P3-51 戯夢
「えぇー……?」
大変に間の抜けた声が出た。
どうせ誰も聞いていないだろう。が、誰にも聞こえない、ことがそもそも問題なのである。
元通りに戻ってしまったまっしろのヘンテコ空間の中で、ひとり水瀬椋は途方に暮れた。
パーティーを抜けて帰る途中、気づいたときにはここにいた。
いったい何がどうなっているやら。
何もわからないうちに、なぜか、予想外の相手ときちんと話ができた。
キールクリア・レニティアス第五王女殿下。
想像の通りくらいに子供らしくて、ちょっと生意気で、ませていた。そして、予想していたよりずっと、ちゃんと、相手の言葉を聞くことができる子だった。
話が終わるところで空間が揺らいで、お互いの声が遠くなり。
だから。
「戻れないのかよ」
呟かずにいられない椋だった。大変がっかりな現実である。
椋は肩を落とした。いや誰だって戻れる期待をするだろう、期待というか、戻れる、ものじゃないのか、こういうのって、ふつう。
いや、そもそもが色々普通ではないけど。まったくもって。
だってそれだけ、さっきのあの会話は「異常」だった。
椋がエクストリー国王アノイのヴァルマス【劔】であり、あのこがレニティアスの王女様である限り、あり得ないはずの、交錯だった。
だから、誰の何かは分からずとも、自分たちにあの会話をさせるのが、この部屋の目的――だったの、では、ないのだろうか。
自分以外の一切がなくなった、真っ白の空間を改めて椋は見回す。
そもそもどうして、どうやってここに来てしまったのか、そんな最初から椋はさっぱりだった。なにしろこの世界には魔術なんてものがある、「転移術」と呼ばれるワープの類があるのは知っているが、いや、だって椋に魔術は効かない。
椋に向かって紡がれた魔術は、意味をなさない、らしい。
そんな人間をどうやったら、ワープさせられるというのだろう。
なんで行きたかったわけでもない場所で、俺は今、ただただ真っ白けなんだろうか。
考えど眼前はただ白い。
方向感覚が狂いそうなほど、ただ、ひたすらの、白、白、白。
――――まだ、何かは起こる。
ふと脳裏に過ぎった不吉の予言に、椋はげんなりした。
ああ確かに「何か」は起こった、というか、現在進行形で絶対に椋は行方不明だろう。
一緒に部屋に帰る途中だったクレイなんて、それこそ「目の前で椋が消えた」みたいなことになっているんじゃなかろうか。
嘆息する。血眼で椋を探し回っている姿が目に浮かぶ。
だろうし、他のカーゼットのみんなも、……カリアは、もしかしたらパーティーを中座しているかもしれない。
フラグ回収速度が爆速にもほどがある。もはや頭痛が痛いレベルである。
そもそもあのとんでもない空間に慣れない服でやたら飾って駆り出された時点で疲れ切っていたのに、「見えない」と言われ、不確定を予言され、あの子と話をして、……これに、さらに、何をしろと?
服装が正装のままなので、下手に座るも寝るもできない椋である。せめてもでシャツの首元を緩めタイを解き、コートのボタンを外してみたが、別に楽にはならない。
何もかもただ白い。
変わることなく、ひたすらに、
「……あれ?」
と思ったら、何か、くろいものが見えた。
小さいものが目線の先、ふと動くのを見た気がした。
唯一空間に生じた変化に、半ば反射的に椋は足を向けていた。見ても、定めても、変化は消えなかった、白へ戻ることはなかった。なんだと考える暇も大してないままにそこへと向かう。何だとしても、このまま何も変わらないままよりマシだと思った。
踏み入れた瞬間、ぐわりと四方八方が揺らいだ。
「……えっ?」
空間が巨大な、匣になった。
いやその表現は正確ではない。椋が後ろを振り向けば、さっきまで通りの白いだけの空間が続いている。ただ椋を、椋が今いるこの場所の、後方以外の五面を取り囲むように、一辺3メートルかそれくらいの大きさの、揺らぐ立方体が出現していた。
中では絶えず、何かが映っている。
後ろ以外の上下左右で、なにかが動いている。
「……おぉ」
思わず声が出た。360度シアター、とか、そんなものが一番近いのだろうか。
椋を囲む五面は、それぞれがつながっている。一つの場面を、その中の像を、次々と静かなままに映し出している。
なにもかも、あまりにもなめらかで鮮やかで、音以外は現実のようで。
まるでその「場面」に、音だけ遮断されて放り込まれたかのようだった。
椋の目前で展開していく、それは平穏の光景だった。
平穏がそして、やがて、崩れていく映像だった。
たすけて。
たすけて。
悲鳴は椋には聞こえない。
