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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第一節 変化の来訪/不持の青年
32/189

P31 わずかの瞬に光を願う




「ヨルド様! はやくこっちに…っ」

「馬鹿野郎こっちが先だ! くそ、しっかりしろ、意識をしっかり持て!」


 次から次へと止まらない呼び声に、一度の魔術の使用の度、確実に重さとけだるさの増していく身体に鞭を打ちヨルドは立ちあがった。

 もう既にここに来てからだけでも、何人に対して治療を行ったかも彼は知らない。知らないがしかし彼の、そして、彼の妻の目前に倒れ伏す患者の数は、いっこうに減少する様子を見せなかった。

 鼓膜を打つ、絶叫のような泣き声が止まない。

 視界の端でまたひとり、間に合うことができなかった患者が物言わぬ死体となる。

 どうしようもないほどの無力感にさいなまれながら、ヨルドは目前の新たな患者へと魔術を発動させるべく手のひらをかざした。まだ息のある、この一人ならヨルドの魔術で助けてやることができるだろう。

 しかし、…しかし。


「……はーっ…」


 大仰に吐きたいため息を、あえて深呼吸のそれと紛らわしくさせて吐く。

 現在のヨルドたちにとって一番の問題は、絶対的な人手不足だった。増え続ける患者数に対し、あまりに癒し手の数が足りていないのだ。

 何しろ現在の時刻は、既に大概の人間はベッドに入っていてもおかしくはないような時間である。さらに言えば特に力のある術師たちは、現在ここ近辺に在住する平民たちを容赦なく苛む緊急事態と同時に起きたらしい、北のオルグヴァル【崩都】級の討伐に向かってしまっていた。

 いくら平民を助けたところで、強力な魔物を討伐した褒賞には到底及ばない。

 その行動に透けて見える貴族らの行動理念に、ぎりりと人知れずヨルドは奥歯を強く食いしばった。


「…くそっ」


 小さく毒づく。一人を助けようとすれば、その間に一人が死ぬ。

 現在ヨルドたちの目の前に広がる光景はまさに、地獄にも等しいものであった。こんな光景は四十数年をそれなりの様々な経験とともに生きて来たヨルドであっても、片手で足りるほどしか見たことはなかった。

 結局は限られた人数しか、自分一人の力では救えないことを知りながら。

 己の魔力にも連続の治癒魔術の使用にも、今度はヨルド自身の生命すら危うくなりかねない限度があることを知りながら。

 それでもヨルドは絶え間なく、動き続け魔術を使用し続けるしかない。…アルセラにしても、まったくそれは同じことだ。


「【変幻の魔を我言祝ぎて 他を其と願い光とす】」


 …頼むよ、嬢ちゃん。

 抱くひとつの願いはどこか、身も蓋もない懇願じみてひどく苦い。しかしこの状況を変えられる可能性があるのは、おそらく他の誰でもない「奴」一人だけだ。

 同じ病気を同じ期間見ていながら、とんでもないと、それ以外こちらは何も言えなくなってしまうような仮説を「理論的に」提示することに成功した黒の青年。ヨルドやアルセラの積年の疑問を、あっさりとたったの二日で破ってしまった、規格外の思考を持つ若者。

 或いは、もしくは彼ならば。この病状すら知っているのかもしれない。対処を知っているのかもしれない。

 そして対処を知っているなら、―――果たして「四種類」の魔術のうちどれを優先的に使用すべきか、それも彼は理解しているはずなのだ。


「【この魔に応じ闇は光へ 害あるものは払滅せよ】」


 一人、また一人。

 今のヨルド達に絶対的に足りないもうひとつのものは、時間だ。一定の時間がそれぞれの患者に対し保証されているなら、ヨルドもアルセラも、そして彼らの呼び掛けに応じ集った決して多くはない祈道士・治癒術師の面々も、こうまで焦ったりはしない。

 しかし彼らが現在直面する現実は、常とあまりにも変わらずに残酷だった。

 時間がない上、それぞれの魔力は程度の差はあれ所詮は有限。魔力を回復するための魔具など、大きさが尋常ではないうえに非常に高額なため、それこそ下賜名を持つような大貴族の一部しか持ってはいない。ついでに言うならばヨルドたちはそれを元から持っていない。…つまりはこんな場所に、それが存在することを望めるべくもないのだ。

 既に幾人かの見習いが、使える魔力を使い尽くして完全にヘバってしまっているのをヨルドは知っている。たかが十数人に術を使った程度でヘバるなと言いたいところだが、彼らがこちらの呼び掛けにきちんと応じて来ただけでも、今は評価してやらねばならないのだろう。

 呪い。あの黒い青年が提示した仮説が頭をよぎる。

 王都の北にて、オルグヴァル【崩都】級の魔物の卵が孵化した。まずこんな場所ではありえないはずのことだ。

 なぜなら高位の魔物の卵が孵化するためには、膨大な魔力がそのために捧げられる必要がある。

 それこそひとつの村が丸ごと犠牲になるような、位階を持つくらいの力のある人間が、幾人も惨く遊ばれて殺されるような―――


「…一つの村が、まるごと犠牲になるような?」


 ぎりりと歪な音を立てて、瞬間ヨルドの思考はわずかに停止しかけた。それは一体、今目の前で起きている事態と何が違うというのだ?

