名物のはじまり
リクエストいただきました、クラリオン関係のほのぼの話になります。
時間軸は本編開始前。楽しんでいただければ嬉しいです。
それは物語の開始より、少しばかり、前のできごと。
そもそもの事の始まりは、厨房担当の従業員が、風邪やら急用やらで絶対的に足りなくなってしまったことだった。
しかもそんな日に限って、クラリオンは開店してすぐ満員御礼。どうやらそれなりに大きな魔物討伐のパーティが打ち上げに来たらしく、盛り上がるフロアとは裏腹に厨房は非常に悲惨な戦場になってしまったのだ。
今にも死にそうな顔で料理を作り続ける同僚の姿が結構にいたたまれず、ようやくフロアが慣れて来たところといったくらいだったにも関わらずつい椋は口を出してしまった。
ちょっと変な味になってもよければ、俺も厨房入って料理作りましょうか、と。
「まさかあの一言で、厨房に固定されることになるとは思わなかったよ」
「だって仕方ないじゃない。リョウの料理って面白いんだもの」
口に合うかは別だけどね。さらりと笑ってそんな言葉をかけてくるのはアリス。クラリオンに試験的に雇用され結構にガチガチになっていた椋に、最初に声をかけてくれたフロア担当だ。
ジャッと軽快な音を立てて炒めものを作りつつ、彼女の言葉に椋は肩をすくめた。
「まあ、味が基本的に俺のとこのだし」
「どれだけ聞いても秘密の調味料ね。ヘンなとこケチなんだから、リョウは」
「アリス。自分よりリョウのほうが料理できるからって、そう絡むなよ」
「何よケイシャ、ひっどーい」
ひょいと横から顔と口を出したケイシャに、言葉の割には大して怒った様子もなくアリスが笑った。
この酒場クラリオンの雰囲気は、冒険者などという、荒くれ者にも近い人種が集まるはずの場所にしては随分楽しくも和やかだ。それはきっと、基本は奥の部屋で主に「情報」の管理をしている、怒るとものすごく怖いおやっさんと、お会計ご案内そして不要物排除の担当であるおかみさん、ケイシャやアリスをはじめとする従業員たちの醸し出すものでも、あるのだろう。
このクラリオンに集う人々は、誰もがとても楽しそうに笑う。
急にこの世界に何の前触れもなしに放り出され、何が何だか分からず色々な事実に絶望しどうしたらいいか分からなくなっていた椋でさえ思わずつられて笑ってしまうほど、生き生きと楽しげに飲み食いし、仕事に誇りを持って日々を生きている。
仕上がった炒め物を、用意していた皿に手早く椋は移した。コトンとアリスの前にそれを置きつつ、椋は小さく笑う。
「まあ正直俺がフロアしてもあんまり効率良いとは言えなかったから、こっちやらせてもらえる方が俺の性分には合ってる気がする」
「そうかもね。リョウ、フロアしてた三日くらいでかなり、冒険者さん方に気にいられちゃって業務すんごい滞らせてたしな」
「気に入られてたっていうよりいびられてるに近くなかったか、あれ?」
「冒険者なんて大概そんなもんよ。もっとリョウも、図太くならなきゃ」
「図太く、ねえ」
彼女は一言でそう言うが、しかし実際にそれを成し遂げるというのは結構に難しいような気がする。
かといってケイシャの言うとおり、クラリオンの空気、そしてここにやってくる冒険者たちのテンションにまったく慣れていない椋がかなり格好のオモチャにされてしまったのも事実だった。まあここで料理作りつつおいおい慣れていけばそのうち、ある意味暢気に思う。
色々と苦しい不可能もあるが、それはそれ。
折角客に慣れるためと、唯一厨房にあるコンロの中でカウンター席に面しているひとつを椋のポジションとしておやっさんたちが指定してくれたのだ。期待には少しでも応えたいのが水瀬椋である。
「そんなことばっかり言ってると、彼氏に逃げられるぞ」
「残念でした。あの人は私のそういうところも知ってて私に惚れてるのよ」
「ううわ、すっごいノロケ来たよケイシャ」
「ははは。ま、いつものことだ」
しかしやはり言われているだけというのも少々癪なので、少し棘を投げてみたら盛大なノロケになって返ってきた。
アリスの彼氏はここ王都の南側にある「学院」、魔術の適性がある子どもだけが通える特別な学校の講師をしているらしい。アリスと違ってかなり静かな水みたいな人だったな、というのは、実際にその彼氏と会ったことがあるというケイシャの弁だ。
まだまだミスも多い椋を笑って許してくれる優しい同僚たちは、注文を求める声や料理や酒を届けるため動き始める。パシッと音を立てて目の前に置かれたのは、アリスとケイシャが取ってきたオーダーのうち、椋が作る必要があるものだろう。
決して多くはないそのオーダーを確認し、料理を作るための材料を取ろうと後ろを向きかけたそのときだった。
