P37 変化のあとの
吟遊詩人はかく歌う。闇を切り裂く閃光は、唯一無二の殲魔のひかり。
のちの歴史書はかく語る。王の光の力なくば、国は確実に崩れたろうと。
悪夢のような長い夜から、また少しだけ時間は過ぎた。
誰にも予測のつかないような方法をもって、事件は収束、したのだった。
そして。
「リョウ! これと同じの追加で頼む!」
「こっちの注文、まだか! 遅ぇぞーリョウ!」
「ああもう一気に色々言うな! 俺はひとりしかいないんだってば!」
すっかり元の活気を取り戻したクラリオンにて、以前とほぼ何も変わらない光景の中に椋はいる。ぽんぽんと容赦なく飛んでくる客たちの声に笑って応じ、相変わらずに一風変わった料理を彼は作り続けていた。
少しだけ変わったことはと言えば、椋自身としては驚くしかないくらいの信頼を、誰からも寄せられるようになったこと、だろうか。
俄かには信じられないくらいに唐突にすべてが終わり、ひとまずすべての患者の対処を終えた後。椋は改めて、クラリオンへと赴いた。
今まで世話になったお礼と、店を辞めることをきちんと伝えに行くためだった。明らかに普通では得られるはずもない知識をいくつも見せつけ、大貴族で魔術師団の団長であるカリアとの関係もバレてしまった以上、もう無理だろうと思ったからだ。
そんな考えのもと、多少の寂しさとともにクラリオンへ足を踏み入れた椋は心底、驚いた。
ヘイにここへと連れてこられ、ほぼ彼に言われるがままに契約した当初、取り決めたバイトの期日はまだ残っている。だからまだまだおまえにはここで働いてもらうと。
いいやそれは言葉が違う、おまえには本当に感謝しているんだ。どんな言葉を何度並べたてれば、足りるのかも分からないくらいに感謝してる。
だから、どうか、頼むから。どうかうちに、いてくれと。
これからも俺たちのところにいて、ここのちょっとした名物であり続けてくれと、地面に頭をこすりつけるような勢いでその場にいた全員から強く、強く懇願されたのである。
「リョウ! できた?」
「出来てるよ、そっちの赤い縁の皿は二階の三号室用だから!」
「了解っ」
かろやかな同僚、アリスの声に応じて椋も声をあげる。彼女から向けられる視線もまた、例外なく以前より少しだけ確かに、優しい。
魔物がどうにかならないことには、何をしても姑息の治療にしかならないと思われていた状況を打開したのはたった一人の絶対の力だった。誰にも知らせることなくひそかに帰国し王都へ駆けつけたこの国の王様の力によって、すべては一転させられたのだ。
今を時めく吟遊詩人が、歌うのは絶体絶命の危機に現れる「光の王」。昨日このクラリオンにも呼ばれたその吟遊詩人は、朗々たる美声で、椋たちには知り得ないオルグヴァル【崩都】級の魔物討伐の顛末を、劇的に歌い上げて見せた。
吟遊詩人の謡いわく、今にもその花を開かんと、オルグヴァル【崩都】級が最後の力を振り絞ろうとした瞬間、王様はその場に現れたのだそうだ。
彼だけが操ることができる光は、この国においては殲魔と呼ばれる特殊の光。どんな魔物であろうと問答無用に、その魔物に系譜を連ねるあらゆる呪いも含めて一瞬にして殲滅・浄化するものすごいもの、なのだそうだ。
そしてそんな彼の光を、まともに受けたオルグヴァル【崩都】級は、ひとたまりもなく一瞬にしてその場から、完全に消滅したのだという。実際に魔物の消滅を見ていたわけではないが、その消滅の瞬間なら、別の場所で椋も目の当たりにした。
王が「光」をもたらしたのは、俄かに恐ろしい勢いで発生したショック患者に対し、もはや何もかもが不足し魔具もとっくに使い切り。
点滴を使用するための術も、何も思いつかず手の施しようもなく椋が絶望しかけた瞬間、だったのだ。
「…何はともあれ、みんなが元気になってホントによかったよ」
「まったくだ。ああいうことがあるとしみじみ、健康の大切さを思い知るよな」
料理を作る手は止めないまま、酒場を見渡し口にした独り言に予想外に応えが返った。わずかに驚き視線をやれば、にっと楽しげに笑ったケイシャがそこには立っている。
心底楽しげなそれに笑み返して、出来上がった料理の皿を差し出された手へと椋は渡した。あっちで騒いでる人たちんのねそれ、告げればケイシャは頷いて、上機嫌のままに料理を届けるべくテーブルへと向かっていった。
椋が今回思い知ったのは、健康の大切さだけではない。あまりに自分が勉強不足でありなにもできないことに、本当に心底から愕然とした。
もしもヘイがいなかったら、ヘイがあの魔具を、試作品段階とはいえ完成させてくれていなかったなら。
