表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
間奏A andante
42/189

 金と銀とに潜んだ光 2




「なぜここに、そのような格好でいらっしゃるのでしょうか、陛下」


 さすがに完全に引き攣ったニースの問いに、あくまでアノイは平然と何の悪びれもしない調子で応じた。


「今日分の仕事は全て終わらせたからな。見物に来たんだよ」





 騒ぎが一段落するころには、特に何もしていないはずの椋は何故か非常に疲れていた。

 しかし騒ぎの元凶たるこの国の王様アノイロクス・フォセラアーヴァ・ドライツ・エクストリー陛下は、やはり平然と何ということもないような表情で優雅に紅茶に口をつけている。椋には到底できない、したいとも別に思わないような自然な優雅さはとりあえず、さすが王様とでも言っておけばいいのだろうか。

 おそらくアノイの唐突の登場によって、一番混乱したのはカリアをはじめとするラピリシアの人たちだろう。

 現に椋と向き合う形でソファに座るカリアは、疲弊と呆れとその他色々の混じった表情や視線を隠そうともしていない。それにドアをまた開いてくれたアノイに導かれるまま馬車から椋が降りた時には、目の端で誰かがふらつきを起こしているのを確かに見た。

 この国へ戻ってきたときと同じく、当然のように何の断りもなしに勝手にアノイは案内役と入れ替わったのだという。頼んで駄目だとは言われなかったぞと嘯く彼に、思わず椋とカリアは同時に深々とため息を吐いた。

 国で一番偉くて有名でもある人物に頼みごとをされて、真っ向から断れる人間が一体何人いると思っているのだろうか、この男。


「残念だな。一番驚いて欲しかった相手に驚いてもらえなかったとは心外だぞ、リョウ」

「いや、心外とか残念とか、正直これそういう問題じゃないと思うよ」


 紅茶片手にしれっと言い放つ王様は、確かに微妙な不満の色をその目の光に乗せている。

 しかし正直そんなことは、椋の知ったことではない。そもそも「アノイ」という存在を間接的、ある意味直接的に知っていた椋にとっては、彼の若干悪趣味な悪戯も「らしい」という一言で片づけられないことはなかった。

 まあ勿論、それとカリアたちに引き起こした混乱についてはまったく関係のないことでしかないが。


「……陛下」


 それまで黙っていたカリアが、どこか重い口調で口を開いた。

 彼女の呼び声にひょうきんに小首をかしげたアノイに、再度深いため息をついた上でカリアは続ける。


「いい加減にちゃんと、教えて下さい。どうしてあなた自らがわざわざ、このようなところにいらっしゃったのですか」

「なんだ、それについてはリョウに興味があるからだと、最初にちゃんとおまえたちに伝えたと思ったが?」

「誤魔化さないでください。あなたがこの時間を本当ならジェテライト殿との面会に当てられていらしたことくらい、私も知っています」

「ほお? 随分耳が早くなったな、カリア」

「そんなところで褒められても、ちっとも嬉しくありません」


 にやりと笑うアノイに対し、つんとカリアはそっぽを向いた。先ほどから見ていて分かったことなのだが、どうやらこの二人、王様と臣下というそれ以上に親しい間柄であるようだ。

