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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
間奏A andante
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 影鳥の瞳に映る景色

少々ご無沙汰しておりました。大学が始まってしまい初っ端からてんやわんやしております。

ほのぼのを書くつもりが、いつの間にか第一節P03の裏側、のような話になりました。

ほとんどメインキャラ出てきませんが、お楽しみくだされば嬉しいです。



「頼むぞ、スゥユ」


 いつもと変わらぬ声音で彼女にそう告げた彼の瞳には、しかし確かに、どこか面白がるような嬉しそうな光が宿っているような気がした。


「何度お止めしても、お嬢様がお聞き入れくださらないんだ」


 困ったものだよと、口では確かにそう言いながらも彼は笑っていた。

 そして彼の笑顔の訳を、ほどなくしてスゥユもまた知ることになったのだった。





「……ん」


 ふわりとわずかに感じた空気のうねりに、それまで閉じていた目をスゥユは開いた。

 そのうねりは、何を考えるまでもなくスゥユの仕える主のものだ。ああやはり今日も行かれるのかと、小さく苦笑して体を預けていた壁から背を離す。

 音もなく気配もほとんどなく、文字通り屋敷の壁を至極当然のようにするりと主は「抜けた」。その御身が本来宿すものではないごくありふれた茶色を、現在の彼女は髪と瞳に宿している。

 人目に付けば間違いなく目立つ外見を隠すのは、ひどく地味で材質も大して良くはないフード付きのマントだ。他人の関心をそらす魔術が施されたそれを身にまとった彼女の姿は、彼女の魔術の腕ゆえに、スゥユたちの目を持ってしても「視る」ことを持続せねばすぐに見失ってしまう。

 おそらく屋敷の護衛たちも、あと三フィオ(三分)もすれば彼女の不在に気づくだろう。彼女がこれをはじめた当初は、十五フィオ(十五分)以上その事実を知るまでにかかっていたのだから、進歩といえば随分な進歩である。

 左右を見回し、改めて誰も自分に「気づいていない」ことを確かめた彼女が走り出す。その足の向く方向は、当然というべきか昨日とまったく同じだ。

 ふっとひとつ息をつき、スゥユは彼女の背を追った。常にじっと見ているのに、ともすれば揺らぎそうになるその背の華奢さと大きさにわずかに、目を細める。

 本当に主様は、この二、三年で壮絶なまでに魔術の腕を上げられた。

 今はまだ(スゥユ)が彼女を見失うことはないが、既に(ウヤド)以下の者たちには彼女の姿は、ひとたび本気を出されれば完全に見えなくなってしまうだろう。


『スゥユ。主様は』

『いつもの場所ね。……また、主様の笑顔が見られるわ』


 仲間が彼女へ飛ばしてきた『言葉』に、スゥユは小さく笑って応じた。

 スゥユは、マオシェ【影鳥】と呼ばれる、ラピリシア家の当主に仕える一族の一人である。影の鳥との名の通り、決して表沙汰にすることはできない一切を請け負い、影の闇のうちから主を支えるべく尽力するため、存在する一族だった。

 スゥユたちは元々は、この国に居を構える民族ではない。彼女らマオシェ【影鳥】を担う一族に共通する、黄みがかった肌や藍色の髪と瞳を見れば誰に言われずともそれは明白だろう。

 元来マオシェ【影鳥】の一族の在った国では、気の遠くなるような昔から、彼女らは影の者として虐げられひどく安い金で当然のように危険な任務を遂行すべく雇われ、まさに捨て駒のように扱われてきたのだという。

 すべての転機は現在よりさかのぼること四代前のラピリシア家当主、レニストラの外遊だった。

 外遊中に彼女ら一族の有様を、そしてマオシェ【影鳥】たちの有用性を彼は目のあたりにした。国のあまりに不当かつ一族の持つ能力の高さを汲まぬさまに、裏切りは即ち一族の断絶を意味するとの前提の上で、一族を丸ごと正式に、ラピリシア家へと彼は召し抱えたのだ。

