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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第二節 転機の出現/見霽の青年
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P2-19 翻転の狭域に笑う




「珍しいこともあるもんですねぇ。旦那がこんな昼間にうちに来るなんて」


 明日は槍か何か降るんじゃないですかね? いやぁアタシ、まだまだ死にたかぁないんですけどねぇ困ったなあ。

 不自然に前歯の一本が欠けた目前の男が笑うのを、半眼で腕組みしつつヘイは眺めていた。ぺらぺらと下らないことばかり喋る男だが、非常に残念なことに今現在のヘイが目的を達成するためには、何かと腐れ縁になりがちな界隈で蠢く人間でもある。

 王都の東と南の境の裏通りにある、半地下の非常に分かりづらい、ぱっと見には店とも思えないような外装の店中に現在のヘイは立っていた。

 この店は、表向きに大々的に取引をすればあっという間に国に目をつけられるような、所有や取引に厳重な決まりのあるものを扱う店である。若干脱法的に安く品質の良い材料を常に確実に取り揃えてくるので、何かにつけてヘイは重宝しているのだった。

 特にここ最近は、以前は気が向いたときに何となく立ち寄る程度だったこの店に寄る機会も増えた。

 その全ては勿論リョウのせいであるが、どの無茶につけてもできると言い切ったのはヘイ自身なので特にそこには、奴には責任はない。


「グダグダつまんねェこと言ってンじゃねェよ。金ならあンだ、さっさと出せ」

「おお、怖。ねー旦那、この間の用心棒の話ホント、真面目に考えてみちゃくれません? あんたくらい凄みも腕っぷしもあるようなヤツなんて、表にも裏にもそうそう居やぁしませんよ」

「ハッ、目の前に何積まれてもお断りだッつってンだろ。そもそも俺ァ善良な一市民だ、わざわざ俺ン家を消すような真似はしねェよ」

「善良な一市民は、普通ぁこんなとこにゃあ来ねぇと思いますがねぇ。ま、いいですけど」


 常に変わらぬ戯言を交し合いつつ、結局はどちらも本気ではない。

 つまるところ二人にとっての、それは時候の挨拶代わりのようなものだ。目前の男、クレンマ【欠け歯】もヘイ自身も、自分が善良品行方正な一市民であるとは欠片も思っていない。

 やれやれと感情を見せずに笑う、いつまでも依頼のシロモノをこちらに出そうとしない目前の男にヘイはもう一段声を低めた。タン、と軽くカウンターに拳を突く。


「オイ、クレンマ【欠け歯】。確かコレを取らせた時点で、俺にゃァ時間がねェってのは言っただろが、言ったわなァ?」

「だからアタシはクレンマ【欠け歯】じゃねぇですって旦那、ま、それもいい加減言い飽きたんでいいですけど。……しっかし旦那、相変わらず短気は損気ってぇ言葉に学んだりはしないんですかい?」

「ハッ、掃いて捨てろや、ンなもん」

「あぁやっぱり、旦那ならそう言うだろうと思いました」


 相手の言葉を一言で切って捨てれば、凄んでみせるヘイにもやはり一切頓着せず楽しげにクレンマ【欠け歯】は肩をすくめて笑った。

 勿論ヘイとて知っている。目の前の男の名は実際には、クレンマ【欠け歯】などという不名誉かつ見た目そのままで無意味な名ではない。

 しかしどうせ欠け歯の代わりに、こいつが名乗るのもまた偽名なのだ。ただの商売相手でしかない人物の分かりづらい偽名をわざわざ覚えてやる気など、ヘイには一切ないのだった。

 わずかの無言の攻防の後、負けたのは当然ながら売り手であるクレンマのほうだった。

 なぜなら今回ヘイがこの男に依頼したものは、ヘイ以外のいったい誰がこの国で使おうかというシロモノだからだ。


「……ったく、もう。ほら、確認してください旦那。コレで全部ですよ、苦労したんですから代金は弾んでくださいね?」

「あーァー、テメエの泣き言なんぞ知らねェよ。そうできて当然だっつーンでテメエはここに居ンだろうが、クレンマ【欠け歯】」

「そりゃあそうですけどねぇ。伊達にこんな界隈に長年手ぇ染めちゃあいませんや、アタシも」


 へろりのらりと適当なことを言いつつ、しかしニヤリとつり上がった口許は常に相手に付け入る隙を探っている。ヘイ程度の人間でぶっ潰せる程度の人間が、まさかこの国でここまで灰色のあざとい商売が展開できるはずもない。

 面倒な視線から目を逸らし、カウンターに広げられたいくつかの品物をヘイは改めて見やった。手にとって確かめてみる、相変わらず仕事だけはきっちりこなす、クレンマの手際のよさは折り紙つきだった。

