P2-04 その黒鳥は何処へ飛ぶ
ある意味で椋の予想外に、急性アルコール中毒の一件の後、カリアは口に出しては何も言わなかった。
逆に触れられないのにも、何となくすっきりしない感覚はある。しかし、だからと言って敢えて、自分からやぶをつつく気にも椋はなれなかった。
ヘイが指輪や腕輪として、治癒魔術ふたつの魔具を創った理由を椋は知っている。
ワケわからんのに絡まれたくなけりゃ、基本的に魔術は自分が使ってることにしてろ。改めてヘイからそんなことを言われたのは、アノイによる唐突のアイネミア病終息後にぶっ倒れた彼が、まるまる一日半も眠り続けた挙句に軽く五人分以上の食事を一気に平らげた上でのことだった。
そしてあのときのカリアの目は、明らかに「異常」なものを目にした人間の目だった。
敢えてなぜと問われたなら、それなりに答えもしただろう。下手に何を隠したところで、きっといつかは珍妙に王命にすり変わるだけのことだ。
しかしカリアが選んだのは、問いかけではなく無言だった。
彼女が何を言うこともないままでいてくれた以上、椋もまた現在の、どこか綱渡りにも似た平穏を自分から崩すつもりは、なかったのだ。
「……やれやれ」
思わず苦笑し、ため息をつく。
自分で選んだ道ながら、決して後悔はしていないながら。頭が疲れる、とは、明らかに誰もかれもが自分を過大評価しすぎだ、とはここ最近、折に触れて椋は思う。
今更そんな事実に文句を言うことも、無論現在の椋にはできない。そもそも現状への文句など、過去に細かいことを考えようともせずただ突っ走った椋自身に向かって、適当に放り捨てるくらいのものでしかないのだ。
きっとこんな面倒を、予め知っていたところで同じ方法しか椋は選べなかっただろう。多少悩む時間は増えたかもしれないが、しかし結局はその程度のものだ。
知り合いの、自分に優しくしてくれた人たちの理不尽な死や病態の悪化と、現況にちらつく椋個人の面倒。
天秤が圧倒的に前者に傾くことは、椋にとっては自明の理でしかない。
「……」
考えながらぼんやり歩いていても、既に慣れ親しんでしまった道を椋が間違えることはない。足は半ば自動的に動き、ふと気づけばヘイの家のドア前に椋は立っていた。
どうしたところで同じ行動しか選べないのなら、下手な悩みはするだけ無駄だ。
どうなるかも分からない可能性に一人で悩むくらいなら、その時間を使って国教、メルヴェ教についての勉強をしたほうがよほど有意義なはずだ。幸いなことに、現在の椋には時間はしっかりあるのだから。
「ただいまー」
赤の飾りを三、金色の飾りを五、銀の飾りを一、白の飾りは飛ばして緑の飾りを二。
絶対に他のどの家より面倒だろうドアを開錠し、椋はドアを開く。返事は返ってこない前提で、一応声も上げる。
しかし少しだけ予想外なことに、明るい室内に椋が目を細めるとほぼ同時にあがった声があった。
「ン? ああ、帰ってきたのか」
どことなく猫背でテーブルにつき、口いっぱいに料理を詰め込みつつ顔を上げた家主の姿に、わずかに椋は目を開いた。
微妙にくちゃくちゃ音がしているのが耳障りだが、彼の行儀が悪いのはいつものことなので気にしない。ちなみに目前のヘイが口にしているのは、どうせいつもと同じく帰ってくるまで手なんてつけないだろうと椋が予想していた晩飯である。
今更何を遠慮するような仲でもないので、とりあえず素直な感想を相手へと椋は述べた。
「珍しいこともあるんだな。おまえがちゃんとこの時間に晩飯食ってるなんて」
「ハッ。なにしろきちんと食っとかねェと、どっかの誰かがうるせェからなァ」
「おまえなぁ。言っとくけどうるさいとかそういう問題じゃないぞ、これは」
色々とどうしようもないヘイの言葉に、もはや椋も笑うしかない。