 ひさびさに目の前でくるくる動くカリアの表情になんとなく癒されていると、不意にちらりと椋を一瞬だけ見やったアノイが妙に人が悪そうな笑みを浮かべた。


「まあ、そうだな。随分おまえが入れこんでいる男だと聞いたのがひとつ、あのヨルドとアルセラが気に入った、今日ここに来ることを強く望んでいたというのもひとつ」

「え?」

「妙な言葉で事態を曲解しないでください、陛下。…二人ともお誘いはしてみたんだけど、どうしても外せない用事があって動けないんだって凄く悔しがってたのよ」


 またもざっくりアノイの言葉を切り捨てたあと、椋へと向き直ったカリアは小さく笑った。

 記憶にあるよりも当然のように鮮やかな金色の瞳や、やはり精緻に整った顔立ちに見とれてしまいそうになりつつ何とか、椋は彼女へ応じる。


「そう、なんだ」


 ていうかよく考えなくても俺、あのふたりに対しても未だに何もしてないんだよな。

 不義理にもほどがあるだろう自身の無精に改めて苦笑するしかない椋に、柔らかい笑顔のままカリアがさらに言葉を続けてくる。


「もう少し時間が経てば、少なくとも今よりは状況は落ち着くはずよ。何しろどこかの王様が誰にも言わずにいきなり王都に戻ってきて、魔物を討伐しちゃったから、いろいろね。まだ混乱している部分も少なくないの」


 そう言って、ちらりといわくありげな目でカリアはアノイを見た。椋にはいまいち意味がよく分からない言葉だったが、どうやらアノイには理解のできる事柄だったらしい。

 ひょいとどこかひょうきんに肩をすくめ、しれっと彼はカリアに応じた。


「あの状況で俺に、あれ以外に何をしろというんだ? むざむざオルグヴァル【崩都】級の開花を、目の前で指をくわえて見守るような馬鹿では俺はないぞ」

「別に、陛下を責めているわけではありません。私も後でニースにあの場の状況については聞きましたが、陛下のお力なしには確実に、この王都は壊滅に向かっただろうことは分かります。…ただ」

「ただ?」

「陛下の光は、あとを手繰るにはあまりに強すぎますから」


 さらりとそう言い放ったカリアに、またも椋は首をかしげざるを得なかった。

 何の知識もなしに言葉を聞いていると、どうにもカリアがアノイに対していちゃもんをつけているようにしか思えないのだ。カリアがそんな厭味な人間ではないのを知っている椋からすれば、どうにも彼女らしくない行動である。

 ただ首をかしげていても疑念は解決しないので、二人の言葉の合間を縫って椋は口を開いた。


「あとを、手繰る?」

「俺の、というより代々この国の王族に引き継がれ続けてる光にはちょっとした特性があってな。「殲魔」という、魔術を用いて断ち切ったもののあらゆる魔術的な係累を含め、余すところなく一瞬で殲滅する能力だ」


 今度あっさりそんな言葉を口にしたのは、アノイだった。

 明らかに反則としか思えないような事柄をつらっと当然のように述べた彼に対し、椋が抱く感想など一つしかあるはずもない。


「……なにそれ」


 そもそもなぜ礼人は、そんなどうしようもないような滅茶苦茶な特殊能力を「主人公」でもない人物につけたりしたのか。

 色々な意味で訳が分からない椋の、混乱を果たしてどう取ったのかカリアが苦笑する。


「だからあのとき陛下がオルグヴァル【崩都】級を倒したと同時に、アイネミア病も消えた、でしょう?」

「正確に言うと消えたってわけじゃ、…いやでも、まあ、そうだね」


 微妙に彼女の言葉に反論しかけ、しかし途中で椋はそれを止めた。

 病気の原因の異常さはともあれ、アイネミア病の本態は貧血である。症状が目に見えて出てくるほどに失われてしまった赤血球の量は、一日二日で簡単に戻るようなものでは決してない。

 アイネミア病の患者たちの様子見に、今も椋が行っているのはそのせいだ。西の患者の様子見にもこの間行ってみたが、誰もが今度こそ確実に治っていっている、人の持つ自然治癒力によってちゃんとみんなが治っていっている様子に、心底からよかったと、ほっと胸をなでおろす毎日である。

 しかしそんな内容は、今ここでカリアたちに説明するようなものではない。

 勿論ヨルドやアルセラなら、興味深く耳を傾けて聞いてもくれるだろう。しかし今カリアが言っているのは、あのとき椋が目の当たりにした光景、アイネミア病を引き起こしていると考えられていた原因をアノイが消したことで、新たなショック患者が出ることはなくなったという事実についてだ。