 レニストラとの契約ののち、マオシェ【影鳥】たちの一族は彼に連れられこのエクストリー王国へと移った。そして彼女らが移ってそう間もなく、彼女らの故国であった国は内紛によって滅んだ。

 我らはレニストラ様に、ラピリシア家によって生かされているのだと。

 そう常に、マオシェ【影鳥】を担う一族の者たちはみな例外なく、まだ何の意味も分からぬような幼子の頃から皆に言い聞かせられて育つ。

 現在のマオシェ【影鳥】の中枢を形成するのはスゥユをはじめ、そんな事実をもう語り伝えでしか知らぬ者たちだ。

 しかしラピリシア家への決して返すことのできぬ多大な恩は、今も強く彼女らの胸に絶対の忠誠として宿り続けている。


『クェジ【見習い】を例の場所へ向かわせるべき、だろうな』

『そうね。彼らには本当にいい鍛錬になるわ』


 主様の正式な許可は頂いていないが、おそらく実際の許しを乞うたところで結果は同じだろう。

 代々の当主と同じように彼女、現当主カリアスリュート・アイゼンシュレイム・ラピリシアもまた彼女らマオシェ【影鳥】たちを信頼してくれている。今日とて後をつけるスゥユの存在を気づいていないわけではないのだろうに、彼女の見守りを黙って許して下さっているのがその証拠だ。

 現在スゥユたちが向かっているのは、王都の東の一画にあるひとつの酒場である。

 クラリオンという名の、無名の新参や内実の良くない冒険者は出入りを断られるという少し特殊な酒場。冒険者たちにとっては、そこの出入りを許されること自体が一種の実力示威とすることもできる場である。

 なぜそんな場にラピリシア家の若き当主が出向こうとしているかといえば、クラリオンにはひとり、こちらからしてみれば驚くしかないほどの変わり者がいるからだ。

 髪や瞳の色を変えようと決して隠せはしない彼女らの主の美貌にも怖気づくことなく、さらりと当然のように笑って主をカリアと気安く呼びすてる、一人の青年が。


『まったくなんとも、不公平なものね』

『スゥユ?』

『あのように自然な主様の笑顔など、傍近く仕える我らでもそう拝見できないというのに』

『……そうだな』


 それこそ彼女がまだ物心つかぬころから、スゥユはカリアのことを知っている。

 おまえのいずれ仕えることとなる主だ、決して鍛錬を怠らぬように。幼いカリアを膝に乗せ、そう言って静かに笑った先代当主の声は表情は、今でも強くスゥユの胸に刻まれている。

 いついかなる時も、本当の意味で強く在りつづけた先代当主。そして大輪の薔薇のごとき華やかな美貌と利発さ、しなやかな理性を持っていた奥方。

 父君と母君の双方の長所をまるで、受け継ぐようにカリアは生まれ落ち、そして育った。多くの艱難辛苦に耐え、美しさと強さを併せ持つ、若き大貴族家の当主へとカリアは、立派に成長した。

 しかし非の打ちどころなく成長していくにつれ、次第にカリアは表情を消していった。感情の起伏は、凪いでいった。

 誰もそんな彼女の変化を、咎めることはできなかった。感情の過剰な起伏は得てして、他者よりつけ込まれる隙となるからだ。

 その双肩に負うべき荷の大きさが故に、彼女には他人を信じることが許されない。それでも幼い心は他者を求め握り締める手のひらを求め、その結果としておぞましい惨劇が引き起こされたのも一度や二度ではなかった。