 この広い王都には多くの人が住む。西および東の二区画の一部分であったとしても、卵の孵化のために捧げられる力には合計してしまえば十分な量の人間が住んでいるのだ。

 かつてヨルドの師だった人が、その生涯をかけ研究していた一つの仮説がある。

 その異端性ゆえに教会を破門され、今はもうどこにいるかも生きているのかも分からない彼が唱えていた論理、それは。


「……人間の血は須らく、法脈であり魔力である」


 呪い。アイネミア病は、体内をめぐる血が不足するために起きる病態だと説いた青年。

 孵化した強力な魔物の卵。必要とされた膨大な魔力の供給源。

 突然倒れた多くの患者。死んでいく患者。とてもではないが助けられない数の最重症患者。

 頭の芯がびりびりと痺れていくような感覚に、思わずその場にヨルドが立ちつくしたそのときだった。

 白い小さな何かがふわりと、彼の目の前に現れたのは。





 実際に見てみなければ断言はできませんが、おそらく今そちらの患者が起こしているのもこちらと同じ。循環血液量減少性ショック、体内に存在する血が本当にどうしようもなく足りなくなったために起きた症状です。

 優先して使うべき魔術は、祈道士の「真ん中」の魔術。治癒術師は、人間の全身をめぐるすべての液体成分を正常化するイメージがあれば術が成立しやすくなるかもしれません。

 それにもし手が足りないならば、最低限水を扱える魔術師がいるなら患者は、危機を脱することはできると思います―――。





「…ふ、」


 ともすればつっかえそうになる言葉を、なんとか詰め込むことに成功し椋はひとつ息をついた。彼の言葉をのせた魔具、無論ヘイお手製であるそれが、物凄い勢いである場所へと吹っ飛んでいったのをぼんやり見送る。

 ぐったりと、だらしない恰好で椋は椅子の背もたれに寄りかかった。

 クラリオンの中には、先ほどカリアが訪ねて来た時ともまた違う類の沈黙が満ちていた。沈黙の内側で椋ひとりに向けられているのは、奇異の瞳であり異端者を異常と見やる目だった。

 そんなもの、カリアの言葉を聞いてあの魔具を使おうと思った時から普通に予想できた事態だった。

 だって、仕方がないんだと自分に半ば言い聞かせるようにして椋は思う。

 ―――俺が持ってる限りの知識を使わなきゃ、俺が知らないところで知識が存在しないために助けられなかった患者が、死ぬんだ。


「…リョウ」

「ん?」


 凍りついた空間の中で、最初に口を開いたのはカリアだった。どこか恐る恐る呼ばれた名前に、自分のできる限りの自然を装いながら椋は応じる。

 金色の瞳が、わけがわからないとこちらに訴えながら問いかけてきた。


「あなた今、何を言ってたの?」

「………」


 彼女の言葉に苦笑する。その問いも当然のことだろうと椋は思った。

 まずさっきの椋があの魔具へと向かって口にした言葉は、ヨルドとアルセラでなければ理解してはもらえない。そして最後の一つに至っては、二人であっても信用してくれるかどうかが正直、結構に怪しい。

 そもそもこちらの患者と西側の患者、起こしている症状が本当にまったく一緒であるのかも椋には実の所分からない。一緒であると仮定しての、こちらより西側の患者が重症であるという事実を鑑みての言葉だったが、しかしやはり、治療は実際の患者を目の前にしなければ始めることはできない。

 鉛のように重い身体を叱咤し、ゆっくりとその場に椋は立ち上がる。

 静かに笑って、彼女へ答えた。


「これの、…アイネミア病の患者の一部が起こしてる、ショックの治療法」


 誰一人として、場の人間はまともに動かない。ただ椋とそしてカリア、二人の動向にすべての視線が今も集中し続けている。

 おそらく誰の疑問でもあろう事柄を、立ちあがった椋へと向かってカリアは追いすがるように口にした。


「だってあなた、さっき水の魔術師って」

「ああうん。だって、最初に補わなきゃいけないのは失われた体の水分だからさ」

「体の、水分?」

「そう。…アイネミア病ってさ、血が足りなくなることで起きる病気なんだ」


 そこはもう既に、患者の症状や今回のショック、しかも循環血液量減少性ショックを起こしたことからしても疑いようがない、と思う。

 貧血が起こる原因や失われた血液がいったいどこに消えてしまっているのかは気になるが、今はそれを暢気に悠長に考えていられるような場合でもない。ごそごそとおもむろに亜空間バッグを探りだした椋に、さらに怪訝な顔をしたカリアが訊ねてくる。