しかし居候の身としては、多少は心配にもなるのである。何しろ一度何かを作ることに没頭し始めると、ヘイという人間は完全に周囲を全く「見なく」なるのだ。
見えなくなる、というよりも、彼の桁はずれの集中力が、魔具の制作に関係するもの以外すべてをヘイから完全にシャットアウトしてしまうのである。それが良いことなのか悪いことなのかは、椋は知らない。
今でこそ「居候」と認められている椋ならば、一応そんな状態のヘイであっても、彼の認識範囲内には入る。
しかし居候開始当初は、本当にひどいものだった。何度声をかけてもつついても叩いてみても応じないヘイを仕方なく放置しておいたら、いきなりバタンドンガシャンと物凄い音がして、何かと思えばあまりの空腹にヘイが倒れていたということも、決して一度や二度ではなかった。
今はあのころとは随分、色々なことが変わった。――過去の景色は妙に遠く、妙に可愛いものにも思えた。
変わったものと、変わらないもの。
変わらないものの恩恵で、今も椋は、ここにいる。
「……三ヶ月、か」
「リョウ?」
改めて日数を何となくだが数えてみて、既に何もかもが唐突に変わってしまったあの日から、三カ月が経過していることに椋は気づいた。暦などについては礼人も考えるのが面倒だったのかもしれない、この世界では全世界的に椋の知るものとほぼ同じ太陽暦が採用されているため、「月」による日数経過の把握は、椋にもそれなりに容易い。
三ヶ月。それは椋にとってみれば、長いようで短いような、何とも形容のしがたい日々の連続だった。
うまくなど進めない世界の中、それでも必死に滅茶苦茶に身勝手に足掻こうとした結果が現在である。この三カ月の間である程度は椋もこの世界を知り、理解し、どうしても現実や理論に納得できずに自分勝手に動いたりもした。
元の場所に戻りたいと、思う気持ちは今でも変わらない。
しかしそれを思うと同時に、明日は何をしよう、晩飯何にしようなどと暢気に考えるくらいにはなってしまっているのだからある意味、慣れというのも恐ろしいものである。首をかしげてくるヘイに、ひょいと肩をすくめて椋は応じた。
「いや、おまえと会って、大体三ヶ月経つんだなぁってさ」
「あ? ンだよ、唐突に」
「何だろうな、我ながら。探し物が見つかりますよって、何かそんな感じの占いの結果もらったからかもな」
「は? 占い?」
「しかし探し物って言っても、なあ」
ほぼヘイの疑問には答えてやっていない自覚はありつつ、椋はただ笑ってみるしかない。
探しものは、もうすぐ見つかる。果たしてあの老魔術師の「ババ様」、ロロイーが何をどう考えどう判断して占いの結果としての言葉を椋へと向けようとしたのかは分からないが、現在の椋が探しているものは、大まかに分けて実は三つあるのだ。
ひとつはこの家まで帰ってくる途中でも考えていた、巡り巡って椋がこの国の王様にまで辿りついてしまう原因にもなった、この世界における「医療者」としての椋の在り方だ。
中途半端な知識しか持たない、一切の臨床経験のない椋が医療介入を行う危険性は分かっている、つもりではある。基本的に椋が今まで紐解いてきた知識は、一度気づけば誰にでも実行できるような無難なものにとどめている、つもりでもある。
だが実際の境界線など結局、椋にはまったく分からない。
いつか何か、とんでもないことをしでかしてしまいそうな感覚も椋の中に、どこかにはあった。しかし少しでも自分が「そういうもの」として役に立てた、今も役立っているという実感に、結局はそのような懸念はいつも、曖昧に押し流されてしまっていた。
元気になったと飛び跳ね、抱きついてくる子どもたちは重たいし時々邪魔だが可愛いし、治ってきたよ、よかったと笑いかけてくれる大人たちの穏やかな表情を見るのはほっとする。
