P3-47 踊り踊レ 3
自身が後ずさりしていたことに、カリアに服の裾をつかまれて初めて椋は気付いた。
背筋が冷えている。指先の感覚が鈍い。いやだ、また否定される未来しか見えない、二度と、絶対に受けたくない完全否定の感覚――。
凍り付く椋などいざ知らず、へらりと知らない女性のほうが笑った。
「初めまして~、アノイロクス王の唯一のヴァルマス【劔】、リョウ・ミナセ君。あたしはオルトリエ・ヘールヴェイ。いまはリクスフレイ様のご案内役で、ん~とまあ、カリアちゃんのご親戚だぁね」
間延びした声が、椋の意識を上滑りしていく。
挨拶を返す、どころか、声を言葉として認識することすらうまくできない。
今すぐ椋は逃げたかった。違うと言われるのはいい、なんでだ、おかしいと言われるのも仕方がない。けれどあの目にもう一度、見据えられるのだけは嫌だった。
椋という存在そのものを否定するような。
どうしてここにいるのだと、答えがあるわけもない問いを改めて突き付けられるかのような。
それでも、カリアがつかまえているから、椋はここから逃げられない。
木偶の坊と化す椋に代わり、カリアがふたりへ尋ねた。
「オリエ、どういうこと? なぜリクスフレイ様を、あなたひとりで、こんな場所にまで」
「ごめんなさい、わたしの我儘よ。もう一度、どうしても確かめておきたかったから」
彼女が、リクスフレイが一歩椋たちへと向かって進み出た。
思わずびくつく椋をまっすぐ見据え、そしてリクスはおもむろに、その顔の大半を覆う眼帯の結び目に手をかけ、ほどいた。
「リクスさま!?」
カリアがあげた悲鳴の大きさで。
それがたぶん、滅多にない、どころか、基本的にあり得ないくらいのことなのだとわかった。
椋が構える暇もないまま、改めて、真っ向からリクスフレイと視線が合う。眼帯の下にあったのは、一度見たら忘れられなくなるような、ひどく不思議な、異質な彩だった。
それはあまりに、目と呼ぶには透明だった。
透明で、同時に、ありとあらゆる色彩を宿していた。まるでプリズムをそのままはめ込んだかのように、夜の庭の遠い灯りにもあらゆる光を弾いて、虹色を描いていた。
次々不規則に様々な色をひらめかせながら、
彼女のそのこわい色彩は、じっと、まっすぐに椋を、みていた。
少しでも何か、見透かそうとするように彼女は目を眇める。
ついさっき手を取られたときと同じか、それ以上の悪寒が背筋を走る。走って、抜けずにぐちゃぐちゃ回転するような不快感に吐き気がする。
それでも動くわけにもいかず、椋は立ち尽くすしかない。
無言の相対は、果たしてどれくらいの時間だったのか。
彼女が小さく笑ったことで、唐突にそれは終わりを告げた。
「やはり、この目にはほんとうに、あなたは、何も見えないのね」
楽しげにすら聞こえる声で、やはり、椋にはまったくわからないことをリクスフレイは言った。
言葉の内容自体はそこまで変わっていない気がするのに、彼女が笑顔であるせいか、広間のときのような完全否定の要素は感じなかった。けれど先ほどとはまた別の意味で椋は反応に困る。
「何もかも見通す」人が、おそらく「その力をおさえる」ための道具も外して椋を「見よう」とする、それでも、何も見えない、という。
椋には、その意味することがどうしても分からない。
混乱する椋に続いて向く、リクスフレイの声は穏やかだった。
「異なりの方。黒の異者。わたしにあなたの未来は見えない。ひとかけらの先さえ、透かすことは、私にはできない。それはほかの、誰も手にできぬ可能性です。みえぬ、とらえられぬあなたは、すでに定められたすべてを覆す、ただひとつの、致命的な欠落となりうる」
「……」
「それはきっと、彼女にとっても」
「……リクスさま?」
ふわりと視線をカリアにも向ける。その表情は何かとてもほほえましいものを見るようで、カリアからの呼称も含めて、きっと以前から親交があるのだろうと椋は思った。
しかし彼が、すこしほのぼのする暇もない。
また椋へ向けて戻される双眸は、鋭く、同時に痛みをこらえるような色をつぎつぎに弾いていた。
「お戻りなさい。今日もまた、ことはこれから起こる」
「えっ?」
「わたしはただ、見ることしかできない。あらゆる先に、おびえ、おそれ、忌避し手を打ち掃うことはおろか、わずか、触れることすらできない。……だから、どうか、あの方から劔と呼ばれる朝闇のあなたよ。この願いを、聞き届けてはもらえませんか」
今、……このひとは、何と言った?
顔を見合わせたカリアも、リクスフレイをここへ連れてきたオリエという女性も顔をこわばらせていた。
「リクスさま、それは、」
「……」
首を緩く横に振る彼女は、もう二度とは、同じことは口にしない、ようだった。
しかし確かに椋たちは聞いた。この国で誰より強い先見の力を持つ彼女が、今夜、この夜に、まだ、なにかが起こると、そう言った。
凍り付きかけた思考の端で、ぎしりと薄氷が軋む幻聴がする。
いったい、どこで。
だれに、なにが。
その予言を、疑うことはきっと誰にもできないだろう、できるはずが、ないだろう。
だが、なぜそれを今ここで、他の誰でもなく、レニティアスのものでもない椋に伝えてこようとする?
動けないというリクスフレイが、椋に願う。
椋が、その目に何も見えないという。可能性だともいう。
本来はここにはありえないはずのものだと、確かにあのとき、言った。
持てているものなど、本当に少ししかないはずの水瀬椋という男を。
ぐっと改めて両拳を握り、その、特別だという目に椋は問いかけた。
「ひとつだけ、教えてください。……あなたの目に、俺はどう見えているんですか」
思考する、わずかの沈黙、
「なにも」
返される言葉はただ静か。
ここでない、行くべき所へゆけと伝えてくるように。
「皆人の言う無明の闇とは、きっと、あなたのことなのでしょう」




