金と銀とに潜んだ光 4
一通りの問答を終えたあとも、主にこれからのこまごまとしたことについての話は続いた。
まあひとまずはこんなものかと、腕にした何かに目を落として苦笑し立ち上がったのはおおよそ、椋たちがラピリシア邸に到着してから一時間半ほどが経過したくらいだった。
「……はーっ…」
見送りはいらん、案内はニースに任せる。
そんな言葉でざっくりとアノイは二人を突っぱね、むしろそんな時間があるならおまえたち二人で積もる話でもしろと笑って去っていった。
その背を見送り扉が閉まった、瞬間椋とカリアはまったく同時に深々とため息を吐いた。まるで示し合わせたかのような完璧なタイミングに、驚いて思わず顔を上げればカリアもまた、椋と同じような顔をして彼を見つめていた。
ふっとひとつ笑ってその視線に肩をすくめ、金色の瞳をした少女の名を椋は呼ぶ。
「カリア」
「なに?」
「何か嵐のあとの脱力感というか、…ごめん、なんか俺結構、本気でどっかで緊張してたっぽい」
何しろ色々と非常識で、予想外な王様を相手にした直後だ。確実に行儀悪くずりっとソファーに深く沈みこんだ椋の様子に、くすりと小さくカリアは笑った。
決してアノイと真っ向から相対して話をすること、それ自体が嫌だったわけではない。
しかしやはり基本的には知らない人間を相手にして、らしくもない、この世界ではヘイ以外の誰にもしたことがなかったような自分語りをさせられた椋である。どうやら椋が思っていた以上に、先ほどまでの状態は椋にとって、ストレスになっていたらしかった。
その結果として肩だけではなく、妙に全身の力までもが抜けてしまったのだ。今目の前にいるのが友人であるカリアだけだというのも、確実にそれなりに影響しているのだと思う。
「無理もないわ。私だって驚いたもの、まさか陛下があなたの迎えに行かれた、なんて」
「ちょこちょこ噂は聞いてたけど、ホントに変な王様なんだな。アノイって」
「ええ。昔からずっと、陛下は変わらずにあんな感じの方よ」
「そういえば聞きそびれてたんだけど、カリアとアノイって仲いいんだな」
先ほどまでの二人を見ていて、思ったことをぺろっと椋は口に出した。
何の気なしのその言葉に、カリアは一瞬凍りつき、ややあってはあっとひとつ深々と息をついた。
「…リョウ、そういうこと他の人に言っちゃだめよ」
「カリアしかいないから言ってるんだよ、一応」
一応理由はあるらしいが、現在二十五のアノイは未だに独身だ。椋の元いた場所ならともかく、この世界での結婚適齢期は大体十三から十八くらいらしいこと、さらにアノイが仮にも一国の王様であることを考えると、明らかにものすごく、異常である。
そんな彼と下手に仲が良いなどと言ってしまっては、妙な噂の根も葉もない出所にもなりかねない、ということなのだろう。椋自身にではないが確かにそういう類の噂の覚えはあるので、へろりと椋は笑ってカリアへ肩をすくめてみせた。
そんな彼の様子に、どこか困ったようにカリアは苦笑する。
「それならいいけど。…陛下はほら、今日のことにしてもそうだけど、他人で遊ぶのが好きな方だから」
「いや、いいの? あれ、遊び心で片付けて」
「そうする以外に仕方ないわよ、陛下なんだもの。まあそれはとにかくフェンツィア様、皇太后さまがラピリシアゆかりの人間だったこともあって、昔から私は、折に触れて陛下のお遊び相手だったのよ」
「皇太后って、確か今の王様のお母さん、だったっけ。なるほど、そういう繋がり方だったんだ」
「ええ」
椋の敬意のぞんざいさについては早々に諦めたのか、カリアは苦笑したまま彼への肯定を返してくる。
彼女がアノイに遊ばれている様子があまりに容易に想像がついてしまい、思わず椋もまた笑ってしまった。
「カリアって、基本的に真面目で一本気だもんな。確かにアノイはものすごく遊びそうだ、カリアで」
というか遊ぶ気しかしない。ああいう手合いにとっては確実に、カリアは格好の餌以外の何でもないだろう。
決してそこにカリアを否定する意味合いはないのだが、言い方が不満だったのかもしくは表情が不満だったのか。ややむっとした顔でカリアは椋を見上げてきた。
「ねえリョウ、それって褒め言葉なの?」
「ん? あー、…どうだろう?」
「なによもう、ひどい人」
ひどい、などとは言いながら、その実彼女の顔はまぎれもなく笑っている。
だからこそ椋も笑ったまま、彼女へ言葉を返すことができるのだ。
