P2-10 光と影と、乱反射
彼女、ピアレティス・ルルドは迷っていた。
己の身の内に数多く渦巻く疑問の、一体どれからどうして尋ねれば良いのだろうかと、現在の彼女はひどく思い悩んでいた。
「これで少しは懲りたか、リョウ。おまえの知識って言うのはな、ああいうもんなんだ」
「……」
「むしろおまえの言葉を聞かれたのが、全員ああいう手合いじゃなかったことを幸いに思っておけ。可能性としてはそう低い訳でもないんだぞ」
「……すみません」
「別に謝れと言ってるんじゃない。バカな暴走猪突猛進は、それこそ若者だけの特権ってやつだからなあ」
そして思い悩む彼女をよそに、目の前では治癒術師の長たるヨルドが、なぜか黒髪の青年へ説教する光景が展開されている。
現在の彼女たちがいるのは、先ほどマリアとともに彼の話を聞いたあの部屋だ。患者の前でいつまでも騒動の原因がいる理由などないからと、またさらに話すべきこともあるから、と、彼からそんなことを言い出したのだった。
彼女の兄であるクレイが、何を特定して言われるでもなく治癒術師を連れて来たのには少しどころではなく、驚いた。
しかし先ほどの顛末を見るに、おそらくそれしかこの少年を、もう一度回復させる方法はなかったのだろうとも思う。
なぜならマリアがやったことと、同じことしか自分たちには基本的には、できない。他の方法を手繰ることなど、それしか教わってこなかった、そもそも手繰る強い必要性もなかったピアたちには不可能だったのだ。
分からないことは、あまりに多い。自分の兄、…といっても昨今ではそう易々と会うことも会話をすることもできなくなってしまった彼が、そもそも今もこの黒の青年とお付き合いを続けていることすら今日、ピアは知ったのだ。
本当に何からどう混乱しどれから解決していけばよいのやら、現在の彼女にはまったく、判断がつかなかった。
「……ピアレティス様」
「なに? リベルト」
「俺は今目の前で展開されている現状を、一体どのようにとらえれば良いのでしょうか」
「……わたしに聞かないで」
悄然とした青年が治癒術師の長に叱られ続ける目前の光景に、彼女と同じく祈道士であり、ピアのお付きであるリベルトが本当に何とも言えないような表情をこちらへ向けてくる。
無論彼女こそが訊ねたいその内容に応えられる訳もなく、ピアは小さく苦笑し首を横に振った。なにしろ何から誰にどう訊ねていけばいいのか、それすら分からないのだ。
ピアレティス様。もう一度リベルトがひそりと、彼女の名を呼ぶ。
「俺はそもそも、貴女があの黒髪の青年を知っていたというそこから驚いているのですが」
「え?」
彼の言葉に、わずかにピアは目を見開いた。幼馴染であり、他の誰より一緒にいる時間の長いリベルトには、もうとっくに話していたはずの事柄だったからだ。
しかし確かに言われてみれば、リベルトが実際に「彼」、リョウと顔を合わせるのは今日が初めてである。あまりに色々なことが一気に起こりすぎたせいでだろうか、そんな単純なことにも思考がいかなくなっていたらしい。
ふわりと、小さくピアは笑った。
「以前わたしを治して下さった、魔法の手の持ち主というのは、あの方なの」
「えっ?」
思わず、という形容をするのがおそらく、一番彼の現在の心境を表現するには合っているのではないだろうか。驚いたようにリベルトはその目を見開き、改めてまじまじと目前の光景――ピアたちとは異なる癒しの手、治癒術師に叱られ続ける青年の図を凝視した。
しかし彼女らが会話するうち、いつの間にかそのお説教は一段落がついていたようだ。
リベルトに倣って視線をまた彼らへと向けようとしたピアは、唐突に呼ばれた己の名前にわずかにその場に飛び上がった。
「ピアさん」
「は、はいっ!」
リベルトではない「彼」の声に、思わず声まで上ずった。落ち着きのない彼女の様子を子どもっぽいと思ったのだろうか、わずかに困ったような笑みを目の前の黒の青年は浮かべた。
見上げた先で一瞬だけ視線が合ったが、しかしすぐに、彼はその視線を別の場所へとやってしまった。彼が、息をつく。
