P3-57 渦を巻く混迷へ 3
新月の夜より、さらに暗い道中。
今のヨルドたちの状況は、さながらそんな例え方をされうるひどいものだと思う。
「また一人術師が逃げたのか」
「手続きはきちんとしているから、正しく、逃げている、わけではないよ」
苦笑するヨルドのぼやきに、返すフェイオスの声も失笑じみている。
目の前には、かれらの頭痛を増強させるような申請――数人の、若いアンヘルレイズ所属魔術師の休暇申請書が並んでいた。それが勤務者である彼らの権利である以上、フェイオスたちに否を突きつける権利はない。
そう、今、このどん詰まりめいた道中から逃げ出そうとする若者が出てきていた。
理由もわからない、わけではない。
アンヘルレイズ所属の魔術師ふたりが、昨日相次いで倒れた。
検査の結果、二人ともが、ヴォーネッタ・ベルパス病と診断された。
ふたりは、突如失踪した第三症例、セテア・トラフの主治医だった。アンヘルレイズの他の誰とも同様に、自分の症例である、セテア・トラフの治療に当たり続けていた。
彼女が忽然と消え失せる、その前日まで、確かに。
誰かが体調が悪くなった。
別の誰かが、気分不快を訴えて退室した。
「わからんわけでは、ないんだがな」
ヨルドはぼやく。だが逃げてどうする。
これが本当にまき散らされる呪いであるなら、もう既に、ヴォーネッタ・ベルパス病患者に接した全員に種は蒔かれている。呪いというものの根本的な性質として、そう考える方が、自然だ。
しかし正常な判断など難しい。なぜならこの異常事態に加え、ヴォーネッタ・ベルパス病患者全員の容体が、明らかにこの二日で一段階悪化した。
特に最初期の症例、十名弱は。
もはや死の床にあると、言わざるを得なかった。
「……なんでこんなときに、リョウがいなくなった?」
「相変わらず、かけらも手掛かりが見つからないそうだね。陛下は死んではいない、ヤツのことだからそこそこ元気にしているはずだ――なんて、仰ってはいたが」
事態は悪い方向にばかり進んでいる。
そんな中、こちらも突如消えて失せた黒の異者。何も知らぬ人にとっては、確かに、本当に諸悪の根源であるかのようにも、映り得る。
あり得ないと、ヨルド、アルセラは考えている。
かといって、誰にも見える証拠を提示してやることもできない。
この二日――しかも、どう見てもリョウ・ミナセがいなくなった後から、
それこそ針で刻むように、すべての患者の容体が悪化していっているのだ。
「しかも一方で、なんだい、これは」
「ああ、……ほんとうに、何だ? ヨルド、アルセラ、きみたちが連れてきたあの青年は、いったい、何を考えてこの魔具、を創出したというんだ」
休暇取得申請を除けた後には、三人の前には、一枚の嘆願書が残る。
それはアンヘルレイズの術師、トレイズ・ヴァルターとカツキ・リリアーナの連名によるものだった。
かれらの性根を示すような、きっちりと整った文体と、同時に全体的に少し斜め右に逸るように傾いた書面。一面にぎっちりと記載されているのは、ある新作の魔具の試用についてだった。
曰く、「人体の断面図を、実際に傷をつけることなく描出できる」。
曰く、「実在すら不明の呪核を、描出した断面図の解析によって見出しうる」。
「……リョウ……」
本当に、なんで今おまえがここにいない。
頭痛を覚えて額を押さえる。ヨルドは苦笑するしかない。書面でヴァルター・リリアーナ両名は、これが「リョウ・ミナセの要請に基づき、魔術構築、システム面の全面協力を行った」と述べるのだ。
真実に辿り着くための、方法はいくつあっても良い。
解析し、追究し、真実へとたどり着くまでの、道順がいくつ違っていようと構わないと。
「あるん、だろうねえ。そういうものが、あの子の頭に、世界には」
「異界の知識、技術……か。本当に、何もかも僕には想像がつかないな」
アルセラもフェイオスも、ヨルドと同じような表情を浮かべている。
またひとつ嘆息を重ね、書面を読み返す。連ねられた文章からは、その魔具の、少なくとも「試作」として他人の目に耐えうる第一号が完成したのだと窺える。
そしてかれらは、それを使いたがっている。
この停滞のさなか、一歩でも、何か「先」へ進むために。
わずかでも、何か、新たなことがわかれば。
「……残念だが今の僕は、この子たちに許可は下せないよ」
「当然だろう。あたしも同感さ、フェス。これの最初の使い手は、この魔具を最初に患者へ望んだリョウ以外であるべきじゃない」
「ああ。何をどこまで考えて、これを欲しがったのか、少なくともこの文面じゃ俺たちには分からん以上、余計にだな」
白いはずの紙が黒くなるほど、多くの言葉が載せられた書面。
耳に聞こえのよい言葉ばかり羅列したそれを、だからこそ、ほかの誰でもないヨルドたちが簡単に信じるわけにはいかなかった。
勿論かれらの話を聞きたい、とは思う。
しかし、今目の前に呼び寄せたとして、結局許可を下すことはできないだろう。
何か患者に不都合があった際、最終的な責任を取らねばならないのは「その創出を命じたもの」だ。
ヨルドたちにも見えないものが、かれらに見えているとも思えない。
さらには。
「……そもそも、だ。書面上はとんでもないが、だからこそ、自ら進んで実験台になるような奴は誰もおらんだろう」
ただ一人を除けば、だが。
声にはしないヨルドの呻きを、生憎ながら、アルセラとフェイオスは過たず察知して肯定する。
「そうだろうね」
「ああ。彼に対する誹謗中傷は、こんな状況がゆえに、もう、まるで収拾がつかなくなっている」
「それをわかっていればこそ、この子たちも、こんな書面を寄越してきたんだろう。悲しいね、」
以上、状況改善の可能性を以て、当魔具「灯影機」の、
――症例・アルティラレイザー・ロゥロットへの試用許可を、我々は望みます。




