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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
間奏A andante
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 金と銀とに潜んだ光 3



 その問いをここで投げられることは、最初から椋は承知していた。

 多少ならず問いかけの相手は予想外だったが、だからといって今更ごまかし曖昧にできるような内容でもない。複数の視線が自分という一点に収束する心地の悪さを感じつつ、小さく椋は苦笑した。


「俺が、何、か」

「ああ、分かっていると思うが普通の酒場の従業員というのはナシだからな。こんな地図を作っておいて、カリアに一も二もなく入れ込ませておいて普通なんて言われても、残念ながら全くもって説得力がない」

「な、陛下っ」

「いやあの、入れ込ませてっておまえ…俺はホストじゃないぞ」

「ほすとというのが何かは知らんが、内実はどうあれ、表面的な事実を俺は客観的に述べただけだが?」


 カリアは動転し、椋は呆れる。しかしそんな二人の様子にもまったく動じず、けろっとした顔でアノイはそんなことを嘯いた。

 そのことに関する訂正を、早々に止めてしまおうと思うくらいにはざっくりなアノイの態度に、やれやれと椋は深くため息を吐いた。もういいやと、とりあえずは先ほどの問いへと言葉を連ねるべく口を開く。


「一応最初に断っとくと、確実に滅茶苦茶なことしか言えないからな。俺」

「そんなのいつものことじゃない、リョウは」


 結構真面目に言ったのに、残念なことに返ってきたのはカリアの小さな笑い声だった。

 そして笑みを深くして、カリアは椋へと続けてくる。


「それにリョウ、約束してくれたでしょう?」


 ――ねえリョウ、教えて。

 それはこの地図を借りに行った日、カリアから「交換条件」として示された言葉だった。王都の詳細な地図の写しを貸し出す代わりに、椋自身のことについての詳細をきちんと、すべて彼女に伝えること。今まで曖昧にお茶を濁してきた色々なことを、筋道立ててちゃんと説明すること。それが地図を借り受ける椋が、いずれ彼女らに示さねばならない自身の「有用性」「異端性」だった。

 カリアの笑顔に、椋は苦笑して肩をすくめた。


「…そう、なんだけどさ」

「まあそもそも、おまえの言う滅茶苦茶がどれほどのものかを判断するのは俺たちだからな。別に気にしなくていい」


 鷹揚に腕を組んだまま、なぜか少し楽しげにアノイは椋を見ている。

 残念なことに椋にはまったく、彼にとって何が面白いのか理解はできないのだが。


「とりあえずは好きにしゃべれ、リョウ。おまえは何だ? どこで誰に、どう育てられてきた人間なんだ」


 そしてさらに王様は問う。既にこの部屋にはアノイとカリアとニースと椋の四人だけしかいないので、別に何に配慮し、得意でもない迂遠を考慮する必要性もなかった。

 だからこそ、椋が曖昧に逃げることはできない。

 一度深く深呼吸してから、ゆっくりと「事実」を椋は、切り出した。


「俺は小さい頃からずっと、医者になりたかったんだ」

「イシャ?」

「ここにくる前に俺がいた場所で、怪我とか病気の治療をする専門職のことをそう呼ぶんだよ」


 わずかに怪訝なアノイの声に、口先だけで笑って椋は応じる。

 一体何がかなしくて、自分の夢を過去形で喋らなければならないのかと、思う。


「医者になるには国の行う専門の試験を通って、自分が医者だって証明できる免許を取らなきゃならない。しかもその試験は、医者になるための専門の学校に通わないと受けられない。んで俺は、その専門学校の学生だったんだ」

「ちょっと待て。リョウ、おまえ確か、年は二十三だと言ってなかったか」

「そうだけど?」

「二十三で、…学生?」


 怪訝で一杯なアノイとカリアの顔を見て、二人の言わんとするところに椋は思い至った。

 大体二十三といえば、元の世界でも働いている人の方が確実に多い年齢だ。十五歳までの魔術学校ひとつしか公的な教育機関のないこの国の基準から考えてみれば、後は推して知るべしである。

