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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第二節 転機の出現/見霽の青年
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P2-15 瞳の鏡はおもてを撫で




 思惑、意図は、どこまでも絡み。





「……そう」


 マオシェ【影鳥】からの報告を聞き終えてのカリアの第一声は、わずかに落胆めいた響きが込められていた。

 その落胆は無論、マオシェ【影鳥】たちの能力に対してのものではない。彼らの力をもってしてもやはり探り出すことのできない、リョウの存在によって謎と不審が表在化してしまった一人の魔具師の奇妙さに対してだ。

 どうしてこんな、よく調べても何も出てこないような怪しい男が今まで、当然のようにこの王都アンブルトリアに住んでいたのだろう。

 誰にも詳細を知られぬよう極秘裏に国王へと行った報告には、大笑いとともにとりあえず何か掴めと返答があった。本当にリョウはおまえといいヨルドやアルセラといい、妙なもんばかりをまるで狙っているかのような精度で釣り上げるな、とものたまっていた。

 本当にあの陛下は何につけても、物事を楽しみ過ぎだ。それが一概に悪いことだとは言わないが、あの陛下の側近たちは本当に日々胃や頭に痛みで穴が空く恐怖と闘っているのではないだろうか。

 改めてアノイの人を食ったような笑顔を思い返し、やれやれとカリアがため息を吐いたときだった。

 すっと横からさりげなく、彼女の目の前へと一枚の報告書が差し出された。顔を上げる。


「ニース?」

「こちらは本当ならば、お嬢様のお手を煩わせるような案件ではないのですが。……まずはどうぞ、ご覧になって下さい」

「わかった」


 ニースがそう言うならまず間違いはない。改めて紙面上に目を落とせば、それは決して長くない、そして全体からすれば非常に些細な事件の報告書だった。

 確かにざっと読んだだけでは、なぜこれを敢えて、第四魔術師団の団長であるカリアに出してくるのか分からなくなるような、瑣末なもの。しかし内容を読み進めるうち、登場したある名前に彼女は眉をひそめた。

 しかもよくよく読んでみれば、事件の顛末もまた非常に実は、奇妙だ。


「何これ、どういうこと? まだ若い祈道士が、許可の下りていない部屋の施錠を行った上で神霊術の発動に失敗して、最終的な事態の収拾を…ヨルドが?」

「もう少し先までご覧ください、お嬢様。その場にいた者の証言の部分です」


 思わず声をあげたカリアに、眼鏡の奥からいつもと変わらぬ笑みをニースが向けてくる。

 確かにまだ全体を読みきってはいないのは事実だったので、もう少し先にまでカリアは視線をやり。

 そこに記述された事柄に、わずかにカリアは両目を開いた。


「…祈道士は騒ぎを起こす直前、黒髪黒眼の男が“患者の腕を落とせ”と言ったのを聞いた?」


 黒髪黒眼の男、そしてあまりに、患者に対して口にするには突飛にすぎる言葉。

 ほぼ反射的にカリアの脳内に浮かんだのは、カリアに近しい人間の中でほぼ唯一彼女を「カリア」と気安く呼び捨てる人物だった。基本的にはいつでもどこか緊張感に欠けた、ただひとつの分野に関してのみ、その甘さを全身から消し去って相手を見据える、ひとりの青年の姿だった。

 報告書から目を離し傍らの彼を見上げれば、ニースは彼女へ向かって小さく首肯を返した。


「既に確認してあります。口にしたという内容も含め、彼で、間違いないようです」

「……そう」


 やはり、とでも言っておくべきか。予想をまったく裏切らないニースの返答に、思わずカリアは笑ってしまった。

 おそらくこの報告書に書かれていることからして、今日起こったというこの「些細」な事件は、彼にとっては決して笑い事ではなかっただろう。きっと「自分にとってはごく当然」の言葉を口にしたら勝手に事件が起きた。そんな認識しか彼は、していないに違いない。

 しかし一体この国の誰が、誰かの腕を落とせなどと平然と、いや平然、ではなかったかもしれないが、公に誰が聞いているとも分からないような状況下で口に出したりするものだろうか。


「なんだか、王宮に来るたびに何かしら騒ぎを起こしてる気がするわね、リョウって」


 本当に笑うしかない。きっと彼の目の前で同じように笑ってしまえば確実にリョウは怒るだろうけれど、それでもカリアは笑うしかない。

 しみじみ彼は、変な男だと報告書を眺めながら彼女は思う。

 きっと陛下もまた、現在のカリアと同じように腹心からこの報告を受けているはずだ。そしてまたしても大笑いして、さらには喜び勇んで近いうちに彼を呼び出して話を聞こうとしたりもする、のかもしれない。

 つらつらとそんなことを考える、カリアの内心を見取ったのか。

 いつもと変わらず自然に傍らに控えるニースもまた小さく、ふと笑った。


「しかし彼は、表立っては何もしていないそうですよ。ただ、二言三言、患者を見て何か言っただけであると」


 確かに報告書を読む限り、黒の男が誰かに何か具体的な乱暴を働いたことを示すような項目はない。

 そもそもそんなことを、カリアは疑ってもいないのだ。なにしろ他の誰でもないあのリョウである。いつもどこか緊張感のない、ぽけっとした、眺めていると良くも悪くも、肩の力が抜ける顔をした、自分の特殊性をさっぱり分かっていないが故にどこまでも迂闊で、子どものような。

