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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第一節 変化の来訪/不持の青年
27/189

P26 示し描かれる円環は




 期限は、少なくともヘイいわく「あと一歩」だという二つの治癒魔術の魔具が完成するまで。

 自分一人の身体を使った地道な調査、だったはずのそれはいつの間にか、とんでもなく大袈裟なことになっていた。

 改めて自分の無知と、この世界と自分との常識の乖離を痛感しつつ。

 手元の地図を広げながら、椋は己の傍らを歩く男へと声をかけた。


「なあ、クレイ。…何度も言うけどさ、本当にいいわけ?」


 王宮からクラリオンへと向かう道を、ただいま椋とともに歩いているのは緑の目と浅黒い肌をした、れっきとした位階持ちの騎士。椋の友人クレイトーン・オルヴァである。

 ヘンに皆を驚かせたくないからと、自分についてくる条件として椋が頼み込んだ結果、現在の彼は椋と似たようなごくありふれた、麻のシャツに袖なしのベスト、布のズボンという至極地味な格好をしている。立派な貴族であるはずの彼にそんな恰好を強いればさすがに断るだろうと思っての頼みだったのだが、残念ながらものの見事に、椋のそんなもくろみは外れてしまったのだった。

 実は既に何回目かの椋の問いに、若干うんざりした表情でクレイは応じてくる。


「俺が構わないと言ってるんだ。何度俺に同じ言葉を言わせる気だ、おまえは」

「いや、だって」

「それに俺は、ラピリシア団長閣下の出された特例の証人でもある。その特例の施行を確実なものとするため、となれば、うちの団長もそう強いことは言えないさ」

「や、だからさ。…そういうもんなのか?」

「そういうものだ。そもそも俺は、それなりに数だっている第六位階の騎士の一人でしかないんだしな」


 きっぱりと言い切るクレイの表情には、なんら後ろめたいものはかけらも見られない。むしろあの騎士団本部にいたときより、表情が生き生きとしているようにも思える。

 ふとそのとき思いついたひとつのことに、思わず椋はぱちぱちと瞬きをした。口に出してみる。


「…もしかしてクレイ、外に出たかったのか?」


 そういやお前の机の上、何かどえらい量の紙が乗っかってたような。

 探り探り口にする椋に、ふっとどこか楽しげにクレイは口の端をつり上げて見せた。


「否定はしないな」

「ああそう。…なんだよ、書類ほっといていいわけ?」

「知らん。もともとあれは、俺がやるようなものじゃないんだ」

「は? なんだそりゃ?」

「ただその面倒さゆえに、誰も自分からはやりたがらないからな。他に頼む者もない俺に、誰もが押しつけていただけだ」

「……なんかよくはわからんけど、とりあえずおまえも大変なんだな…」


 結局どんな世界でも、上に下が逆らえない構造はどうしても変わりようがない、らしい。

 ちなみに椋が目にした書類の山は、下手に横からつついたりすれば、確実にあっという間に崩れそうなレベルの高さを誇っていた。そんなものを一人で(さば)く日常など、正直なところ想像しただけでぞっとする。

 どう考えても嫌悪感以外湧かない想像につい苦笑した椋に、どこか面白がるような表情をクレイが向けてくる。


「この世界において無魔と言えば、一概にそんなものだぞ」

「え」

「特に貴族は、ほとんどが魔力持ちだからな。無魔の人間を神の祝福を受けずに生まれた(いや)()と、貶める風潮は今も昔も変わっていない」

「…うーわー」


 ひどいというかなんというか、なんか非常に言われてみれば、あいつが好き好んで作りそうな設定だー。

 妙に申し訳ないようないたたまれないような気分になってしまうのは、この世界の創造主を残念なことに、椋がよく知ってしまっているがゆえか。この世界の人々は実は皆筋力が物凄いと思っている椋なのだが、そんなことはきっと、お貴族さま方には一切関係のないことなのだろう。

