P2-24 途を探して
「あっれ? リョウじゃねぇか、なんでこんなとこに居んだ?」
「何だよ、今日は料理は休業か? またアイネミア病のときみたいに何かやってんのかよ、リョウ」
「ん? あーいや、ちょっとね」
あちこちから飛ぶ声に応じながら、所狭しと盆上に並ぶコップやつまみの立てる音とともにフロアを進む。
現在の椋は、ここ最近では非常に珍しくクラリオンのフロア内を店員として歩いていた。ちょっと集めたい情報があるので、今日はフロアに回してほしいと開店前に皆に頼んだからだ。
つい先日の唐突な欠勤に続いての我が儘である。さすがにだめだろうとも思ったのだが、最終的に一ネーレ(一時間)だけという制限つきで、お許しが出たのだった。
すでに二ヶ月以上ここで働いている椋には、それなりに常連客とのなじみもできつつある。
まずはそんな常連さんのうちのひとグループが固まったテーブルへ、他の客たちとの会話もしつつ椋は向かっていた。
「はい、おまちどう!」
楽しげな喧騒あふれるフロア全体の空気に負けないよう声を張り上げ、多少の勢いとともに、椋はテーブルの上へ注文の品を置いた。
ひょいとその声に目線を上げた目の前の客達は、椋の姿を認めた瞬間わずかに、驚いたような表情を浮かべる。
「お、何だ、誰かと思えばリョウじゃねえか。おまえが厨房から出てくるなんて珍しいなあ」
「ん、ちょっとみんなに聞きたいことがあってさ。今日は特別にこっちに回してもらってるんだよ」
特に隠すようなことでもないので、さらりと目前の客の言葉に椋は応じる。
そんなあっさりした彼の態度に、なぜか場の人々はまた驚いたような、同時にどこか感心したような視線を向けてきた。
「へーえ」
「……何?」
どこかぶしつけで、しかし悪意はない視線複数。まあ向けられて気分のよいものではない。
思わずわずかに眉をひそめて問えば、あっという間にその場には笑いがはじけた。
「ははははは! ったァく、ちょっと見ない間に図太くなったもんじゃねぇか、リョウ」
「ホントよぉ。ずいぶんふてぶてしくなっちゃって、どういう心境の変化?」
「まあ相変わらず面白いよなあおまえはなあ。俺らにビビってトチりまくってたのが嘘みてぇじゃねーか」
「あー……はは。その節はお世話に、というかご迷惑かけました」
無遠慮に向けられる言葉の山に、椋は苦笑するしかない。クラリオンに来た当初の椋が随分なひどさだったのは椋本人とて自覚していることでしかないので、一切何も反論できないというのがなんとも悲しいところだ。
何かにつけてからかわれて失敗して、おかげで後ろ向きにしか動かない思考に没頭する余裕がなくなった。
しばし笑い続けた皆の笑いの波が少し収まってきたところで、また別の客が首をかしげて声をかけてくる。
「で? どしたのリョウ。キミがわざわざボクらのトコに来るって、何があったのん?」
「あぁ、うん。さっきも言ったけど、ちょっと聞きたいことがあってさ」
「聞きたいこと?」
「そ」
ここクラリオンの常連の中でも一番小さい、おおよそ身長140センチほどしかない彼女、ミニアに頷く。外見も目が大きいのと顔が何となく丸いのもあってかなり童顔なのに、これで椋とさして年は変わらないというのだから、人間というのはまったく分からないものだ。
むしろこれで油断するから、便利なときは便利なんだよ、と。
そんな例に漏れず思いっきり勘違いした椋に対して、かつて彼女が笑いながら言った言葉が何となく脳裏をよぎった。……が。
「あー、えーと、結構突拍子もない現実味もなさそうな質問だと思うけど」
「? なにさ、それ」
「リョウが突拍子もねぇのは結構いつものことだって、よくアリスやらケイシャやら、皆よく言ってるぞぉ。で、なんだ?」
