P3-53 朝告げは何処に 1
それはあまりに唐突だった。
自室へ戻るべく歩いていた、守護対象で、クレイの友人でもある男がふいに、揺らいだ。
「……どういうことだ。消えた? この、グラティアード離宮の内側で?」
クレイが平伏する先には、彼が戴く王、アノイロクス・フォセラアーヴァ・ドライツ・エクストリー陛下の姿があった。
まだ続いているパーティーを中座させ、この小さな部屋でろくでもない報告を上げる。
なぜこんなことになっているのかと、どこか、現実逃避のように考えたくなってしまう。
「はい」
手を伸ばしてつかもうとした。
その瞬間には、すでにクレイの目前は空白だった。
何が起きたかわからずに、クレイはその場に立ち尽くした。はっと意識を戻して周囲を探そうにも、そもそもエクストリー国内ではないここで、クレイができることなどあまりに少なかった。
ゆえにクレイは報告するしかなかった。
己の護衛対象が、すぐ目の前で消えて失せたことを、正直に、嘘偽りなく彼らの王へ。
「……申し訳ございません。このようにしか、私には申し上げようがなく」
びりびりと、肌が痺れるような感覚を目前から与えられている。
王は、問いただす語調も、クレイを見下ろす視線も明確に鋭い。尖らずにいられぬほどの異常であると、報告する側のクレイとて理解していた。
アノイがひとつ、息を吐く。
「謝罪は不要だ。顔を上げろオルヴァ第六位階騎士」
「は、」
「ああ……まったく、まさかこんなところで首輪が役に立つとはな。なあクレイトーン・オルヴァよ、あいつは俺たちを飽きさせない天才だ。そうは思わないか?」
いやむしろ大馬鹿野郎か?
どちらにせよ、誰にも追従しえない天才的異常性だ。
失笑する王に、命じられるがまま、声を向けられるがまま。躊躇いがちに顔を上げる。
クレイの視線の先で王は、なんとも返答しがたい言葉を落とした。クレイの返答を特に必要としていない言葉のあと、アノイは胸元から一本の細い鎖を取り出す。
手にすればちょうどブレスレット程度の長さをした鎖の先端には、黒、
――光に透けてわずかに青が見える、朝闇色の、指先程度の大きさの球体が透明に穏やかに光り輝いていた。
「これはリョウ・ミナセ、我がヴァルマス【劔】のあかしとして与えたものの、対だ。もしあいつが死んでいればこれは即座に色を失って崩れるが、……まだ、崩れるどころかくすむ様子もないところを見れば、少なくとも、生命を脅かされるような状況にはない、というところか」
わずかに怪訝に眉間にしわを寄せたクレイに、アノイがさらりととんでもないことを言う。
クレイ程度にはそれが何かすらわからないようなものが、リョウに与えられているという事実。
そして、かといって。
「まあ、仔細は何もわからんことに変わりはないんだがな。貴様の目の前から一瞬で消えて失せたのだろう、オルヴァ? 偽りはないな?」
「……はい」
「分かっているな? クレイトーン・オルヴァ。おまえは、今この厳重な警戒態勢の敷かれるグラティアード離宮から、他ならぬあのリョウを、どこか違う場所へ、誰にも気取られずに移動させたと言っている。一切の魔術が効かんあいつを、だ」
瞬間。
音を立てて、クレイの思考が凍り付いた。
「……っ、」
今、……リョウのことを、何だと?