ショックで倒れる患者を前に椋は何もできず、ただ患者たちが命を落としていくのを呆然と見ていることしかできなかっただろう。
「勉強、…したいなあ…」
どうしてここに飛ばされた時、自分が手にしていたのはしょうゆやら液体のだしやらスープの素やらが入ったスーパーの袋だったのだろうか。
考えたところで仕方がないのだが、ついでに言えば今椋がここで「名物」になり得るような変わった料理が作れる理由もそこにあるのだが。しかしどうにも、思わずにはいられない椋である。
教科書が欲しいと、思った。家に大量にたまっていた授業プリントすべてを、穴があくまで読み返したいと思った。
かつての自分がどれだけ恵まれた場所にいたのか、しみじみと椋は思い知る。
多くの事象に答えが出され、多くの薬が開発され手技が磨かれ。病名診断のための手段も数多く生み出され、今は原因不明とされる、未だ数多い疾病にも常に研究が積み重ねられていた。
それが椋が少し前まで、当たり前のように恩恵を享受していた平和な世界だ。ごく一般的に勉強をしてごく平均的に試験を突破し、ごく平凡に医師免許を取り、それなりにきちんとした医者になって働こうとのんびり思っていた――戻り方がわからない、遠い世界。
勉強がしたかった。心底からしたいと思った。
知りたいことは、確かめたいことはあまりにも数多く椋自身が把握などしきれないほど、あった。
「ホント、やりたいよ。勉強」
きっとそんなことを口にすれば、今のままでもおまえは十分凄いとこの世界の人々は言うだろう。おまえの力がなければ俺たちは助からなかった。おまえは俺たちの誰も、知らないことを使って他の誰もできないことをやり遂げてみせた。なのにおまえは一体、それ以上何を望むつもりなんだ――?
同意など、求められはしないだろうと分かっている。ただ、椋自身が痛感しているだけのことだ。自身の勉強不足を。もう少しだけ年を重ねてからここに来たなら、せめてもう少しはましであったろう技術力のなさ、知識のなさを。
やはり手は動かしながらそこまで椋が考えた時、カラン、とまた軽快にクラリオンのドアベルが鳴った。
「お」
「相変わらずだな、リョウ」
ちらりと笑んでこちらへ向かってくるのは、緑色の目をした褐色の肌の騎士だ。無論以前までと同じように、あからさまに自分が騎士だと主張するような格好をしてはいないが。
当然のように彼は、空いていた椋の目前にあたるカウンター席に腰を下ろす。ふっとひと息ついた彼に、焼いていた魚の切り身をひっくり返しつつ椋は声をかけた。
「しばらくぶりだな、クレイ。やっぱ忙しかったのか?」
「そうだな。おまえの顔を見るのも久しぶりな気がする」
そもそもあのオルグヴァル【崩都】級の魔物のせいで今、騎士団も魔術師団もとにかく人手不足だからな。
俺のような低い位階の奴らは、上にも下にも使い倒されてる。あっさりとそう続けてくるクレイの言葉に、彼もまた彼で非常に大変だったらしいことを椋は知った。――彼女と同様に。
「ああ、噂とかで聞いてるだけだけど、かなり凄かったらしいなそっちも、いろいろ。…んでクレイ? 今日は何をご所望だ?」
脂の乗ったラト魚(椋個人の感覚としてはブリに一番外見も味も近い)の照り焼きは、作っている椋自身、白いご飯が欲しくなる一品である。
腹減ってきたなあと思いつつ、出来上がったそれをぽんぽんと手際よく皿へと椋は移した。
ここまでおいしそうにできたのを目の当たりにすれば、目の前の男もこれをご所望するのではと多少なりとも椋は思った、のだが。
生憎今日のクレイはそんな軽いノリではなかったらしく、ふっとひとつまた息をつかれただけだった。
「今日は食事をしに来たんじゃない。おまえに伝言を伝えに来た」
「伝言? 誰から」
出来上がったそれを誰に運んでもらおうかと思っていたら、手が空いたらしいおかみさんが笑顔で皿を受け取ってくれた。
彼女へ軽く頭を下げてから、目前のクレイが発した言葉に椋は首をかしげる。少しだけ口の端をまたつり上げたクレイは、それまでより声をひそめて言った。
「今晩、メニの刻(夜十一時)に、迎えをやるから広場の噴水近くにいてくれ、だそうだ」
ええと。
伝えられた情報が、まったく自分の欲しがったものと違ったことに一瞬、椋は沈黙する。
確かに目の前のこの男は、その言葉さえ椋へと口にすれば伝言役としての役割は果たせるのだろう。が。
「クレイ、質問にはきちんと答えような。誰からの何のための伝言だよそれ」
「俺を伝言役にしておまえに迎えをやるようなお方など、おまえは確実に一人しか知らないと思っての言葉だが」
「……おまえ…」