 だからこそ途中で言葉の方向性を椋は変えたのだが、そのあからさまな方向転換を一人、見逃さなかった人物がいた。


「消えたわけじゃない?」

「え、…あ」


 どこか刃のような鋭さを持ったアノイの言葉に、自身の失言に一瞬にして椋は思い至った。

 今この部屋にいる四人のうち、カリアとニースはともかくとして、アノイは果たして椋のことをどこまで何として知っているのだろうか。そもそもなぜ、本来ただの一庶民でしかない椋がヨルドやアルセラの目に留まったのか、彼らと協力していたのか。カリアやクレイの力を借りて、椋が行おうとしていたこと、さらにはヘイの助力より可能になった、患者への医療介入――それら「事実」について、どこまでアノイは知っているのだろう。

 両目を見開く椋を見やり、ふっとアノイは小さく笑った。


「そうそう。リョウが気になっていた理由はまだあったんだったな」

「陛下、」

「カリア。なぜこの男リョウ・ミナセに対しておまえは、この王都の地図をおまえの一存によって貸与した?」


 声を上げようとするカリアを遮る。顔だけならば確かに笑っているはずのアノイに、そのときなぜか異様なまでの威圧感を椋は覚えた。

 ぼんやりしていると魅入られそうな深い深い蒼の瞳は、一切の嘘偽りを許さない絶対者の光を宿してカリアを見据える。しばし何かを躊躇うように視線を左右へ彷徨わせたカリアは、ややあってふっとひとつ息を吐いた。

 ちらりと一瞬だけ椋を見た後、彼女はその目を真っ直ぐ彼女の王へと向ける。


「彼がこの国の誰もが解明できなかった奇病、アイネミア病に関する調査を私に申し出たからです」

「なぜ?」

「…それは」


 またも困ったように、彼女がわずかに目を伏せ思案するのが分かる。その様子を見る限り、どうやらカリアもアノイがどこまで椋について知っているのか、はかりかねているようだった。

 威圧感のある笑みでただ静かに椋とカリアとを見比べるアノイに、わずかに椋は肩を落とす。

 こういう手合いに嘘をついて、たとえばそれが一時の成功をおさめたところで大した結果にはならないことを、幸か不幸か椋は知っていた。


「――こういうことが、やってみたかったからだよ」


 だからこそ亜空間バッグから取り出した王都の地図を、症状の軽重や有無によって色分けがされ、あちこちに乱雑に日本語の書き込みがなされたそれを椋はテーブルの上に置いた。

 もともとこの場で、カリアに返すつもりだったものだ。それに絶対アノイには、今ここで何とか隠しごとを一つ二つしてみたところで意味がないような気がしてならない。むしろそんな気しかしない。

 パシンと妙に小気味よい音が響くのを感じつつ、カリアとアノイ、二人を目の前に椋は改めて口を開く。


「あのときカリアが俺に許可を出してくれた結果がこれ。この黒いバツ印は一月前にラグメイノ【喰竜】級が現れた地点で、赤、黄色、青、緑の丸はそれぞれ、アイネミア病の症状が重度、中等度、軽度、およびアイネミア病発症のない人間の、魔物が現れたときにいた地点を示してる」


 アノイの帰国によって一瞬で終わってしまったあの病気についての調査など、もういらないのではないかと正直なところ、どこかで思っていた。

 しかしその考えがどうやら間違いだったらしいことに、先ほどのカリアの言葉で椋は気づいた。何がアイネミア病を起こし、何が作用してどのような事態が起こっていたのかという調査はおそらく、かなり難航しているのだ。

 今椋たちの目の前にいる、アノイという特異な存在が魔物もろともすべてをこの王都から(はら)ってしまったがゆえに起こった「想定外」のそれは事態なのだろう。

 あんな最低な病を、椋の身近にいる人たちも含めて蔓延させた相手のことなど正直あまり考えたくもない。しかしもしかすると彼、或いは彼女は彼の帰還に、全てをぶった切って強制的に終了させたアノイという存在に、落胆と安堵、双方を感じていたのかもしれない。