 だから彼女は、いつしか感情を表に出すことを止めた。

 もう二度とあの可愛らしい笑顔を見ることは叶わぬのかと、スゥユらマオシェ【影鳥】たちは影の内から心を痛めて、いたのだ。

 けれど。


『クェジ【見習い】たち。主様が今、酒場に到着したわ』


 場に集う子らに事実を告げれば、周囲の空気が一斉に揺らぐ。そう間もないうち、彼或いは彼女の揺らぎは驚愕のそれへと取って代わるだろう。

 スゥユの視線の先では、クラリオンの扉を開き中へと入ったカリアが厨房で作業をする、一人の従業員へ向かって歩いていく。

 彼女の足取りは、今日のどの時間スゥユが目にしたものより軽い。カウンターと面する形になる厨房の一画で料理を作っていた青年は、彼へとかけられた声にふと顔をあげた。

 いらっしゃい、カリア。

 ごく自然に青年が口にする歓迎の言葉に、カリアもまた顔を隠していたフードを取って笑って、応じるのだ。


『す、スゥユ様』

『迂闊に喋るんじゃない。どうしたの』

『主様が、……主様が』


 笑っていらっしゃる、と。

 呆然とつぶやく数人のクェジ【見習い】たちの『声』に、小さくスゥユは笑ってしまった。まったく、そのような些細なことで『声』を出すなど、まだまだ彼らは一人前のマオシェ【影鳥】として動くまでには時間がかかりそうだ。

 現在のスゥユたちは一族に伝わる特殊な魔具を用いた、そもそもの言語も異なる会話を行っている。

 ゆえに彼女らの『声』は滅多なことでは人の声、言葉であると理解されることはないが、それでも用心に越したことはないというのに。困ったものだ。

 とは言いつつも、スゥユもまた初めてこの光景を目にしたときには、大いに驚いてしまったものだった。


 ――今日も随分賑わっているのね、ここは。

 ――お陰様でね。俺の料理に関しては、なんか賛否半々くらいみたいだけど。


 カリアが屋敷を抜け出して、わざわざ一人でこんな酒場にまで足を向ける理由。それが今彼女の目の前にいる青年、リョウだ。

 一月ほど前偶然に、彼女はあの黒い青年と出会った。ある出来事に、そしてそれによって引き起こされた無残な結果に、心底から打ちひしがれていたカリアに手を差し伸べたのがあの青年、リョウだったのだ。

 どちらかと言えばスゥユたちと似た、顔の凹凸がやや浅い顔立ちや肌の色、そしてスゥユたちのそれよりも深い黒の髪と目。この国ではほとんどお目にかからない容姿をした彼は、マオシェ【影鳥】の総力を挙げても、過去を洗い出すことができなかった。

 果たしてそんな人間と、大切な主を接触させてもよいのかとも、スゥユは思う。しかし現在目の前で展開されるあの楽しそうな光景を見てしまえば、それに対する答えもまた、自ずと出てしまう。

 もしスゥユたちマオシェ【影鳥】が、或いは当主たるカリアの最も傍近い存在である傅役、ニースがなにを忠告したところで、彼女はまともに正面からそれを聞き入れてくれはしないだろう。彼一人にやられてしまうほど自分は落ちぶれてはいない、その程度の力は持っていると、言って。

 それほどに今、スゥユたちが目にするカリアは楽しそうで、自然なのだ。

 一日の中でこのときだけ、どこの誰とも知れないリョウという青年を相手にする今この時間帯においてだけ。

 カリアは年相応の少女の顔に、戻るのだ。


 ――街の噂で、聞いたんだけど…

 ――……へぇ

 ――それにね…

 ――……カリア


 少し意地悪げに相手へ笑う、カリアの表情は純粋に楽しそうだ。

 対するリョウの表情もごく自然に友人へ対するもので、彼女ら二人へと酒場内の人間たちが向ける視線もまた、半分は面白がりながらもその実、優しい。半端な冒険者は入ることのできない酒場の仕様は、ある意味ではお嬢様のお忍びにはぴったりの場だった。

 おそらくあの場の何人か、もしかすれば彼女の相手をする黒の青年も含めた数人は、カリアが普通の少女でないことに既に感づいているのだろう。市井の少女と身を偽るには、あまりにカリアの一挙手一投足は流れるように隙がなさすぎる。仔細な計算が無意識になされた、無駄のない流麗な動きでありすぎるのだ。

