P3-48 躍るものたち
時間軸を、少しばかり遡る。
エクストリー王国エリア、カーゼットの一角。ここでは引き続き、パーティーの華やかさとはおおよそ無縁な、喧々諤々(けんけんがくがく)の論争と実験が繰り広げられていた。
今は、夜の一時休戦中である。
顔を合わせているとぜったいに続いてしまうからと、レニティアスの術師ふたりは別部屋に隔離である。
出された料理をむさぼり食いながらも、ヘイの目線は今も続く実験に固定されていた。
じいと逸らさぬ双眸は、若干ならず据わっている。
壊れない、変わらない、影響がない。
たとえ影響があるとしても、少なくとも数回程度の使用なら、ほとんど無視できるくらいに小さいものでなければならない……。
「今頃どうなっているだろうな、彼は」
のんびりと、ただ面白がるだけの声がする。
ちらりと横目で一瞥するリーもまた、目線は実験物に固定したままだ。申し訳程度にスープを口にしながら、意識のおおよそすべてが眼前の実験へ向いている。
フン、とヘイは鼻を鳴らした。決まっている、どうせ大騒ぎになっている。
こちらが何を想定しようが、どうせ奴の現実は、常に想像なんぞとんでもない方向に飛び越えてくる。
「いいじゃないか、想像するくらいのことは」
不機嫌を見透かしたようにリーが笑った。与太話の間にも実験は進んでいる。
肉の塊をまたひとつヘイは乱雑に口腔へ放り込んで咀嚼した。
微塵になっていくそれとは違い、少なくとも目の前にあるものの外見は、特に何の変化も起こっていない。
その不変に、ヘイはわずかに目を眇めた。
「ンな暇あンなら、さっさとこっち仕上げてくれ、だろうよ、アイツぁ」
「ノリが悪いな、ヘイ。まあ実際、誰との浮かれた話もあり得ないだろうけれどね、リョウ君は」
「そもそもあのヒメサマが、護衛つッて張ッ付いてる時点で無理だろ」
「はは。凡庸の深窓のご令嬢程度、まともな色目など使える暇がないだろうね」
適当な言葉を交わしながら、それでも目線はそらさない。
ついでに食事の手も止めない。テーブル上の食べ物は順調に――というには若干ならず語弊のある高速で消えていく。
ふと、実験の本体からわずかにリーの視線がずれる。
ずれた先で、描き出されつつあるものを見て、唇が楽しげな弧を描く。
いま二人は、いくつかの実験を同時に行っていた。
「ふたつめ」は、この実験物のすぐ傍らにある、盤の上で描き出されつつある図面だった。
「……おもしろい」
トレイズ・カツキ両名が、「探索の術式」の説明においてしきりに口にする「魔素吸収率」。
この盤は、その絶対的主観に基づく曖昧さを、第三者にも理解できる形で可視化するために作りだしたものだった。
魔素が完全に吸収されるときを100、全く吸収されない状態を0として吸収率を百等分し。
まあ、適当に0から10は黒、10から30を青、31から50を緑、51から75を黄色、76以上を赤としてみたわけだが――。
「この世の理、というより、からくりを二つも三つも飛び越えているような気分だな」
「はッ。いつカミサマからの天罰が下るかねェ、まったく楽しみなモンだ」
笑う罰当たりたちの目前では、いっそ見事な断面図が、じりじりと出来上がっていきつつあった。
今、彼らが実験に使用しているのは「脚」だった。
「皮」に「肉」に「腱」に「骨」。むろん「本物」の緻密には到底及ばないが、それを縦に、横に割った図が、盤面には半分ほど描き出されてきていた。
もちろんこの後、実際に割るための準備はすでに万端である。
みだりな身体の損壊を禁ずる。メルヴェの教えの一節にはある。
なぜなら我らは皆等しく、神の御手より生まれた造形物であるのだから、と――。
「さてこんなんが入り込んでりゃ、傷もつけねェで、どうしろってェ言うかねェ」
そして今完成しつつある図の内側には、数か所、不自然に黒く抜けた部位がある。
それもまた、ヘイとリーが行っている実験のひとつであった。
埋められているのは人工物である。
ついでに言うなら、簡単な、「遠隔で呪いが仕掛けられる程度の無機物」である。
むろん本来のレジュナ【傀儡】にはない不純物だ。不要な人工物だ。
だからこそ、大きさも形状もさまざまに、この「脚」には深く埋め込んであった。
それらの魔素吸収率が、ゼロであることは予め確認済み。
つまり現在のこの「脚」は、異常に侵された状態である、わけだ。
「まあ天罰など下されずとも、そもそも私もきみも、間違っても天国には行けないだろうがね」
言いさしてスープのカップを置き、リーは立ち上がる。
のんびりした所作で実験物のすぐ前まで足を進め、おもむろに一本の棒きれを手に取ると、彼女はそれを無造作に実験対象へ突き出した。
あまりの適当ゆえに、それはまともに「皮」も通らなかった。ただずるりと表層を滑り、転がっただけだった。