「それから、リベルトさん、だっけ。……俺のせいで、ひどい騒動になって、巻き込んでしまってすみませんでした」
息をつき、淡々と言葉を発し。そしてそれがまるで当然のことであるかのように、ピアたち二人に向かって彼は、頭を下げた。
あまりに「自然」にすぎる彼の言動に、一瞬何が起こっているのかピアには分からなかった。たっぷり二拍ほど遅れてようやく状況を理解した彼女は、思わずぎゅっと眉を寄せる。ひどいことをしたのは、ひどいことをしでかしてしまったのは、むしろピアたちこちらの方、祈道士の側だというのに。
以前に聞いた時より少しざらついて低くも聞こえる彼の声は、自分のせいであんな騒ぎが起きたと、きっと思いつめてしまっているからだ。
ぶんぶんと、小さくピアは頭を横に振った。
彼がこちらに頭を下げなければならない理由など、絶対にどこにもないと、思った。
「いいえ、…いいえ、リョウさま。どうか頭をあげてください、そのようにわたしたちに謝ったりなどなさらないでください。さきほどの彼を見てようやく、わたしは先ほどリョウさまが仰られていたことが分かりました」
「……」
しかしピアの言葉にも、リョウは頭をこちらへ下げたままだ。
むしろ彼女にも分かるような変化を見せたのは、ピアたちのやりとりをすぐそばで聞いている治癒術師たちの長、ヨルドの方だった。
ひょいとどこか面白げに、彼がこちらに向かって片眉をあげたのだ。風の噂によれば彼は、滅多なことでは他人に対して一定以上の興味を示さない人物ということだったが、ある意味やはりとも言うべきか、人の噂など頼りにはならないものらしい。
だがそれよりも、今はピアたちの方へと頭を下げ続けている青年のことである。
なんとか彼が頭をあげてくれないだろうかとピアが困っていると、すっと、横から別の声がまた青年へと声を向けた。リベルトだ。
「僭越ながら、俺もピアレティス様と同じ感想を抱きました。……リョウさん、でしたね。あなたは、彼に神霊術を使用すれば、ああなってしまうことを予測していたのですね?」
リベルトの口調は、さきほど彼へとぶつけていたものとはまるで違う丁寧なものだった。その変化はおそらくどちらかといえば、彼自身がこの青年を認めたというより、主であるピアの意を酌んでのものだろう。
疑問の形をした確認のようなリベルトの言葉に、ゆっくりと黒髪の青年は頭をあげた。
ふっとまたひとつ息を吐いた彼は、小さく苦笑してこくりと、リベルトの言葉を肯定する仕草を見せる。
「そう、ですね。なんとなくは」
それがどうしてかを聞かれると、ちょっと俺には説明しづらいというか、分かってもらえる自信がないんですけど。
そして苦笑の表情のまま、にわかには理解のしづらい言葉を彼はこちらへ向けてくる。
ピアは首をかしげた。
「それは、どういうことでしょう?」
久しぶりにこちらに顔を見せたかと思えば、それが本人の意思かどうかは知らないが、両極端にとんでもないものを当然のようにつり上げている。
どうやらやはりとも言うべきか、相変わらずらしいリョウの様子にヨルドは笑わずにはいられなかった。この黒い青年が異端の知識持ちなのは既にヨルドにとっては確認するまでもないことだが、しかし一体何がどうして、その知識の一端を、メルヴェリト――治癒術師排斥派とも言い換えられる、祈道士至高主義の人物と目の前の彼女らのような人間、双方に聞かれるような事態になるのだ。
しかもある意味では非常にメルヴェリト「らしく」、暴走したあの少女と他の二人は、違った。今ヨルドたちの目の前にいる少女とそのお付きらしい少年には、リョウの言葉の「異端」を、理解はともかく事実として、その欠片だけでも受け容れるだけの柔軟性があるようだ。
だからこそリョウの異端を「なぜ」と訊ねる少女に、ひどく困った顔を現在のリョウは浮かべている。当然だろう、祈道士の少女と少年に、あの仮説を説明してみたところでせいぜい、おまえは何を言っているのかと、なぜそんなことを言いだすのかと唖然とされるのがオチだ。
まあ仕方ない、少し助け船を出してやるか、と。