 しかし彼女は、願っている。せめて自分が誰なのか、大々的に彼に知られてしまうまで。それまではこの身を忍んでの、彼との接触は自身の足で続けたいのだと。

 そして主の願うことは、多少ならぬ無理があろうと叶えるべく動くのがスゥユら、マオシェ【影鳥】の役割なのである。


『……あれ?』

『どうしたの』

『スゥユ様、あの男』


 不意に声をあげたクェジ【見習い】の『声』に応じ、視線をやったスゥユの視界に映り込んだのは一人の、若い男の姿だった。

 ぴんと真っ直ぐ立った背筋と、きびきびとした身のこなしは一目見るだけで只者ではないことが分かる。おそらく手持ちの中で一番目立たぬものを着てきたのだろうが、彼が身に纏うものの上等さはスゥユには一発で見え透いた。

 おそらく道が覚束ないのだろう、あちらこちらへと視線をやりながら徐々に、徐々にその男は彼女らのいる方向、つまりはクラリオンのあるほうへと近づいてくる。

 わずかにスゥユは目を眇めた。なぜこんな場所へ、身のこなしの無駄のなさから見ておそらく騎士であろう人間が向かって来ているのだろうか。


『スゥユ様。彼はおそらくクレイトーン・オルヴァ。オルヴァの家名を持ちながら下賜名を名乗ることを許されない、第八騎士団の騎士です』

『ああ。無魔の第六位階、ね』


 第八騎士団担当のクェジ【見習い】の言葉に、目は眇めたままスゥユは応じた。伝えられたのは決して幸福とは言えない生まれや状況から、一部ではそれなりに有名な若い騎士の名前だった。

 しかしなぜ、そんな人物が今ここに。

 彼の所属する第八騎士団は、カリアの統べる第四騎士団との提携を定められた団ではある。しかし彼がたった一人質素な格好でこの場へ向かおうとしている以上、カリアという個人を目当てに彼がクラリオンを目指しているとは考えづらい。

 どうするべきか。内心首をひねるスゥユに、疑念いっぱいのクェジ【見習い】の『声』が向けられる。


『主様に、ご報告申し上げた方が良いのでしょうか』


 その問いには刹那、スゥユも返答しかねた。いまクラリオンに向かっているのはしかも、他の魔術師団の魔術師でも彼女に敵対する勢力に与する騎士でも貴族の郎党でもなく、品行方正、中庸の道を行く結構に希少な「まっとう」な騎士なのだ。

 無論カリア個人の現在だけを考えるなら、今すぐにでもこの事態を伝え彼女をクラリオンから抜けさせるべきなのだろう。彼女の願いをかなえたいとも、スゥユたちは願っている。…しかしこのような事態は既に、今回が初めてというわけでもないのだ。

 正直なところ、そろそろお忍びも限界なのではないかとここ最近、スゥユをはじめとするマオシェ【影鳥】たちは考え始めていた。

 今はまだこのクラリオンという場所は相手に割られてはいないが、既にスゥユたちの、ひいてはカリアの相手取らねばならない相手はカリアの「不在」に気づき始めている。一昨日、そして四日前。あちら側の人間が、ひそかに酒場へ紛れこもうとしていたことがその証拠だ。

 あの青年を、過去に彼女を嘆かせた道の上に乗せぬためにも。

 彼女は一度、引かねばならないのではないかとそう、スゥユたちは思っていた。――あの笑顔がまた見られなくなってしまうことに対しては、悲しみと嘆きしか覚えることはできなかったが。


『スゥユ様、』

『……』


 彼女が黙って思考する間に、騎士はクラリオンへとたどり着きドアへと手をかけた。こうなってしまってはもう、あとは中の成り行きのまま任せるよりほかない。

 ほんの少しの騒動が起きるかもしれないと、そんな予感を抱きつつ己が主を見守る影の鳥たちは。

 そう遠くないうちに直面する、誰もの予想を飛び越える異常事態を未だ知る由もない――。



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