 本当に違うんだよなと、当然過ぎることを馬鹿馬鹿しいまでに今更ながらまた椋は思った。アノイの言葉に頷く。


「別に俺のいたところじゃ、それなりに普通のことだよ。入学試験が難しかったり、一回社会人やってからもう一回勉強しようとする人もいるから、俺より年上な人も結構いたし」

「あの、リョウ。その言い方だとあなた、今まで働いたことがないみたいに聞こえるわ」

「ん? あぁ、一応バイト…短期での拘束時間の短めな仕事ならちょこちょこやってたけど、まあそうだね。ずーっと学生だったし」


 恐る恐るといった様子で問うてくるカリアに、また小さく笑って椋はさらりと応じた。一年の浪人期間を含めると、合計して十七年弱、椋は「学生」という身分で居続けている計算になる。

 改めて考えると凄まじいまでの贅沢をしていたのだと、今更ながらに思い知るような気がした。義務教育があって、そのさらに上の高等教育までも普通に両親が金を出してくれ、衣食住を基本的には保証してくれて。きっとカリアやアノイには、信じられないような世界なんだろうと思う。

 やれやれと、早くもどこか疲れたようにアノイが笑った。


「確かに、最初から結構に滅茶苦茶だな」

「ほんとうに。…これがリョウの言葉じゃなきゃ、到底信じようなんて思わない、というより思えないわ」


 カリアも続いて苦笑する。そんな二人を相手にして、しかし残念ながら椋のトンデモは終わらない。

 好き勝手に話せと言われた通り、さくさくと椋は彼女らへ言葉を続けた。


「残念ながらまだめちゃくちゃは続くぞ。そもそも俺がいた場所には、魔術が一切なかったんだ」

「なに?」

「えっ?」

「実際、俺は魔術を一切、何にも使えない。俺だけじゃなくて、あそこにいる人間はみんなそうなんだけどさ」


 驚く二人をよそに、さらりとまた椋は笑う。笑って肩をすくめる。

 いかにも怪訝そうに眉をひそめたアノイが、ため息めいた呼気とともに口を開いた。


「だがリョウ、おまえの話を聞く限り、おまえのいた場所は随分と豊かだったように思えるが?」

「ああ、そうだよ。魔術はないけど、その代わりにあそこでは科学…経験と実証で法則とか体系とかの知識を作る学問がかなり発達してて、何かにつけて色々がものすごく便利だったんだ」

「…たとえば?」

「専用の機械を使えば、誰でも遠く離れた人相手に普通に話ができたし、いろんな情報があっちこっちに溢れてるから調べものも簡単にできた。鉄の箱に人を一杯乗せて、ものすごいスピードで動いたりもしてたし、冷蔵庫やオーブンなんかの道具にしても、魔術を一切使わないのが、確実にこの世界よりもっといっぱいあったな」


 一昔前ならばマンガの中の創作物でしかなかったものが、当然のように現れ出しているような世界だ。

 あちらではこの世界のようには、誰も際立って、無茶苦茶なレベルの特別では絶対にありえない。

 人間一人の得られる力は、ここと比べれば随分とたかが知れていた。だからこそそんな人間の、無力を補うようにあの場所にはたくさんの学問があり、たくさんの知識があり、たくさんの道具が有象無象に乱雑に溢れかえっていた。

 こちらにはないものに特に的を絞って例を挙げれば、椋のかねての予想通りに二人は絶句した。椋にしてみれば魔術というものが実在することのほうが無茶苦茶な気がするのだが、カリアたちからすればまったくもって、感覚は真逆になるのだろう。

