P2-27 邂逅と懐疑 2
その瞬間、言葉を失ったのは椋たちだけではなかった。
さりげなくを装いながら、やはり意識は確実にこちらに向けていたのだろう。クラリオンの客たちも、にわかに騒ぎを止めていた。
フードを取り去ったあとに出てきたのは、半分の整った顔と半分の真っ白な、ひどく不気味なのっぺらぼうの仮面だった。
真っ白な肌と、少し切れ長な新緑色の瞳と薄い唇、涼やかに整った顔立ちが見えるのは左半分だけだった。もう半分は完全に、無表情で、無機質な異様なまでに白い仮面が覆ってしまっていた。
何もない左半分がなまじ整っているだけに、右半分を覆う仮面はより不可解なものであるように映る。
言葉を続けられない椋たちに、わずかにリーは困ったように笑った。
「若気の至りというやつでね。少し色々無茶をして、最終的に外せなくなってしまったんだ」
「……」
「言ったろう? 目にして気持ちの良いものではないと」
「あ、いや、少し驚いただけで、……それだけで十分失礼か。ごめん、リーさん」
椋もまた苦笑しつつ、彼女へ謝罪の言葉を向け軽く頭を下げる。下手に奇妙に取り繕おうとするよりも、素直に謝ってしまった方が良いだろうと思っての行動だった。
一方のクレイもまた、深々とリーへと向かって首を垂れる。
「すまなかった」
「そう畏まらないでくれ。君たちが謝るようなことはなにもないよ、クレイ君。リョウ君も」
「いや、俺たちが失礼したのに変わりはないからさ。そこはちゃんと謝らせてよ」
「気にしなくていい、いつものことだ。君たちの言葉を受けてフードを下ろしたのは私自身なのだしね」
「しかし」
何とも申し訳ない椋たちに対し、あくまでリーはあっさりした、さばさばと拘りのない様子を変えない。彼女はある意味椋の予想に違わず、何とも変わった不思議な人物だった。
しかし彼女が気にしなかろうとも、無礼を働いてしまった椋たちはそうもいかない。
まだ何事かを言い募ろうとするクレイにふっと左側だけで笑って、改めてリーは厨房側の椋を片目で見上げてきた。
「それならリョウ君。この店で一番のお勧めの酒と、料理を一品ずつもらおう」
勿論、君たちのおごりでね。
最後の一言は、どこか悪戯っぽいウィンクつきだった。外れないという右側の仮面が、何とも勝手ながらもったいなく思われてしまうくらいの楽しげな、違う感情による淀みの一切ない明るい笑い方だった。
彼女がそうしたいというよりも、椋とクレイのわだかまりを解くための申し出であることは確認するまでもない。
椋としても、これから一緒に色々と話をさせてもらうためにも非常にありがたい申し出である。彼もまたリーへと笑って、すぐに頷いて見せた。
「了解。もしエビ平気なら、今日すごく珍しいのが入ってるからそれ持ってくるよ」
「エビか。ずいぶん口にしていないな。楽しみだ」
「な、クレイ。クレイもそれがいいよな?」
「……わかった」
やや大仰なため息とともに、その口の端には苦笑をのせてクレイもまた頷く。軽く頬杖をついて椋たち二人を楽しげに見やるリーの、左とは対照的に右側の仮面は当然ながら一切動くことはない。
すべてを拒絶するように真っ白なそれは、おおよそ彼女の手が創り出す人形たちともほど遠い奇妙で不可思議で不可解なものだった。
どこでそんなものとこの人に関連ができたんだろう、若気の至りってどんなものだったんだろうか。
思いつつ、口に出すことはせずにオーダーを厨房へと椋は伝えた。料理は今日依頼を終えて帰ってきたばかりのパーティが手土産にとくれた巨大エビの蒸し焼き、酒はこの間入ったばかりの新作で、客からの評判も非常によいウィスキーの水割りだ。
余裕さえあればむしろ椋のほうが飲み食いしたい代物であるが、そんなことは無論、今ここでは口には出さない。
