P3-46 踊り踊レ 2
しみる夜気が体に優しい。
ひんやりしたベンチに座り込んでしまいながら、ぐったりと椋は天を仰いだ。
「……もう戻りたくない帰りたい……」
口を開けば、どこの駄々っ子だと椋自身ツッコみたくなるような声が出る。
頭上から、くすりと小さく笑う声がした。そっと、月の光をはじいてきらきらする小さなグラスが差し出される。
「ひとまず、おつかれさま、リョウ」
振り仰げば、青いグラスを二つ持ったお姫様が椋を見下ろしている。
どこか楽しげな瞳の色は、椋の知る通りのやわらかな、透明度の高い金色だ。
室内のような明るさのない外でも、整った目鼻立ちは白く浮かび上がるようだった。複雑に結い上げられている銀色の髪など、揺れる外灯に照らされて、彼女をかざるための最高級の冠のようにも見える。
月を背にする、お姫様。
完璧に、ドレスアップした姿の彼女、カリアスリュート・アイゼンシュレイム・ラピリシアという女の子。
精緻な輪郭は、月光に縁どられてやわらかくひかっている。
背中に羽がないことが、不思議になってくる。それこそ今椋に向かって差し出されているそのグラスには、何か、彼女の魔法がかかっていたりしないか。
妖精のお姫様って、こんなだろうか。
少女は、ひっそりそんな風に椋が思ってしまうくらいの輝きを放って見える。
……などと。思ってしまうことに、小さく椋は笑う。
ああ、うん、きっと、見蕩れてたやつなんて山のようにいた。
生憎、彼には有象無象に割ける余裕が一切なかったわけだが。
ひとつ息をついて、差し出されるグラスを受け取る。
「ありがとう。カリアも。……なあ、なんだったんだよあれ。最初から最後まで全部怖すぎて、俺、正直半分くらい意識飛んでたんだけど」
会場で、椋がいるなかで起こった、すべての事象。
目の前に立ちふさがる異常事態の山。椋の思考は最初からパンクした。今パーティー会場の光景を思い返そうとしても、椋の頭に浮かぶ印象は、王様六人と、あの、怖い「眼」だけしかない。
くすりと小さくカリアが笑った。
「そうね。すごくがんばったと思うわ、リョウは」
「まぁうん」
相変わらず、どこかカリアは楽しげに見える。頑張った、確かに椋は頑張った、……が。
なんとも言えない感覚のまま、受け取ったグラスを手元でくるりと回す。青いグラスなのかと思えば、グラス自体は透明で、その中身自体が不思議な淡い青色をしていた。椋が知らないものだ。
上やら下やら左右やら。あちこちから角度を変えて眺めてみようとする椋に、やっぱりカリアは楽しげなほほえみを浮かべている。
これがただのパーティーで、カリアが椋の世話係でなかったなら。
きっとこのお姫様は今も、あの広間で耳目を集め続け、ありとあらゆる賛辞を一身に受けていたんだろう。
「……っえ、わ、なんだこれ」
それ以上考えるのも面倒で、ふいと一気に中身をあおった、瞬間。
椋の鼻先で、ぱちっと淡い黄色いひかりが弾けた。淡い炭酸が舌先で転がり、さわやかに甘い、オレンジとリンゴとパイナップルを絶妙に混ぜ合わせたような味がのどに落ちていく。
予想外の未知の感覚に驚愕する。グラスにまだ半分ほど残った液体は相変わらず青い。
椋の反応が予測の通りだったのだろう。ころころと、さらに楽しげにカリアが笑う。椋の隣に腰を掛け、彼女自身の青に、そっと口をつける。
「シュラン・ティニっていうのよ。このあたりでしか取れない、ミュランって果実から作る発泡酒なの」
「へえ。……カリアこれ、俺の反応見たくて持ってきたな?」
「そうね。あなた、好きかなと思って。ちょっと変わっていて、おもしろいでしょう?」
あっさり肯定して、ちらりと微笑んで、慣れた様子でカリアはグラスを傾ける。
そんな彼女は頭のてっぺんからつま先まで、どの角度から見ても完璧な、ひかり輝くお姫様だ。そして同時に、椋が知るままの、カリアというひとりの少女でもあった。
