P20 晴れぬ闇の中に黒
ここ最近本当にいつも悪いね、絶対にこの礼はするから。
何度も何度も繰り返される言葉には、もはや悲しみしか覚えられない。
「…やっぱり、完全に回復した人は誰もいない、か」
宵も過ぎた夜の道を、一人ごちつつ椋は歩いていた。
あの唐突な邂逅から今日で五日。今日も今日とてまたヨルドとアルセラのもとへと出向き教えを乞い、実地の見学もした。
あれやこれやと仮説を並べたのち、休業中のクラリオンへと赴き、あれこれ日持ちのするものを作って近隣にも差し入れてきた、今はその帰りだった。
椋の気も知らず空の月は、ふたつとも今日もうすみどりと薄黄色に丸い。
この世界に来てすぐは、見知った星座が何一つないことを含め戸惑ったが、一カ月もすればさすがに慣れた。そういうものだと考えて諦めてしまいさえすれば、意外に人間、順応できるものであると思う。
それにしても。考え、小さく椋はため息をつく。
三日ぶりに目にした皆の様子は、一言で言ってしまえばまったくもって「相変わらず」だった。
青白く血色のない顔、全身を襲う倦怠感と、多少の運動でも起こるという眩暈、ふらつき。微熱に頻脈、頻繁に失神を繰り返す人も少なくない。
本格的に調べ始める、それ以前からずっと、もしかしたらとは椋は、思っていた。
「貧血、だよなあ」
どう見ても、どう考えてもこのあたりの住民が呈しているのは、典型的な貧血の症状なのだ。少なくとも、椋にはそうだとしか考えられないのだ。
患者たちの症状に加え、眼瞼結膜、目の結膜のうち血管が多く存在するため貧血の症状が見えやすい部位は、どの患者のものを見てみても、見事なまでに真っ白けだった。これも典型的な、貧血のときに現れるからだの兆候である。
そして更には、ここ数日でほぼ判明した、祈道士と治癒術師の違い。
祈道士の魔術である神霊術、薬などの手を借りずに内科的な治療を行うことができる術では、結果的にアイネミア病は「悪化する」。一方外科的に不要物を取り除き、「新たなもの」を大体的に外側から魔力として供給することで治療を行う術では、術者の技量にもよるが、ある程度のアイネミア病は「完治する」。
と、なれば。
最も考えられる病名は、椋にはどうしてもひとつしか思いつかなかった。
「…ううん…」
額を押さえ、小さく椋は唸った。もっと情報が欲しい、血液のプリントが、教科書がほしいと切実に思った。
血液の病気の一つとして、自己免疫性溶血性貧血、というものがある。
自己免疫性、というその名の通り、免疫機構がその発症に大きく関係する病気のひとつだ。本来ならば自分の赤血球を「自己」と認識しているため、排除の対象として攻撃することはない免疫系が赤血球を「異物」として認識、攻撃し、その結果赤血球が壊れ、減少してしまうことで貧血が起きる病気である。
なぜ椋がこの病気を考えるのかというと、アイネミア病が「本来人間が保持している自己治癒力の強化」をする術である神霊術では治らず、「罹患部位の入れ替え」が可能な治癒術師の治癒魔術ならば治る、血液の病気だからだ。
さらにもうひとつ言うならば、アルセラのつかう神霊術、「治癒の術式」というものを重ねて行っているという彼女の治癒は、「血液循環の正常化」に比重が置かれ、ともすればほかの、彼女より力の劣る祈道士たちのそれより「免疫機能の賦活化」がされていなかった。…これはここ数日の見学より、神霊術の基本術式が全身の代謝活性化、血液やリンパといった全身体液の循環の正常化、および免疫機能の活性化の三つに効能が大分されるという、椋の予測の上で成り立つ考察である。
しかしもし、今巷で「アイネミア病」と呼ばれる病気がそれだと考えると、どうにも椋には腑に落ちない点がひとつあった。
実際に免疫系が赤血球を壊しているとするなら、現れてしかるべき症状が誰にも、出ていないのだ。
「…ああくそ、やっぱり分からん」
頭を抱える。だからといって自己抗体の検査などという高等技術がこの世界でできるはずもなく、結局はただ椋は頭を悩ませるしかない。
さらに言うならもうひとつ、実は気になっていることが椋にはある。
やはりここ数日でヨルド・アルセラの後ろでさまざまな患者を見ている中で気づいたことなのだが、なぜか魔術を過剰使用した人間が、貧血のような症状を呈していたのだ。
「なんなんだよ、ホントに」