 言葉もない二人を前に、更に椋は続けた。


「俺はそういうところで、医者になろうとしてた。魔術を使わなくても病気や怪我が治せる方法を学ぶために、専門の学校で学生してたんだ」

「…それで?」

「今から二ヶ月ちょっと前、くらいだな。幼なじみの家に行こうとしたら、いきなり目の前が真っ暗になって、気がついたらここにいた」

「……え?」

「冗談みたいにしか聞こえないのは分かってる。けど、全部本当のことだ」


 あくまでも淡々と、自身にとってのまぎれもない事実を椋は告げる。

 理由など分からない。カニ買ったから食いに来いといきなり礼人に誘われ、ついでに物資も色々調達して来いと言われた。試験の勉強はあったが特に他には用事もなかったため、まあそれなりに色々を買い込んで、椋は幼馴染の住むマンションへと向かったのだ。

 オートロックを開けてもらって、マンション内に入ったところまでは覚えている。

 そこからの記憶はひどく曖昧で、思い出そうとしても頭の中にあるのは今でも、真っ黒で何も手繰れない、温度のない記憶の欠落だけだ。


「とりあえず好き勝手に喋るとこんなもんだよ、俺は。他に何か聞きたいことは?」


 やはり言葉のない二人へと向かって、椋は笑って問いを投げる。

 ちなみに椋がここで言う「変わった味」、すなわち自分の慣れ親しんだ醤油やら味噌やらを使った料理を作れるのは、礼人の家に行くにあたって結構な数の調味料を買い込んでいたからだ。ここに来て最初に料理を作ったとき、味の「奇妙さ」を面白がったヘイが「びん一杯まで中身の複製を続ける調味料入れ」というめちゃくちゃなものをくれたおかげで、いまでも椋はそれらを使って料理をすることができているのである。

 少しの沈黙の後、静かにアノイが口を開いた。


「なぜここに来てすぐではなく、今更になって動こうと思ったんだ」

「だってこの世界には、医者がいない、いなくて良いような世界だろ? ここで「医者」の役割を担ってる祈道士と治癒術師は、魔術が使えない俺になれるようなもんじゃないしさ」

「まあ、それはそうだな」

「前の場所での積み重ねで、俺は、医学に関する知識をそれなりには持ってる。でも俺には魔術は使えない。持ってる知識を、実践に移すための技術と経験も俺にはない」

「……」

「自分の力だけで何も治せない人間なんて、ものの役には立たないだろ?」


 苦笑する。世界の事実を知ったのは、唐突にここに放り出されて無茶苦茶に混乱して、その混乱がようやくおさまって何をしようか、何をすればいいのかとそう考えた矢先だった。

 理由も分からず、こんな場所にいきなり投げ込まれた。戻るどころか違う世界から人間あるいはものが飛ばされた前例すら一切ないと、少なくとも俺は知らないとヘイには早々に言い切られた。

 しかも椋はこの世界に溢れる、魔術を使うことも全くできなかった。家族も親族も友人も知り合いすらおらず、ここで目を覚ました椋の手にあったのは知識だけだった。

 しかしそんな知識すら、結局は何に使うこともできないのだと椋は知ってしまった。

 魂が抜けるということは、ああいう状態を指すのだろうと今振り返ると、思う。何もできない。抱き続けてきた夢、目標と形を変え始めていたものさえ追えない。それはまさに椋にとって、醒めない悪夢以外の何でもなかった。

 椋の笑みを何と思ったか、わずかに眉を寄せたカリアが口を開いてきた。


「でも、…あなたは結局動いたじゃない、リョウ。それは」


 それは。

 後に続く言葉は分からないが、きっと過剰なまでに椋の行動のすべてを装飾してくれたものになるのではないかと、思った。


「俺は、医者になりたいんだよ。こんな状況になっても、こんな、医者ってものが存在しないで別の職種がその役割を担ってるような世界に放りこまれてもまだ、願ってる。…バカだって正直自分でも思ってるけどさ、なんかもう、今更どうしようもないんだよな」


