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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第一節 変化の来訪/不持の青年
36/189

P35 現実と真実と



 違和感がある。

 到着してからというものどうしても拭えない、ひどく気持ちの悪い違和感が。





「…っ!」


 全身の気力を振り絞り、パチンと一度、柏手を打つ。

 打ち合わされた手のひらを次には、患者の方へと椋は向けた。指輪からあふれた透明度の高い赤色の光は、ふわりと患者の全身を包み身体にしみ込んでいく。

 包む光が弱まっていくにつれ、ショックにより蒼白になっていた患者の顔には赤みが戻り、手指の冷たさも抜けていく。

 おそらく患者の家族だろう、今にも泣きそうな顔で足元にも縋りつきそうな勢いで礼を述べてくる複数人にやんわりと、椋は笑顔を向けた。礼を言われることそれ自体に今更否やはないが、ショックの患者がまだ相当数存在している以上、そして指輪の使用回数にまだ残りがある以上、今ここで椋が足を止めるわけにはいかない。

 クラリオン近辺の光景をして「地獄」と当初形容をした椋だったが、どこかで予感していた通り、西側の患者たちの状態はあちらに輪をかけて深刻だった。

 所狭しと歩きまわる、治療にあたる人々の表情は既にその誰もが蒼白だ。こんな状況に慣れているわけもないだろう見習いや若い祈道士、術師たちはまだともかくとしても、昨日ぶりに顔を合わせたヨルドとアルセラまでもが同じような顔色をしていたことには、椋も驚かずにはいられなかった。

 彼らの疲弊はそれ即ち、それだけの事態がここでは起きているということに、他ならない。


「やってやれねえもんでもねェが、確かに生易しいモンじゃねェなあ、リョウ」

「ヘイ」


 後ろから声をかけられたのは、三回の使用を終え、亜空間バッグの端のほうへと指輪を放りこんだときだった。

 よく知るそれに振り向けば、そこにはいつもより明らかに顔色の優れない、オレンジ髪の長身男が立っていた。彼曰く「それなり」の腕は魔術師としても持っているというヘイは今、椋とともにショック患者の治療にあたってくれている。

 顔色は決して良くはないとはいえ、彼の顔にはまだ、同じくらいにこの場に到着した他の魔術師たちと比べれば余裕があった。その理由はおそらく、ヘイが椋の言う通りに神霊術の基本術式のうち、真ん中にあるひとつだけを使うよう心がけているせい、なのだろう。

 アルセラ曰く、突然上と下の術式を抜けと言われてもそんなにすぐに対応なんてできない、らしい。

 たぶんここ数日ずっと、魔具作りの関係でそれぞれの術式紋と向き合いっぱなしだったヘイだからこそ可能、なのだろう、たぶん。


「なあヘイ」

「ん?」


 誰か…っ誰か来てっ!!

 会話らしい会話を交わすよりも前に、切羽詰まった叫びがふたりの耳朶を打つ。ごめん、あとで。首を乱雑に横に振って、その声のした方向へと椋は速足で歩き始めた。

 気持ち的には走りたいところだったが、蓄積した疲労は既にそれを椋に許してはくれない。一度は椋の背を追おうとしたヘイもまた、すぐさま別の所であがる悲鳴の方向へとその足を向けた。

 ようやくひとり落ち着いたかと思った次の瞬間には、どこかでまた新たにショック患者が発生したことを告げる叫び声が響く。

 絶えず治療者が動き続けねばならない西側の状況は、クラリオンのある東側とは随分違っていた。ここでは誰の顔にも、安寧など欠片もなかった。

 なんで? どうして? 何がどうなってこんな事態に?

 新たな指輪を取り出し中指へと嵌めながら、改めて表情を引き締め患者の元へと椋は、向かう。


「どいてくれ! 治療を!」

「あ…っこっちです、こっち、はやく、お願い…っ!!」


 人の波に押されるように、倒れ伏した患者の元へと向かう。そこにいるのは壮年の男と、小さな女の子の二人。一度に二人が倒れている光景に出くわすのも、既にここに来てからは椋にとっても珍しいものではなかった。

 あちらではショックの患者が発生したのは、それこそ一度に複数人、それに数分ののちに付き添った家族やら、元からあまり状態の良くなかった患者がショックを起こし運ばれてきた程度だった。なんとか全員の治療をあちらで椋が終えたときには、さらなる新患として運ばれてくるショックの患者はもう、いなかった。

 しかし、こちら側は何かが絶対的に違う。途切れることのないショック患者、疲弊していく一方の治療者たち。北の魔物討伐が難航しそちらでも少なくない怪我人が出ているらしい関係で、いっこうに増えてはくれない、むしろ魔力を使いきってダウンする人間もあちこちに現れている関係で、全体では減っていく一方の人手。

