P3-54 朝告げは何処に 2
示し合わせたように見事に、二人が扉を開けて出てゆく。
ややぼんやりとそれを見送って、完全に室内に見えるものが己以外なくなったところで、ひとり、アノイは深いため息を重ねた。
――せめて。
――せめて相手が、人間であればいいと思う。
最悪は、人間でないものがリョウを襲っている場合だった。アノイらが全力を以て相対しなければならないものたちが、今このときすでに、リョウを奪おうとしてきている、という場合。
それらが、リョウの特殊性を理解したうえで、この離宮の隅々まで巡らされているすべての物理・魔術両面の防衛を搔い潜り、何らかの術式を、明確なる害意を以て展開してきた、という、場合だ。
本当にあいつが現れたときから、退屈という言葉がどこぞへ吹き飛んで行ってしまった。
ただ今回はさすがに――さすがにあまりに、面白くない。
「……おまえもそう思うだろう、カリア? 入ってこい、許可する」
そして空室であるはずの隣へと、アノイは声を振った。
ひゅ、と小さな呼吸の音。
見てやれば、その身に預かるきらびやかな地位、権威すべてを返上させねばならないくらいに無様なありさまの少女が、ぽつんとそこにいる。
「カリア」
アノイは生憎、少女もよく知っている通り聖人ではない。
だからリョウの捜索を彼女にはさせないし、むしろ明日の一日じゅう、アノイのそばでその身を拘束するような命令を淡々と下す。
なにせ、今のカリアでは。
命じた時点でその格好のまま、誘拐現場を焼き討ちしかねないのだから。
「……何が、起きているというのですか」
「判らん。まあ、不快だな」
アノイが主として命じ、少女は臣下として、室内へと足を踏み入れて来る。
コツコツと高いヒールの音が、わずかにぶれていることに気づかぬアノイではない。
眩いドレスの「白薔薇姫」は、それこそ先ほどのクレイトーン・オルヴァもかくやのひどい顔色をしていた。
化粧をしてもわかる蒼白は、ヤツ以外の誰にも見せてはならない類のものだろう、と思う、本来は。
だがアノイは王であるので。
「ぬかるなよ、ラピリシア第四魔術師団長」
「……っ」
内心など、なにも慮ってやらない命を下す。
なにせリョウが消えた。誰にも悟らせずに、護衛の騎士の目前から一瞬にして、忽然と失せた。
リョウはその特質ゆえに、ヤツ自身の意識を魔術で操れない。身体に干渉して強制的に動かすこともできない。
そんな男が行方不明になった、ということは、
――今、まさにこの瞬間にも。
リョウ以外の誰が「それ」に、いつ、どこで攫われても何もおかしくない、ということ。
「返事は」
「……了解、いたしました」
喉の奥から無理やり引きずり出したような声で、目に見えて不本意な色を瞳に浮かべて、それでも彼女は諾と言う。
かつてはあの中の一人から、適当に選ばねばと思っていたが。
こうにもなってしまっては、……心底から、この女自身が死ぬ気で努める以外、ない。
「……陛下、」
「なんだ?」
「何を、お考えになっておられるのですか」
「最低の事態だ」
「……そうではなく!」
王に向けるにふさわしくない、もどかしさと焦りと苛々しさのない交ぜになった表情でカリアが叫ぶ。
アノイはただつまらない言葉だけを返した。
「なんだ、さっきも言った通り、少なくともリョウは死んでいない。俺のヴァルマス【劔】であるあの男にこんな状況で相応の綱渡りをしながら何の用があるのか知らんが、まあ、あいつが帰ってくれば、新しい情報が入るだろう。確実にな」
「……そう、ではなく、」
「そんな顔をするおまえを、俺が探索にやるとでも?」
反駁はない。まったく、半端に頭が良いのは、己の首を絞めることにしかならないというのに。
まあ、リョウもリョウである。なぜエクストリー国内のみならず、こんな他国でまで行方不明になるのか。
そもそも奴を行方不明にするために、いかな異常の魔術を、この、防護魔術のかたまりのような城塞の内側で使ったのか。
