P2-14 暗がりに光を問う
ヨルドとアルセラとの長い会話を終えたあと、外に出て見ればもう空はとうに真っ暗だった。
何とか自分を落ち着かせることができた、落ち着かせてくれた二人に感謝しつつ、椋はひとりで家への道を歩いていた。ヘイの店兼家までの距離はもうそう遠くはない。最近は色々物騒だからと、近くの通りまでヨルド達が馬車を出してくれたからだ。
家までの最後の十字路を右へと曲がり、ふっと、ひとつ椋は息を吐いた。
「……長かった」
ぼそりと最初に口を突いた言葉に、我ながら苦笑してしまう。
最初はただのお見舞い、クレイがどうしてもというから仕方なく、何気なくの訪問だったはずだった。
しかし現実は何とも残念なことに、まったく甘くなどなかった。結果的に見せられたのは、教科書に掲載された写真でも見たことがないようなひどい状態に陥っているひとりの少年。
さらには少年を治せる可能性が最も高いと思われる方法は、ここの一般的な「禁忌」に属するものだった。しかも、もしその手術が成功したとしても、彼のその後のQOL(Quolity Of Lifeの略。単に生物医学的側面のみでなく、患者の生活上での多方面的な機能、心身、社会的な状態や機能などを総合したものを指して言う言葉)がどれほどのものになるかの想像がまったく、椋にはつかない。
腕を切断せずに済む方法も、探せばどこかにはあるのかもしれない。
しかし複数人による別々の術の同時使用という方法が潰されてしまった今、もはや椋には思いつくものが切断以外のなにもなかった。何をどう考えようとしてみても、結局は切断という原始的な手段へと、方法論は立ち返ってしまう。
明日改めてジュペスに告げることになるのは、確実に選択という形をした一本道だ。
二人の言葉を聞く限り、複数の魔術を使用することで切断を回避するという方法はほぼ不可能だと考えた方が良いのだろう。なにしろ「成功例なんて当てにならない」とざっくり、言い切られてしまってもいるのだ。
となると相対的に「半分は生き残る」、何かしらの魔術をうまく使えばもう少し確率を高くすることもできるかもしれない下策が良いもののように見えてくるのだから不思議だ。確実に全くよいものなどではないことは、無論椋としても分かっていることでしかないが。
だが、彼に選択「させない」という選択肢もまた、おそらくは椋は用意してはやれないのだ。
なぜなら拒否の先に待つのは、おそらく確実な死でしかない。しかし受け容れても待っているのは、こちらも確実につらい、荊の道。
凄まじく嫌な選択肢だな、と思う。
あまりに情報が足りな過ぎて、判断の材料をどこに持っていけばいいのかすら椋には、分からない。
「ただいま!」
考えながらも歩みは止めず、家のドアを開いて椋は声を上げた。当然のごとく返事はない、…どころか、家自体の明かりがついていなかった。
わずかにそれを不思議にも思いつつとりあえず玄関先の明りをつければ、床の上にぴらりと一枚、非常に雑な汚い走り書きのメモが転がっていた。
「……『届けモンに行ってくる、さっさとメシ作れ居候』?」
首をひねり頭もひねってようやく判読できるかどうかといったところのそのメモは、読み上げてみればまあなんともヘイらしいものではあった。
しかしヘイが家から出るなど、珍しいこともあったものである。一体椋がこの家に来るまではどうやって生活してきたのだろうかと心底から不思議に思ってしまうほど、ヘイは基本的に外出しようとしないのだ。
ヘイは常に、何かにつけて椋を変だ馬鹿だメチャクチャだなどと言うが、正直なところヘイも非常に奇怪な人間だと椋は思う。
この世界において自分が異端であることに今更異を唱える気はないが、同じようなメチャクチャを抱えているのでなければ、いったいどうして当然のように椋の「世迷言」にどこまでもつきあってくれたりするだろう?