さらに罰すべき罪状が増えそうな杜撰の行為に、思わずヘイは噴き出した。
「はっは! ンなどォ考えたってつまんねェ場所、最初ッから俺ァ願い下げだよ」
「そうだな。君はそうだろうな」
「あァ、なんだ? 誘滅の狂踊師サマともあろうモンが、今更地獄が怖くなったッてか?」
「いや? まさか。ただ、ずいぶん遠いものになったなと思ってね」
とん、とん。今度はすぐ横の図を見ながら、リーは「脚」を棒きれでつつく。
そのたびに図は縦横にぶれ、じりじりじわりと再構成された。棒きれの先端が図のどの部分に位置するのか、狙うべきものが、棒の直線上にあるか。数回の動作で確認し、そうして、くるりと棒きれを上下逆にして、――今度こそ、一息にぐさりと突き刺した。
わずかにも顔色は変えずに。
また図面がぐにゃりといびつにぶれた、次には、画面上では黒(棒きれ)に、黒(呪い)が串刺しにされていた。
「おかしな話だよ。彼は、殺してくれると言ったのに」
「別にまともに取り合ってたワケでもねェだろうよ」
「男は有言実行というじゃないか」
「知るか、リョウに言え」
ヘイが肩をすくめて見せれば、「脚」の串刺しを手にしたまま、ひどく愉快そうにリーは笑った。
見た目の精緻も相俟って、常人が目にすれば卒倒しかねない光景である。
しかし生憎この場の人間は、ふたりとも異常者で破壊者だった。
ともすれば、感謝しろ、とまで思っている。
「今」、まともな感覚を持つあの若いこの国の術師ふたりを追い出した間を縫ってだけ、このような実験をするようにしてやっていることに対して。
ちらりと、壊れた視線ふたつが交錯する。
瞬間、ヘイは特に何の感情もなく淡々と「脚」へと鉈を振るった。ばくりと意図の通り、振るい終わりには「脚」は輪切りになる。
そうして実際に、二人の目の前に現れた断面では。
「想定よりもかなりズレたな。やはり一面では奥行きがわからない」
「少なくとも二方向、三方向同時で確認しねェと、ただやみくもに内側ブッ壊すだけのモンにしかならねェなこりゃア」
断面(現実)では。
深々と埋まったままの異物が、わずかにも欠けずに、そのままあった。
しかし同時に「脚」には、今も深々、棒きれが突き刺さっている。結果としては「傷」だけが増え、「痛み」だけが増え、異物を潰すどころか、削ることさえもできなかった、ということになる。
楽しめど懼れぬ研究者たちは、笑って次の試行に向け首をひねった。
こんな魔術の使い方、だれも、考えたこともなかった。そもそもそんなもの、今までこの世界には必要ない――なかったと、少なくとも二人が思える程度には、魔術は万能であったはずだった。
何かが起きている。
誘われるように、――試そうとするかのように。
だがそんなところは、崇高な目的やらなにやらなど依頼者へ丸投げだ。ただ、ヘイは、そしてリーは思考する、検案し行動する。
高尚な理想のためではなく、だれか他人のためでもなく。
ただただ、すべての限界をおのれらの思考で超えるために。
挑戦を止めない。止める理由もない。
互いに昔と比べるまでもなく、あまりにも制限は多く面倒に絡み合い、けれど、だからこそなによりおもしろい。
それを与えてくるものこそ、なにより稀有に、もろく、失いがたい――。
「……失礼します!!」
「!」
ノックもあったかないか程度、耳が痛くなるような轟音とともに扉が開いた。
明らかに楽しくなさそうな闖入者に、チッとヘイは舌打ちした。僅かに眉間にしわを寄せたリーが「脚」の輪切りを不可視化する。一瞬にして、ヘイたちの行っていた「実験」は、二人以外の誰にも一切不明なシロモノになった。
ドアを半ば蹴破って来たのは、リョウの護衛のひとりとして会場外で控えているはずの義手の少年だった。
今日は、入ってこないはずの面倒の目だった。
だからこそヘイたちとて「今」この実験を試みていたわけで――だが口をついて出そうになった文句は、相手の表情を見た瞬間に感情としての温度を失った。開いた瞬間に室内を見回した少年の目が、悄然とひび割れたからだ。
「そんなに急いで、どうした。ジュペス君」
どう見ても異常事態としか思えない相手のさまに、さすがにリーの問いかける声も少し揺れた。
ぐっと奥歯を噛み締めた少年――ジュペス・アイオードは、呻くように、言葉を絞り出した。
「リョウさんが、」
それはこの時間、魑魅魍魎の坩堝に放り込まれているはずの人間の名前。
こことは違う響きを持つ、誰とも同じになれない彼の。
「リョウさんが、いなくなったと」
リョウがいなくなった。
リョウが、いなく、……あのリョウがここから今こんな夜更けの時間にいなくなった?
「……は?」
まだ。
今日という変化の日は、終わりには向かわない。




