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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第二節 転機の出現/見霽の青年
61/189

P2-16 其の力は誰がために




 神霊術の使用であそこまでひどい状態になることから考えても、君の全身、特に右腕の状態は、非常に悪いと言わざるを得ない。

 この国では一番の治癒術師であるヨルドの施術によっても、神霊術の使用前とさほど変わらない程度にしか腕の状態が戻せなかった以上、これ以上の右腕の温存はとてつもなく厳しい。これは今のところ唯一の腕温存の可能性になりうる、重症の患者に対する複数人での施術が事実上不可能に近いことから考えたことでもある。

 だから、君が選んで欲しい。術同士の相互作用という、致死的な症状が非常に高い確率で起きることも加味したうえで複数の魔術を同時に使うか、このまま何もせず、俺たち以外の施術は受けずに絶対安静のもと、全身の状態が改善するのを待ち続けるか。

 それとも一番きっとリスクは高い、絶対に成功するとも限らない、成功を誰も保証できない、無茶で非常識な方法にかけて。

 その右腕を失う代わりに、君の命を、助けるか――。





 もはや言葉を失って、ただただ目の前の光景を見つめるしかできなかった。

 今までに一度も、見たことも聞いたこともないようなことが現在のピアの目の前では起こっていた。

 ベッドに横たわったまま、しかし視線は決して曲げずにまっすぐ、ジュペスは自身の目前に座るリョウを見つめている。リョウの背中越しに光景を見守る形になっているピアたちには彼の表情は見えないが、少しだけ猫背ぎみの背中からだけでも、決して少なくない動揺の存在が窺えた。

 昨日の午後から、今の、いままで。詳細に思い返そうとしてみれば、もはやどこから驚いて、思考と仮定、予測を積み重ねていけばいいのかがピアには分からない。

 すべては、偶然に通りかかった部屋から聞こえてきたリョウの声が最初だった。とんでもない言葉を幾つも当然のように口にした彼と、その言葉が発端となってひとりで激昂したマリア。彼女に神霊術を使われたことによって死にかけた少年ジュペスと、「神霊術」の使用否定をさらに駄目押しするかのように場に現れ、ジュペスの状態をその施術で安定させた治癒術師の長――。

 このルルドの屋敷に帰ったのち、夜も随分と更けてしまうまでピアは、リベルトとともにずっと考えていた。

 家にある限りの治癒魔術の書物をひっくり返し、過去に己の記したノートもすべて引き出した。理由が知りたかったし、方法が知りたかった。どうして神霊術の基本、どの術を構築するにも礎として必要不可欠とされる基本術式がジュペスにとっては毒にしかならなかったのか。そもそもリョウの口にしたことばは果たして何を示していたのか。

 そして彼の口にした、ひどい、とピアでも言いたくなってしまう方法に至らぬ、実行しなくとも済むための策の。

 てがかりの欠片だけでもどこかにありはしないかと、ふたりは必死だった。


「……」


 けれど結局ピアたちの必死は、リョウも同じように考え、そして更に彼の場合は否定にまで至ってしまったような策しか、提示することはできなかった。

 自分たちの知る治癒では駄目なのか、複数の病態が重なって現在のジュペスの重体が引き起こされているというなら、その一つ一つを順に、或いは違う魔術を使用して治していくということはできないのか。

 それかあの腕、一番ひどい、すべての原因と思われる部分に対して何回かの魔術を施行し、段階的に、徐々にすべてを治していくことは。

 次々問うた二人分の言葉に対し、リョウから返ってきた言葉はあくまで、静かだった。


 ――彼を蝕んでいるひとつを治しても、その間にもうひとつが悪化してしまえば結局、俺たちは彼を助けられないんです。

 分割に関しても正直、俺は有効性の判断ができません。治っていない他の部分からの影響が、その「正常になった」部分にも及ぶ可能性がかなり高いですから。



「リョウ、さん?」


 つい先ほど彼の発した一言により、完全に凍りついてしまったらしい青年の名をジュペスが呼んでいる。

 本当にわたしたちはどうすればいいのだろう、どうするべきなのだろう、と改めてピアは思った。

 重症患者に対する複数人による施術が理由不明の現象「魔の競合」より禁忌とされていることは昨日の調べで彼女たちも分かっていた。それでもと必死にリベルトと考えた方法はすべてリョウによって潰されてしまい、しかも彼の否定の、論破の方法に一切、ピアたちは反駁することが叶わなかった。