「そ、それが本当だとしても。血が足りなくなるのに、どうして水が必要なの?」

「身体にはそういう作用があるんだ。足りないぶんの血をなんとか補おうとして、全身あちこちにある水分を、血管の中に引き込もうとするんだよ」


 人間のおおよそ60%は水分である。現代人ならば、この事実は耳にしたことのある人も決して少なくはないだろう。

 しかしその60%の水分のうち、血液が占める割合はそう多くはない。そのほとんどはそれぞれの細胞内あるいは細胞の間を満たす水分として、身体を正常に活動させ続けるために存在しているのである。

 そしてアイネミア病の患者の場合、本来ならば血管の外に存在している水分を強制的に血管内に引き込むことで、体内を循環する血液の量をなんとか保とうとするのだ。

 だが勿論、血管内に水を引き込んでしまえばその分、血管に水を取られた部分での水分不足が生じる。そしてその水分不足は、一定以上になると明らかな悪影響を身体に及ぼすのだ。

 ただ、それだけ聞くならば、患者は水を飲めば良いのではと思うかもしれない。

 しかし。


「ショックを起こした患者は意識障害があることが多いから、口から水分を摂ってもうまく身体には吸収されないんだ」


 本当はもう少しいろいろと理由があるのだが、そんなうんちくは今は必要ない。分かりやすい言葉だけを選んで椋が口にすれば、完全にぽかんとした、信じられないものを見るような表情で誰もが椋を見つめた。

 その視線に物凄いまでの居心地の悪さを感じつつ、バッグから探し出したあるもの―――残り四つの、治癒術師の魔術が込められた腕輪を椋は、コトンと机の上に置いた。


「だから水の魔術師が、水991に対して塩9の割合で作った食塩水1レッタ(1リットル)を、患者にしみ込ませるようなイメージで作用させるんだ」


 この世界には点滴がない。よしんば点滴があったとしても、椋には静脈注射ができる技術がない。

 だからこそ魔術を借りたなら、何とかできるのではないかと半ば苦し紛れに考えたそれは結果だった。水を扱う魔術というのは、乾いた土に水を与えるイメージから始まることが多いといういつかのヘイの言葉を、何とか人に置き換えてくれないだろうかと思考した結果だった。

 言葉とともにおもむろにドアへと向かって歩き出した椋に、それまでずっと黙っていたおやっさんが声を発した。


「…待て、リョウ。おまえ、どこに行くんだ」

「西」


 問いに対する答えは簡潔に。何しろどこにも時間がない。

 ただでさえこちら側よりも重症患者がずっと多いという西側は、相当な混乱に包まれているだろうことは容易に想像がつく。

 幸いにしてショック患者が一斉に発生し、ひとまずの全員の治療を椋が終えた時点から新たなショック患者発生の知らせは受けていない。

 それならもう、自分があえてここにいる必要はないだろう。手が足りないというならあちらに向かおう、あれからどれだけの数の魔具をヘイが作ってくれたかは分からないが、完成した分すべてを受け取って、椋は西の患者たちのもとへと向かおうと思っていた。

 そしてもしもの時のために、この一カ月半の間ずっと一緒に働いてきた二人へと向かって椋は静かに、笑って見せる。


「もしまたショック起こした患者さんがここに来たら、アリス、ケイシャ。今俺が言った治療法をその人にやってあげて」

「!!」

「そっちはどうか分からないけど、俺は、二人を信じるから」

「……っ!!」


 二人がほんの少しではあるが、魔術を使えることをここ周囲の人間は誰でも知っている。力自体がそう強くはないために学院への入学資格はなかったそうだが、それでも火種のない家に火をあげたり、水が必要なときには綺麗な水をくれたりと、いつも二人は腐ることなく誰に対しても己の魔術を使ってくれていた。

 だからそんな二人を、椋は今は信じる。

 それに、と。机の上に置いた四つの腕輪を指さし、続けた。


「この腕輪をつけた状態で、真ん中の石が光るまで腕輪を手で回してから患者に手をかざせば、あとは魔具が勝手に発動して患者の治療をしてくれる。ただこれ、ひとつ一回しか使えない使い捨てだから、絶対に二回以上使ったりしないで。魔具が爆発して、とんでもない事態になる可能性があるから」

「…リョウ、」

「それじゃ。今までお世話になりました」


 無理やりに、皆に向かって笑って見せる。ああくそ、自分でも訳が分からないくらいに胸が痛い。

 それでも男の意地という奴でなんとか表情を崩さないまま店に背を向け、ドアを開こうとした瞬間。


「…一人で行くつもりなの?」


 白く華奢な女の子の手が、椋よりわずかに先にドアノブを掴んだ。

 その声に驚いて見下ろせば、きっと睨みつけるようにこちらを見上げる金色の瞳と、かち合った。


「カリア」

「私も一緒に行くわ、リョウ」


 さっきまでは、今にも死にそうな顔をして息も絶え絶えだったはずの少女の。

 見つめる瞳のあまりの強さに、知らず瞬間、椋は、見とれた。




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