 最もひどい患者では、一度治療に成功して回復したと思った瞬間、また唐突に血流が減少しショックが再発したりしているのだ。

 理由が分からない。違いが分からない。

 女の子の方が、首の脈すらわずかにしか触れないことにぞっとしながらまず彼女から治療を開始することにする。大丈夫、魔術と違って魔具は即座の連続使用も可能なのだ―――。


「―――っ!」


 両手を打ち合わせる音、かざした己の手のひらから溢れだす光。まるで、魔法使いにでもなったかのようだった。

 自分の力ではないとは言え、実際に魔術を「使って」いるのは椋なのだから今更、何をと言うかもしれない。しかし何一つまともな技術も診断のための手段も知識も持ってはいない椋ですら、重症の患者の治療を可能にしてしまう魔術。それはある意味で言うならば、椋にとってはただの奇跡だった。

 確かにこんなものがあるなら、医者なんてものは世界に必要とはされないだろう。

 医者の代わりに祈道士と治癒術師さえ揃っていれば、たとえ患者の確定診断ができなかったとしても患者は結果的に、治るのだから。





「リョウ、ちょっといいか」

「…おっさん」


 二人分の治療を終え、知らず詰めていた息を大きく吐いた時また名前を呼ばれた。今度は振り向いた先にいたのは、ひどく疲れきった顔をしたヨルドだった。

 あまりにひどいその顔に、患者よりあんたの方がまず大丈夫かとつい聞きそうになり慌てて椋は口をつぐんだ。たくさんの患者の手前、少しでもその救い手である医療者が揺らぐようなことは言ってはいけない。

 じっとこちらを見据える彼は、こっちに来いとばかりに無言で手招きする。

 薄っすらと目を開きこちらへと差し伸ばされる女の子の小さな手を軽く握ってやり、気力をかき集めて笑顔を向けてやりながら椋は立ちあがった。招かれる場所へと向かう。


「どうしたんですか。他の人への指示とか、いいんですか?」

「正直言や、あんまりどころか全然良くはないんだがな。どうしても気になることがあるんだ」


 疲れた顔で笑ったヨルドは、次には何か痛みでも覚えたような顔でぐっと顔をしかめた。

 気になること。彼の発したその言葉に、椋もまた同じように応じる。彼を真っ直ぐに見据える。


「俺も、気になることがあります」


 本当ならさっき、ヘイに呟こうかと思っていたそれは事柄だ。

 そういうことに関する相談に一番向いているのはヨルドかアルセラなのは分かり切っているが、何しろ二人は治癒やら他者への指示やらで、とにかく、一時も座ることすら許されないような勢いで動き続けていた。二人への覚えはとにかく、対外的にはただの庶民でしかない椋が彼らを呼びとめ話をしようとするなど、なかなか他の人間が、簡単に認めるものではないだろう。

 だからこそ、それは一人で考えるしかなかった。今までは。…彼へと向けた椋の言葉に、わずかにその目を眇めヨルドは応じて来た。言ってみろ、と。

 こくりとひとつ椋は頷き、先ほどは声にはせずに閉じた口を、ひらく。


「こっちの患者と、向こうの患者の出方が違うんです」

「出方?」

「俺がこっちに来られたのは、東側では一定の時間が過ぎたあとは、ショックの患者が一人も出なかったからです」


 もしものために応急処置の方法は一応、店の知り合いに頼んできましたけど。

 淡々と椋の告げる事実に、驚いたようにヨルドはその目を見開いた。


「患者がある時間を境に出なくなった? ほんとうか」

「今ここで嘘つく時間も意味もないことくらい、おっさんだって分かってるでしょ」

「…ああ、すまんな。なにしろ俺も余裕がない」


 相手の驚愕に苦笑で応じれば、疲れた人間の疲弊した笑いがへろりと返ってきた。

 その表情をおもむろに真剣なものへと変えたヨルドは、不意にまた椋の名を呼んだ。なあリョウ、と。


「リョウ。おまえはこの病気が、ある種の呪いによるものなんじゃないかと言ったよな」

「はい」

「呪いによって、病気の元になるものを排除する仕組みがイカれて血を消し去っていくんじゃないか。それがおまえの仮説だったな」

「そうです」

「もしかすると患者の血は、消し去られてるんじゃなく、吸い取られてるのかも知れん」

「…え?」


 ざらりと告げられた彼の言葉はそのとき、瞬時には俄かにはその意味を解析できなかった椋の思考を勝手に通り過ぎそうになった。

 患者の血が、消し去られるのではなく吸い取られている?