「随分、話がそれてしまったな」
またひとつリーが笑い、小さく肩をすくめた。あくまでも自分のペースを崩さない彼女の様子に、そのすぐ横のクレイが何か奇妙なものでも見るかのような顔を向けているのがどことなくおかしい。
しみじみこの人がこういう人で良かったと思いつつ、再度彼女の言葉に椋は頷いた。
「さっきも言った通り、少し事情があって義手が創りたいんだ。でもさっきのクレイの反応から見ても分かるように、この国にはそもそも、そういうものの需要が全然なくてさ」
「それこそ言っておくが、知っているおまえの方が異常だ、リョウ。そもそも腕や足が失われるような異常事態など、そう簡単に起こるものではないぞ」
「あー、そこはもう俺だから、で流していいから。な」
「……おまえの行く末が、本気で心配になってくるな」
「俺自身、さっぱり予測なんてできてないよ」
深いため息とともに向けられるクレイの言葉に、軽く肩をすくめて椋は応じた。本当に自分がどこに行こうとしているのか未だにまったく分からない、と思う。
未だに、というよりも、自分のできる限りのことをしようと足掻き始めたが故に余計に分からなくなっているのかもしれない。何しろ椋が持つものは、この場所からしてみれば結構に片っ端から生粋の「異端」でしかない。
それらがうまい方向に転がってくれることを祈りつつ、またも逸れかけた話を椋は戻すことにした。面白そうな表情で、椋たちのやり取りを見守っていたリーへと視線を向ける。
「で、さ。義手を必要としてるのは、今年で十五になる奴なんだ」
「十五? 随分若いんだな」
「そうなるまで、俺についていた騎士見習いだからな」
わずかに驚いたように眉を上げたリーに、クレイが淡々と、さりげなく椋が伏せた情報を続けた。
これにはむしろ、椋の方が驚いてしまった。思わずクレイの顔を見やれば、先ほどの椋の行動をそのままなぞるかのように、しれっと肩をすくめて返される。
クレイの中でのリーへの警戒レベルが下がったのか、それとも。
詳しいことはよく分からないが、ひとまずはある程度のジュペスに関する情報の公開はクレイに許してもらえた、らしかった。
なるほどな。リーがひとつ頷きを返してくる。
「立ち居振る舞いからそうではないかと思ってはいたが、やはりクレイ君はこの国の騎士なのか。そしてリョウ君が義手を探してやっている相手は、君の関係者だと」
「ああ。元々こいつの無茶は、俺が原因を作ったようなものだ」
「そんなことはないだろう。私はまだ君たちと知り合って幾分もないが、それでもリョウ君が飛びぬけておかしい、自分の思考でしか行動しない御仁であることは理解できるぞ」
「おーい、リーさん、ざっくりひどいこと言ってるよね?」
「リョウ、残念ながら否定してやれる要素が俺には見当たらん」
「ひでっ」
少し大仰に嘆いて見せれば、次には三人分の穏やかな笑いがその場に開いた。
ひとしきり笑った後、完全に見計らったタイミングで料理と酒が二人の元へと運ばれてくる。椋の合図があるまで少し待っていてくれた同僚たちの気遣いに感謝しつつ、そろそろ何となく気になってきた自身の空腹については、ひとまず無視を決め込むことにした。
それにしても巨大なエビの切り身である。元のエビが到底一人で食べきれるような大きさではなかったので(何しろ身の詰まっている部分だけで三メートルくらいあったのだ)現在のリーとクレイに出されているのもその切り身と殻の一部だけなのだが、それでも軽く三十センチくらいはありそうだ。そしていい匂いだった。
手慣れた綺麗な手つきで身を切り分けていきつつ、わずかにリーは目を細めた。さり気にクレイにも取り分けてやりながら、首をかしげる。