「ごめんごめん。……というか謝るといえば、もっとすごく、大事なことがあったんだよな」
「えっ?」
軽い謝罪に続けて口にした椋の言葉に、きょとんとカリアが目を見開く。
きれいな陰りない金色をしたその瞳を眺めながら、若干だらしなく崩していた姿勢を改めて椋は正した。ひとつ息を吐いてから、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ直す。
この場で絶対に言わねばならない、ずっと言おうとしながら結局は言わないままここまで引きずってしまった言葉を、引き出す。
膝に両手を当て、深々と椋は目の前の少女へと頭を下げた。
「ごめん、カリア。あんな別れ方したのに、呼ばれなきゃ動きもしないような奴で」
「…リョウ?」
「一応理由もいくつかあるけど、ただの言い訳にしかならないから、言わない。別にそんなの、カリアだって聞きたくもないだろ?」
「リョウ…」
戸惑ったような彼女の声が聞こえるが、直接の許しがカリアから出るまでは椋は、自身の頭を上げるつもりはなかった。
それだけのひどい不義理と怠慢をしたと、理解し後悔するくらいの良心は椋にもある。
あの突然の終息のあと、それまで無理に無理を重ねていたヘイがいきなり倒れたり、クラリオン周囲の人たちにお礼やらもう一度見てほしいやらでいろいろもみくちゃにされたり、少しの時間の合間を縫って王宮やヨルドたちの屋敷に行こうとすれば、警備があまりに厳重になっていた上顔見知りも見つけられず門前払いを食らったり。
結構に予想外な物事は、後にも先にも雪崩を打って椋の目前で起こった。しかしどうにかしようと思えばきっと、彼女に呼ばれる前にカリアに自分から会いに行くことは決して、不可能ではなかったはずなのだ。
だが椋は結局今日までずっと、その「無理」をしないままだった。できなかったと言うのは簡単かもしれないが、それはどう考えても、今目の前にいるカリアに対して失礼だろう。
不可能だった理由を述べないのは、単純に言い訳をするしかない自分が、みっともなくてやっていられないという結構に自己中心的な理由もある。
ひどく困ったような息を吐いたカリアが、口を開いた。
「お願い、リョウ、顔を上げて。……あなたは私に謝らなきゃならないようなことなんて、何にもしてないわ」
「それでもごめん。俺のわがままで謝らせてくれないかな、カリア」
「リョウ…」
結局のところ自己満足でしか、動いていない自覚はある。
しかし謝らないことには、どうにも先には椋は進めない。しばし本当に困り切ったようにカリアは沈黙し、そしてしばらくして、小さく笑った。
「じゃあ、これで最後にして」
「え?」
「頭を上げて、さっきの言葉で謝るのを最後にしてくれたら、あなたを許してあげる」
やわらかく降るようなその声に、ゆっくりと顔を上げればどこか、困ったようなカリアの笑顔がそこにはあった。
純粋にきれいなその表情に、思わず椋は見とれてしまう。どくりと奇妙に心拍が大きく耳元で響いたのは、果たして現実だったのか、それとも。
しかしその無駄に大きなことで、さらに言わねばならなかったことを椋は思い出した。まずは謝って、その次に。彼女に何より多く椋が向けるべき言葉は感情は決して、謝罪という行為に付随するものではないのだ。
静かであたたかな空気の中、小さな笑みとともに椋はその言葉を彼女へと向かって、口にした。
「……ありがとう」
その言葉になぜか、わずかに彼女は目を見開いた。
しかし一度あふれさせた、流れ出させた言葉は止まらない。
「ありがとな、カリア。今も、前も、ずっと俺みたいな滅茶苦茶に付き合って、信じてくれて」
「……っ」
さらに驚いたようにカリアは目を瞠り、何か異様なものでも見るかのような目で椋を見つめた。口許を覆った両手がなぜか震えているのを見つけ、また何か変なことでも言ってしまったのかと俄かに心配になる。
しかし何度自分の言葉を反芻してみても、まったくもっておかしいところなど一つも椋には見つけられない。
困惑するしかない椋に、またしばらくの沈黙の後にカリアから返ってきたのは、声だった。
「……そんなこと、」
「カリア?」
「そんなの、…そんなの」
なぜか言葉を言いさして、カリアは顔を伏せてしまう。まるで泣いているかのような小刻みな肩のふるえを見てしまい、あまりの予想外に思わずぎょっと椋は目を見開いてしまった。
しかしカリアが続けた声は、涙には濡れず、かわいていた。