 同じ重さの小麦の袋を持ちあげるなら、手を使って持ち上げるより手を使わず持ち上げる方が偉い。

 なんとも奇妙で珍妙な、「当然」として世界にまかり通る理論もあったものである。


「なんだ。おまえのいたところは違ったのか? リョウ」

「あーうん、そうだな。実態はともかくとしても、少なくとも道義としては人類みな平等みな兄弟、な平和な世界だったよ」


 既に自分に関する結構なことを、クレイに対して椋はばらしてしまっている。それにカリアとの約束、「この事件が終わったら自分のことを詳しく話す」は、カリアだけに対して適用されるものではないだろう、おそらくは。

 だからこそざっくりと自分にとっての「当然」を口にした椋に、少しの沈黙ののち、どこか得心がいったとばかりな声をクレイは発した。


「……なるほどな」

「なにが?」

「俺が無魔の騎士だと知っても、おまえが俺との関係を切ろうとしなかった理由にやっと納得がいった」


 さらりととんでもないことを言って笑うクレイに、思わず椋は眉をひそめる。

 クレイの言いようを聞いている限り、まるでそんな不条理が当たり前だとでも言わんばかりなのだ。


「…なんだよ、拒絶して欲しかったのか?」


 今こうして椋の隣にクレイがいる、というそのこと自体が、この言葉の明確な否定になっていることは分かっていながらそれでも椋は問う。

 そしてある意味では予想の通り、クレイは軽く笑ってその首を横に振った。ちがうよ、と。


「ならいいじゃん。俺はおまえのこと、けっこういい友達だと思ってるんだけど?」

「それは光栄だな。ありがたいことだ」

「カリアからも認められる、ヘンな奴なのに?」

「お前がそういう、妙な奴だからだ」


 どうにも椋にはその細かい感情の機微は理解ができないが、どうやらクレイもちゃんと椋を、ひとりの友達だとは認識してくれているらしいことはとりあえず分かった。

 まあ、そんなら早く行くかと、少しだけ歩くスピードを椋は速める。

 何しろ椋には、時間がないのだ。

 ―― 一刻も早く病気の原因を明確にしなければ、本当に自分のよく知る誰かが死んでしまうかもしれない。





 聞くべきことは、ただひとつ。診るべきものも、ただひとつ。

 半月前のあの日あの刻、どこにいて何をしていたのか。

 そして症状の進行度は、果たしてどれくらいのもので、あるのか。





 手足を使い頭を使い、同じ質問を何度も何度も、違う人々へと根気強く繰り返すという非常に地道な調査も今日で二日。

 データはひとまず集まってきたが、そのデータを見て、まず何より先に椋が考えてしまうことは。


「統計なんてくそくらえだ、ちくしょう」


 ぱちんと、調査データを書き出した紙を遠目に眺めて指先で弾く。心底パソコンと、統計ソフトとデータを適切に扱える友人の頭が欲しいと思いつつ、現在の椋は昨日と今日で取った調査データを眺めていた。

 日本語で細かな書き込みがあちこちにされたその地図は、おそらく既に椋以外の誰もまともに読めはしないだろう。唯一なんとか意味を掴む程度のことができるのが、昨日今日と、ずっと一緒にこの調査をしているクレイくらいのものか。

 重症の患者は赤丸、中等度の症状が出ている患者は黄色の丸、軽度の患者は青丸、健常と変わらない人間は緑の丸。

 少しでも分かりやすくしようと色分けした結果が、しかしこれほど綺麗に出るとは流石に椋も思ってはいなかった。


「みごとにほぼドーナツ状態になってるな、これ」

「どーなつが何かは分からんが、確かにそれぞれの色で円が出来ているように俺には見える」


 地図を片手に椋が口にすれば、率直な意見をすぐ横からクレイも述べてくる。

 アイネミア病の患者数及び重症度は、あの魔物出現時における患者と現場の位置関係に左右されているのではないか―――。椋の立てたその予測は、今の所完全にあたっている、と考えてもひとまずおかしくはないくらい、結果との筋が通っていた。

