P17 黒は銀と金とを撫で1
少しは息抜きになるでしょうからと、副官であり傅役である男に連れ出された先で。
予想だにしていなかった、黒の青年と彼女は出会った。
「か…り、あ?」
俄かには、目の前に広がる光景が椋には信じられなかった。
現在椋の目の前にいるのは、身分を隠してクラリオンに通い、椋のおやつを毎回楽しみにしてくれていた少女だった。長い銀色の髪を高い位置でツインテールにした、綺麗としか言いようのない整った顔立ちの金の目をした、傍らの青年と同じ上衣に黒のミニスカート、ロングブーツといういでたちの。
ほぼ半月ぶりに目にする彼女の姿は、記憶にあるよりさらに鮮明に純粋に綺麗だった。
思わずその名を口にしてしまった椋に、驚愕に目を見開き硬直してしまった彼女の唇がわずかに、動く。―――リョウ、と。
「なんだ。嬢ちゃん、こいつと知り合いだったのか?」
さらりとしれっと、あっさり訊ねてくるヨルドも大概だと微妙に椋は思う。確か彼女の付き人である眼鏡の青年ニースはまだともかくとしても、ヨルドはもう少し驚いてもいいのではないだろうか。
何しろカリアは団長様で、大貴族様なのだと彼女本人が言っているのだ。貴賎の感覚が特に上位層においては明確なこの世界で、何故彼女がただの庶民の顔を知っているのか、なぜ彼女を呼び捨てた椋を咎めるどころか、どこか嬉しそうでさえあるのか。
普通ならもう少し違和感抱く部分じゃないだろうか、これって。
自分の感覚が良く分からなくなる椋をさしおいて、ようやく少しは我を取り戻したらしいカリアが口を開いた。
「よ、ヨルド。どうして、どうしてリョウがここに?」
「ん? いや、こいつは目端が利くし頭の回転が速いからな、俺とアルセラで治癒魔術を叩っこんでやろうって、一生懸命画策してるのさ」
なぁ? 言葉とともにぱちんとウィンクが飛んできた。四十過ぎの男のウィンクなぞ嬉しくも何ともなかったが、しかしその視線に含まれた意味も分からないほど椋は空気の読めない人間ではない。
こりゃあ後で色々、楽しそうに聞かれるんだろうなあ、と。
面倒な展開をある程度覚悟しつつ、ひとつ苦笑して目前の少女へ椋は肩をすくめた。
「うん、まあ、…とりあえずそういうことにしといてくれるとありがたい、カリア」
「……本当にどこまでも変な人ね、あなたは」
いつも通りに曖昧な椋のセリフに、ややあってくすりときれいな金色の瞳が苦笑する。彼女のその表情に、わずかに驚くような表情をそのときヨルドが浮かべたように見えたのは気のせいか。
しかしカリアはそれにはどうやら気づかなかったらしく、そうだ。どこか楽しげな声を彼女は上げた。
「リョウ、紹介するわ。…彼とは初対面でしょう?」
後半の言葉は椋にではなく、彼女の後ろに立つニースへ向けられたものだ。
初めて見たときと同じく穏和そうな顔つきで、ニースはカリアの言葉にはい、と頷く。こんな優男風の、虫も殺さないような顔をした男がどでかい魔物を平然と氷漬けにしたりするのだから、まったく恐ろしい世界である。
さりげに失礼な椋の内心は知らず、カリアは再度椋へと向き直った。
「リョウ、これはニース。私の傅役で第四魔術師団「シーラック」副長のニースよ」
「ニエストライ・フォゼットと申します。どうぞ、以後お見知りおきを」
穏やかな落ち着いた声とともに、まさに完璧な礼と自己紹介とを向けられた。あまりの見事さに、一瞬椋はあっけに取られてしまった。
そんなものを向けられることに、一般庶民である椋が慣れてなどいるわけもない。
しかしこのまま何も返さないのが失礼であることは分かり切っているので、なんとか思考を動かそうと努力しつつ椋も名乗り返す。
「え、っと、ご丁寧にありがとうございます。水瀬椋、じゃなくてリョウ・ミナセです。こちらこそどうぞよろしく」
「んじゃあ自己紹介も終わったところで、ニース。おまえの主人はそいつと話がありそうだからな、おまえは早くこっちに来てくれ」
「はい。ではお嬢様、行って参ります」
「ええ。ちゃんと診てもらってらっしゃい」
椋の言葉に次いで、ヨルドは勝手知ったりの様子でニースへと声をかけた。
応じるニースもまた、彼のそれにさらりと応じて彼の「お嬢様」へとやわらかく頭を下げる。そしてごく自然に彼へと「許可」を与えるカリアは、当然のようにニースの「主」だった。
じゃあリョウ、おまえはそっちの控えんところで嬢ちゃんの相手頼むな。
そんな言葉をこちらへ向ける、ヨルドがどうもニヤニヤしている、ようにしか見えないことが目下、とりあえずは最も気になる椋である。
「…どうぞごゆっくり、お嬢様」
「えっ?」
そして一方のニースはニースで、感情の読みづらい微笑を浮かべて何かをそっとカリアへ耳打ちした。
きょとんと彼女が目を見開いたところを見ると、…こっちもまたヨルドと内側はそう大差はない、ような気がする。
夜より優しい黒色を宿す、瞳がまっすぐにこちらを見つめている。
それを目にするのは随分久しぶりなのを、彼の目の光を見返して改めてしみじみカリアは、思った。
「なんか、やつれたなカリア。大丈夫か? ちゃんと食べてる?」