 だからこそ今一度、ピアは深く深く、考えずにはいられない。

 わたしはどこに行くために、何を選択すべきなのだろうか、と。


「本気で、……自分で色々考えたうえで言ってるんだよな?」

「ええ」


 念を押すような問いの声と、迷わずに応え、対する声。

 ただひとつ命を助けられる方法があり、患者は自分の意思でその実行を望んでいる。そのほかの方法ではまず彼の回復は望めないと、つめたすぎる現実が越えられない高さで目前に高い壁をなしている。

 思わず傍らの、リベルトをピアは見やった。

 彼もまた、感情も理性も何もかもをごちゃまぜにした表情でがりがりとひどく乱暴に頭をかき、顔をしかめていた。


「禁忌、だぞ?」

「わかっています。そのうえで、お願いしています。……僕はむしろ、あなたの、あなたがたの方が、大丈夫、なのか、と」

「い、いやまあ、…そもそもこんなのを、最初に言い出したのは俺だ。そういうことしないで、なにもしないままでいるのが一番嫌なのだって結局、俺だしさ」

「……リョウさん」

「だから別に、そこについては気にしなくていい。てか、気にするな。結局こんな滅茶苦茶俺が言ってるのは、ただの俺のエゴ、自己満足みたいな部分がだいぶでかいわけだし」

「…っ!!」


 うそつき、と。

 おそらくその瞬間、ジュペスとピアとリベルト、三人の思考はぴったりと一致しただろう。

 だってリョウの背中には、そしてきっと表情にも、確かな恐怖と、戦慄とが垣間見えるのだ。誰だって抱いてあたりまえのそれを、しかし彼は考えなくてもいいなどと言うのだ。

 ただでさえリョウは昨日、自分の言葉が原因でジュペスを結果的に危険な目にあわせてしまったばかりなのである。それなのに信じられないくらいにある意味聖人めいた言葉を口にしたリョウの言葉に、知らず下げかけていた目線を半ば弾かれるようにして、ピアは再度上げた。

 できるわけがない、ただ一人の責任、それだけで国教に真っ向からそむく、少なくとも何の詳細も知らぬ一般の人々には確実にそうとしか思えないだろう行為が終わるはずがない。

 提案し、望み、看過した。――もちろん一番の責任を負わねばならないのは(すべ)を提示し実行した人間だろう。しかし望み、あるいは看過した、その全ての存在に等しく、絶対の枷と重圧、責任は覆いかぶさってくるのだ。