現在椋が思考を回すべきは、過去の景色に対してではない。そんな意識のもと切り出した言葉には、何ともざっくり、彼女の仲間である筋骨隆々の大男からさり気にひどい言葉を返された。ちなみに壮年のこの男の名はゴーラ。生まれついての剛力で、冒険者以外になれるもんがなかった、なるつもりもなかったと以前、非常に豪快に笑っていた。
微妙にひきつりかけた頬をなんとか、動かす。今更ながら本当に、どれだけ自分が皆に変だと思われているのか俄かに心配になった椋だった。
何より残念なのは、心配してみたところで結局、椋がやること、やりたいと望むこと、やるべきことのどれも全く変化は見せないだろう、というところなのだろうが――。ふっとひとつ息を吐いて、椋は目の前の客たちへ言葉を続けた。
「もし、の仮定の話だけどさ。……もしも魔物の討伐中に、腕や足を落とされたりした人って、どうなるんだ?」
「……はっ?」
ある意味では非常に予想通りに、目の前の冒険者の一団は一斉に椋の言葉に硬直した。
椋自身本当に突拍子もないことを言っている自覚はあるが、これ以外に聞きようがないのだから仕方がない。壊疽による四肢切断が基本的に世界に存在しないというなら、他に思い当たる四肢喪失の起点となるものは正直、椋にはふたつしかなかった。
そのうちのひとつが、今目の前の冒険者たちに訊ねたこれだ。
もうひとつの可能性については、……ピアやリベルトがジュペスの「復帰」を考えていなかったという時点で、おそらくは推して知るべし、なのだろう。
「いきなり来たかと思えばなんだ、本当に」
「だから突拍子無いって最初に断ったよ、俺は。ちょっと色々あってさ、差し支えない範囲でいいから、教えてくれると助かるんだけど」
「だからっていきなり、そんなこと聞いてくる人なんて普通いないわよ、リョウ。一応聞いとくけど、ただの好奇心ってわけじゃないわよねぇ」
「こんな方面への好奇心、むしろ極力持ちたくないよ」
「ふふ。リョウらしいといえばリョウらしい答え方だね、それ」
「とはいえ、あー……なんというかなぁ、それはなぁ」
椋や他の仲間たちの言葉も受けつつ、がりがりと頭をかくのはこのパーティの長的な位置にある三十くらいの男だ。
一見細身の、むしろ学者にいそうなまじめそうな男である。しかしその中身は豪胆剛毅、闇の魔術が得意で、一人で魔物の群れの中に突っ込んで派手な魔術を幾つもあっさりぶちかましたりする、結構危ない男らしい。
常に金縁の分厚い片眼鏡をかけていることからモノーシャ【片眼鏡】もしくはモノと呼ばれる彼は、五回ほど言葉にならない呻きを繰り返してから、腕組みをして椋を改めて見上げてきた。
「リョウ。一応これ、君だから言うことだからな。あんまりあっちこっちに触れまわったりはしないでくれよ」
「へ? ……あ、うん。わかった」
予想外に至極真面目に切り出された言葉に、一瞬椋は面食らった。しかし見返す先のモノーシャの視線は変わらず、またそんな彼の真剣を、周囲の誰もからかう様子はない。
したがって了解する以外にない椋に、ふっとひとつ苦笑して彼の隣に陣取るもう一人、十八という年らしからぬ異様な色気がいつも目に毒なメリッカが口を開いた。
「というか、ね。そんな大怪我する危険のあるような場所には、あたしたちは基本的に、治癒術師を連れてしか行かないのよ」
「え」
「まあ最悪、祈道士でも何とかならないことはないらしいんだがな。最近のひよっこはそのあたりの応用が利かせられんらしくて参るんだな、これが」
「……はあ」
彼らが椋の聞いたことに対する答えを言ってくれているだけなのは分かるのだが、俄かには反応に困る物言いのオンパレードである。基本的に物知らずの椋でさえそうなのだから、他の人に聞かせた結果などは推して知るべしだろう。
討伐が大変な依頼には、絶対に治癒術師を連れていく? 祈道士でもなんとかならないことはないが、応用が利かせられない――?
