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「おいおいなんだ兄ちゃん、すごい仕込みだったんだな?」
「ねえ、っねえ、きらきらすごかったね!!」
「ホントに。確かにあんなことするなら、寝坊なんてしちゃ大目玉よねえ」
式典は「なんの異常もなく」。
「予定通り恙無く」終了した。
笑顔で椋を見当違いに褒めたたえて広場から去っていく親子に、椋がまともに笑顔を返せていたかはわからない。
きっと彼の表情は、相当にひきつっていただろう。
しかし行きずりのその人たちは、それこそ緊張やなにかと好意的に解釈してくれたのか、特に気にする様子もなく、別れて去っていった。
式典が終わり、人が散っていく。椋は動けない。
目にした、耳にしてしまったものに、痺れたように、動けない。
「……どうした? もうとっくに式典は終わったぞ。ほら、出口はあそこだはやく家に帰れ」
心配と怪訝な顔をした衛兵に声をかけられて初めて、もはや、自分の意識が飛びかけていたことに椋は気づいた。
すみません、返そうとすると足許から声がした。
「ニィ」
視線を投げると、くろいねこ、クゥはまだそこにいた。
早く帰れよ、掛けられる声に頷きながら、しゃがんで、椋は腕を伸ばす。
それを待っていたかのように、てててて、と肩先まで軽やかに走り登ってくる小さな黒の猫。
「……なん、だったんだ、あれ」
ちょんと肩の上にのっかったねこに小さく苦笑して、示してもらった出口の方向へ椋は歩き出した。
顎先を指で撫でてやりつつこぼすぼやきに、にぃい、と、同意に似た鳴き声が返ってくる。
クゥに触れていないもう片一方の手では、ぽん、ぽん、と、まだ手に握ったままにしていた守護の石を投げあげてはキャッチする。そんなことを、何回か単調に繰り返す。
カリアが気づいてくれたのだ。
まるで祝福のようにキラキラと舞い散る何かを呆然と眺めながら、それだけは椋にも分かった。
あれは祝福、などではない。
祝福しようとしていたなら、ひとは、絶対にあんな顔をしない。
あれはそもそも人間だったのか。
背中にコウモリの翼が四枚生えてる人間って人間なのか。
まずそこから椋には大変に怪しい。ああそうだ礼人のことだから、獣と人の両方の特徴を持っているヒトなんてのも「いる」んじゃないかと思うが、実際問題として、この世界で過ごしてきた決して短くない時間の中で、いままで一度も椋は見たことがない。
クラリオンで働いていたときだって、酒場にも、歩き回ったアンブルトリアの城下町でも。
付け加えれば、今こうして歩いているレニティアスの中でも。
出会うのは、椋と同じ体の基本構造をしている人たちだけだ。
獣の耳や翼やしっぽ、そういう、違うものを持っているひとを見たことがなかった。
「クゥはこれで満足なのか?」
「ニィっ」
聞いてみると、どうにも肯定っぽいひと鳴き。
わからないと言うなら、それこそ本当にこのねこもまったくさっぱりよくわからない。ただ猫と言うには明らかに異常に賢い。いまもこうして、会話が成立している。
うりうりと頭を指先で撫でると、心地よさそうに頭を擦り付けてきた。
さらふわもふの良い毛皮である。小さくて丸くてかわいい。こしゃくである。
どうにもこうにも、こんなものを、無下に撥ね退ける気にはなれない椋なのであった。
さすがに診察には連れていけないけどなあ。
そもそもおまえ、お姫様たちのところ、戻らなくていいのか?
思うが、椋の肩先に乗っかる黒猫は、まるで退くつもりがなさそうだ。
ひとつ、やれやれと息をつく。あまりにいろいろな出来事が起こりすぎて、わからないものばかりが、椋の目前には山積みになっていく。
――――無駄なことを。
思い返すだけでも、また、ぞっと背筋が寒くなるような心地がする。
アレは、絶対に、一切、まったく何にも友好的ではなかった。
血の塊みたいな、腥さすら感じそうな、あんまりにぞっとする眼の色。たぶん、何かを起こそうとしていた。きっと、そのままだったら、想像もしたくないほど、ひどいことが起きていた。
カリアが、たぶん、何かをしてくれた。
何かして、アレが多分、この大舞台でしでかそうとしていた「何か」が。
本当に、本当に直前で誰へ何の被害を出すこともなく、毀れたのだ。
「……お迎えにあがりました」
アーチをくぐって少しくらいで、ふっと、そんな声を聞いた。
目を向けると、ぐっと椋へ頭を垂れ、膝をつく黒衣の影がそこに一人。
「大変遅くなってしまい申し訳ございません。ご無事で、何よりです」
「……うん」
恰好と衣装の色でわかる。その少女は、椋が一時的にカリアから借り受けているマオシェ【影鳥】のひとりだった。
わずかに語尾が震えているのに、多少ならず申し訳なさを覚える。
なにしろ椋の感覚では一晩、だが、彼女をはじめとするほかの誰にとっても、たぶん、
椋は誰にも何も伝えず、まる二晩、誰からも姿をくらましていたのだ。
彼女が腕を振り上げて合図をすると、一見すると質素で小ぶりな一台の馬車がこちらにやってくる。
目前で停止し、ドアが開かれる。中にもひとり、彼女と同じ黒い衣を身に着けた、たぶん、ほかのマオシェ【影鳥】の姿。
促されるがままに、椋はひとり、馬車に乗り込もうとした。
横からぴょんと先を越されていった。
「えっ、あ、クゥ、」
「ゔにににににににににぃいいいいいいいい!!」
車内のマオシェ【影鳥】に進入ブロックされたクゥが、ころんと転げたかと思うとすぐ立ち直ってまた突撃する。が、また手刀一刀に振り払われ転がされる、というのを繰り返す。
場違いに奇妙にほのぼのした光景に、椋は何とも言えない気分になった。
「つるぎ様。この猫は?」
「あー、えーと、」
「つるぎ様」。
なるほど。外での椋を呼ぶ名前として、わかる人にしかわからない感が少し面白くて悪くない。
などと言っている場合でもない。クゥはなんだ、聞かれても、正直椋にもわからないのだ。
赤と青の、王女様たちのところに、いた、はずの猫。
なぜか今は、変わらず現在進行形で、椋のところに居続けたいらしい、小さな黒猫。
「にぃいいい! ににににににぃ!!!!」
十回くらい転がされたところで、クゥが椋のあしもとに訴えに来た。
いやそんな不条理みたいな顔されても、おまえがお呼ばれされてないのは本当だろう。そもそも普通、猫は馬車に乗らない。
さてどうしようかと彼が考えている間に、小さい黒色はぴょん! と飛び上がって、あっという間に椋の肩先まで上り詰めてしまった。
「あ、っこら、っうわいててててててて!! こら、っやめろこら、クゥっ!!」
「ニィイイイぃ!」
「つるぎ様……」
お迎え担当のマオシェ【影鳥】たちの顔に、困惑の色が混じる。
登られてからというもの、けっこうギリギリと肩に爪を立てられていて普通に痛い。起きたすぐのときにはしてくれていた、爪を立てない配慮はもうないようである。痛い。とりあえずけっこう本当に痛い!
なんでそんなに、思いながら、どうにも、小さいふあふあしたものを邪険にはできない椋である。
痛いのをやめさせるべく抱き上げて、そのまま、困る目前のふたりに椋は苦笑した。
「……なつかれちゃったんで、一緒に連れて帰ってもいいかな」
想定外すぎるだろう彼の申し出に。
ふたりは、黙ったまま顔を見合わせた。