「ずるい、ずるいじゃない、リョウ、あなた」
俄かにはその言葉の意味は、椋には理解が、できなかった。
「私が、私の方がずっとそんなの、ずっと」
その声はどこか笑うようであり、同時にわずかに、怒っているようにも聞こえた。
顔は上げてくれないまま、カリアは言葉を、続けてくる。
「私、ね。団長として、魔術師として、全然褒められないようなこと、たくさんしたの」
「え、…カリア?」
唐突に切り出された言葉がにわかには理解できず、思わず椋は声を上げた。しかしカリアは顔を伏せたまま、小さく首を横に振る。
どうやらこのまま続けさせろと、そういうことらしい。仕方なく椋が口をつぐむと、カリアは続けてきた。
「勿論私はそうしたことを、全く後悔してないわ。でもそれが本当にひどい下策で、誰にダメって言われたって反論できないことなのも、わかってる」
「……」
彼女の言うところの「褒められないこと」を、椋が想像できる限りで挙げてみる。
椋ひとりのためにあちこちへと勝手に誰に行き先を告げることもなく動いたこと、ある程度の戦闘は可能なレベルであった、と少なくとも他人は判断するだろう状態でオルグヴァル【崩都】級の居所へ戻らなかったこと、さらに時間をさかのぼるなら、地図を渡したこと、椋の言葉を真に受けたこと、ただの一庶民を平然と自身の相手にしていたこと――。
確かにきっと他人からすれば、何も褒められたことではないのだろうと、思った。
けれどそれらは例外なく、椋が彼女へ感謝を述べる理由となったもの、なのだった。
「だから、…なのに、なによ、リョウ、ありがとう、って」
「…カリア、」
「そんなの、私があなたに言いたかった言葉だったのに。何をすれば、どれだけ言葉にすれば足りるのかって、ずっと、ずっとあなたがここに来てくれるまで、そればっかりずっと、考えてたのに」
「……カリア」
「だから、ずるい。あなた、ずるいのよ、リョウ」
めちゃくちゃな言葉だということは、カリア本人もおそらく分かっているのだろう。
未だに顔を上げようとしないことが、口許に当てた手を取り払おうとしないことが何よりも分かりやすい証左だ。どこか言いがかりにも似たそれは、しかしある意味とても、カリアらしい言葉だと椋は思った。
きっとカリアからしてみれば、あの一連の事件は、失態をして、無茶をして、叱責を受けて、その上で何とか成果をあげて、それでおしまいの物事だったのだろう。
椋からすれば正直なところ、彼女からお礼を言われるようなことなど何一つしていないような気がする。だが今ここで彼女の言葉を否定してみたところで何が変わるわけでもないし、カリアがそうしたいというなら、別に敢えて止めようとも椋は思わなかった。
相変わらず顔を上げないカリアに、小さく椋は笑って言った。
「ありがとうって他人に言って、ずるいなんて言われたの、初めてだ」
「……だって」
言葉は続かず、顔も上がらない。
室内光できらきらと光る銀色の頭を眺めつつ、その顔が見られないことを残念に思いつつ椋は続けた。
「カリアの抱えてる難しいめんどくさいことについては、俺には正直、想像のしようもないんだけど」
何しろあの礼人のことだ。確実にカリアに対しては山のように面倒な設定を盛り込んで一人で楽しんでいたのだろうが、そんな奴の語った内容のうちのほんの少ししか、生憎椋は覚えていないのである。
しかし何が分からずとも、当然のように他人からかしずかれここまで大きな屋敷に主として住み、椋の想像を絶するような力を持ち、多くの人々を従えるという彼女の双肩にかかるものが重くないわけがない。
位階のない、ひらの騎士や魔術師ですら平民に対し、自分が騎士団や魔術師団に所属していることをかさに着て威張るのだ。
そんな人々のさらにさらに上に位置するカリアに、多くの権利、特権と、そして義務があることを、椋とて想像するくらいはできる。普通なら椋のような何の社会的地位もない人間に、見向きもしないような存在であることもなんとなく、分かる。
だが今ここに椋はおり、カリアは彼の目の前にいる。
もうひとつふっと椋は笑って、伏せたままの頭に言葉を、向けた。
「だからこそ俺はカリアをすごいと思うし、きちんと、色んな事に対するお礼が言いたかったんだ」
無事にアノイを送り届け、軽食の差し入れをしようとしたニースが寄り添って眠る二人を見つけるのは。
また、これとはもう少しだけ、別の、小さな話になる。