「しかし十五歳の騎士見習い、か。ならば義手は見栄えより機能性を重視した方が、その少年には相応しいのかな」
半ば独り言のように呟きつつ、蒸し焼きを口にして切れ長の目をリーは見開いた。すぐにふわりとその視線が料理に向かって弛んだところを見ると、どうやらこの料理、リーにとっては相当の当たりだったらしい。
あきらかに厨房奥からこちら側に向けられている複数の視線にぐっと親指を立ててやれば、我が意を得たりとばかりにガッツポーズをする複数人の動きがちらっと見えた。
だが料理を出されたもう一方、クレイはと言えば、エビを口にするどころかナイフとフォークを手に取ることすらせずにリーをただ凝視している。
「機能性、と言ったか?」
「ああ。何かおかしいことでも?」
「機能性、……動く、のか? 魔具が装着者の意思で、自由自在に動かせると?」
怪訝と理解不能の詰められたクレイの視線に、ただわずかに首をかしげるだけでリーはあっさりと応じている。
さらりと可能と告げられたそれは、人形が何がしかの魔術によってかわいらしく踊りまわっていた光景を目にしていた椋にはまだ予想できないこともないものだった。しかし当然のことながら、それがとんでもない、不可解なことであることには椋もまた、変わりはない。
何しろ現代においてもそれは、今もまだ多くの思考錯誤が繰り返されている分野なのだ。
下拵えの手を止め、ひょいとリーの方へ向かって椋はわずかに身を乗り出した。
「それに関しては、俺ももう少し詳しく聞きたい。何をすればどれくらい、どんなふうにどうやってどこが動かせるのか、装着者の負担に関してはどうなのか、とかさ」
椋の知る「人の意思」で動く機械には、多くの機械が操縦者側にもまた接続されていたうえに、ごく細かな動き、自然な曲がり方や自然な外見などといったものにはまだ随分と遠かった。さらに自分の言葉と思考の結果で、はたと椋は思い当たる。まだ椋たちは、リーと金額について、代金、謝礼についての話を一切交わしていないのだ。
いざとなればヨルドたちに泣きつけば何とかしてもらえそうな気もしなくもないが、どうもそれでは色々と恰好がつかないにもほどがある。
内心少し青くなる椋をさておき、リーは料理へ向ける手を止めて軽く、顎へと手を当てた。
「ふむ。その少年には、魔術の才能はあるのかい?」
「え?」
「詳しいことは分からんが、奴は魔術師にも転向できるらしいとは聞いたことがある」
暢気で思考の遅い椋の代わりに、彼女の質問にはクレイが応じた。元々椋が知らなかった情報でもあるので、少しの驚きも持ってクレイの言葉にはそうなのか、と頷く。
剣の腕も、魔術の腕も確実に並以上。しかしジュペスから話を聞くに、まだまだ自分より上の人間は数多くおり、だからこそ一刻も早く己が場に戻り、鍛錬を、修練を再開したいのだと、先に進みたいのだと彼は言っていた。
彼の言う「先」が何を指すのか、青空の色をしたあの目が何を見据えているのかを椋は知らない。相変わらずジュペスに関して、一切の確信など持ててはいない。
しかし何を知らずとも、妙な椋個人の思考が入っているとしてもジュペスの復帰を願っている気持ちには決して、偽りはない。
クレイの言葉を受け、少し何か考え込むように左目を閉じてリーは黙り込んでいる。その姿勢や雰囲気は妙に、この国、この場所で椋が一番よく知る人物、ヘイのそれによく似ていた。
何となく湧いてくる笑いをかみ殺した椋の前で、ややあってからふわりと、リーは切れ長の目を開いた。
そうして口の端をきゅっとつり上げる。――笑う。
「ならば確実に「動く」ものを創ることは可能だ。詳細な動きに関しては、義手としての魔具の方向性や装着者との相性、魔力の循環法などという、技術と装着者の問題になってくる」