椋の視線に気が付いて、見返してくる瞳にはいたずらめいた色彩が宿っている。
面白がられている。まあ、仕方ないか、とも思う。
いつもと変わらない、なんてことのないやり取りが、やっと、ひと息をつかせてくれる。
それでもまだ、人目が完全になくなったわけではない。
なんとなくの狭苦しさ、だれかの視線、意識がこっちを向いているような感覚が今もある。
もう帰りたい、冒頭と同じ内容を胸中でぼやきつつ、椋はくらい星空を見上げた。
「……なんか、ごめんな」
「?」
「予想はしてたつもりだけど、やっぱり、全然ぜんぶめちゃくちゃだった」
「そうね。私も正直、何に一番驚いたのかもよくわからないくらいだったわ」
「というか王様ってみんなああなの?」
「みんな、じゃないけど、……少なくとも陛下が「同志」とお呼びになる方々は、基本的にそう考えておいたほうが、その、あなたが疲れないんじゃないかしらね」
「ええぇ……??」
いいのかそれ。
思わず入れそうになったツッコミはなんとなく飲み込んだ。よくないだろうし、それこそアノイは「当然だ」などと言い切りそうだ。しれっと断言するその顔まで容易に想像がついてしまう。
そもそもそんな王様でなければ、椋は今こんな場所で疲弊していない。
気になることは山ほどあるのに、さらに思考がもやつくような、答えのない疑問が増えてしまった。
「……あのさ、カリア」
「なに?」
「あの、」
――触れられる、声が、おとが響く。
とにかく異常な時間の中でも、どれよりもあの瞬間が椋はおそろしかった。
自分がそうなっていた、あのとき、カリアには、果たして椋がどう見えていたのだろう。
少なくとも椋よりは、カリアのほうが、あの女性のことも知っているだろう。そんな彼女に、あの場面は、あのときの椋と、あのひとのやりとりは、どんな風に映っていたのだろう。
おまえは異物だ、ありえないはずのものだ、と。
そう告げられたような、断言されたような。
とても嫌な感覚が、頭からこびりついて離れない。
水瀬椋が「何」なのか。そんなもの椋自身わからない。この突然迷い込んでしまった世界の中で、何ができるのか、何ができないのか、なにをしていいのか、……本当なら、何をすべきでないのか。
今、こうして彼女の隣にいることさえも。
感情は混沌に渦を巻き、口を開いたはいいがまともな言葉にならない。結局何も言えずに押し黙ってしまう椋の手に、滑らかなレースの手袋の感触が重なった。
思わず顔を上げた先には、ひどく真剣な金色の瞳があった。
「……カリア?」
「ごめんなさい。なんて言ってあげたらいいかわからない」
迷うように、ふっと、彼女が目を伏せる。
「きっとこれからのあなたは、今よりもっと、他からの特別の目に曝される。あなたがいかに特異なものか、あれだけ、はっきり見せつけたのだもの。私も、陛下も、……リクスフレイ様さえも」
じり、とまた腹の奥で感覚が渦をまいた。
言葉を待っていれば、彼女はもう一度まっすぐに椋を見上げた。手を握る指先の力を、少しだけ強めて椋の名を呼ぶ。
「リョウ、あの方はね、私たちと、文字通り、見ている世界が異なる方よ。一切の、建前は意味をなさない。誰の、何の、わずかの邪念も、濁りも、澱みも、邪念、妄執、そういうものを、すべて見通される、見ることが、できてしまう方だから」
「うんうん。だからきみに御自ら、手を伸ばして触れる、なぁんて、つまりはあたしたちにとってみれば、まさぁに驚天動地の衝撃だったってことだぁねぇ」
パッと瞬間、お互いの手も体も離れた。
知らない声に思わず向いた目線の先から、現れた人影に、ぎょっと椋は目を見開いた。
なぜなら人影はふたつ、ひとりは知らない、やたら語尾が間延びした女性と、そして、
「オリエ、……リクスフレイ様!?」
「ごめんねぇ、せっかくの二人の時間中に。ただぁね、今を逃しちゃうと、きっと、もうないって、どうしてもねぇ」
まるで椋を咎めるような。
強すぎる色の、眼帯姿。