一応丸四年弱医学生をしておきながら、今更のように医療というものの威力を、椋は身にしみて感じているのだった。
「――とりあえずテメエの異者の道は、今度は何を探してなァにをするのかねェ」
不意打ちの声に、思わずびくりと身体がわずかに震える。特に何を言ったわけでもないのに、まるで椋の内心を読んだかのような言葉をニヤリ笑いとともにヘイは向けてきた。
ヘイらしいといえば非常にヘイらしい、遠慮も何もあったものではないそれに思わず、椋は半眼になった。
「なんで俺が何かすること前提なんだ? ヘイ」
またアイネミア病のようなことが起こったなどとなればまあ分からなくはないが、さすがにあのレベルの滅茶苦茶は、そうそうは起きないものと思いたい。
しかし変わらず、ヘイはしれっとしたものだ。
「ハッ。今更俺がわざわざテメエに言ってやらにゃーならんようなコトかァ、そりゃ?」
「いやそりゃ、確かにおまえにはかなり色々迷惑…かけた…けど…」
「ったくよォ、リョウ、テメエも男ならグズってねェで早々に諦めろ。嫌だってンなら断言してやる、テメエは絶ッ対にまァた何ンか変なことしでかすッてな」
「……おまえなあ…」
ここまでずけずけ言い切られてしまうと、もはや反論どころか悲しむ気力すら湧かない。ついでにこの先に対して、嫌な予感しか抱けなくなってくるのだから困ったものである。
しかも何が困ると言えば、基本的にヘイのろくでもない言葉は逆夢になったためしがないのだ。どうせならもっといいことを言い当ててくれるならこちらの気も楽だというのに、である。
思わずげんなりとため息を吐いた椋に、わずかに目を眇めたヘイが訊ねてきた。
「つーかリョウよ。おまえ、それ以外にもまァだ、何か探しモンでもあるってェのか?」
銀か青か、未だに区別がつかない不思議な色の目が椋を見てくる。
さらりと彼へと、椋は応じた。
「帰る方法が相変わらず、前も今も絶賛五里霧中だよ」
そう、もうひとつは当然のことながら、椋の元いた世界へ戻る方法だ。
この世界に放りこまれた当初より希求の度合いは低くなっている自覚があるが、断じて戻りたくなくなったわけでは、ない。今更医者になる夢を、諦める気にも相変わらず、ならない。なれない。
これに関してはこの世界に放り出された当初から変わらず、何の手がかりも見つけられない。
どころか、自分がこの世界の人間でないことを、そういう類の話に関係できそうな人々に椋が打ち明けたのすらつい最近なのである。――相変わらず一体何をどこから探せばいいものやら、正直なところほとんど見当もつかないような状況が続いている。
そして。
「あとは、」
あとひとつは、そして。三つの探しもののうち、最後の一つは。
ロロイーの言葉を受けたときに、改めて探してみようかと思った、ひとつである。
ある意味では帰る方法よりも、探すのは大変かもしれないものだ。しかし今更「それ」が存在しないことを、疑う理由もまた椋には、ない。
なぜならここが本当に「物語」の中ならば、存在して当然のはずの人物と椋はまだ出会えていないのだ。――この世界を「物語」の舞台として成立させるため、かつて礼人がその中心に据えた人物、ひとりの少年と。
「彼」に関する椋の記憶は、今となってはどこか曖昧だ。
しっかり覚えているのは本当の名前と、物語の筋と主に礼人の趣味によって創り出されたその「過去」のみ。「本当の」名前というところからも分かるように確か「彼」はこの国では名前を変えているはずなのだが、肝心のその偽名も椋は覚えていないというのだから、何とも探すには面倒なことである。
――おまえさんの探しているものは、おまえさんの手によって探し出され動き出した幾多の未来の先に現れる。
ふと、また昨日のロロイーの言葉が思い出された。