 だからこそ、カリアの言葉が来る前に椋は自身の言葉を続けた。

 医者になるという夢は、大学入試を突破した瞬間から椋にとっては明確な「目標」になった。医者になったその後はともかく、医者になるための最低限の門戸はあの瞬間に、椋へと向かってたしかに開かれたのだ。

 意地を張るのも、願いが消せないのもきっと、そのせいだ。

 一人では何もできないと、知っているのにそれでも動いたのも結局、そんな自分の願い、欲望から来るめちゃくちゃな自己満足が最初の、そして最大の動機なのだから。


「……どういうことだ?」


 動いた説明にはなっていない椋の言葉に、さらにアノイが怪訝な顔をする。

 改めて目前の二人を真っ直ぐに見ながら、椋はもう一度口を開く。


「神霊術では、アイネミア病を根本的に治すことができてなかった。でも誰も、それを指摘してなかったし気づいてもいないみたいだった。だからだよ」

「リョウ、意味が分からない。だからとはどういうことだ? 教会側が色々と妙な画策と隠蔽に動いていたことは知っているが、…おまえは自身の知識を持って、その事実に単独で気づいたとでも言うのか?」

「そうだよ。だからこそ、最初は、それがなんでなのかが気になった。そもそもアイネミア病は俺が知ってる病気に症状が凄く似てて、そういう意味でも、原因と対処がはっきり知りたかった」

「なぜ?」

「アイネミア病にかかったのは、俺がここに来てからずっと世話になってた人たちだった」


 椋自身驚いてしまうほどに、すらすらと言葉は口をついて出る。矢継ぎ早に投げかけられるアノイの問いにも、言葉は止まることがなかった。

 一方でそのあたりの顛末を一通り知っているカリアは、無言だった。ただ淡々と静かに言葉を紡いでいく椋を、少しだけ揺らぐ金の瞳で彼女は見つめていた。

 怪訝の光を消さないアノイへと、さらに椋は自身の言葉を重ねていく。


「だから、放っとけなかったんだよ。…いや、違うか。何もしないままなのは、単純に俺が嫌だったんだ」


 敢えて自身の行動を悪しざまに言うなら、椋はお医者さんごっこがしたかったのだ。

 言葉を返してこない二人に、小さく笑って椋はまだ続ける。


「俺の知識がここでは異常でしかないのは、ヘイ…俺が今居候させてもらってる家の家主に聞いて知ってた。でもさ、そんなの、正直もういいと思った」

「どうして?」

「俺が動いた結果として誰かが助かるなら、もうそれでいいって思ったんだよ。ヘイの言う、あと俺自身が感じるズレみたいな色んな違いが、ここと俺の知ってるものとの差異が結局別にどうでも良いことでしかなくて、俺のできることがただの思い上がりでしかないんだったら、別にそれはそれで良いとも思ってた」


 問うてくるカリアに、答える。

 最初の最大の動機がただの自己満足でしかなくとも、自身が動くことで何か少しでも良い方向に転ぶ、そんな可能性に椋は賭けたかったのだ。すべてが無意味でしかなくとも、ただ増悪していくアイネミア病患者を、様々なことに絶望していた椋に優しくしてくれた人々が苦しむ様子をただ見ているよりはずっと、ましだった。やらない善よりやる偽善、見て見ぬ振りなど不可能だったのだ。

 ややあって、ふっと薄くアノイが笑った。


「で、そう考えた末の暴走の結果が、これか。……本当に滅茶苦茶だな確かに、おまえは」

「だから最初にそう断っただろ? 俺はこの世界に存在しない、基本的に必要とされてもいないようなモンになろうとしてる、ただのバカなんだよ」

「…リョウ」


 心配するような響きを含んだカリアの呼び声に、椋は笑って首を振る。別に今更、そんなバカである自分を否定しようとは思わない。

 結局そういう人間としてしか、水瀬椋という男は動くことができないのだ。一応知ってはいた事実は、動かしようもない現実としてこの一連の事件で椋自身にも、他人に対してもこれ以上ないほど明確に露呈した。