 まずあり得ないだろう事柄を、ごくごく真剣な表情で目の前の男は口にしたのだ。

 混乱する椋の様子を察したのか、ふっとひとつ息をついてまた、ヨルドは口を開く。


「北に現れた魔物の、討伐が難航してる話は聞いてるか?」

「え? ああ、はい。今でもあっちのほう、やたらと妙な光とか見えたりするし」


 唐突に問われた言葉に、わずかな逡巡ののち首肯を返す。なんでもこの前この場所近辺とそしてクラリオンに現れたあの魔物、ラグメイノ【喰竜】級よりさらに上の魔物の卵が突然現れ更にそれがなぜか孵化したとかで、北の区画もまた、かなりの騒ぎになっているらしい。

 そう言葉を口にする椋の目前でもまた、青色やら緑色やらの光が炸裂する光景が北側では見える。それが魔術の光であろうことは、門外漢である椋にも容易く想像はついた。

 北へと視線をやる椋に、さらにひとつ大きなため息をついてヨルドが続けてきた。


「普通ならな。あそこにいる魔物は複数の団長、副団長が苦戦するような級のもんじゃないんだ」

「…え?」

「しかし現実、あいつらは魔物を討伐しかねてるうえに、既に魔物のせいで相当な数の怪我人が出てるんだそうだ。こっちなんて放って北に急行しろと、もう俺もアルセラも誰に何回言われてることか」

「…おっさん」


 もしかしてさっき、痛みをこらえるような顔をしたのはその「急行願い」というやつが魔術として誰かから飛んできたから、なのだろうか。

 思わず口を開こうとする椋に、しかしヨルドは首を横に振った。続けさせろ、と。


「しかもだリョウ。おまえはアイネミア病が発生してるふたつの地域のうち、この西側の患者にだけ、あの状態になるやつがずっと出続けてるって言うんだろう」

「………」

「おまえはどう考える、リョウ」


 ヨルドがひたりと椋に視線を据える。ただでさえ疲弊した壮年の男の真剣なまなざしには、一切の誤魔化しも曖昧さも許されない何か絶対的な威圧感のようなものを椋は感じた。

 沈黙と視線に、促されるように必死に意識を回転させ椋は思考する。半月前に、唐突に二か所に現れた魔物。それから数日後に存在が顕在化した、全身を循環する、血が足りなくなる病気。

 一早く討伐が行われた東と、討伐の遅れた西。突然出現し孵化した、強い魔物の卵と多数発生したショック患者。

 討伐の遅れた西側にだけ、未だに発生、し続ける、


「おっさん。…それ、まさか」


 それらが不意に一本の線でつながった瞬間、氷の塊でも一気に流し込まれたかのような猛烈な寒気が椋の背筋を逆走した。

 おさまらないひどい鳥肌に、思わず椋は自分の右腕を左腕で掴んだ。もしもそれが真実なら、一刻も早く北の魔物が討伐されなければここ西側の患者は、…患者は。

 言いさしたまま言葉を失う椋に、ひどく険しい表情でヨルドは頷いた。


「国王陛下が他国との交渉へ出むかれている今、だからだろうな。オルグヴァル【崩都】級が一度「開花」してしまえば、下手すれば国ごと滅びてもおかしくない」

「じゃあ、東西どっちでも一気にショック患者が出たのはその、北にいるっていう魔物の卵が孵化するため? それに、こっちでだけショック患者が増え続けてるのは、」

「考えたくないんだがな。魔物の動力として、アイネミア病の患者たちの血液がおまえの言う「呪い」の作用として捧げられてるのかも知れん」

「……っ!」


 息を、呑んだ。それが正解だという、証拠など誰もどこにも示してはくれない。

 しかし状況を見る限り、その仮定を真実とするならすべての辻褄がぴたりと合ってしまうのだ。なんで、どうして。そんなことはこのすべての糸を引く、国家を転覆させたいのだろう人間に聞かなければ分からない。こんな外道を正当化する理由などそもそも、知りたくもない。

 それが結果的に魔物討伐の困難さを助長する因子にしかならないとしても、今の椋ができることといえばたったの一つだけだ。

 一人でも死なせないため、一人でも多くの患者の命を何とか救うため。

 不完全で曖昧な、自分の知識ともうほとんどストックなどなくなった魔具を使い、現状に立ち向かう、――それだけしか。


「おっさん、俺は」


 たとえあんたが止めたとしても、これを止めるつもりはないから。

 そう言おうとした椋の言葉は、しかし声になる前にどさりという複数の音、そしてそれなりの距離があるはずの西側にまで聞こえてくるおぞましい何かの鳴き声、

 ――オルグヴァル【崩都】級のはりあげた、壮絶なまでの咆哮によって完全に、かき消された。



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