俄かにはどう反応すればいいか分からず黙りこんだ椋に、老魔術師は淡く、どこか意味深に笑って見せた。
彼女の占いを、ただ盲目的に完全に信じた、というわけでは、ない。けれどこの先何をしていけばいいのか、戻るためにはまず何からどう片付けていけば、進んでいけばいいのか。まったく見当もつかなかった椋にとっては、彼女のくれた言葉は椋のこれからの行動の指針を定める、手掛かりにはなり得るものだった。
なにしろ椋の知る限りの「その他」「周囲」の人物は既に勢ぞろいしているのに、肝心の「彼」一人だけが未だ椋には見つけられていないのだ。
ならば探す他の二つより、まず「人探し」をしてみるというのもありかもしれない、と。全員が揃って、あいつの描こうとした物語が動き出して、その結果帰る道がポンと目の前に現れたりしてくれないだろうか、などと。
そんなことを実は椋は、一人で密かに、思っていた。
「おい、リョウ?」
「ん、いや。なんでもない」
怪訝な目を向けてくるヘイへと、首を横に振った。何しろそれはどこまでもあくまでも、椋のしごく個人的な人探しにすぎない。
そもそも顔すら知らない相手の、本当の名前や、きっと誰にも明かしてはいないだろう過去を椋が知っているのは礼人のせいだ。
理由は全く分からないが、どうしてかこの世界ではかつて、礼人が椋へと語った物語の舞台や人物の設定がすべて現実になっている。魔術や貴族や王様に加え、登場人物の外見性格までもが同じとあっては、今更その部分への否定を考えても、ただの無駄としか思えない。
しかしヘイをはじめ、この世界に最初から住んでいる誰もにとってみればこの世界は決して作り物、虚構などではない。
今この世界に放りこまれ生きることを余儀なくされている椋とて、勿論例外ではない。この世界は、今目の前にあるすべてはただの「現実」であり、それ以外の何でもないのだ。
メタフィクションを、思考に持ち込むのは自分一人でいい。そもそも人探しにしたって、あの占いの上に、ここ最近が非常に平和だからという、微妙にくだらないような理由の上で思考に浮上してきたアイディアの一つでしかないのだから。
椋の言葉に表情に何を思ったのか、フンとひどくつまらなそうにヘイが鼻を鳴らした。
「言う気がねェなら最初から何ンも言うんじゃねェよ。地味に気になる」
「悪い悪い。ほら、今日おかみさんが作ってくれたケーキ貰って来たから機嫌直せって」
「リョウテメ、俺を菓子で釣りゃァいいと思ってねェだろーな」
「ないない。だからほら、せっかくだし俺も食べたいし、コーヒーでも淹れるか」
さらりとヘイの睥睨を流せば、また至極めんどくさそうにヘイはひとつため息を吐いた。しかしそんな悪態をつきつつ、実際にヘイは何を問うこともなく流してくれてしまう人物であることも椋は知っている。
皿とコーヒーの準備をしつつ、なんか平和だよなあ、と。
妙にしみじみ、椋は思った。
――その平和が仮初でしかないことなど、全く知る由もないままに。
思考が酷く、ぼんやりする。
他の誰でもない、自分の身体だ。一昨日より昨日、昨日よりそして今日。日を追うごとに自分の体調が明らかな悪化の一途をたどっていることを、既に彼は冷静に理性で判断してしまっていた。
見上げる天井の模様が、かすむ。不気味に歪んで見えるそれはおぞましい怪物にも似て、今にも自分に向かって飛びかかってきそうな錯覚まで一瞬だが彼は覚えた。
無論彼は、分かっている。ここがどこなのか自分がどのような状態にあるのか、おそらくそれなりには正確に理解していると思う。
怪我の治らぬ自分。怪我のせいで出た熱が未だに下がらず、あのとき魔物にやられた腕の痛みも悪化する一方だ。
ただ一度の場で使い捨てられる兵の数など、決して少なくないことを彼は知っていた。
しかし同時に己がそこへ、決して落ちることが許されないこともまた彼は、よく理解していた。