 淡々とカラフルかつ書き込みだらけの地図について解説した椋に、どこか呆然としたようなカリアの声がした。


「……リョウ、これ」

「ずっと返そうって、返さなきゃいけないって思ってたんだけど、ごめん。遅くなって」


 色々と椋自身がダメだった結果の、現在だ。できなかった理由は一応あるが、敢えてそれをここで弁解しようとは思わない。

 しかしそんな椋の言葉に、何か途轍もないものを見るような目でカリアは首を横に振った。


「そうじゃないわ。これ、…こんなの」

「マギルカイトの波紋術式か。……よくここまで調べたな、リョウ。一人でやったのか」


 続かないカリアの言葉をついで、言葉を発したのはアノイだった。もはや笑顔の枠すら外して真剣そのものの表情になっているアノイの様子に、少なからず椋は驚いた。

 一連の事件に対する、何かしらのヒントになるのか、これが。

 そうであればいいと思いながら出したものではあったが、実際にそう断言されているのと変わらない二人の反応を見ているとどうしても驚かずにはいられない。とりあえずはアノイの質問に応えるべく、椋は首を横に振った。


「いや、さすがに友達に協力してもらって二人でやったけど、…ていうか今言ったそれ、何?」

「知らないでこれを書いたのか? 無茶苦茶だなリョウは」

「無茶苦茶に勝手に帰国して、無茶苦茶にカリアの家の人たち掻き回してるアノイには言われたくない」

「それもそうか」


 なぜか妙にあっさりアノイは引き下がった。ふっと笑ったその顔は、しかしやはり目だけが確実に笑っていない。

 まるで教科書を読み上げるかのような淀みない口調で、アノイは続けてきた。


「マギルカイトの波紋術式はな、過去百年の間で記録にある限り、ただ一度しか使われたことのない禁じられた術式の一つだ」

「なんで?」

「呪いという術式の形を一切あらわすことなく人々に呪いを埋め込み、その存在全てを術者の目的のために捧げさせることが可能な術だからよ」

「……」


 カリアが続けた内容に、思わず椋は眉を寄せた。おどろおどろしく語られる異様な内容に、確かな覚えがあったからだ。

 アイネミア病が呪いではないと、早々に断言した教会。徐々に確実に失われていく人々の健康、あの日魔物の孵化と同時に、恐ろしいまでの数が一斉に発生しその後も増加の一途を辿ったショックの患者――。

 ぞわりと背中を、ひどく嫌な冷感が一瞬で逆上してくる。

 椋の様子を知ってか知らずか、声色も表情も変えることなくアノイが淡々と続けてきた。


「そういえばアイネミア病というのは、血が足りなくなるから起きる病なんだとヨルドが言っていたな」

「……」

「単に血が失われる程度で、本当に魔物の孵化に必要な魔力の供給になど繋がるのかと正直、俺は思っていたんだが――」


 そこで一度言葉を切った、アノイの顔を改めて椋は見やる。一片の笑みのかけらもない蒼の目が、まっすぐに椋という存在を見据えていた。

 かたりと、実際の寒さではない感覚に膝上の拳がひとつ震える。

 にっこりと、またも相手の拒絶を一切認めない表情でアノイが不敵に笑った。


「なあリョウ。ひとつ是非とも、今ここで答えてほしいことがある」


 おそらく尋ねられる内容を、既に椋は知っていた。

 それはきっとこの地図に関し、カリアと交わした約束と基本的には同じものだ。カリアが今何ひとつ言葉を発することなく沈黙を保っているのも、同じような理由によるものなのではないかと椋は思う。

 今更拒絶の権利もなく、ただ言葉を待つしかできない椋にアノイは口を開いた。

 そうして発される彼の言葉に、わずかに椋は、その目を開く、



「――――おまえは一体、何者なんだ?」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