 もういいさ、と思う。行けるところまで行けばいいんだ、とも思う。

 案外そんな無茶を続ければ、ある日突然本来の場所へと帰る方法もポンと、目の前に姿を現すかもしれない。


「それならそんなバカへの褒美に、俺たちからもひとつ言ってやろうか」

「え?」


 などと考えたそのとき不意に、どこか楽しげな調子でアノイがそんなことを言った。

 知らず下げかけていた視線を上げると、妙に人の悪い笑みをニヤリとアノイは浮かべた。


「教えてやろう。今回の一連のカラクリとして俺たちが考えてることについて、だ」

「陛下!?」


 愕然と、カリアが目を見開きアノイを呼ぶ。どうやらカリアにとってアノイの言葉は、完全に予想外のものだったらしい。

 ちらりと部屋の隅に控えるニースに目をやれば、彼もまたわずかに戸惑ったような色をその目に浮かべていた。しかしそんな二人には一切頓着せず、どうにも悪そうな笑みも変えずにアノイは椋へと続けてくる。


「俺は実は、先王の第五皇子でな。本来なら別に王座なんてもんに興味は持てない、そういう地位にしかいないはずの人間だったんだが」

「え、…い、いきなり何だよ」

「まあ聞け。俺より王位継承権が上の奴らはまあそれは凄い王位の争奪戦ってのを繰り広げてたんだが、下らんことばっかりやってたツケが回ったのだろうな、先王が崩御するまでに、俺より継承権が上の奴らは、皆自滅するか誰かに殺されるかしていなくなった」


 さらっとアノイが与太話のような調子で語るそれは、おそらく本来なら重々しく、色々な装飾語とともに語られるであろうものだ。

 しかも仮にも兄や姉のことを、こうも軽く語るものなのだろうか。或いはそれは、アノイがこの国の王様であるからこそなのか。

 考えてしまう椋をよそに、ひたすら淡々とアノイは他人事のように続ける。


「とまあ、そんなことがあってだな、先王が崩御したのが俺が確か十八のときか。そのころから俺は王様をやってるわけなんだが、何しろ先王がな、実の父ながら微妙にダメな奴でな」

「…へ?」

「別に悪い男じゃなかったらしいが、なにしろ軟すぎて決断力に欠けてな。そんな王のもとでもそれなりにこの国が繁栄を続けたのは、家臣たちと先王の腹違いの弟の力があったからだ」

「……はあ」


 まったくもって話が見えない。今アノイが話していることとアイネミア病が、一体どこでどうやって関係してくるというのか。

 妙にわざとらしいため息ひとつとともに、さらにと笑ってアノイは続けた。


「しかしまあ、だからこそこの先王の弟、先王弟殿下と呼ぶが、この人が正直かなり厄介でな。カリアの父さんの弟も巻き込んで、いつも俺たちを試すようなことばかりやってくるわけだ」

「はっ?」

「彼らは、私たちが対処を間違えることを望んではいないの。でも、仕掛けてくる策はいつも私たちの予想の斜め上を行くようなものばかりで。…なのに少しでも間違えれば、確実に私や、陛下の立場は悪くなるの。うまく立ち回ることができれば、逆に状況は改善できるんだけど」


 アノイのめちゃくちゃな言葉を、事実として決定づけるかのようにカリアもまた言葉を続けてきた。

 試す? 誰が、誰を、何のために何を使って。

 俄かには理解に苦しむ内容に、感想として出てきたのはこんな一言だけだった。


「……なにそれ」


 解決することによって状況が改善するというなら、最初からお互いに協力してことに当たればいいだけの話ではないのか。

 わけがわからないままの椋に、アノイは肩をすくめて苦笑する。


「要するにだな。今回のこの、アイネミア病に関する一切もまた、先王弟殿下がたが俺たちに放り投げてきた試練、ってわけだ」

「……は?」

「この件に絡んでいくつか、闇ルートの摘発やら優秀な騎士や魔術師の昇格やら、使えない奴の降格やら。そもそもこれに関連してたのは、前々からどうも怪しいと思ってた連中ばかりだったしな」