 既にそのことに対する答えは、ピアたちの中では出ている。彼女の父母も、やるべきことをやりきれと、ピアとリベルトの無茶を承知してくれている。

 それでもかたりと、小さくピアの拳は震えた。

 どうして身体が今震えているのか。震えが止まらないのか。分かっている――分かっているからこそ、無理に止めようとも今は思わない。

 だってそれは彼の異説と、異端と真っ向から相対し、さらにそれを肯定するという、

 本来ならば確実に、あり得ないはずの作業なのだから。


「リョウさん、待って下さい」


 うまく感情をまとめられないピアに先行して、口を開いたのはリベルトだった。

 彼の口調や声の波もまたその内心を透かすように強く揺れていたが、こちらを振り返ったリョウの視線はただ、まっすぐなだけだった。

 たとえば、彼がそれを望まない、方法を知ってても知らなくても答えは同じだと言うなら。

 ジュペスのいるこの部屋へ入る直前、彼が口にした言葉が脳裏を、よぎる。


「そんなの絶対無理だって、俺たちはさっきも、あなたに言ったはずです」

「ええ、…わかってます。だから本当にやっぱりダメだって言うなら、今すぐにでも俺をここから、」


 追い出して下さい、昨日の彼女が言っていた「然るべきところ」に突き出せばそれこそ、本当に一瞬で何もかもが終わります。

 きっと続きはそんな、かなしくてどこまでも虚しい言葉だったのだろう。

 あくまでも悪いのはリョウひとり、暴走して勝手をしたのはリョウひとり。止めようとしたが止め切れなかった、事態を把握した時にはもうどうしようもなかった――そんな言い訳をピアたちへと用意してくれようとする、自分の逃げ場をわざと狭めに狭めていく彼の、不器用さがどうしようもなく胸に痛かった。

 どうしてそこまでやろうとするのか、何が彼をここまで滅私的に動かしているのかピアは知らない。

 知らないけれど、知らないからこそ彼女は今、ここで声を上げる以外の方法を持ってはいなかった。


「……ちがいます」

「え?」


 最初に発した自分の声は、かすれてひどく小さかった。

 訳が分からないとでも言いたげな顔をする彼の表情がどうしてか悔しくて、指先には力を入れたまま、ピアは首を横に振った。


「ちがいます、違うんです。……そうじゃありません!」


 最後の声には知らず、腹からの力がこもった。

 さらに混乱した、困ったような視線を向けてくるリョウに、嘘などあっという間に看破されてしまいそうなジュペスの瞳に、わずかに頷いてくれる傍らのリベルトの気配に、ピアはさらにと続けた。


「リョウさま。リョウさまは身体の欠損を禁忌とおっしゃいますが、何がわたしたちの信じるものの教義に触れてしまうのか、正確に理解していただけていますか?」

「え?」

「メルヴェの教義において身体の欠損が厭われるのは、わたしたち、すべての生きとし生けるものは(しゅ)の御手により創られ、生という祝福、慈愛を受けてこの世に芽吹いたものであるからです。みだりに他者を傷つけ存在を損なわせることは、主の祝福を、慈愛を真っ向より踏みにじる、邪悪にして下劣な行為に他ならないからです」

「……」

「リョウさまがこれから行おうとしていることが、ジュペスさんが望んでいるそれが、みだりに人間を傷つけ存在を損なわせる行為にあたるかどうかは、今の未熟なわたしたちには判断のしようがありません。前例もない、悪魔のささやきに耳を貸して、五感と四肢の全てを奪われた愚者の説話も教書の内には書かれています」


 でも。……でも。

 事実を口頭で綴りながら、ピアの内側で浮かび上がってくるのはひたすらの逆接だった。

 最初に彼と出会ったときの、やさしい大きな手を覚えている。代価として何を望むでもなく、ただピアを治すためだけにあの場に現れてくれた彼を知っている。

 そんな人間がどうして意味もなく、他人を傷つけるようなことをするだろうか。ほんとうに他にどうしようもなく、ただ命を守る。それだけのために行った行為を、天高くすべての生命を見守り続けるという(しゅ)は己への叛逆と、下劣と貶め何の斟酌(しんしゃく)もなく根本から全て否定するだろうか?

 それはちがう、とピアは思う。

 ちがってほしいと、きっと強く、強く心から願っている。

 だって。


「リョウさま。あなたはジュペスさんが、患者が望むなら、と仰いました」

「……ええ」


 話の方向を、少しだけピアは変えた。

 リョウはやはり、反応に困ったような顔をしているだけだった。彼のそんな表情こそ、ピアたちの常識外なのだということにきっと、確実にリョウは気づいていない。

 ピアの言葉に、リベルトが続けてきた。


「リョウさん。俺たちは今まで、どこかでひどく思い上がっていました。それが当然だと思って、一切何を疑うこともしませんでした。治癒は即ち善であり、必ず患者のためになるものなんだと、俺たちはバカの一つ覚えのように信じてる。……いや、信じていたんです」