怪訝に眉をひそめるしかない椋に、どこか楽しげに笑ってミニアが口を開いてきた。だからさ、と。
「だからあっちこっちに、ボクみたいのが引っ張りだこなのさぁ。皆ね、意外と冒険者になると後悔するんだよ? ああ学生のときにもっとちゃぁんと治癒魔術を習っておけばよかった、神霊術以外にも手を伸ばしておくべきだった、って」
「それに関してはまったくもって、若干腹が立つくらいにその通りだな」
肩をすくめてモノが笑う。笑ったついでにぐいっと一気にジョッキを傾け、彼は確実に三分の二は残っていたはずの中身をすべて飲み干してしまった。
いつものことながら、良い、を通りこしてめちゃくちゃな飲みっぷりである。こりゃまた追加かなあと思いつつ他の皆の飲み食いっぷりも眺めていると、妙に楽しそうにニコニコしながらさらにミニアが続けてきた。
「でもまぁボク、治癒術師としてはかなり下っ端の方だからね。そんなんでも食いっぱぐれないってのは、まぁ、良いんだけどさ」
「けど?」
「皆の言うリョウの勇姿ってヤツを見られなかったのはホンット、心底残念だよぉ」
首をかしげた椋に続いてきたのは、非常に楽しそうな、……明らかに椋をからかう気満々の言葉だった。
思わず椋は苦笑した。なんでこうここの常連たちは、揃いも揃ってあの時の話をするのが好きなのか。しかも王様による華麗な救国劇のあった北区画の魔物討伐に関してではなく、東と西で同時に起きた、超重症患者の大量発生と、まさに文字通り東奔西走した椋に関することを、だ。
「いっつもこんなポケッてしてて、良くも悪くも絡みやすいリョウがすっごい鬼気迫る顔して片っ端から病人の治療に当たってたんだもの。ホンット、報酬に釣られて外に出ちゃって残念だったわねぇ、ミニア」
「しかもリョウおめえ、それだけじゃ終わらずに今でもあのときの患者たちの見舞いに定期的に行ってるらしいじゃねぇか? ま、そりゃ患者たちがおめえにホレても仕方ねぇわな」
「ははは…」
まあとりあえず幸いなのは、誰もが今のメリッカやゴーラのように、好意的に、あのときの椋のことを話してくれることだろうか。
まったくもって余裕のなかった椋には自分の事を考える余裕など本当に一切なかったため、後々でそんな話を他人から聞かされて色々と床をローリングしたい気分になった。しかし実は地味に一番ダメージを受けるのは、ここでからかわれることよりも、見舞い先の東区画や西区画の子どもたちがあのときの椋のまねをして遊んでいるのを目撃する瞬間だったりする。
微笑ましく、というよりニヤつき全開の周囲の眼差しが全身に妙なかゆみを生じさせる。肩をすくめて、やはり椋は笑って見せるしかなかった。
「べつにそんな、カッコいいことなんて何もしてないけどな。俺」
やりたいと望んだことをし、そうありたいと思った自分の方向へ半ば暴走気味に突っ走っただけだ。
しかしやはりとも言うべきか、周囲の冒険者たちはこぞって、そんな椋の事実をあっさり受け容れてはくれない。ばしっと、別のテーブルから伸びてきた腕が強い力で椋の背中を叩いた。
「おいこーら、リョウ! どうもおまえはやたらと自分を卑下するなあ、謙遜も行きすぎると鬱陶しいぞ!」
「はいはい、もともとそういう性格なんだよ。あと自制。鬱陶しいってのは別のところでも言われたことあるけど、ま、馬鹿みたいに誰彼構わず威張り散らして回るよりはましだろ?」
「んー。確かに自信たっぷりで威張りくさってふんぞり返ってるリョウなんて、不気味以外の何でもないかもしれないわねぇ」
「だろ?」
加減はしてくれたのだろうが、それでも痛い背中をさすりつつ別テーブルからの声(半ばヤジにも近かった)に応じる。その言葉を受けてのメリッカの言葉には、ふっと口の端をつり上げて軽く応じておいた。
そんな目前の光景に楽しそうに笑ったモノが、エザ(椋の中ではだいたいアジである)の唐揚げをひとつ口の中に放りこみ咀嚼した後にまた口を開いてきた。
「ま、話を戻すと、だな。高位の……それこそアルナフィア【滅師】級以上の魔物討伐には、祈道士と治癒術師、どっちも揃えられるのが理想だろうな。治癒術師の量と質と祈道士との折り合いの悪さ考えると、これがまあなかなか、難しいんだが」
「……」
「まー最近は戦争もないし、魔物の出現がどっかで急に増えたってぇ情報もないしな。それこそヘタなアルナフィア【滅師】級の魔物討伐には、治安維持名目で国の軍隊が動員されちまったりするしな」