己の顎を片手で撫でつつ、ヨルドはゆっくりと口を開いた。
「ピアレティス嬢、だったか。確かケルグレイス・ルルドの一人娘が、そんな名前だったな」
「父をご存じなのですか?」
何を耳にする前からほぼ確信に近かったそれは、ヨルドの言葉に目を瞠った金髪碧眼の少女によって完全なる事実となった。
ケルグレイス・ルルド。少し前に一線を退き、今は下賜名持ちの十家のひとつであるオルヴァ家にて、武術指南をしているという元騎士の名だ。
どこか嬉しげにも見える少女の瞳に、一体何を言おうとしているのかと、わずかな驚きと疑念を込めてこちらを凝視する黒の目に。
ふっと小さく笑って、ヨルドは言葉を続けた。
「ああ、少し縁故があってな。……なあピアレティス嬢。あんまりこいつには、容易くは探りを入れんほうが身のためだぞ」
「えっ?」
そして少女を肯定してやりながら、ざっくりと本題へとヨルドは切り込む。
本当ならこのようなことを言ってやるのは治癒術師である己より同じ祈道士であるアルセラのほうが良いのだろうが、生憎この場に彼女はいないのだ。ないものねだりはしても仕方がない。
「こいつはな、まあ見た目通り決して悪い奴じゃあないんだが、なにしろ内側に抱えてるもんが特級の爆弾だ。下手にお嬢ちゃんがこいつと関われば、祈道士の職を失うどころか、教会自体を破門されるようなことにもなりかねないぞ」
「え、……は、破門? どうしてですか?」
何も知らない人間が聞けば、とんでもない飛躍をしているようにしか思えないであろうヨルドの言葉に少女が目を白黒させる。
しかしヨルドが述べたのは、決して嘘偽りも誇張もなにもないただの事実だ。それだけのものを、本質的に本人の意識に関わらず、リョウという人間は持ってしまっている。
少女と同じように唖然と目を開いた少年の方が、少しためらいがちに口を開いた。
「ヘイル癒室長閣下。……他の誰でもないあなたが、そのようなことを仰るのですか?」
その言葉には思わず笑った。神罰すら恐れぬ異端の術師、多くの穏健派はどうか知らないが、少なくともメルヴェリトに属する者たちの間では、己がそう呼ばれていることなどとうにヨルドは知っている。
だからこそ、すぐさまヨルドは少年の言葉へと肯定を返して見せるのだ。
「ああ、そうだ。こいつ、リョウの持ってる知識は、さっきお嬢ちゃんと少年、おまえたちが見た程度のもんじゃないぞ」
「だ、黙って聞いてれば人を化け物か何かみたいに、」
「事実だろう。だからこそ今日みたいなことが起きたんだ、違うか?」
「う…っ」
さすがに色々耐えかねたのか、リョウが口を開きかけるがヨルドの一言でまた彼は押し黙った。
あからさまにものすごく落ち込んでいるその表情を見るに、一切の冗談抜きに相当、今回目にすることになった「事実」はこの青年にとっては衝撃だったようだ。
しかしある意味ではそれは、この青年そして今回の患者に限って言うなら僥倖とも言えたのかもしれない。なぜなら彼の知識によって、誰かが死ぬようなことには少なくとも今日は、ならなかったのだから。
無論今日起こったすべてを考えるなら、とてもではないがそんな言葉は使えたものではないのはヨルドとて分かっている。
事態の一番の被害者は、何とかヨルドの術によって眠りにつかせるところまでは成功させたあの少年だ。まったくいったい何がどうなれば、治癒術師の治癒以外受け付けないような状態になるのやら、である。
さらにあの患者に関して言うなら、ヨルドにも気になっていることはいくつもある。しかし今はそれを、表だって口にするような状況ではない。
実際に彼が口にすべきもの、向かい合うべきものはそれとは、別にある。
「だからお嬢ちゃん、少年」
今日、ここで起きたことやおまえたちが見たことは忘れろ。忘れた方が、結局は自分たちの身のためだ。
淡々と静かに諭そうとしたヨルドの言葉は、しかし最後まで空気にのせられることは、なかった。なぜなら。
「忘れません」
「えっ」
あまりにきっぱりと、具体的にヨルドが何を口にするより前に少女がそう言い切ったからである。