だが、次々歪んでいく人々の表情を見ているだけで、想像、したくない。
ひとが襲われている。
何か、よくわからない黒いものに襲われ、倒れていく。
直接襲われなくても、なぜなのか、老若男女の一切の別なく、次々に、その直前まで元気に動いていたはずのひとたちが倒れていく。
助けて。
嫌だ、死にたくない。
泣いているひと、「敵」が確かにいたはずの虚空へ槍を突き上げ絶叫するひと。
子供の腕が、頭が喰われ、覆いかぶさろうとする老人が腹を喰い破られる。託されようとするものの、せめてと伸ばす手のひらすら、毟り取られて噛み砕かれた。
なんだ。
何見させられてるんだ、これ。
――――届かなかったの。
「っだれだ!?」
ぽつりとそのとき声がした。
キキとの会話が終わってから、初めて耳にした、自分ではない声だった。どこかで、聞いたことがあるような気がした。だが思わず椋が声をあげ、周囲を見回しても、ただ、終わらない悲劇の映像が流れ続けるだけだった。
声は、映像とは連動しない言葉はつづく。
――たすけ、られ、なかったの。助けてくれないと思ってたら、そもそも、声が、けされていた。
ころりと鈴が転がるような。
可愛らしい声に似合わない奇妙な平坦さと、どこかぞっとする悲しみ、陰り、絶望にも似たものを感じた。
「……だれ、だ?」
背筋に走る気持ちの悪さを振り払うように、椋はなんとかもう一度口を開いた。
左右を見た、上下も見た。
やはり見えるものは変わらない、けれど、視線を感じる。
聞こえる声は、映像と連動していない。
遷り変わるその中ではなく、椋に、今ここにいるこちらに向かって、いま、発されている。
感覚の正解を示すように、小さく、笑うような呼吸の音がした。
――あなたはむつかしいね、
「なに?」
――だから呼んだの、聞いて欲しかった。
思わず椋は瞬いた。
声の主は、自分がここに椋を呼んだと言う。
「どういうことだ?」
この声の主は、確実に椋のことを見ている、聞いている。
だが、椋が問いかけても、その子は、もう一度小さく笑うような声を落としただけだった。
――ごめんね、もう、あんまり時間がないから、
「時間……?」
――ねえ、あなたは救えるかな、
「なあ、だからっ、」
そもそもきみはだれなんだ、なんなんだ!!
思考が疑問符だらけでなにも解決できない椋に、ごめんね、と、また声がした。
そして、
――クゥっていうの、
「……ク、ゥ……?」
――エルテス族の、さいごのクーリア。……ねえ、みて、
ふと、目の前の画面が強く光る。
それを見ろと言われたようで、上面を仰ぐような姿勢になっていた椋は、目前へ視線を戻した。
もう一度、二度、三度と画面が――と言っていいのか、彼の目の前の一面が明滅する。その一面だけを他の五面と断絶させるように、チカチカと、五度、六度。
そうしてようやく明滅が終わったと思った瞬間、全画面で映し出されたものは。
「!?」
それは、知らない「どこか」のおそらく過去だろう景色、ではない。
なぜなら、中心にいる人物の顔を椋は知っている。しかも一人だけではなく、そのまわりで動き回る人たち、動かぬよう守られようとしているひとたち――見覚えのある顔が、たくさんある。
画面のなかでは、すべてが壊れていた。
まるで大地震の直後のように、あらゆる建物が崩壊していた。
ああ、いや、違う、ちがうのか。後頭部を殴られたような、冷たいしびれ感に吐き気すら覚えながら椋は見る。見続ける。
なぜならそれらの崩壊は、ある一点が中心になっていた。強い破壊の力に、すべてが抉れ、捥げて外れ、あらぬ方向へと、へし折られていた。
どれだけ深く抉れているのか、見せられているだけでは到底想像がつかない。
カメラがズームするように、中心へと視点が寄っていく。
椋はただ見せられるがままである。上から見下ろす、その凹みには、まるで内側から爆ぜたような血痕と、何か、服の断片のようなもの、そして、
そして。
「……え、」
ひどく、捻じれ、
拉げた――――王冠。
「……っ!?」
理解と同時、視界が真っ暗になるほど猛烈な嘔気が椋を襲う。
思わず椋は口元を覆った。最初に映った「知っている顔ぶれ」、それはさっき、パーティーの間に無理やり顔合わせをさせられた他国の王たちだった。
椋の、一応の上司であるエクストリー国王アノイもいた。誰かは怪我をしているようにも見えた、誰もが先ほどとはまるで違う、ひどく余裕のない険しい表情を浮かべていた。
そして、無惨に躙られた王冠。
中心となりうる、位置にいる人間。
――たすけて、
どうやって。
あの映像のなかで、おそらく命を落としていたのは――
――あなたは、変えられる?