 ニースの深海色の瞳に、カリアは肩をすくめてまた笑った。


「その二言三言が問題なのよね、確実に。そもそもここに書いてある「腕を落とす」なんて、敵への言葉じゃあるまいし、普通ならどう間違っても同じ国の人間に対して言うようなものじゃないわ」

「もうひとつ加えて言うならば、彼は、運が悪かったのかもしれません。お嬢様、問題を起こした祈道士の、名前は確認されましたか」

「見たわ。一族揃ってのメルヴェリトであるエルテーシア家の末娘、しかもこれまで挫折知らずの、今期新たに祈道士と正式に認められた者たちの中ではかなり上位の治癒成績を誇っていた子だそうね」


 騒ぎの中心人物の名は、マリア・エルテーシア――決して貴族としての位が高いわけではないが、一族の誰もが熱心な、狂信的なまでのメルヴェ教徒でありメルヴェ至高主義を掲げる一派、メルヴェリトであることがそれなりに有名な家の娘だ。

 しかし彼女の失敗の尻ぬぐいをしたのが、同じ祈道士ではなく、治癒術師のヨルドだったというのはなぜなのだろう。そして同時に、どうなのだろうとカリアは思った。

 何しろメルヴェリトは、国のためには治癒術師など一刻も早く廃止し、さらなる祈道士への権利の付与を声高に叫ぶ一派でもあるのだ。彼ら独自の理論によれば、或いはヨルドは、たかが祈道士になりたての小娘の治癒の「成功」をも、横取ってしまおうとするような小物などと身勝手に断定されかねない。

 これが同じ祈道士だったなら、まだ彼女も己の鍛錬の不足を素直に認めたかもしれないけれど、と。

 そこまで考えたところで、ふとカリアは一つの考えに思い当たった。

 もしかしてリョウは、――あえて祈道士ではなく治癒術師をその場に呼んだのだろうか。患者を助けるために。


「お嬢様?」


 カリアは知らず眉を寄せ、口許に手を当てていた。そんな彼女を慮る、ニースの呼び声にはっと我に帰る。

 小さく首を横に振って、カリアは彼へと苦笑した。


「ごめんなさい。なんでもないわ」

「いいえ。謝っていただくようなことは何も。……話を続けましょうか。確かにメルヴェの教義においては、身体の損壊は罪とされています」

「でも、少なくとも普通の祈道士であればまず、なにもわかっていないただの平民の言葉になんて耳は貸さないわ。仮に無茶で無知な戯言を聞いたとしても、きちんと教義に従って相手を諭すのが、本物の祈道士というもののはずでしょう」


 口ではそうと言いながら、己の言葉に返るものが逆接でしかないことを既に、カリアは理解してしまっている。

 何しろ黒の青年は、「ただの平民」ではない、リョウだ。あの奇病に関する「事実」をこの国で唯一、自分の力、その思考だけで掴んでみせた人間なのだ。しかも本人はことの重大さをまったく意識せぬままに。

 そして返ったニースの言葉は、彼女の予想と違わぬ逆接であった。

 けれど、と。

 どんな感情もその腹のうちに封じ込める薄い笑みを浮かべ、彼は言葉を続けてくる。


「彼の言葉を聞いたのは、不幸にもメルヴェリト、メルヴェの教義こそ至高とする一派の娘でした。私は彼についてお嬢様ほど詳細には存じ上げませんが、しかし戯言を聞かれる相手としては、間違いなく最悪の部類に入るでしょうね」

「確かにさっきあなたが言った通り、運が悪かったのね。今日のリョウは、とことん。……だったらそんなところじゃなくて、ここに来てくれればよかったのに」

「お嬢様」

「冗談よ。気にしないで」


 少しの本音をぽろりと零せば、さすがにそれには苦笑を返された。

 不可能など今更言われるまでもないので、ニースの視線にはただ肩をすくめて笑って見せる。何の許可も権利も持たぬ「ただの平民」が、重要な情報や中枢の人間が絶えず行き交うこの区画に入りこめるはずがないからだ。

 しかし今日の大半を費やした来客は、カリアにとって、非常に憂鬱かつ決して避けてなど通れない相手だった。そんな人間、そして彼の周囲のものたちをようやくいなしての現在なのである。気の置けない心安い会話の一つや二つ、交わしたくもなるというものだ。

 もともと互いの裏の裏の裏まで探り合うような会話は、苦手な上にカリアは嫌いだった。

 貼り付けたような笑みもその瞳の奥に潜む侮蔑と嘲笑、決して肩の力など抜けようもないあのいやな緊張感も、何もかもがカリアというただの一人の少女にとっては忌避すべきものでしかなかった。むろんアイゼンシュレイムの下賜名と、ラピリシアの家名はそんな逃げを許してくれるはずもないが。