テーブルをはさんですぐ前に座り、彼は首をかしげてこちらに問いかけてきた。
何の含みもなく純粋にカリアを慮るその視線と声と言葉は、ここ最近どこか、ずっとさざ波立ってささくれていた彼女の心をふわりと撫でていくように響いた。不思議にほっとするのを感じつつ、彼の言葉にカリアは苦笑して首を横に振った。
「料理人たちには申し訳ないんだけど、…最近、どうしてもあんまり量が喉を通らなくて」
「…そっか」
決して咎める響きではなく、ただ事実を事実と確認するため発される声にカリアは頷く。既に家の誰からも何十回と口にされている言葉のはずなのに、なぜだろう。この青年の声と目線が加わるとそれは、そんなに聞いても痛みを感じない。
決して不細工ということはないが、しかし整った容姿、と呼ぶにも、どこか緊張感のようなものが一本すぽりと抜けてしまっているような彼の顔を改めて、カリアは見やる。
太陽の光に透かすと少し茶色めく、室内の明りではほぼ完全な黒に見える瞳がまっすぐ、彼女を見つめていた。
「…リョウ?」
「ん? ああ、いや」
穴があくほど見つめられる、というのはまさに今のようなことを言うのだろう。言葉もなくただじっと見つめられる状況がどこかむず痒くなってきて彼の名を呼べば、青年はやんわりと、どこかばつが悪そうに笑ってわずかに、目をそらした。
彼女の記憶する通りにヘンな彼の所作に、くすりとついカリアも笑ってしまう。
「何よ。人の顔じろじろ見ておいて、なんでもない、なの?」
「いや、その、ね?」
今度は仕返しとばかりに、カリアの方がじっと彼の顔を見つめてやる。あーだのうーだのとしばらく、逃げ道を探すように意味をなさない声を発していた彼は、しかしややあって観念したようにがくりと肩を落とした。
その様子に更に笑みを誘われて、ふっと目を細めたカリアに向かい青年はゆるゆるとその両手をあげた。分かった分かった、俺の負けだよ、と。
「ああもう、ホントこれだから美形ってやつは……なんというか、やっぱりきれいだなって。そう思ったんだよ」
「え?」
早口でさらっと言い流された言葉は、しかし他の誰でもないリョウの口からカリアが聞くのは、初めての言葉だった。
リョウいわく、よくある貴族の男らと違って、彼には女性を呼吸するように褒めるような習慣がない、らしい。カリアがかつて向けられた怖気の走るような褒め言葉の数々を披露してやったときなど、彼は完全に引き攣った笑顔で、妙に遠くを眺めていたような気がする。
そしてそんな言動の通り、この青年はカリアを含むどんな女性に対しても、安易で単純な褒め言葉を使うことがなかった。少なくともカリアが見ていた限り、誰かの何かの達成、祝い事などということに対しては褒める言葉を惜しまないのに、である。
あんまりに気取りすぎた言葉は論外としても、ごく一部の変わり者を除けば異性に褒められて、悪い気を起こすような女性はいないだろうに、どうして。
そう持ちかけてみたところ、絶対に途中で舌がもつれると至極真面目な顔で返されたのは今でも、カリアの記憶には新しい。
「…リョウ?」
そんな人なリョウが今、…確かに、きれい、って。
思わず聞き返してしまったカリアに、リョウはふっとひとつ息をついてこちらを向き、笑った。
「ヨルドのおっさんについたのが、昨日じゃなくて今日で良かった、ってさ。そう思ったの」
「………」
さっきはきれいって、そう言ってくれたのに。
随分物足りなくなってしまった言葉に、ついカリアの口はへの字になった。いくらでも冷たくなれる自分の顔など元々そう好きではないはずなのに、折に触れて、もっと可愛らしさが欲しかったとひっそり鏡の前でため息をついたりもする顔なのに。…彼から褒めてもらえないことが、どうしてかひどく物足りない。
しかしそんな彼女の反応は予想外だったらしく、あれ? とばかりにリョウは首をかしげた。きょとんと見開かれた目と口。その表情にはまったく緊張感がなく、どこかとても間抜けだった。
カリアよりもゆうに頭一つ分以上大きい青年が、どうにも間の抜けた表情でこちらに向かって首をかしげている状態。
何となく彼を可愛く思ってしまったカリアだが、しかし絶対的な物足りなさに変わりはないので、強いて表情は口をへの字にしたそのままで保ってみた。
「……ええと」
「………」
「えーと…あ、そうだ」
ある意味カリアの思惑通り、困ったように左へ右へと視線を泳がせた青年は唐突にぽんと手を打った。思わずぱちりと瞬きしたカリアに対し、一度背を向けたかと思うと、どこからともなく彼はその手に何かを取り出す。
こちらに向き直ったリョウが手にしていたのは、きれいな青色をしたカップと小さな銀のスプーンだった。食事ではなくデザートに使うスプーンだ。
それら二つをことんと机に置いて、何となく見覚えのある笑みを彼はこちらへ向ける。
「リョウ?」
「カリア、これ。もしよかったら食べないか?」
今日のデザートにしようと思ってたんだけど、なんかあのおっさんに取られそうで出せなかったんだよ。
その言葉にまるで引きずられるかのように、くう、と小さくカリアの腹の虫が珍しい音を立てた。