後々で聞いたところ、「あの日」に椋たちが遭遇し、カリアが討伐してくれた魔物がアルナフィア【滅師】級の変種、普通のそれより強い魔物だったらしい。
アルナフィア【滅師】という言葉は、位階を持たぬ並程度の魔術師ならば下手を打てば倒され、喰われてしまうという事実に即してつけられた分類名なのだそうだ。これの単独討伐が、騎士団/魔術師団の第六位階の査定基準だったりするらしい。
当たり前のことだが、報酬の高い仕事になればなるほど要求される技能、および危険度のレベルは跳ね上がる。そしてやはりその「危険」の中には、ほぼ確実に「祈道士単独では治療が行いにくい」ような傷病も混じっているのだ。
彼ら冒険者たちは、それを自らの経験則から学んでいるわけである。なるほどなあと思わず納得してしまう椋だが、同時に自分の欲しかった情報、「四肢を失った人間が果たしてどうやって生活していくのか」「代替品として使える何かの情報はないか」という部分に関しては、あてにするのは非常に難しそうだ。
参ったなあ、またひとつ可能性がつぶれてしまったことに内心ため息をつきつつ椋は考える。
無論そんな彼の内心など知らず、またモノは椋へと声をかけてきた。
「俺たちが言えるのはこれくらいのもんだが、どうだ、少しは参考になったかい? ……リョウ?」
「えっ? あ、…あ、うん。ありがとう」
つい思索にふけってしまい、目前に対する意識が完全におろそかになっていた椋であった。
しかし思考を止める余裕も、相変わらず椋にはあまりないのである。ジュペスの回復が目覚ましく、リハビリも開始したとなれば尚更、こちらも急がなければならない。
何しろこの件には――ジュペスの義手の制作に関しては、ヘイの協力が基本的には望めないのだ。
ヘイ曰く「必要とされる根本的な技術の分野が違いすぎてる」という理由に、よって。
「ったく、いつも通りぽけぇっとしやがって。あんときの覇気はどこ行ったんだ? おい」
「ま、リョウのことだしな。あんときがむしろ特別だったんじゃないか?」
「あーもー、はいはい。何とでも言ってて」
よってついつい思考に沈んでしまえば、結果として降ってくるのは多数のからかいの言葉である。
椋のぞんざいな、というより完全におもちゃにされないことを諦めている対応に、楽しげな笑いがその場に弾けた。
「んで? 俺たちが今しゃべったのは、おまえの欲しかった情報か?」
「かなりね。助かったよ、ありがとう」
「ふふ、どうしたしまして、の代わりにリョウ。ボク、本日のオヤツ食べたい」
「あぁ、こっちにロレンバール(発泡酒の一種)三つ追加な」
「アタシにロテッタ(カクテルの一種)、こっちにはエルー酒のボトルとチェタ(つまみの盛り合わせ)ね」
「はいはい。まいど」
実は予想以上に多かった追加の内容を何とか頭に入れて、常に気前よく金払いをしてくれる常連客たちに椋は笑った。
ホントに成長したなあリョウもさ、まったくだ、などと失礼な言葉も耳に入りつつなんとか笑顔を保つことに成功していると、不意にある意味場にそぐわない、真剣な声が椋を呼んだ。
「リョウ」
「え?」
その声は、今までずっと黙ったまま場のおしゃべりを聞いていたこのパーティのメンバーの最後の一人、クラリオン常連の中でも一番の寡黙で、基本的に自分に対して振られた話を最低限しかしないという男、シャヅカのものだ。
火と水という相反する魔術を得手とし、同時に両手剣使いでもある彼が自分から口を開くところを見たのなど正直、椋は今日が初めてであった。椋の予想外は周囲の人物たちにとっても全く同様だったらしく、皆目を丸くして椋とシャヅカの二人を見守っている。
彼はなぜか椋の指、そして手首あたりに一度目線をやってから、ふっとひとつため息を吐いた。
「気を、つけろ。リョウ」
「?」
そしてその後発されたのは、何とも方向性が曖昧に過ぎる警告にも似た言葉だった。意味がさっぱり読みとれず、思わず椋は眉を寄せた。
しかし容易くどうして、とも問えないような、ひどく真剣で、触れれば切れそうな眼差しをまっすぐにシャヅカは向けてくる。周囲もまた、そんな彼のある意味得体のしれない真剣さに押されたように無言になる。
正直なところ本当に訳が分からないまま、椋は首肯を返すしかなかった。
変に静まってしまった場を申し訳なく思いつつ彼らに背を向けた椋の、背筋をいつまでもその鋭い目が射抜いてくるような気が、した。