「……少し話を変えるか。カリア、おまえならどうやってこの場所からあいつを連れ去る?」
「……」
意地の悪い問いに、少女はあからさまにいやそうな顔をする。そうだな、現場へ連れて行ってもやらないくせに、何のヒントもなく案だけ出せとは、確かに酷なことだ。
だがそれはおまえの知っている通りのエクストリー国王だ。
薄い笑みすら浮かべて答えを待つ。
「……彼の特殊性を、理解しているという前提で、ですか」
「そう考えてもいい。もしくは、アレのようなものでも、いま、ここで俺たちが一瞬で隠せるような方法、だな」
一国の姫君さながらに磨き上げた、その姿にはあまりにそぐわない苦さが、続ければカリアの表情にはさらに増す。
ひどく、言いたくも考えたくもなさそうな重い沈黙の後。
ぼそりと、這うような声がした。
「……空間を、捩ります」
「ほう?」
もはやアノイを敵と見るような表情。
時間、空間を操る魔術は、こと「自分以外の生命」を関係させると、実際に展開できる魔術と比較して異常な魔力を食う。
たとえばアノイの場合、彼自身が行ったことのある場所へなら「どこへでも」行ける。自分を瞬間移動させることは、できる。だが、同じようにそれこそ「リョウ」を移動させられるかと言えば――それは、否だ。
なるほど、だからこそカリアは、移動させるため「捩る」などと言うのだろう。
続けるよう目線で促せば、そうできる魔力がある前提の話ですが、と、つづく。
「リョウが通る、その地点、その瞬間にだけ、別の空間を繋ぎます。魔術の擬態は、受け手側の視覚を誤魔化すのではなく、周囲に働きかけ、完全に見た目を同化させる類のものを。そして彼を捉えた瞬間に、その別空間へと攫い、閉じる」
そこが明確におかしければ、リョウとてその場所を避けるだろう。
だからこそ「周囲と完全に同化する」。証拠を残さぬため、少なくとも無魔には拾わせぬために、即座にさらった瞬間にその接続を「閉じる」。
表情とは裏腹に、随分具体的な話である。そしてそれは、確かに「カリアやアノイ程度の人物であれば」不可能ではないトリック、ではあった。
アノイは臣下に問う。
「考えていたのか?」
「……彼が、そうで、なければと」
「ふむ。相応に荒唐無稽な話ではあるが、そもそも今この場所であいつを隠すと考えれば一考の余地はあるか。俺の証も、おまえが与えた守護も破るには、確かにその程度の芸当、できて当然、か」
嫌がるものを引きずり出させている。
だが、だからこそ、奇妙な現実感がある。
「……明後日、本当に何かが起きるかもしれんな」
「陛下」
なんとも不吉な予感がするので、おそらくこれは当たるだろう。
アノイは短く嘆息する。無論、まったく嬉しくはない。本当にリョウを明らかにしてから、良くも悪くも、不変であることがない。
願わくは犯人が、ただの邪悪な人間であること、だが。
まあこれも叶ってはくれまい。カリアの言うような明確な異常を、可能にする程度の力量が最低限でも必要になるのだ。
最低の状況とは、なにか。
だれが、なにが、どれほど何に破滅させられることか。
思考せねばならない。考えたくもない最悪の事態について、手筈を整えておく必要がある。
式典の中心たるレニティアス国王陛下はもちろん、国賓として招かれている各国の国王、女王、それに準ずる要人たちに至るまで。
「書状を書く。書き上がり次第、カリア、会場に戻り、各国へ渡しに回れ」
「……」
「そう睨むな。明日、何もなかった場合は、式典の終了後からリョウの探索要員をおまえに、アストリエスから交代させる。俺は現況から、あるべき場所へ、俺の臣下(駒)を最適に配置しているだけだ。アストリエスの剣技だけでは、あの式典会場全体を爆破にかかるような大規模魔術は事前に破れない」
「……心得ております、陛下」
まったく心得ている声音ではないが。
その程度の空気くらいはアノイも読んでやるので、ただ内密の書状を記載すべく、ペンと紙と封印を取り寄せた。