「……仕方ないな」
一人で考えていても何にもならない。そもそもヘイとこういう話を始めると、結局はお互いが変だという不毛な言い合い合戦が始まってしまうのだ。
人間なんて押し並べて、皆変な生き物である。
色々と考え過ぎるのも結局面倒なだけなので適当なところで思考を切り上げることにして、メモを手にしたまま椋はキッチンへと向かった。
「それにしてもホント、長い一日だったなぁ…」
冷蔵庫(当然のようにヘイ作)を開いて中身を確認しつつ、ひとり椋はぼやいた。椋はおろか、あの場に椋を連れていったクレイも確実に予想だにしなかっただろう展開には正直、既にへとへとに疲れ切っていた。
最近は平和だなどとぼんやり考えていた、数日前の自分が嘘のようだ。
できたらいいと思っていた人探しも、こんなめちゃくちゃな状況になってしまってはしばらくは確実に、無理だろう。
「……あーあ」
既に泣くだけ泣いて、喚くだけ喚いてしまった後だからか。何をどう考えてみたところで、出てくるのは苦笑とため息と、明らかに面倒なこの先についてのことだけだ。
のんびり平和なままだったなら、探そうと思っていた「主人公」。
その本名は確か、ユーリ。ユーリスレイン・セクタ・ヴァイシャール、が正しい名前だったはずだ。
ヴァイシャールという、この世界のとある王国の王太子であり、継ぐべき国があったなら、王となっていたはずの少年。
しかし「そうでない」からこそ、礼人は物語をここ、エクストリー王国にて展開させようとしたのである。
「……」
切った端から鍋に具を放りこんでいきつつ、椋は考える。
ここ最近の暇だったついでに少し図書館で調べてみたところ、エクストリー王国から二、三国ほど離れたところに、かつてヴァイシャール王国と呼ばれた国は実在していた。かつて、としか形容することができないのは、今はもうヴァイシャール王国は、この世界のどこにも存在してはいないからだ。
さらにもう少し調べてみれば、三年ほど前、クーデターに強力な魔物の襲来、さらに隣国からの強襲も重なって、ヴァイシャール王国は滅びたのだという。
結果として現在ヴァイシャールは、強襲をかけられた先であるエクトラ王国という国に接収され、エクトラの一部として扱われているらしい。
「いや、まあ、そこはいいとして…」
「なァにがどうイイってんだ、テメエは」
「!?」
何の前振りもない乱入に、反射的にびくりと椋の全身は跳ねた。
ちょうどまた別の具を鍋に放りこんでいる真っ最中だった彼の腕もまた跳ねてしまい、結果として。
「ちょ、うわ、熱っち!」
「……何してンだ? おまえ」
勢いつけて鍋へと落下した具で水が跳ね、逃げ切れなかった指に結構に思いっきり熱湯がかかった。
慌てて水に指をつける椋に、至極呆れたような顔をするのは無論この家の主、一体いつ帰ってきたのかも知れないヘイである。指にそれなりな痛みを覚えつつ、帰ったの一言も寄越さない彼を椋は睨みつけた。
「誰のせいだよ、誰の」
「さァな。ま、さッさと帰ってこねェテメエのせいなんじゃねェかね」
ケッとばかりに言い捨てるヘイは、どう見ても非常に不機嫌だ。
しかし理由はさっぱり分からず、椋は首をかしげるしかない。
「……なんでおまえ、そんな機嫌悪いんだ?」
「当たり前だろうが。俺は腹ァ減ってンだよ」
「外出てたなら、それこそ何か途中で食ってくればよかったじゃないか」
「おまえが遅いから悪ィんだろうが」
「いやまあ確かに俺だって、こんなに遅くなるとは思ってなかったけどさあ…」
言葉を続けようとした瞬間、ぐう、とどちらからともなく盛大に腹が鳴った。
互いに完全に意気を削がれてしまい、やれやれとひとつ椋は息を吐く。ヘイは相変わらず不機嫌な表情のまま、ガタンと盛大に音を立てて椅子に座った。
今しがた煮込み出したばかりのスープは、出来上がりまでもう少し時間がかかる代物だ。ヘイの帰ってくる時間が分からなかった故の選択だったのだが、微妙に失敗だったかもしれないと今更ながらに思う。
このままいくと下手をすれば文字通り噛みつかれそうなので、亜空間バッグからパンの袋をがさりと椋は取り出した。その中の一つをほれ、とヘイへ放ってやれば、片手でそれを掴むとほぼ同時にもしゃりとヘイはパンに齧りついた。
椋もまたもう一つ別のパンを取り出し、かぶりつく。良く考えずとも昼から何も食べていなかったため、空っぽだった胃には妙に沁みた。