 そのどれもがヘイのもともとの言い値以上になることはないと知っているので、余計に検分の作業にも熱が入る。しかし残念なことに今回もまた、このいけ好かないクレンマに文句をつけてやる隙はないようだった。

 あからさまなため息をつきつつ最後の一つに触れたとき、不意にそれまで黙っていたクレンマがまた口を開いた。


「しっかし、何です? とうとう拷問にでもハマりだしたんですかい、旦那」

「はァ?」


 若干引き気味にも響いた相手の声に、ヘイは思いきり顔をしかめた。仕方なく目前の男へと視線を戻せば、欠けた歯を隠そうともせず間抜けに、クレンマは口を曲げている。

 さらにもうひとつ、ヘイはクレンマに向かってため息を吐いた。


「違ェよ。何バカ言ってやがんだ」

「いやしかし、ハトランマ鉱石にイゾチ(こう)、エゾタの縄でしょ? それ以外に何があるってんです」


 あからさまにあきれ返ったヘイの言葉にも、不審全開のクレンマの追及は止まない。

 そう、今回ヘイがクレンマに依頼したのは拷問の魔具を作るための材料だった。それ以外に使用途などない、だからこそある程度はヘイの好きにその値段も吹っかけることができる品々だ。

 しかもヘイがその仕上げとして材料を必要としているのは、数ある拷問道具の中でも、最も悪趣味と言われるものの一つ。

 確かにヘイ自身とて、まさかこんなところでこんなものを今更作ることになるとはまったくもって、想像だにしていなかった。


「……はッ」


 知らぬうちにヘイの喉は痙攣し、一つの笑いを形作っていた。

 そう、笑わずにはいられないのはまたしてもあの居候のせい。一昨日リョウと交わしたやり取りが、あまりにも色々な意味で可笑しすぎるせいだ。

 ヤツが言い出したことが今回もまた、すべての常識、前提を躊躇の欠片もなくひっくり返すものに他ならなかったからだ。


 ――身体の一部だけをマヒさせる魔術だァ?


 最初にリョウからそれを尋ねられたとき、反射的にヘイの頭に浮かんだのは絶叫と苦悶と歪んだ笑みの、いくつも重なった非常に不気味で非生産的な最低の光景だった。

 一時的に一切の感覚を遮断した上で指やら脚やらを切っては再接着し、再接着してはまた切り落としを繰り返し、相手が油断してきたところで痛みを一気に戻して絶叫させる、時には痛覚の増幅すら使うという、吐き気すら可愛らしいような馬鹿馬鹿しい過去の景色だった。

 そんなものを一体、何に使おうというのか。

 思わず顔をしかめつつ問えば、なぜ顔をしかめられたのか全く分かっていない表情でリョウは、平然とこう返してきたのだ。


 ――だって痛みってのは、感じるだけでもかなりのストレス、全身への負担になるだろ?


 それはヤツが今現在診ている患者の、腕を切り落とすことを仮定した場合の言葉だった。ただでさえ状態の悪い患者にこれ以上の負担をかけたくないのだと、施術に関するいくつもの懸念のうち何かひとつでも緩和できるならと、そんなことを本当に何でもないことのようにヤツは言った。

 さすがのヘイも、俄かにはまともな言葉を返せなかった。

 がらがらと音を立てて、ただ醜悪に非生産的にしか働かなかったはずの魔術の光景が、ヘイの中で綺麗に崩れ落ちた瞬間だった。


「……あの、旦那。そこで笑われるとアタシ、邪推しますぜ?」


 ふと気づいてみれば欠けた歯が、非常に不審げな表情でこちらを見ている。

 まあ確かに、この男が分からずとも無理はない、とヘイはまだ笑いの衝動を収められないままに思った。邪推、誤解もされて当然だろう。リョウというあの世界すらふっ飛ばす壮絶なバカを知らなければ、これからヘイが最後の仕上げに入ろうとしているものはただ、理解不能なだけの無茶苦茶だ。

 すぐ効いて、感覚はきっちり遮断が可能で、なおかつ何も、どこにも後に残らない。

 それがリョウの挙げた、今回作成できないかと持ちかけられた魔具の条件だ。――常に人間を苦しめる方向にだけ動いてきた魔術に、リョウは完全なる方向転換をさせろと言ってきたわけである。

 しかも今回の魔具の必須条件、ただそれだけを挙げてみれば、くだらない悪趣味な拷問の魔術が随分高尚なものにも思えるではないか。

 全く、ものも言いようである。ヤツはいつか詐欺師になれるとヘイはまたしても笑ってしまった。


「勝手に誤解でも邪推でも何でもやれや。ホレ、そいつらの代金だ」

「おぉ、まいどっ。旦那の魔具はホント、いつ見ても惚れぼれしますねぇ」

「テメエの感想なんぞどうでもいンだよ。さっさと寄越せ」

「はいはい」


 袖口から取り出し適当に投げつけた魔具を、過たずクレンマは手中に収めてニヤリと笑う。さてその値段がこれら材料費の何倍に膨れ上がるのかは知らないが、こちらの懐は一切痛くないのだから別にどうでもいい。