「……っ、く、」
己の吐く息は奇妙に熱く荒く、どこか閉塞した空気の漂う病室には日が差さない。
誰か一人が回復したかと思えば誰かの命がなくなる、ここはそんな場所だった。未だ回復することのない身体はこの場所に閉じ込められ、いつ己の番になるかも分からない救いの手の存在を幻想に見て、日々をやり過ごしていくしかない。
なんという惨めな己の有様だろうと、思う。
何というほかに手の施しようもない、己の訳の分からぬ現在の状態であろうと、彼は思う。
「た、す…け、」
呻く声が耳朶をかする。この場に放りこまれたまま誰ひとりの見舞いも来ない、まともな祈道士の回診があったかどうかも怪しいひとりの声だ。
あまりに不条理で身勝手な世界を、もはや嘲笑する元気すらなくぼんやりと彼はただ天井を見上げた。決して清潔とは言えないそれに貼りつく不気味なシミは、ぼやける彼の視界にはともすれば、それが化け物じみたものであるかのように映る。
他より若干広いこのベッドを、誰も使いたがらない理由を今更になって彼は少し、理解できたような気がした。
そんな理解ができたところで、現在の彼を取り巻く状況の何が好転するという訳でも、ないのだけれど。
「……み、ず、」
「し、…ったく、…ね…っ」
「だれか…」
一つの声に、押されるように。
どこか怨嗟めいた掠れかわいた声が、風の前の落ち葉のような弱々しさと無力さで空間に刹那だけ、響く。助けの手などどこにもない、平等の慈愛を謳いながらも所詮は貴族の貴き血のため動く治癒職の者たちが、失われたところで誰が悲しむわけでもなければ誰が責めるわけでもない、些細で価値のない命を慮るはずも、ない。
ああ、そうだ、知っている。世界というものはとかく、どこまででも不平等で惨く残酷で、それでいてどこまでも美しく儚く優しいものなのだ。
だからこそ人は世界を生き、命を持ち、何が待つかなど誰も分からぬ不確定の明日を未来をどこまでも愚かなまでにまっすぐ、欲するのだ。
「……っ、ごほ…っ」
体が熱い、腕が痛む。心臓がひとつ脈打つごとに、魔物に穢された腕が己のものではなくなっていくような気さえする。
随分弱気になっていると、彼は己を苦笑しようとした。うまく口角が持ち上がらないことに、嘲笑するようにあぎとをひらいた天井のしみの魔物に、わずかに戦慄した。
黒く、何かがまとわりついたような感覚の消えない右腕。日を経るごとに痛みを増し、指先一つを動かすことにすら苦痛を覚えるようになって久しい。
失う訳には、いかないのに。
たとえ何があったとしても、こんなところで、自分の、命は。
「ごほ、…っげほ、…っ」
咳き込む喉はかわいて枯れ、他の兵たちと同じく水分を欲するようになって久しい。
光のささない、明るいはずなのにくらいここは、今がいつかも分からない。一日二度の食事でさえ、それが朝なのか夕なのかすら、配膳役以外はおそらくもう誰にも分かってはいないのだろう。
空気が淀めば病を呼ぶと、この部屋ではある程度の清浄とそれなりの光明は常に、魔具によって保たれてはいる。しかしそれらはこの場の全員へ光明を見せ全員へ風を届けるにはとてもではないが力不足であり、結果として人の感情という淀み、濁りは情けも容赦もなにもなく、鬱々とこの場に降り積もっていく。
ここにいては、いけないと。はやくここを、出なくては。
本能的に分かっていても、もはや、体は動かない。
「……ぼくは」
僕には生きる、義務がある。生き続けていく必要がある。
自身に言い聞かせるように、幾度も胸中で彼はとなえた。痛みに熱に邪魔されながら、それでも彼はとなえつづけた。
熱の疲弊が彼へと誘う、浅い眠りへ落ちながら、
どうか足掻く手段をと、焦がれるように、彼は、願った――。