月を見上げてひとりでごちる。魔術というのは、ヘイいわく「意志と言葉と魔力による、世界の改変」なのだという。
まずその前提にいろいろと突っ込みたいことはあるのだがひとまず置いておくとして、意志と言葉、に続く「魔力」というのはいったい、何なのか。
魔術はまず法脈の流れを感じ取ることから始まる、というのは、誰かから聞いたのか或いは、何かで読んだのか。どちらにしても、椋にはどうしてもまったくもって理解ができなかった事柄だ。
そもそもその法脈の流れ、というものが魔術の才能がある、魔力を持っている人間にだけ存在しているものなのか、それとも違うのかが椋には分からない。もし違うものが身体に存在しているというなら、それが血やリンパのように目に見えないのはなぜなのだろう。
あいつは一体、何をどう設定して魔術なんて作ったんだ。
すべての発端となった人物の顔がふと意識に浮かび、暢気に笑うその顔を唐突に一発、椋は思いっきり殴ってやりたくなった。
「…ああ、もうっ」
あまりに分からないことだらけな現状に、さらに頭を抱えずにはいられない。がしがしと乱暴に椋は己の頭をかいた。
中途半端に知っているからこそ、その中に放り込まれてしまった現在の己の歯がゆさがどうしようもないほどで、苛つく。
「何、どうしろって言うんだよ、おまえは」
ごちずには、いられない。―――この世界は、とある人間が構築した創作の世界、である。
そしてそのとある人間、というのを、椋はかなりの昔から非常によく知っていた。この世界を作り、次の小説の構想はこんな感じで登場人物はこんなんで、と、長々と椋に向かって楽しげに話しまくっていたのは、何を隠そう椋の幼馴染なのだ。
だからこそ椋は、この世界の医療における合理性を信じて神霊術/治癒術師の治癒魔術の分析をこの数日で行った。
結果として分かったのは、やはりというべきなのだろう、その二つの作用が内科的なものと外科的なものに分けられているということであり、さらに内科的なものにあたる神霊術には、大きく分けて三つの作用が存在しているということだった。
「どのプリントか教科書か、どこまで読んだんだよ、おまえは」
三つの作用とは即ち、先ほども述べた通り全身の代謝の亢進、血流およびリンパ流といった体液全般の量的・質的な正常化、そして免疫機能の賦活化であるというのが現在の椋が立てた仮説である。
その作用を何となくであるが察知できたのは、絶対的な経験・勉強不足な椋にも分かるような典型的な症例が、複数存在してくれたがゆえだ。
更に言えばアイネミア病に対するアルセラの治療では、これもまた先ほど述べた通り他の祈道士が行うものに比べて、免疫機能の賦活化が格段に押さえこまれていた。そして人に聞くところによれば、アルセラに神霊術を施された患者は、症状の軽減の度合いがより大きく、再発も遅くなるのだという。
祈道士の施術を受ければ、誰でも一度は確実に回復するということ。そして免疫機能の賦活を理論はともかく、結果的に抑制したアルセラの施術は、他者のそれと比べ明らかな効果があるということ。
それら二つを考えてみれば、どうしてもアイネミア病の正体は自己免疫性溶血性貧血だとしか、椋にはもはや考えられないのだった。
が。
「でも、黄疸出てないんだよなあ」
その事実に、結局椋の思考はそれ以上の追究を止めてしまう。
黄疸とは、ビリルビンという物質により全身が黄色く染まることを言う。正常な人でも一定量産生されている物質なのだが、身体に異常がない場合は作られた分、体外に排泄されてしまうために身体が黄色くなるような量は普通、体内には存在しない。
そして赤血球の破壊は、結果としてこのビリルビンの体内量を増加させる。
しかしビリルビンが増加しても体外へ排泄される量は変わらないため、結果として多くなった分のビリルビンは身体の中に多く存在するようになり、見た目としては皮膚が黄色っぽく見える状態になるのだ。
溶血性貧血ならば出るはずの、この黄疸の症状がアイネミア病には一例もないのである。
他はすべて条件に合うのに、これが絶対的に引っ掛かってしまい、どうにも椋は先に進めずにいるのだった。
免疫系が完全に赤血球を欠片も残さず消してしまうというならともかく、健康だった人が貧血になるくらいの溶血があるのに、黄疸が出ない、なんてこと…