 治癒とは即ち善、患者に治癒を施すことは即ち善行。

 祈道士が患者へ治癒を与えるのは、正しいことで、全き善。

 ずっと当然のこととしてそう教えられてきたピアたちにとって、リョウという存在が今、その行動によって示そうとしている考え方はどこまでも異質だった。

 患者が望むなら治療を行う。――患者が望まないなら、治療は行わない。

 治癒は即ち望まれるもの、回復は即ち、正しいもの。そこには一片の反論も存在せず、ただ、絶対の治癒能力と判断力さえ保持していればすべてはうまくいく――

 勿論今までのピアも、患者が早く元気になって欲しいと思い、少しでも早く痛みを、苦しみを和らげてやりたいとその一心で治癒を人々に施してきた。

 けれどそれぞれの患者が持つ選択の権利についてなど、果たして今まで一度でも考えたことがあったろうか。治癒が、施術が「その患者にとって」正しくないことがあると、一度でも思ったことがあっただろうか。

 治癒を行うことが、正しくない。――それは昨日見た景色。神霊術を施したせいで、ジュペスはひどい苦痛に襲われることを余儀なくされた。

 全ての治癒の方法が、須らく正しい訳ではない。――目の前にする患者に限って考えてみれば、少しだけ、ヒントのようなものが見えるような気がした。

 今ピアたちが目の前にする、彼女ら三人の話を静かな瞳で見据えて聞いているジュペスは彼女の兄であるクレイの部下、王宮直属騎士団の騎士見習いなのだ。しかも非常に優秀で、もう少しで正式な騎士への昇格も確定かとも言われていたのだと、昨日のクレイは言っていた。

 そんな前途有望なはずの、少年が今ここで腕を失ってしまえば彼の騎士としての道はまず、途絶える。

 魔術師としての道はあるかもしれないが、しかしたとえばもし彼が、望むのがどこまでも「騎士」だったら――


「それを知ったから、わたしたちは今ここにいます。あなたの言葉を信じて彼の願いをかなえることは、メルヴェに(そむ)くこととは決して同じではないと、そう信じているから。あなたが何の理由もなく、無意味に他人を傷つけるお方ではないと信じているから」


 彼の提示した途轍もない、きっと教会の一部どころか、大部分に確実によい顔をされないだろう施術を了承したジュペスが何を考えているのかはわからない。彼がどこへ向かって何を目指しているのか、まだ、そう沢山の言葉を交わせたわけではないピアはなにも知らない。

 けれどそこでただ知らないと、一言で片づけて治癒だけを施すのでは昨日のマリアと同じなのだ。自分が絶対に正しいと、その思考を相手にも無理やり押し付ける行為でしかない。

 わたしはまだ本当に何も知らない、力だって強くない新米でしかないけれど。

 けれど、それでもピアは目前の黒の青年をまっすぐに見つめる。胸の前でゆるりと手を組み、ふわりと微笑んだ。


「だからわたしたちは今、あなたの目の前にいます。いさせて、いただきたいのです」


 たとえば一元的な正しさを盲目的に信じていた、自分たちの間違いを知った今のように。

 もっと自分が知らないことを、自分が本当の祈道士、ほんとうに苦しんでいる人のために存在するものとなるために正しく知りたい。教義そのものから派生していったあらゆる知識と技術が、異の目にはどう映り、どう活かすことができるのか知りたい。