 トレイにまとめて載せられ差し出された材料たちを、ざらりと無造作にヘイは自身の袖口にあけた。それは一見すれば非常に異様な光景だったが、同時にヘイという魔具師にとっては至極日常的な動作でもある。

 要するに以前リョウに作ってやった、亜空間バッグと原理は全く同じだ。あらかじめ創生・展開された亜空間に中身を転送してやることにより、傍目には無茶苦茶な量の荷物を収納可能にしただけのことである。

 そんなヘイの日常に、ほうと感心したようなため息をクレンマが吐いた。不気味だ。


「ねー旦那、ホントそれ、もっと量産してアタシと一儲けしません?」

「ハッ、拝まれたってお断りだねェ。どうせロクでもねェことにしかなんねェんだからよ」

「ちぇっ。まったくいつものことながらホント、とことん旦那はつれねぇなあ」


 相変わらずその言葉もまた本気ではなかった。確実にもっと扱いやすい顧客を、相当数この欠け歯は抱え込んでいるに違いない。

 品物を受け取り代金も払った以上、既にこの場にヘイがいる理由は一切なかった。

 酷薄さの突出した表情で笑う男に背を向け歩き出そうとした瞬間、珍しいことが起こった。


「そういや、旦那」

「……ア?」


 滅多な事では、相手を呼び止めるなどしない男である。今度はヘイの方があからさまな怪訝とともに振り向けば、クレンマの手にはいつの間にどこからスったのか、チェシャ白銀貨、それ一枚で一日分の食事は軽くまかなえる硬貨が三枚載せられていた。

 非常にうざったくニヤリと笑ってクレンマはその三枚を指の間に挟んで、しかめ面のヘイを見やって言葉を続けてきた。


「近々また、結構大きい動きがありそうですぜ。もう先発して、いくつかは流れ出してるってぇ話です」

「……ほォう?」


 基本的に表情から欠けた歯まで何もかも気に食わない男だが、こちらが払った分の代価はきちんと返してくるのが、このクレンマである。

 要するにコレは、クレンマが仕入れた情報を勝手にこの男がスったチェシャ白銀貨三枚でこちらに売ってくれようとしているわけだ。別にとりわけた興味があるわけでもないが、何しろ欠け歯の隙間に取られたものは、どう足掻いたところでまともに返ってこない。

 腕組みして相手を()めつけたヘイに、非常に見ていて気分の悪い笑みを崩さないままクレンマは続けてきた。


「しかもまぁ、聞いて驚いてください。これから入ってくるのはなんとね、「レジュナ」らしいんですよ」

「……」

「まぁそんな無茶に御大層なモン、アタシみたいな小心者にゃ、正直怖くって手が出せませんがね」


 さすがにこれは「嘘」ではないだろうとヘイは思った。婉曲に婉曲を重ねて手を出し、一人で儲けだけ出すのが結局のところの、このクレンマ【道化師】のいつものやり口だろうが。

 ざらりと鼓膜をゆすった一言に、わずかに浮かんだ幻影は放置することにした。何しろヘイの現在の生活には、そんなものは一切必要とされていないからだ。

 ケッと、放置した幻影を改めて目前から吹き払いつつヘイは道化師へと言葉を返した。


「まァっためんどくせェことやろうとしてやがンのか、オエラサマがたは」

「何しろあざといあくどい商売してた奴らは、この前の一件で一気にお縄を喰らっちまいましたからねぇ。現国王陛下は最近は結構回りも含めて優秀なもんで、アタシらも色々と必死なんですよ、最近は」

「ったくよォ、国潰すんじゃねェぞ、オイ。慎ましい暮らしってェのに、そろそろテメエも憧れてみる年頃じゃねェのか? クレンマ」

「いえいえ、アタシはまだまだ現役ですとも。やらなきゃならないことはねぇ、それこそまだまだ、山のようにあんですよ」


 こういう手合いと話をしていると、本当にこちらまで腐っていきそうな気がするのだから不思議なものだ。いかにリョウがヘイという存在を退屈させない人種であるのかを、しみじみ実感する瞬間でもある。

 今度こそ欠け歯の道化に背を向け、ヘイは店を後にした。愛想の声はない。ドアベルも鳴らない。どこまでも胡散臭い、国の、光と闇の境界線そのもののような店だった。

 既にこれから作る魔具のことに、完全に思考を切り替えてしまったヘイには。

 その背を眺めてぽつりとこぼした、男の最後の言葉は届かなかった。


「――今更アンタみたいな人が、いったい、何を言いますかねぇ」




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