苦笑しながらのツッコミにも、しれっと応じられてしまう始末である。確かにクレイの言う通りなのだが、何となく、何か、…ひどい。
そもそもクレイの言う「お方」とは、あの時から一度も椋は、まともな会話どころかまったく顔を合わせてすらいなかった。風の噂によればあのあと彼女は、誰もいない路地裏で壮絶な死闘を魔物と繰り広げた挙句、傷からの出血および魔力の過剰使用でその場にぶっ倒れたのだそうである。
大丈夫じゃなかったじゃないかと、それを最初に聞いたとき思わず椋は叫び出しそうになった。
幸い命に別条はなく、既に職務にも無事復帰しているのだそうだが。彼が問題にしたいのは決して、そこではない。
「まあ、…そっか」
彼女が会いたいというのなら、それに対する椋に否やはない。
何もかもが終わり彼女に関する顛末も聞いてからというもの、ずっと椋は思っていたのだ。彼女にお礼が言いたいと。一言でもいい、ほんの少しでもいい。感謝の気持ちを、伝えたいと。
結局のところあのとき椋は、あの場に彼女一人を置き去りにし、彼女が倒れる前にそこへと戻ることもできなかった。そんな、何もできず無力であった椋一人の感情にもっとも相応しいものはといえば感謝よりも、むしろ「謝罪」の言葉なのかもしれない。
しかし椋には決して、あのときのことを彼女を含め、誰にも謝るつもりはなかった。
所詮どんなに謝ったところで、自分の無力さが誰に許されるわけでもなければ、なにもできない椋自身の現況が勝手に変わってくれるわけでもないと知っているからだ。そもそもあの金色の強い瞳を持つやさしい子は、きっとそんな言葉を椋から欲しがったり、しないだろうとも椋は思った。
だが一般人でしかない椋には、下賜名を持つ国有数の大貴族のご当主であり、魔術師団の団長である彼女とのつてがほとんどどこにも、なかった。唯一伝手となりうるクレイも、ここ最近ずっと姿を見せていなかったのだ。いくら願ってみたところで、椋一人ではまったく、何をどうにもしようがなかった。
きっと彼女は立場もやらなければならないことも、何もかも椋とは比べ物にならないほど多く抱え込んでいるのだろう。
明らかに奇妙な行動は山のように見せたものの、ただの酒場の従業員でしかない椋のことなど、ともすればもう忘れてしまったのかもしれない、割けるような時間などなくなってしまったのかもしれない。
もう会えないのかもしれないな、などと。
そんなことを思っていた椋には、だからそれは非常に予想外な人間の名前、だった。
「あれからもう、十日くらい経ってるのに今更か? いや、それくらいの時間がたったからこそ、なのかな」
今回の一連の事件の真実を、おおよそのところではあるが椋は知っている。
だからこそあの夜から二、三日は、いつ誰がどこから出てくるとも知れないと正直、結構にびくびくしながら椋は生活していた。ヨルドでもアルセラでも、それこそカリアでも。 事実を事実と証言するための人材として、自分を駆り出すのではと思っていたからだ。
しかし彼の予想に反し、日々はただ、以前とほとんど何の変わりもなく至って普通に平凡に過ぎていった。
口閉ざして平凡にそのまま、城下に埋もれてろってことなのかな。
そんなことを思い始めていた矢先に、これである。疑問を口にしつつ笑う椋に、相変わらずにしれっとクレイは応じた。
「その答えを、ただの伝言役でしかない俺が持っているはずがないだろう。…折角だからスープを一杯もらえるか」
「へいへい、まいど。つーかクレイおまえ、冷たい」
「知るか。俺は今はただの伝言役だからな」
「なんだよ。友達甲斐のない奴だな」
ずけずけと遠慮のない物言いに笑ってしまいつつ、食器棚から取り出したスープ椀に既に大なべに作ってあるスープをそそぐ。ありがたく食え、という言葉とともにクレイの目の前へと出してやれば、わかったわかった、と笑われた。
椋の手にする日常は、今日もこうして過ぎていく。
平和でささやかな彼の日々は、少しずつかたちを変えながら、今日も確かに、ここに、ある。
ここまで読んで下さりありがとうございます。作者の彩守です。
なんか危機感際限なく煽っておいて、オチがくだらなくてすみません。しかし後に続く部分でもあるので、これ以外の展開もさせられず。
色々な意味で作者の予想外の展開を見せた話でしたが、楽しんでいただけたでしょうか。
少しでも面白かったと思っていただけたなら、書き手としてこれ以上の幸せはありません。
最後まで彼らを見守って下さった貴方様に、心からの感謝を。
続きをお届けできるまでにはもう少し時間をいただくことになりそうですが、これからも長い目で見守って下されば嬉しいです。