無言で次を催促してくるヘイにもう一つパンを放ってやれば、またそれにも行儀悪く齧りつきつつヘイは訊ねてくる。
「で? なァにを結局やらかして来たんだ、リョウ」
「うっ」
椋が何かしでかしたことを、疑おうともしない彼に若干ならずがっかりする。
行儀悪くパンをかじりつつ両肘をついてこちらを見やってくるヘイに、げんなりとまた椋は息を吐いた。
「……あーあー、そうだよ。どうせおまえのあの予言が本当になった」
「ハッ。そうかよ」
微妙に腹立たしいことではあるが、やはりそれもヘイには想定内のことだったらしい。あっさり流された。
流されたのならばもうままよと、ヨルドやアルセラの前では恐怖や何やらで相対的に引っ込んでしまっていた感覚、自分勝手な憤りとイラつきのままに椋は口にした。
「ひどい話だよな。こうしなきゃヤバいんじゃないかって俺が言っただけで患者が死にかけたんだぞ? しかも患者本人のせいじゃなく、俺の言葉を無理やり否定しようとしたやつのせいでだ」
「そいつにとっちゃァテメエの方がよっぽどイカれた大バカに見えたって、そンだけの話だろ。まー詳しいことは知らねェが、結果的にゃア、ソイツのほうが筋金入りの救いようもねェような馬鹿だったんだろォがな」
「理不尽だろ、有り得ないだろ。つーか自分の考えを患者にまで押し付けるなってんだ。患者に何の許可も得ずに!」
「……ほォう」
「自分が全能だなんて過信して、結果的に患者殺しかけるとかただの妄想狂じゃないかよ」
口汚い、罵りの言葉を一通り吐き終える。また、深く深く椋は息を吐いた。
今日ヨルドたちに言ったことも、勿論椋にとっては事実だ。椋の言葉に対してあんな事態が起こる、それがこの世界の理であり、ただバカかアホかと叫んでいればどうにかできるような簡単な問題でないことも分かっている。
しかし弁えてはいても、あんまりな理不尽には叫びたくなるのが人というものだ。
少なくとも、水瀬椋という人間はそうだった。さらに言うならこのヘイという男は、椋にそういうことを許し、あまつさえ面白がってしまうような人間であることも椋は知っていた。
果たしてヘイは、椋の言葉にただひとつ笑っただけだった。
「テメエは違うってェのか? リョウ」
「俺がそうなる可能性だって否定できないさ。正直なこと言えば。でも少なくとも、俺にはまだ俺が不完全でどうしようもなくて、それでも足掻こうとしてる馬鹿だって知ってる相手がいるし、俺自身、自分が確実に合ってる、絶対に間違ってないなんて思ってないし」
「なーるほォど、ねェ」
「……あー、悪い。完璧に八つ当たりだな、これじゃ」
いつまでも八つ当たり口調で愚痴る自分も面倒になってきて、がりがりと乱暴に椋は己の頭をかいた。一時は恰好つけることができても、結局そんなカッコつけは長くは続かないのだ。
嘆いたところでどうしようもないと、同時に分かってもいるのだが。ただ自己嫌悪に陥っている暇があるなら、少しでもジュペスのためになることを考えたほうがよっぽど色々なことに対して有意義なのはあまりに明白である。
妙に面白げに、そんな椋を眺めてニヤリとヘイは口の端をさらにつり上げた。
「だァから言っただろうがよ。今度はなにをやらかすつもりだ、どういうメチャクチャを俺にフッかけるつもりか、ってなァ」
「何というか、まあその通りにしかなってない俺が凄く癪に障るんだけど、……とりあえず飯にしよう。俺も腹減ったよ。疲れたし」
パンを咀嚼しつつ、喋っている間に鍋の中の線切りニンジンがとりあえず食べられる程度の固さになっているのを確認する。ぽいぽいと適当量の調味料を放りこみ、戸棚から取り出したカップ二つに、出来上がった即席スープを椋は注いだ。
煮込んだ時間からいってもまだ食べ時とは言い難いが、まあ食べられるだけよしとしよう。
ヘイはしかめっ面だろうが、こっちだって時間がなかったのだから仕方がない。
「ん、で? テメエはこれからなァにをしようってんだ、リョウよ」
スープカップとスプーンとともに椋も席に着こうとすれば、やはり完全に面白がっている顔で、ヘイはこちらをニヤリと見てくる。
正直夕食時の話題が、これでいいのかとも思いつつ。そういや明日からのことに関して、こいつに聞かなきゃならないこともあったっけ、とも思いつつ。
問われた以上はまあいいかと、椋は目の前の魔具師に向かって口を開いた。
7/7の活動報告にて、13-14の間の没ネタが投下してあります。
もしよろしければ、そちらも合わせてどうぞ。