唇が震える。問わねばならない、おそろしいことを、うまく言葉にすることができない。
何度か声を作るのを失敗したあと、ひどく、ぎしぎしと音がしそうなぎこちなさでようやく、クレイは声をあげた。
「……魔術が、効かない?」
明らかに震えた彼のそれに、おや、と、一方のアノイは眉を上げる。
当然のような声に起伏はない。
「なんだ、リョウ本人から聞いていないのか? まあ、だとしても己を守らせる相手にも告知していないヤツが悪いがな」
ぞっとさらに、背筋に氷塊が落ちる。
鳥肌を収める暇もなく、王は、信じられないようなことばをさらに続けた。
「そうだ。あいつには魔術が効かない。この俺手ずから向けたものすら、まるで効かないからな。まあつまりはおそらくこの世界の誰であろうと、あいつを魔術で操ることはできない、と」
「……は……?」
「あれはただの無魔ではない。貴様も知っているはずだなオルヴァ? もう一度繰り返してやろう。つまり貴様は、そんな男に、どこの何とも知れぬ力を持つ人間が、やつの性質を知ったうえで、意図してこの、いまのグラティアード離宮の内側で、ヤツを貴様の前から一瞬で消し去った、連れ去ったと言っているわけだ」
「!?」
今度は違う意味で、クレイは絶句した。
しかも鬱陶しいことに、異常はこれだけでは済まないのである。
続けるアノイも半ば呆れている。
「セルクを戴くこの国の、このグラティアード離宮という場所で、そのようなことを可能にする手段を俺は知らん。そして少なくともこの俺が知らんのだ、この世界の、いったいどれだけの人間にそんな大した芸当ができる? さらに言うなら、これは、同時に、少なくとも我々エクストリーに弓引く可能性のある存在が、我々および、このレニティアスへの悪意をも以て、俺の唯一無二の劔を拐かしたということだ」
クレイは何も返さない。返せない。
あまりにも、意味が分からない。
もはやそれは、そんな所業は。
まともな理性を持つ、人間の仕業なのだろうか。
どこか現実逃避めいたことを、クレイは思った。
恐ろしい言葉は、ただ、事実だった。今、第一の式典前日であるこのグラティアード離宮では、人間の動きは、国内外問わず制限され監視されているはずだ。むろんそれは互いを守るためのものであり、アノイとて、先方から申し出を受けて了承しているものである。
その中でリョウが消え失せた。
連れ去られた、というのではない。確かな力を持つ騎士の前から、一瞬のうちに消えて失せた――。
重い沈黙が場に落ちた。
しばしの後、大きく嘆息して、アノイが、彼のすぐ傍に控える男を呼ぶ。
「ガイザード」
「は」
「おまえに任せる。リョウはヴァルマス【劔】の証、そして、セラピス描魔石の首飾りを持っているはずだ。そうそう大それたことにはならんだろうが、……何せ、リョウだからな」
はっと、クレイは知らずうつむかせていた顔を上げた。
そこでは命じられたガイザード・アストリエス第七騎士団長が、やや怪訝そうに、王たるアノイを目を細めて見ている。
「ラピリシア殿ではなく、某、ですか?」
「そうだ。現状、我らが認知を超えた何が動いているか、或いは動いていないのかもわからん。明後日の式典は多くの人間が集う。その最中に、多くの人民を巻き込んで、何かが起こる、ことも、考慮はしておくべきだろう。ガイザード、無論おまえがカリアに劣っているとは微塵も思わないが、拠点防衛を含めた大規模魔術の展開に関しては、魔術師であるカリアが適任だ」
さらに全身が冷たくなるような心地がした。
一体何が起きているのか――他の所属であるクレイも知っているほ実直、質実剛健をゆく男は、顔色一つ変えずに、ぴしりとアノイに跪いた。
「謹んで、拝命つかまつりましょう、陛下。ときに陛下、某に、そこのオルヴァ第六位階騎士を同道させてよろしいか?」
「ああ、そうしてくれ。クレイトーン・オルヴァ第六位階騎士。ガイザード・アストリエスとともに、全力を以て我がヴァルマス【劔】リョウ・ミナセの捜索に当たれ」
「はっ!」
ガイザード・アストリエスの向ける鋼色の双眸の強さに弾かれるように、クレイもまたアノイに跪いた。
すぐ動くようさらに命じられ、まだ冷たい重い体を動かした。
止まっていてはだめだ、動かなければ。
それでも頭の芯は、まだ強く殴られた後のようにグラグラと冷たく揺れるままだった。