 あの日魔物が出現したクラリオンの場所には、黒で大きく×印が書いてある。そして色とりどりになった地図には今、そのバツを囲むようにして内側から赤、黄色、青、そして緑の小さな丸によってつくられた「円」が描かれていた。

 それぞれの色の境界部分がどこかは正直まだデータの数からしても曖昧なところだが、しかし正直、椋の推論の正当性を証拠づけるものとしては十分すぎるくらいの結果である。

 が。


「まあ正直、そうあってほしいと思ってるからな。…どうしても、バイアスが怖いところだよな」

「ばいあす?」


 ぽつっと椋の落とした言葉に、クレイが訝しげな顔をする。

 あー、なんて言えばいいかな…ぽりぽりと空いた手で頬を軽くかきつつ、自分の中にある分かりやすい言葉を椋は探した。

 バイアス。日本語における同義語は「偏り」だ。

 対象者の選択、データ収集、解析、出版などに用いた方法がよくなかったため、データから得られる各種効果の指標として推定される値が、推定対象とする集団の本当の指標値と異なってしまうことを指す言葉である。

 一番分かりやすい言葉を探して言うなれば、…まあ、多少は違うところもあるかもしれないが、それは。


「贔屓目、ってあるだろ?」

「ふむ?」

「あんな感じのことをこのデータを見るとき、俺はしてるんじゃないかな、って話」

「…なるほど」


 アイネミア病は、あの魔物出現と同時に周囲にばらまかれた「呪い」もしくはそれに類似するものによるのではないか。

 そう考えている椋が調査をすれば、自ずとその考えに少しでもそぐうようにと得たデータを解釈しがちなものだ。その感覚、意識、知識などによって生じる「偏り」こそがそして、バイアスなのである。

 ああ、そうだよ勉強したよこういうことも。恐怖の公衆衛生の授業だよ。

 まさかこんなところでその知識が役に立つとは、授業を受けていたときの椋はおろか、講義をしていた教授もまったくもって思っていなかったに違いない。


「おまえの言いたいことは分かった。…しかし、こんな調査の方法があるとは思わなかったな」

「まあ、だろうな。確かに考えてみればそうだよな、貴族が平民にやるような調査ではないな、これは」


 何しろ昨日と今日の椋は、患者一人一人に詳しく容体を聞き、話を聞くことで情報の収集を行っている。

 アンケート用紙が作れるなら多少なりとも楽にはなるのだろうが、しかし安価な大量印刷のための手段などこの世界にはないし、そもそも王都における識字率は決して、高くはない。あちらと同じような手法は、使いたくとも使えないのだ。

 そもそも彼ら貴族には、平民を訪ねものごとを訊ねる、という思考それ自体が存在していないのだろうと思う。

 諸々の理由により逆はあったとしても、貴族の方から平民を訪ねていくような例は普通ないはずだ。…その例外が既に二人ほど椋の既知にはいたりするのだが、今は敢えてそれは無視することにする。

 それに貴族の訊ねごとに、正直に平民が答えるかと言えばそこもまた定かではない。何しろ平民たちにとってみれば、地獄の沙汰も、お貴族様の機嫌次第な世の中なのである。

 そんな絶対的恐怖が質問への返答に関係してしまっては、きちんと欲しい情報が手に入るかどうか非常にあやしいところだ。身分とはかくも恐ろしいものである。

 …しかしまったく、それにしても。


「あー…なんか、すまん、クレイ」

「なんだ、唐突に」

「いや、なんていうか、…俺、これに関してはホント、一人でやるつもりだったから」


 結論として、非常に助かってはいるのだが。しかしさっきのクレイの言葉によれば、ただでさえ騎士団内では煙たがられているのだというこの男が昨日そして今日と、ひどい独断専行もあったものである。

 しかも団服もまとわずに、まるで平民のような質素な格好をしてどこの馬の骨とも知らぬ平民と一緒に、だ。

 この国の騎士団というものが、どういうものなのかは椋にはよく分からない。しかしそれこそ組織という、基本的には全体で一として動くだろうものを少しでも考えてみれば、現在の彼が決して「組織の一員として良い」方向には動いていないだろうことは容易に知れる。

