に語られるのは何か腑に落ちない。思わず眉を寄せた。


「なぜ俺まで」

「君はその手にする力をもって、私を排斥することも容易いはずだ。それをしなかったのは、君たちが再起を願うというその少年のため、と、」


 あとは。

 眇められた左の眼が、クレイのそれより明度も彩度も高い若葉の色が、クレイへと向けられたのがちらりとわずかに瞬間、見えたような気がした。

 既に彼女との契約は、半ば成立してしまっている。最終的に選ぶのはその装着者であるジュペス自身だが、どこか異様なまでに手段を選ばぬ凄絶な面も持ち合わせている彼のことだ。己の「腕」が戻るかもしれないなどという一世一代のまたの転機を、確実に逃しはしないだろう。

 リーの笑みと同じように、クレイはまたひとつため息を重ねた。眉間の皺は消えない。


「リョウがあのような顔をして滅茶苦茶なことを言い出せば、俺には止める術などない。俺が奴のあの顔を見たのはまだ今日で三度目だが、いつだろうと俺は奴に負ける」


 こと治癒に関する事柄に対し、リョウには歯止めが利かなくなる。

 それが本当に正しいことなのかは分からない。リョウの持つ「異世界」の知識が、いったいどこまでこの世界においても適用されるのか、どこから何が決定的に違っていくのかとも思う。

 しかしリョウはおそらく、そんな危険性の上でそれでも常に足掻いているのだ。魔力を持たないにも関わらず、魔力を持つ人間しかその場にはいない方向へと進もうとしている、そうであろうともがいている、それがクレイの知るリョウという男だった。

 それまでの楽しげなものより少し、柔らかくなったリーの声が返してきた。


「友達想いなんだな、君は」

「違う」

「違わないよ」

「……あんたに何が分かる」


 ただ交友関係を築くというだけを考えるなら、クレイとリョウはその出会いからしてまず普通ではなかった。

 同時に今では、それもまたリョウらしいとクレイは思っているが。今回のことに関して、このリーに対してもそうだ。本当にことごとく治癒に関連することで、リョウは彼自身という存在を誰かしらに新たに認知させていく。

 たった一日、ほんの数時間でいったい、彼女は何を見何を理解したと騙るのか。

 意識せずわずかに低くなったクレイの声に、リーは小さく肩をすくめてまた笑った。そうだね、と。


「そうだね、何も分からない。きみたちがどういう人間で、どんな交友関係を深め、これまで何をしてきたのかなどということを私はまったく知らない」

「何が言いたいんだ、あんたは」

「それでもわかることはある、ということさ。……過度の道楽ものである私は、そうであるからこそそれなりに多くの種類の人間たちとこれまでも向き合ってきた。あるものは享楽を求め、あるものは愉悦を、またあるものは不遜、傲岸、他の辛苦を笑い、嘲り、共に居並ぶすべてを蹴落とすことに一生涯を賭していたものも、決して少なくない数あった」

「……」


 さらりと変わらぬ口調でどこか淡々と語られるそれは、結局はより彼女という存在を曖昧にさせる方向にしか働かない言葉の連なりだった。

 エクストリー王国のあるシュレイラ大陸は、この世界にもう一つ存在する大陸であるアーベラ大陸のようには魔具が発達していない。シュレイラでは魔術を使えるものが比較的多く生まれるため、魔術そのものの研鑽こそが奨励される風土であるからだと、士官学校でいつか、話の種の一つのように軽く教わったような気がする。

 基本的に全般にそのような風の吹く大陸で、それでも彼女は「道楽もの」として魔具師として旅を続けているという。

 考え、話を聞けば聞くほどに、結局クレイの中で積み重なっていくのはリーへの不可解さだけだった。

 それらをのけてもまだなお釈然としないのは、先ほどまで目にしていた彼女の半分だけの表情があまりに楽しそうだったからか、その片方の瞳に宿る光があまりに穏やかに凪いでいたからか、……それとも。

 沈黙だけを返すクレイに、調子を崩さぬままリーはさらに続けてきた。


「だからこそ君たちが、私の眼には眩くも(おさな)くも、つい手を貸してやりたくなるようなものにも映って見える。ただ人形を売り歩いているより、君たちと関わっている方がずっと、色々と飽きさせてくれなそうだしな」


 そう言って、そしてつい、とクレイの方をリーは見上げた。一瞬だけ若葉色の左目と視線が合う。全てを照らすにはあまりにも足りない街灯に、一瞬だけ彼女の色彩が描き出され弾かれて光る。

 そのうちのすべての不可解が、頼むから何かを害するものであってくれるな、と。

 どこかで奇妙に祈るように、思考する己がいるのを、感じた。


「……ひとつだけ忠告しておく」

「うん?」


 だからだったのかもしれない。本来なら別に言う必要もないはずの言葉までをも口にしてしまっていたのは。

 クレイの身はしばらく王命により、奴が何をしでかしたとしてもすぐには助けに入れないかもしれない場所へと移る。過保護だと確実にリョウは苦笑するだろうが、あまりに奴には色々なものが不足しているのだ。普通のことだと思う。