 知らなければ、ならないのだとも思う。

 昨日のマリアのような事態を、自分が引き起こす原因となってしまわないためにも、絶対に。


「……なんか、なあ」

「リョウさま?」


 しばしの沈黙ののち、不意にリョウから返ってきたのは笑い声によく似ていた。

 思わず首をかしげれば、目線の先にいる彼はやはり、笑っていた。ひょいとこちらに向かって肩をすくめてみせた彼は笑ったまま、口を開く。


「あー、うん。クレイがシスコンになる理由、なんとなく分かった気がする」

「えっ?」

「ピアレティス様はこういうお方ですし、俺はその護衛としていつも鍛えてる身ですから」

「その一言で全部片付けるのもどうなんだよ?」


 彼の言葉に対し、なぜかリベルトが胸を張った。おかしそうにまたリョウは笑い、ふと、その表情をやわらかくも真剣なものへと変える。

 そりゃあさ、と。

 三人へ向かって、彼は続けてくる。


「昨日のことを考えても、これがただの無茶でしかないのは一応、分かってるつもりだよ。どこに何がばれたら何がどう反応してくるかさっぱり分からんってのも怖いし、こっちの話なんて一切聞いてくれないような人間を相手取っても、自分の正しさを主張し続ける必要があるってのはものすごく嫌だ。……ああ、勿論嫌だ、最ッ低に嫌だ、できるならもう一生関わりたくなんか絶対にないさ、あんな意味分かんないもんは」

「リョウさん?」


 にべもない彼の拒絶の言葉は、結局はすべてが正論だ。昨日実際にあんなことが起こってしまった以上、根本まで突き詰めない一般の感覚だけで言ってしまえば、彼の行おうとしていることがただの神への叛逆でしかない以上、下手な反論もピアたちには返せない。

 だからこそこのひとはピアの兄の、友人として在るのかもしれないともまた、思う。

 事実を理解し嫌悪もしたうえで、続いてくるのが逆接しかないのだから。――でも、と。


「俺は結局そういうの以上に、自分が何もしないことのほうが嫌なんだよ」


 事実から目をそむける方法も、彼の抱く「真実」から一時しのぎに逃れるための方法も。

 きっと、少なくない数が存在しているはずだ。なぜなら今現在、あのときに起こった事の顛末、ほんとうのことを知っている人間は本当にまだ少ししかいないのだから。

 なのに。


「特にこういうことに関しては、ちゃんといつも、自分のやれるだけのことはやっておきたい。……どうもここで少しでも手抜いたら、これからもずっと、中途半端な奴にしかなれない気がしてさ」

「……リョウさま」


 多分それも分かった上で、それでもリョウは逃げない、と言うのだ。

 不器用とも言えるかもしれない彼の在りかたは、ピアの知るクレイのものにどこかで、ひどくよく似ているような気がした。彼がそんな人だからこそ、最初のあのときも助けてくれたのかもしれない、とも思った。

 そこまで言葉を発さず状況を、会話を見つめていたジュペスが不意に顔を上げた。

 決して良いとは言えない顔色で、それでもひどくやわらかい表情でジュペスは彼を呼ぶ。


「リョウさん」

「ん?」


 ジュペスの瞳に、目の前の相手を疑う光はひとかけらもない。確かにそれくらいに丁寧に、リョウは時間をかけて、相手の質問にも答えながら彼の考える、唯一の救命の方法についてジュペスに伝えていた。

 彼が今、ジュペスに向けられているくらいの信頼を。

 祈道士全般に対するものではない、ピアという個人に対するここまでの信頼を向けてもらえたことは果たして、一度でもあっただろうか。


「あなたが、そんな人だから、僕は、あなたが僕を治すひとで、あって欲しいと。そう、思ったんです。リョウさん」

「……そ、か」


 くすぐったいような困ったような、一言では形容しづらい表情でわずかにリョウが笑う。ピア程度の祈道士ではまだ一度ももらったことのないような患者からの言葉には、少しだけ羨ましいとすら思ってしまう。

 そんな感情が、場違いであることも彼がそれだけのことを確かにしているということも分かっている。だって普通、ここまでの無茶をする人はいない。もしもピアが同じ状況にいたところで、彼と同じことができるとは、正直なところはっきりした肯定はできない。