「……」


 やはりどこか淡々と述べる、アノイの言葉が不快に響く。

 思わず椋は眉を寄せた。額面通りにアノイの言葉を受け取るなら、まるでアノイはアイネミア病とそれに関連する一連の事件が起きたことを喜んででもいるかのようだ。


「どうした、リョウ。随分なしかめっ面だな」


 しかもそんな言葉を言い放つ一方で、椋の顔色をうかがって心配するような言葉もかけてくる。

 できるだけ内心を落ち着かせようと努力しながら、それでも声がそれまでより低くなるのを椋は止められなかった。


「要するにその「試練」のために、結構な数の人間が死んで、それよりもっと大勢の人が病気で苦しんだ、ってことか?」

「そうなるな」

「……ああ、そう」


 問いにすかさず返ってきたのは、ざっくりとした肯定だった。

 わずかに袖を引かれる感覚があって、ふと椋は視線をそちらにやった。何とも言い難い、椋を慮っているのか自身が是とするそれらを否定されることを恐れているのか、判別のつかないカリアの瞳が椋を見上げていた。

 視線は一瞬だけ合って、ふっとひとつ椋は息をつく。

 とりあえずは真っ向から全面的に否定することだけは、今はやめておこうと思いつつゆっくりと口を開いた。


「アノイがそういうことに関して、どう考えてるのかは知らないし、そんな馬鹿馬鹿しい「試練」を敢えてもらい続けてるのにも、まあ理由はあるのかもしれないけど」

「うん?」

「正直なことを言わせてもらえば、そういう、百人のために一人を切り捨てるみたいなやり方は俺は、嫌いだ」


 そんな自身の考え方が、特に人が決して平等ではないこの世界においては異常であることを椋は理解している。しかし理解することはできても、納得することはきっと、できない。

 椋からすればアノイもカリアも、ヘイやクレイ、クラリオンで働く中で知り合った人々も皆同じだ。一個人として尊重されるべき、人間であることに何の変わりもない。

 だからこそアノイの言い様には、何とも言えない不快が募る。結果として多くの人間が苦しんだ。今も後遺症、とでも呼ぶべきものが残って苦しんでいる患者はそれなりの数いる。魔物の犠牲となって、ショック状態から回復させられずに死んでいった人々の顔を、今でも椋は覚えている。

 あんな最低の状況を、椋は決して、肯定できない。

 それがたとえ結果的に、未来でより多くの人間を救う結末を導くことになるのだとしても、それでもやはりどうしても、嫌だと思ってしまうのだ。


「私だって、そうよ、リョウ」


 暗い椋の思考の中に、不意に入ってきたのは静かな、しかし少しばかり揺らぎのあるカリアの声だった。

 はっと、また下げかけていた顔を椋は上げた。目線の先のカリアは、どこか寂しそうな顔をしていた。


「じゃあ、なんで」

「有象無象に蠢く敵より、明確なひとつの(しるべ)のある敵の方が、国が相手取るには容易だからだ」

「……」


 一切の感情なく、ただ理性だけでそう言い切られる。しかし言葉を口にする、アノイの顔に浮かんでいるのもまた苦笑だった。

 寂しげな笑みをふわりと浮かべ、カリアは椋の名前を呼ぶ。


「リョウ。私はね、叔父さまが優しい方だと知っているわ。凄い方だということも、私がもし当主を継ぐ身でなかったなら、惜しみなく敬愛を捧げられたような方であることも」

「…だったら、」

「ラピリシアにも、そしてこの国にも。私や陛下を認めない勢力は未だに、それなりの数がいるの。一時期よりは随分減ったけれど、それでもまだ警戒が解けるような数とは絶対に言えない」