 そもそも奴は、無魔の騎士を友人として遇するというその異端からしてまったく何も分かってはいない。

 どこまでも異端であるからこそ、どこからであろうと目をつけられ得る存在であるということに対する自覚も、何も、だ。


「リョウは、……奴は、異者(イシャ)だ。奴の持つ(たが)いが最終的に何をどう動かすのかは、おそらく奴を含めて誰も分からない」


 忠告とそう前置いて口にしたクレイの言葉に、わずかに驚いたようにリーは沈黙した。

 先ほど一瞬だけ交錯した瞳の光はもう、クレイの見下ろした先にはない。しかし敢えてリョウという存在に対して使用したその言葉の意味を彼女が理解できないとも、クレイは同時に思ってはいなかった。

 果たしてリーから返ってきたのは、やはり、小さな笑いの気配だった。


「異者、か。随分珍しい、久しく聞いてもいない言葉だ」

「だからこそ、そう言ってる」

「そうだろうね。……ああ、だが確かに彼という存在を形容するには、その言葉こそが一番相応しいのかもしれない」


 フードの奥深くに隠れた彼女の表情を、クレイが目にすることは叶わない。だがやはり義手というものに関する討論をリョウと交わし合っていたときの、あの(いろ)に近いひかりがその目には宿っているのではないかと、何となくそのときのクレイは思った。

 異者という言葉は、明確な「誰」であり「何」であるという定義ではない。

 それは他とは異なることを為す者、その(うち)になにかの違いを宿し、己の差異を手に、先へと時の針を進め、或いは狂わせるものを指すひどく曖昧な言葉だ。時に災厄、恐慌、時に強運、進化。歴史に綴られる異者たちは、常に何らかの「変化」を齎す。

 そして今クレイの友人として、また新たな異者が一人この国にいる。

 以前は誰にも理由のつかめぬ奇病のため奔走し、今は今で、また誰にも治癒することのできなかったひとりの命を壮絶な方法によって救い。

 その先にさらに何があるのか、知りたいと思う程度には自分は奴の友人だと、クレイはそう思っている。


「改めて、ひとつだけ聞いてもいいか」

「うん?」


 だからこそ、クレイにはリーに訊ねたいことがあった。

 それはおそらくリョウの前では口にできない、実際に出して言ってみたところですぐに、嫌そうな顔をしたあの男が仲裁に入ってしまうであろう言葉だった。この一カ月ほどのつきあいで、リョウが過度の詮索を、するのもされるのも嫌いな男であるということは既にクレイも知っていた。

 未だにクレイとピアのことについても、ルルドの家と現在のクレイの家名オルヴァについても何を言っても来ないのがその一番の証左だろう。

 あちらから聞いてくれば話す心づもりはあるが、未だに用意された言葉は、クレイの意識の内側にだけ薄っすらと漂うものであるにすぎない。


「それは私に、答えられることかい?」

「あんたでなければ、答えられないことだ」


 また小首をかしげて問うてくるリーに、静かにクレイは言葉を返す。

 それこそ今この場所でなければ、或いは永遠に口に出す機会を失ってしまうであろう言葉をクレイは、発した。


「……あんたは、なんのためにこの国に来たんだ?」


 ひゅ、…と。

 何故かひどく肌寒い風が、その瞬間クレイとリーの間を軽く裂くように吹き過ぎていった。

 言葉の後、返ってきたのは俄かの沈黙だった。クレイの問いが想定外だったのか、それとも口に出しづらい何かでも抱えているというのか、相変わらず一切こちらの視界に入らない表情からは、何を読みとることも不可能なままだった。

 薄暗がりの沈黙の中で、奴が信用してしまっている以上、一定以上に自分がこの魔具師を信用してはいけない、と理性が警鐘を鳴らす。その警鐘故の言葉だ、しかしそれだけではないことも、既にクレイには分かってしまっている。

 同時にどこか、流されやすい、感情の一部がどこかで。

 この「奇跡」を為して見せると笑った女を信じていいかと、そう疑念を抱いているのだ。


「そう、だな。……私が」


 その願いにも近い疑念が、どこから湧いたものであるかわからない。わずかな時間でクレイが騎士であると見抜いてしまったその目か、どこまでもただ楽しそうでしかなかった、純粋に「仕事」の依頼を喜んでいた瞳の色か、或いは言葉の端々から零れ落ちる、そのような歓びとは縁遠いことを思わせるリーという存在そのものか。

 問いの言葉をただ待つクレイに、もう一度、静かにリーは笑った。

 彼女がまたクレイを見上げる、一瞬だけ若葉の片眼が見える、そして。


「私が、私自身で在り続けるためだよ」




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