「本当に?」
「奴の腕が、……戻せる、のか?」
「君たちが、そしてその少年が望むというなら」
「本当、に、か」
「ああ。私は決して、自分の仕事に嘘はつかない」
椋たち二人分の問いに力強く頷き、柔らかくリーは左側だけの表情で笑う。不気味なのっぺらぼうの右側の仮面すらどこか自信ありげに見えたのは、それこそリーの魔具師としての自信や矜持といったものの表れなのかもしれない。
うっかりその笑みに引き込まれそうになって、しかしいざ「可能」となれば一番の大事となってくる事柄に改めて椋は思い当たった。彼女がこれを「仕事」として受けようとしてくれている以上、きちんと仕事としてこちらも契約を成立できるような立場でいなければならない。
ウィスキーを楽しみつつ、料理も静かにきれいに、しかもさっさと平らげていくリーを改めて椋は呼んだ。
「リーさん」
「うん?」
「ここまで色々聞いておいて申し訳ないんだけど、そっちの提示金額によっては、俺たちはリーさんには制作を頼めないと思う」
「ああ。それについてはいくつか、交換条件に応じてくれさえすればそれで私は構わないよ」
「えっ?」
予想の斜め上にもほどがあるような言葉が、あまりにあっさりとリーからは返ってきた。思わず目前の彼女を凝視するも、素知らぬ顔で料理と酒を楽しむリーには何の妙な他意があるようにも見えない。
他意どころか、面白そうな表情を相変わらず崩そうともせずに彼女はこんな言葉を続けてまで来るのだ。
「それより、本当にその少年の義手を創るとするなら、その子のもう少し詳細な身体的な情報が欲しいな。君なら知っているかな、リョウ君」
「それより、ではないだろう。……本気で言っているのか? それとも、到底こちらが不可能な交換条件でも、突き付けてくるつもりか」
「まさか。そんな無粋で、真剣そのものの君たちを踏みにじるようなことはしないよ。それに私は自分の仕事に嘘はつかない。さっきも言ったはずだ」
「い、いや、でも」
「君たちのような面白い人物と知り合えて、そんな珍妙な依頼が受けられるという時点で私には十分だよ」
「正気の沙汰では、ないぞ。そんなものは」
「なくて構わないさ。君たちが私の懐を、気にする必要などないよ。私はただ、私が楽しむことさえできればそれでいいんだ」
幸い、そんな無茶ができるくらいの持ち合わせは手許に常に在るからね。
本当なのか嘘なのか、全くわからない見通せないような不可思議な言葉を吐いてリーはまた楽しそうに笑う。自分が楽しければそれでいい、その言葉に妙な引っ掛かりを覚えるのはおそらく、いつもヘイが同じようなことを、折に触れて椋に向かって当然のように妙に威張って言い放つからだ。
いや、だが、しかし、でも。椋の脳内を駆け巡る逆接は止まない。
詳しく見たことはないが、義手というのは基本的に一本いくらぐらいする代物だった? どんなに小さいものでも二十万は下らない、大きいものになれば普通に桁が変わるようなものだったような気がする――。
リーは椋をヘンだと言い笑うが、どうやらこのレンシア・フロースという人間もまた、とんでもなく変で無茶苦茶な人間であるらしい。
もはや二の句を継げない椋とクレイに、いつの間にか最後のひときれになっていたエビの切り身をフォークに刺してリーは肩をすくめた。
「度を過ぎた道楽ものでもなければ、いつまでもあてもない旅など、できるものではないさ」
この世界の魔具師って、皆が皆こんな無茶苦茶に金銭感覚の狂っためちゃくちゃな人たちばっかりなのか、と。
最初の無茶を吹っかけているのは自分であるにもかかわらず、ついつい思わずにはいられない椋なのであった。