 言葉が、感情が信頼が、彼の行動の結果として彼に返ってきた。

 ただ、それだけのことだ。――そうあって然るべきことが、今目の前にはある、それだけだ。


「ジュペス。何度も同じことばっかり聞いて悪いけど、最後にもう一回。……本当に、本当にそれでいいんだな? その右腕の切断を、切断した後の自分のことも考えた上で、他の治療法がないわけじゃないのも分かって、それでも自分の意志で、切断を望むのか?」

「ええ」


 同じ問いと、同じ答えが繰り返される。

 何か非常にとてつもない、誰も知らないような場所に足を踏み入れかけている感覚があった。そうすることを決めたのは勿論ピア自身でありリベルト自身だが、これから起こる、起こっていくだろう何一つとして、目をそらし、思考を止めてはいけないのだと自身に改めて定める。

 胸にあてたままだった両手を小さくきゅっと握った、その瞬間。

 不意にリョウが、ピアたちのほうを振り返って真っすぐにこちらを見た。


「それなら俺も、改めてお願いしなければなけないことがあります。ピアさんにも、リベルトさんにも」

「お願い?」

「なんですか?」


 今になって改めて、彼からお願いされることなどあっただろうか。唐突に自分たちの方へ向いたリョウの言葉が理解できず、傍らのリベルトと視線を合わせてピアは首をかしげた。

 どこか楽しげにピアたちふたりに向かってリョウは笑い、そして。

 次にはすいと、何のためらいもなく彼は頭をこちらに向かって、下げる。


「さっきの言葉をもらったうえで、改めてお願いします。――俺にジュペスを治すための、力を貸して下さい」


 それを至極当然として、全く疑いもしない彼の言葉に、態度に。

 傍らのリベルトが、わずかに息を呑む音が聞こえた。

 ピアもまた、呼吸の方法を俄かに忘れた。なぜなら今の今まで、ピアたちは彼の治療の場に「立ち会う」ことを許されるため、彼の治療の実行を妨げないための存在になることを望んで彼へと言葉を紡いできていたからだ。

 二人の驚きなど知らず、さらなる言葉をリョウは続けてくる。


「俺だけじゃ、絶対に何もかもを完璧にはできません。俺一人じゃ、どうしても力不足なんです。……彼の治療を、どうか俺と一緒に進めて下さい」


 重症患者の治療は、魔の競合という原理の解明されていない事象のこともあって一人で行うのが基本だ。

 一人で患者を治療できないことは、自身が未熟で、不勉強であることのあかし。患者を自分一人の力で治せないことは、恥ずべきことであり、誰であろうと普通は隠そうとするようなこと――。

 しかし目の前の青年は、その言動のいずれでもピアの感覚をひっくり返してくる。

 自分だけではできないことを、他人の力も借りて実行しようとする。それはあるいは、さきほどまでの大言壮語は結局は力の足りない弱者の妄言、虚言、そんな風に言いかえることもできるのかもしれない。

 でもきっと、そんな指摘をこちらがしてみたところで彼はただ笑うだけなのだ。

 それに、むしろ彼の申し出はピアたちにしてみればある意味では望むところでもある。ただ見ているしかできないと、切断というとんでもない治療法を、患者であるジュペス自身が受け容れ望んだとき思った。リョウの持つ知識をずっと、ただはるか後ろから追いかけていくだけしかできないのだと思っていた。

 けれど彼は、ピアたちに関わって欲しい、力を、神霊術を生かしてほしい、と言う。……わずかに身体にまた感じる震えは、きっと武者震いだ。そうでなければならない。

 リベルトの横顔もまたひどく緊張しているのが、ちらりと見えた。

 彼は昨日のあのときと、同じようにこちらの言葉が返るまで頭を上げないだろう。

 あなたから逃げたくない、あなたのそばであなたの異端を、その内側に抱える「真実」と知識をすべて、見届けたい。

 ただひとつ言葉を返すべく、そっと、ピアは口を開いた。



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