「……ちょっと待てよ」
考えかけ、ふとまたひとつの仮説に椋はいきあたった。
免疫系が、患者の赤血球を消してしまう。
異常な賦活化がなされた免疫系が、完全に赤血球を欠片も残さずに消してしまう。
椋が元いた世界ではまずありえない事象だが、しかし生憎現在の現在の椋がいるのは魔術などという「世界の改変」が可能なものが存在する、つまるところなんでもありの世界だ。それこそ人に対する悪意ある魔術、呪いなどというものが可能なら、免疫系の働きを「そう」なるよう変えてしまうことも、不可能ではないのではないだろうか。
それにもし、この推理が事実と仮定するなら、もうひとつ多少なりとも納得できることが椋にはある。
ラグメイノ【喰竜】級が現れたとき、クラリオン周囲にいた決して少なくないはずの人間たちの中で唯一、椋だけが今でも全く何の健康上の問題もなく、ピンピンしているということだ。
「…俺が、この世界の人間じゃないから?」
免疫系をいじくるためには、必要な理論、この世界の言葉で言うなら術式の構築が違っていた。
だから他の誰でもない、椋だけがあの場にいながらにしてアイネミア病の発症を免れた。
勿論この推理にはなにひとつ、証拠がないことは椋にも分かっている。そもそも自分の扱う術が三つの効果を同時に内包したものだということを、その道のエキスパートであるはずの祈道士であるアルセラさえ知らなかったのだ。その事実を考慮すれば、あきらかにこの推論はとてつもなく、とんでもないまでにぶっ飛んでいる。
しかし、しかし、だけど、それでも。
一度思いついてしまえば、やはりそれ以外のことを、椋は考えられなくなる。
「あと、…そうだ」
もうひとつ。魔力が流れるという「法脈の流れ」というやつと、その枯渇による貧血のような症状についてだ。
どうせ誰に聴かせることもない、ただの自分勝手な推論である。突拍子もないことをひとつ考えついてしまった椋の思考は、更にもうひとつあまりに大胆な推論をぱちりと弾き出した。
この世界においては、その法脈というのは血流と同義なのではないだろうか。
だから十分な訓練もなしに、魔術を使いすぎると貧血を起こすのだ。訓練により持続力や魔術の威力それ自体が向上していくのは、自身の魔術への順応により魔力の使用効率が上がると同時に、それだけ多くの「魔力」を、体内にためておけるようになるから。
一流のアスリートが、あえて酸素の薄い高山でトレーニングをするのと理論的には同じだ。体に流れる血液、赤血球の絶対量を増加させることで、より多くの酸素を消費しても身体に影響がないようにするのと、同じ。
「……いや、でもさすがにこれはぶっ飛び過ぎか」
ついついノって考えてしまった、あまりに頓珍漢な思考に椋は苦笑した。
もしもこれが事実だとすると、今度はどうして魔術を使える人間と使えない人間がいるのかが分からなくなる。基本的に生まれついての才能だというその明暗が、どう分かれるのかなど椋にはさっぱりだ。
しかしこれはともかくとしても、呪いによる免疫系の異常変化というのは我ながら、なかなかいい線をいっているのではないだろうか。
これならば老若男女による発症および重症度の差が見られないことにも、免疫系の賦活により結果的に悪化する貧血が起きているにも関わらず黄疸が出ないことにも、少なくとも椋には納得がいく。
「…そういえば」
さらにと椋は思考する。アイネミア病を発症した人間が、あの魔物出現の日にどこにいたのかというデータはあるのだろうか。
確実にあの魔物の出現はこの奇病と関連していると巷ではまことしやかにささやかれているが、実際に客観的なデータから導かれる結果として、それを示した人間はいるのだろうか。
もし、あの日に一定の範囲内にいた人間だけが病気になっているというなら。さらにもし、より魔物の出現地点に近い場所にいた人間ほど重症化の度合いが酷いということになれば。
あの魔物があまりに唐突にあんな場所に出現した理由は、人々に椋の考えるところの「呪い」を植え付けるためだったと、考えることもできるのではないだろうか。
「よし」
とりあえずは明日、この考えをあの二人に、ヨルドとアルセラの二人に話してみよう。
もう少し説明のための言葉を練るのはこれからとして、ようやく見えてきた小さな家の明りにふと椋は微笑んだ。