 が。


「巻き込んで悪い、などと思っているならそれこそ今更だ。巻き込むのなら最後まできっちり巻き込め」

「…おっまえなあ」


 そんな事を考える、椋に対するクレイの返答はあんまりなほどにあっさりしていた。何もかもを割り切りすぎているしれっとした彼の言葉と表情に、妙な具合に気が抜けた。

 一切何の後悔も後ろめたさも、どうやらクレイにはまったくかけらもないらしい。折角人が心配してやっているというのに、まったくひどい神経の図太さである。

 もう一枚の地図、中心からどの範囲までの人間に実際聞いて回ったかを記したそれと手にした色つき地図とを見比べ、ふっと椋はひとつ、大きく息をついた。

 もうすぐ日も暮れ夜になる。今日はこのくらいが頃合い、だろうか。


「明日は、とりあえず最初にカリアに中間報告に行くかな。クレイ、それこそ朝早くてもいいから、明日カリアに時間取ってもらえるように話つけてもらってもいいか?」

「わかった」

「あとなあ。多分ヨルドのおっさんとアルセラさんも、これは知りたがる情報だとは思うんだけど、…どうすっかな」


 一昨日の朝に、椋が二人へ告げた推論。何気ない調子で切り出したそれにしかし、ふたりは血相を変えた。

 そしてどうやら、昨日今日噂に聞くところによると。ふたりは教会および王宮で、少し風変わりな治療をその弟子たちへと向けて教え始めたのだ、という。

 他の誰でもない「キュアドヒエル」の二人の起こした行動だ。それには絶対に何か意味があるのだろうと、早くもあちこちの治癒職の人間の注目を集め始めているらしいと、聞いた。


「あとは、どこまでアイネミア病が広がってるかの調査をして、…一定範囲の外からは患者が出てないことが出せれば、ほぼ確定ができるんだけど」


 本当ならばきっと彼らとて、一人でも多くの患者を救うべく自ら動き、その力を尽くしたいところだろう。

 しかし椋の二倍近い年月を既に過ごしてきた「大人」であり確かな世間への影響力を保持している彼らには、それ以上に自分たちにはやらねばならないことがあることが分かっているのだ。そして更に言えば彼らには、椋には決して持ちえないもの、立場と権力という強力な盾を持っている。

 たとえ一人二人が真実を知りそれが事実であると断定し、正しい治療を行ったところで救える患者の数は知れている。全体の意識が変わらなければ、正しい治療法が全体へと浸透しそれが徹底されなければ、救えない患者の数は結局、増えるだけだ。

 だから今、椋はそして彼らは動いているのだ。無論この調査をする最大の理由は椋の勝手な自己満足だが、しかしこの類の情報は絶対に彼らならば、その重要性を分かってくれるはずだと彼は確信していた。

 パシンと手にした地図を一度打った椋に、ふっと今度はクレイが息をつく。


「呪い、か。…教会は早々に、アイネミア病は呪いによるものではないとの触れを出しているんだがな」

「それはもう一昨日、アルセラさんから聞いた。ついでにそういう「お決まり」を、すり抜けられる方法も一応ではあるけど存在してはいるんだと」

「おまえと一緒にいると時々、何を信じればいいのか分からなくなってくるな」

「そんなの、俺が一番分からないさ。…俺はただ、少しでも早くアイネミア病の患者が一人でも減って欲しい。それだけだ」


 肩をすくめて笑う椋に、クレイもまた笑みを返してくる。調査は決して楽な作業とは言い難かったが、しかし確かに、小さな点と点とを線で、細かく結び合わせて形を作っていけている、そんな達成感にも似たものはたった二日間の結果でだけでも、既に二人には見えてきていた。

 きっとこのまま続けていけば、確かな効果が期待できると。

 このときの椋たちは、ある意味では盲目的なまでに純粋に真っ直ぐ、信じていた。




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