 罪を問うにはあともう二、三歩、踏み込みが未だに足りない男の脂ぎった顔を思い返し、若干気分が悪くなる。

 表情に出たのだろう、もうひとつ苦笑して、お茶のお代わりをニースが淹れてくれた。

 ゆたかな香りと柔らかな湯気の立つ、あたたかな紅茶を新たにカリアへと差し出しつつ彼は、口を開く。


「今のところその患者の容体は安定しているようですが、明日にも彼の身柄は、ルルド家が引き取るのだそうです」

「ルルド家? ……ああ、確かに書いてあるわね。彼の言葉を聞いたのは、エルテーシアの末娘だけではなかったと」


 差し出されるカップを受け取り、中身に口をつける。一般に適温とされる温度よりもあえて少しぬるめに淹れてあるそれは、他の誰でもなくカリアだけのためのものだ。

 ほんのり蜂蜜の甘みがあるのは、先ほど実際にニースが加えるのを見ていたから知っている。

 一口二口と中身を含んで、ふう、とカリアは息をついた。


「これからはそこで、この患者の治療を行うつもりなんでしょうね。リョウは」

「おそらくは」

「加害者のマリア・エルテーシアに関しては一カ月の自宅謹慎ということだけれど、……少し気になるわ。目を、やっておいて」

「かしこまりました、お嬢様」


 暗に監視をつけろとの彼女の言葉に、あっさりと肯定の言葉をニースは返してくる。この返答の速さからして、おそらく既に手配は済ませてしまっているのだろう。

 ここ最近派閥としての勢力を拡大させてきているメルヴェリトは、決して扱いを違えてはならないものとして数え忘れてはならない一角だ。特に過激な一団ともなれば、勝手に治癒術師を襲撃しかねない危うさを持っているのである。

 しかし正直なところ、そんなことをせずともきっと、そう遠くないうちにこの国にも治癒術師はいなくなってしまうのではないかとカリアは思っていた。

 何しろ治癒術師の扱う治癒魔術は、複雑怪奇な上に効果が神霊術とまったく変わらない。変わらない、と、つい最近までは確かに思っていた。

 あくまでも過去形でしかないのは、どうやらそれが間違いだったのではないかと最近のカリアは思い始めているからだ。黒の色彩が何気なくこちらに投げた、疑問がカリアのものともなって、今でも彼女の中で淡く、渦巻いているからだ。

 リョウはかつて、カリアに言った。

 何でこの世界には治癒職が二つあって、かつ一方は物凄い隆盛してもう一方は消されかかってるのかな――


「近いうちに、リョウ本人に何をしたのか、顛末全部聞きに行ってくるわ。時間、作ってね」

「またそのような我が儘を、お嬢様」

「いいじゃない。いつも完璧な当主様で、団長様なんだから」


 大仰に息を吐くニースに笑って返し、ふと、彼にも護衛をつけるべきなのだろうかとそのときカリアは思った。

 明らかな異端の塊である彼に監視の目を今もつけていないのは馬鹿なカリアの独りよがりだが、これからはもしかすると、そんな悠長なことも言っていられなくなるかもしれない。

 表向きにはこの事件は、無知な平民に挑発された若い経験不足の祈道士が失敗を犯したという認識しかされないだろう。しかしそのさらに底辺、および裏側に潜み得る薄ら暗い可能性は、正直なところ底知れない。

 もしお守り、作ったらリョウはつけてくれるのかな、本当に作るなら、ペンダントかブレスレットか、それとも…。

 ぼんやりとデザインを考え始めたところで、ニースが再度カリアを呼んだ。


「お嬢様?」

「っ!」


 思わずびくんと体が震えた。別に何もやましいことなどないはずなのに、妙に過敏に反応してしまう自分自身が分からない。

 しかも目前のこの傅役(もりやく)は、少しだけ驚いた顔をした後妙にほほえましいものを見守るような表情をカリアへ浮かべるのだ。何だかいたたまれなくなってきて、非常にわざとらしくごほんとカリアは咳払いした。


「…と、ところでニース」

「なんでしょうか?」

「三日前のツヴェロヘイム殿、五日前のカデリア殿。――彼らに関しての情報は?」


 半分は苦し紛れの話題転換だが、しかしこちらもまた彼女にとって重要な案件であることには変わりはない。

 すっと、それまで浮かべていた表情の一切を一瞬でニースは消した。どこからともなく取り出した、先ほどとはまた別の報告書、こちらは確実に十ページはありそうなものをカリアへと彼は差し出してくる。

 カップに残っていた紅茶をぐいっと一気に干すと、テーブルへとそれを戻して差し出された報告書をカリアは受け取った。決して楽しい話題になどならないことを確信しながら、まず一ページ目を読み始める。

 奇病の全容もつかめぬうちに、彼がまた一つの、奇妙を引き起こしている一方で。また新たな珍事が異常が、この国には現在密かに、闇の内側で音もなく起きつつある。

 どうして人間というものは、こうも静かに落ち着いていられないものなのだろう、と。

 やけに年よりじみたことを、またひとつ息を吐きつつカリアは、思った。




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[一言] 神を盲信してるなら派閥あるいは権力争いなんぞするなよ
2021/12/25 13:04 退会済み
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