「……だから、って」


 あんな惨劇を当然のように起こすような人間を、いつまでも「敵」として放置しておく、なんて。

 言いさした椋へと割って入ったのは、彼にとっては相当に予想外なアノイの言葉だった。


「だからな、リョウ。おまえはこれからも、おまえの好きなように動け。そのどうしようもないバカさ加減をもって、今回のように状況を誰も予測のつかないような方向にかき乱してくれれば、それでいい」

「……え?」

「なんだ、基本的には今までどおりに暮らすことを許す、と言っているんだぞ。嬉しくないのか?」


 俄かにはアノイの言葉が理解できず、間抜けにぽかんと椋は目と口を開いたまま言葉を失った。どうしようもないから諦めろ、おまえが何を言ったところでどうにかなるような簡単な問題じゃない。そんな冷たい言葉が続くだろうと思っていた椋には、あまりにアノイの言葉は予想の斜め上すぎた。

 そもそも「だから」って何だ。おまえは俺に何をさせたい?

 意味など全く分からないまま、しかし問いかけられている以上椋は答えないわけにもいかなかった。


「確かにその方が、俺は良いけど、…でも、さっきも言っただろ、俺は」


 それが無知の結果でもあると、知ってはいても止められない。不快は消えるわけがなく、他人の都合で勝手に失われていいものなど何もあるわけがないと、どうしても思ってしまう。

 混乱しきりの椋に、アノイはたださらりと笑って言った。


「どんな理想を並べたてようと、所詮犠牲は犠牲でしかない。命は決して等価ではないが、だからと言って無闇に切り捨てれば事態が好転するわけではないと、俺は知っているぞ、リョウ」

「……アノイ」

「おまえの知識と意識の一切は、基本的にこの国、この世界には存在しないものだ。だからこそおまえがおかしいと思うものには、俺たちにとっての整合性や清濁、賛否はともかく一考の価値はあり得る」

「それでいいのか、王様は」

「俺は停滞と面倒と不幸が嫌いだ。ついでに言うなら王様として当然のように、この国のさらなる繁栄と国民の幸福を願ってるぞ」


 さらりと言いきる王様に、もはや返す言葉もない。

 ラピリシア家のお使いに変装して椋を見に来るあたりで既に変な奴なのは承知していたはずだったが、まさかここまでとんでもない滅茶苦茶な人間だとはさすがに思っていなかった。同時にある意味礼人らしいとも思ってしまうのはまあ、もう今更仕方のないことなのかもしれない。

 ふっと、傍らで小さくカリアが苦笑した。


「リョウ。こういう方なのよ、陛下は」

「ん? 何だカリア、それは褒め言葉か?」

「どうぞ解釈はご自由に」


 王様なはずのアノイに対して、しれっとそんなことをカリアは言い放つ。その光景とやり取りが妙におかしくて、そんな気分ではなかったはずなのに思わず椋は笑ってしまった。

 笑いつつ、自身の内側の譲れない一線もまた確認してそれを、声にする。


「後になって邪魔とかふざけるなとか、言われても俺、知らないからな」


 何しろ何も知らないことを、物事を眺める方向が違うことを。別に良いと、そう言い切られてしまったのだから。

 一応ある程度の考慮はするが、結局のところ椋がひとりでできる世界への考慮などたかが知れている。考えの及ばないところで何か邪魔をしてしまったところで、そちら側があらかじめ警告でもしてくれなければ、確実に椋はまったくもってそれには気づけないはずだ。

 そんな意味を持たせた言葉に、そしてアノイから返ってきたのは。


「ほう、奇遇だな。俺も知らん」

「おいっ」


 何とも非常に無責任で、軽く椋をあしらう一言だった。

 変な王様と奇妙な当主、二人を前に、椋は、笑った。



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