ふっと椋の視線の端に、わずかになにか、妙なものがかすったような気がした。
「ん?」
それは本当に、ひどく些細な違和感のようなものだった。いつもの椋ならおそらく気にも留めないような、軽いもの。
しかしなぜか妙にそれが気になり、材料もろもろを取るために後ろへやっていた体の向きを元へと椋は戻した。何となく妙な感覚がかすった方向へと改めて視線を向けてみる。
ぱっと見には特に何があるわけでもなく、ただ普通に冒険者たちが楽しげに騒いでいるだけだ。
何かの見間違いか気のせいか。考えて仕事に戻りかけたところで、椋の目はその違和感の正体を見出した。
「…んん?」
それは他の客たちと比べてみれば、随分小さく縮こまったひとつの影だった。
それぞれ盛り上がる冒険者たちの楽しそうな様子をよそに、フロアの隅の席にひとり、壁に半ば寄りかかるようにして座るその影のまとう空気は妙に沈んでいた。すみっこであんまりに沈んでいるが故に目線を向けなければ存在すら分からないが、一度認識してしまうと他とのテンションのあまりの違いに、どうしたんだろうと首をかしげたくなってしまうくらいには。
酒場に入る申し訳程度に頼んだのだろう、その人物の前に置かれた一杯はきっとまともに手をつけられていない。彼女のみならずそのカップすらどこか所在なげに見えるのは、多分椋の気のせいというわけでもないのだろう。
うつむいているうえ、マントを羽織っているために体つきもよく分からないが多分女性、それも女の子なんじゃないかなと椋はその奇妙な影を眺めながら思った。本当に隅っこで縮こまっているため姿が見えづらいのだが、時折ちらちらと見える横顔は、遠目にもかなり整っているように見受けられた。
もう一度、さきほど同僚たちが持ってきたオーダーを椋は確認する。さらに厨房でくるくると動き回る他の同僚たちの様子や、フロア全体のにぎわいの具合にもざっと目をやる。
目の前で座り込んで話をするとかならともかく、あとで材料費は賃金から引いてもらって、ちょっと勝手するくらいなら、たぶん。
そういう身勝手が意外にも許されるクラリオン特有のゆるさを知っている椋は、改めてフロアの隅を見やってその人影が沈んだままちっとも動かないのを確認してよし、とひとつのことをちょっとばかり心に決めた。
オーダーされた料理を作り終えたあと、追加のオーダーが入ってこないことをもう一度確認する。
あんまりきょろきょろしていたら、その行動を不審に思ったらしい厨房担当のひとり、ツィールに軽く頭を叩かれた。理由を説明しないわけにもいかず先ほど決めたひとつのことについて彼に説明したところ、そういうことなら別に良いぞとあっさり、他人からの許可が下りてしまった。
本日のクラリオンの、客足は非常に緩やかだった。勿論全くいない、がらんとしているというわけではない。適度に客は常にいて、それぞれ楽しげに会話や酒や料理を楽しんでいる。
これがあの、椋の厨房入りが認められた日のような混み具合だったら確実にこんなことはできなかっただろう。
思いつつ、小鍋に注いだ牛乳に椋は火をかけた。
「…沈んでるなあ」
火をかけそしてまた視線をやれば、本当に相変わらずに彼女は壁へと力なくもたれ、その顔も俯いたままだった。
きっとこの世界に来たばかりのころは、椋もまたあんな風に、いや、おそらくもっとひどい沈み方をしていたのだろうと思う。
しかし椋は半ば無理やり、ヘイにここクラリオンに放りこまれたことで、考えを巡らせることしかできない時間も減り、否が応にも人と喋り関わり合いにならざるを得なくなった。ただただ沈んでいるだけではいられなくなった。少しは前向きに物事を考えなければ、自分以外にも迷惑がかかると改めて実感してしまった。
もしかすると現在の椋は、そんな少し前の自分とあの影をどこかで重ねているのかもしれない。
彼は多少なりとも、この酒場に雇ってもらえたことで人とかかわることで、救われた。根本的な問題の解決はまったく何もできていないが、しかし解決の糸口どころかヒントすら見えない現状に何とか立ち向かおうと、徐々に考えられるようになるくらいの力はこの場の人々から椋は、もらったのだ。
だからできれば、彼女も、と。
そんなことを思ってしまうのは、おそらく椋自身の非常に自分勝手な感情でしかないのだろうが、…まあ。
「おっとと!」
などとつらつら考えていたら、いつの間にか牛乳がふつふつと泡立ちはじめていた。慌てて火を止め小鍋の中身をすべて大きめのマグカップに移し、先ほど取ってきたはちみつと、ブランデーを適量カップへ放り込む。
湯気を立てるそれの柔らかい甘さに目を細め、しかしこれだけで出すのも何か味気ないような気がした。少し考え、そういえば亜空間バッグに明日分のおやつとして、クッキーを買って入れていたことを思い出す。