少女らしくどこか初々しい、可愛らしく整ったその顔に現在浮かんでいるのは、頑ななまでの強い意思の光だった。その光は過去よく世話をした、ひとりの同期の騎士――ケルグレイスのそれをヨルドに彷彿とさせた。
ヨルドならずとも、彼女の反応は予想外だったのだろう。驚きの声をあげたリョウに、少女はひたとその強い視線を向ける。
「リョウさま。わたしは祈道士として特に優れているわけでもなければ、人やものの扱いに長けているという訳でもありません。……ですが、リョウさまの持っていらっしゃるという知識が一人でも多くの苦しむ方々を救える可能性になるのなら、わたしはそれを、恐れたくはないのです」
「…ピアさん、」
「ピアレティス様、それは、」
「いいの、リベルト。――お願いです、リョウさま。わたしに、あの方を助ける方法を教えて下さいませんか」
「……っ」
少女の強い言葉と表情、視線には、直接それらを向けられるリョウだけではなくヨルドまでも小さく息を呑んだ。傍らのお付きがわずかに制止するようなそぶりを見せたが、彼女は少年が何を言うより前に、確固たる意志を持ってその首を横に振った。
まったくこんな人間を、当然のように埋没させることができるのだから教会という組織は怖いとヨルドは思う。
最近の若い祈道士たちは自分の力に疑問のかけらも持ちやしないとアルセラは嘆いていたが、それは結局、絶対数があまりに多いせいで彼女の目が届かないというだけのことなのだ。ヨルド含め、どうしようもないこと、でもある。
彼らの沈黙をどう取ったのか、少女はさらに言葉を続けた。
「もしもその方法が、先ほどヘイル癒室長様の仰っていたようなことにつながるというのであれば、あの方の身柄はわがルルド家で責任を持ってお預かりします。お金が必要というのなら、わたしのできる範囲であれば工面させていただきたいと思います。……ですから」
だから、と。
一度決めたら絶対に引かない、きっと梃子でも動かないのだろうその姿は、そう。
「はっは。見た目は似てないと思ってたが、意志が強くて、一度決めたら引きそうにないところはケルグレイス殿にそっくりだな。お嬢ちゃん」
「おほめの言葉、ありがとうございます」
思わず笑ってしまうヨルドに、にっこりと笑み返してくる少女。
遅くに授かったこともあり両親ともに溺愛する子と聞いていたのだが、なるほど彼らの溺愛は、ただ蝶よ花よと下にも置かぬ、そんな育て方をすることではなかったようだ。
そんなところに心底から感心してしまいつつ、傍らで相変わらずに沈黙する黒の青年をヨルドは見やった。あからさまに何がどうやら反応しかねているのが全面に出ている間抜けな表情に、思わず噴き出しそうになるのをこらえるのが、地味に大変だった。
こみ上げてくる笑いの衝動を何とか押さえようとしつつ、ヨルドは彼へと向かって口を開く。
「リョウ、こんな騒ぎになっちまったんだ。どうせあの少年はもうここにはいられんだろう、お嬢ちゃんの提案に、乗ってやってもいいんじゃないか」
「そ、れは確かに、そうなんですけど、…でも」
いつになく言葉の歯切れが悪いのは、おそらく自分のひとことが、あんな状況を作り出してしまったが故なのだろう。だからこそリョウは躊躇している。彼が確かに保持する異端を、この少女とそして少年という「他の人間」に果たして、本当に教えてしまってもよいのかどうか。
しかし現在の状況と彼女のこの目、そしてルルド家という家名、その家柄を考えれば選択肢はもはや、ひとつしかない。そしてそれもまたおそらく、この決して、不注意であまりに暢気で無自覚だが、決して愚かではない青年なら分かっているはずのことなのだ。
しばし、ひどく思い悩むように青年は口のあたりを己の片手で覆った。眉を寄せ、らしくもない真剣な切羽詰まった顔をし、思考する。
そして決して短くはない、軽くもない何とも言い難い沈黙の後。
ひどく重いため息をひとつ、青年は長く、吐いた。
6/26づけの活動報告にて、9と10の間くらいの没ネタが転がっております。
もしも興味がありましたら、ご覧くだされば幸いです。