見た目と収納許容量がめちゃくちゃなウエストポーチ型のそれからクッキーを取り出し、三枚ほどを小さな皿に並べると、マグカップとともに手にとって椋は厨房から足を踏み出した。
「お、あんたが新人のリョウか。料理、なかなかうまかったぜ!」
「面白い味のもん出すじゃねえか、また食わせてくれよ!」
「そいつはよかった。また是非どうぞ!」
フロアのすみへと向かう途中、何人かから声をかけられた。なにしろ黒髪黒眼の従業員は椋だけなうえ、椋はそれなりに背も高いのだ。
楽しげな彼らの言葉にできるだけ軽く応じつつ(まだこの辺りの加減が椋には掴みきれない)、ようやく辿りついたすみっこの彼女へ、椋は両手に持っていたそれらをそっと差し出した。
「…?」
コトンと机に置いたゆえに、鳴った音や椋の近寄った気配に気づいてだろう。ぼんやりと、彼女が椋へと向かって顔をあげた。
改めて正面から見るその子は、茶色の瞳と揃いの髪の、モデルやアイドルも真っ青になって逃げ出しそうに整った容貌の美少女だった。ひどく物憂げに沈んだその顔に妙に心臓が跳ね上がったのを感じつつ、しかし今更引くわけにもいかない。
椋は自分の精一杯の笑みを、出来る限り爽やかに自然に見えることを祈りつつ彼女へと向けて見せた。
「新作なんです、これ。もしよかったら、試飲してくれませんか」
「…わたし、に?」
「はい」
内心の緊張を必死に隠しつつ、ぱちぱち瞬く彼女へ椋は頷いた。
椋への返事の代わりに、動いたのは彼女の腕だった。それまでずっとテーブルの下にだらりと力なく投げ出されていただけだった手が持ちあがり、まだまだ柔らかな湯気を立て続けるカップへとそっと伸びる。カップに触れた瞬間ピクリとその指先が動いたのは、予想していたよりもカップが熱かったのだろうか。
持てない熱さじゃなかったと思ったけどなあ、考える椋の前で、しかし次には彼女の両手がやんわりとカップを包み込んだ。
何か大切なものでも抱えるかのようにそっとカップを持ちあげ、ふんわりと立ち上る湯気に、わずかなブランデーとはちみつの香りに彼女は、目を細めた。
「いいにおいね」
「口に合うかは分かりませんが、よかったら」
試飲というのは勿論、嘘。酒場で酒の入らないような飲み物など、この世界においては特にほとんど需要がないのだ。
アルコールが苦手な人もいるのではとも思うのだが、面白いことにこの世界の人々は皆、バカみたいに酒に強いのである。浴びるように飲む、という言葉が全くしゃれにならない人間も既に、何人も椋は見ていた。ついでに言うなら今日も見た。
だからこそ本来ならこんな場所で、こんな飲み物は作ったりはしない。このホットミルクは正真正銘、椋が彼女のためだけに作ったものだ。
そっとカップへと口をつけひとくち、ふたくちと中身を口に含んだ彼女は、ややあって、ほう、と小さな息をついた。
「…おいしいわ」
「それはよかった。あ、このクッキーも今、城下で評判になってるものらしいですよ」
結構な好反応に少しだけ気を強くした椋は、どうせならとクッキーも彼女へ勧めてみる。
なにしろせっかくの美人なのに、眼の下のクマや削げた頬がどこか、ひどく痛々しくこちらには見えるのだ。椋個人の好みは男女問わず、健康でおいしいものをおいしいと笑って食べられる人間である。
笑顔の椋に押されてか、片手をカップから離した彼女はクッキーに手を伸ばした。ぽそりというクッキーを咀嚼する音、もう少しだけ、彼女の表情がやわらかいものになる。
「ほんとうね。クッキーもおいしい」
「そっちは俺のおやつだったんですけど。試飲してもらったサービス、ということで」
「え…?」
「じゃあ、どうぞごゆっくり。あ、もしまた別に食べたいものがあったら、気軽に他の店員にでも俺にでも、言いつけて下さいね」
少しだけその表情を驚いたものへと彼女が変える。さらに何か言われ、もしくは言ってしまって彼女がそれらに手をつけるのをためらう前にと、小さく頭を下げて椋はその場からそつなく離れようとした。
しかし。
「待って!」
「?」
それまでの弱々しい消えそうなものとは違う、凛と耳に心地よく響く声が椋を呼びとめる。少し予想外なその声に振り向けば、なぜか少し混乱した風情の彼女がその場に立ちあがっていた。
反射的に声をあげてしまった、のだろうか。少しだけ視線を左右へと彷徨わせた彼女は、ややあって、まっすぐに椋を見つめ、そして。
「ありがとう。…あなたの、名前は?」
ふわりと、やわらかく花が開くような笑顔で微笑った。
それまでとは、比べ物にならないくらいの大きさで椋の心臓は、跳ねた。
後になって考えてみれば、それが椋とカリアという、ふたりの些細な、つながりのはじまりだった。




