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未来は見果てぬ旅路の先  作者: 彩守るせろ
第一節 変化の来訪/不持の青年
17/189

P16 観察と考察と苦悩4



 今日も今日とて、只者ではない人間として凡人は生きる。

 それが自分の不完全を、どこまでも明示する結果にしかならないことを知りながら。





「【力よ転じ、彼の礎となれ】」


 すらすらと魔術を発動すべく、術式を構築するヨルドの声を聞きながら椋は考えていた。昨日の祈道士・アルセラに続き、今日は治癒術師のヨルドについてその治癒魔術を見学しているのである。

 今日も見学、しているのだが。自分のひどい未熟さについて、どうしようもない絶対的な不足について、少しでも時間があれば椋は、考えずにはいられなかった。

 本当に分かりやすい症例しか、診断をつけることができない。

 特定の所見から疾患を導き出す、そのための手順の踏み方がまったくと言っていいほど、わからない。

 昨日も今日も、実際の患者を目の前にありありと示される事実は、非情だ。


「よし、もう大丈夫だな。…次、入れてくれ!」


 己を襲う非情の波に、椋は打ちひしがれる暇もない。打ちひしがれる暇があるなら、何かを探せ、違いを見つけ出せと冷静冷徹な思考のかけらが言う。

 なにもできない、なにも分からない。

 そんな中でそれでも、自分が少しでもやれることを探し足掻くべく、椋は目線を目前へと据え続けなければならなかった。


「失礼、します…」


 ヨルドの指示に従い、受付役のようなことをしているらしい見習いが室内へと通した患者が彼の方へ向かってくる。

 昨日と今日で、わかったことは、気づいたことは確かにある。むろんそれはあくまでも椋の「考察」でしかなく具体的な証拠のある話ではない。事実と確定するにはまだあらゆるファクターの足りない、ただの仮説だ。

 しかしそんな仮説を昨日、別れ際にアルセラに述べたときの彼女の表情はしばし忘れられそうもないと、椋は思う。自分のその発見は気づきは、決して何もないところから椋ひとりの力によって導き出したものではないのに。

 曖昧で不完全な知識をフル回転させ、なおかつこの世界の創造主は絶対に、明確な理由とともにこの世界の医療を、癒しの手を持つ存在を二つに分けたのだという、半ば盲目的な決めつけあってこそ。

 昨日そして今日の椋は、目の前で展開される治癒魔術に理屈という付け焼刃を当てることが何とか、できているにすぎないのだ。


「…ん? どうした坊主、冴えない顔つきだな」

「!」


 不意に向けられた声に、はっと椋は顔を上げた。顔をあげた先では、先ほど入って来た患者の診療もまた終えたらしいヨルドが首をかしげ、じっと椋を見ていた。

 あいつがこの世界を作っている以上、その分類は決して学術論文並に難解なものではないだろうとも椋は思っていた。

 ある程度の知識は誰にでもある現代人なら、おそらく少しの説明があれば納得ができるような分類。それをあいつなりの考えで、この世界へ施したのだろうと椋は考えた。

 そしてそんな「簡単」な、医学的な分類として。

 おそらく誰でも思いつくだろう、椋の考えた推論は。


「いや。自分でも気持ち悪いくらい元気ですよ、俺は」

「そうか? どっか悪いんだったらすぐに言えよ、治してやるから」

「どうせ治してもらうなら、アルセラさんに頼みたいなあ」

「ちょっ。おいこら、それは色んな意味で聞き捨てならないぞー坊主」


 ―――外科と、内科。

 身体への侵襲(しんしゅう)より外から治療を行う方法と、薬剤などによって身体の内側から治療を行う、方法。

 二つの職はおそらくだが、その「いずれか」であるのだろうと実は、当初から椋は考えていた。

 無論それぞれの本物を見たことがなかった昨日までは、それはあくまでも椋個人の仮説でしかなかったの、だが。


「ま、患者もちょうど切れたしな。おまえも疲れてるみたいだし、少し休憩するとするか」


 ああほら、いつまでも突っ立ってないでそこのソファにでも座れ。サンドイッチ泥棒のときと同じく気楽な口調でかけられる声に、別に従わない理由もないので軽く頭を下げて椋はソファへと腰をかける。

 彼曰く特別製なのだという、一人掛けのいかにも座り心地のよさそうなソファの背もたれにどかりと体重を預けたヨルドは、薄く笑って椋へと問いかけて来た。


「リョウ。お前の目から見て、俺はどうだ」

「俺はそれにどう答えれば?」

「んー? 昨日おまえがあいつに言ったことは、俺もちゃあんと知ってるぞ」


 あそこまであいつが動揺してんの見るのは、短くない俺らの付き合いの中でも随分珍しかったなあ。どこか本心からのものとは思えない薄さの笑みを浮かべたまま、ヨルドは椋を見据えて言葉を紡ぐ。

 目前の彼の表情は、いわゆる「眼がまったく笑っていない」というやつだ。怖いくらいに真剣な琥珀色の瞳に、わずかにたじろぎそうになる自分を内心椋は全力で叱咤した。

 ここで逃げても、何にもならない。それでは何も変わらない。

 自分のできる唯一のことから、逃げないって決めて、それで俺は今ここにいるんだろうが―――。


「なあ、リョウ」

「なんですか」


 平坦な声がむしろ怖い。見定めようとする相手のその眼に、何かぞっとしないものが背筋を走る。

 表面では笑顔を浮かべたまま、何一つ変わらないような調子でヨルドは椋へと訊ねた。


「俺はやはり、お前の仮説でいうところの確か、外側、なのか?」


 感情ののらないその声と表情が、いったい何をこちらに期待しているのか椋には分からない。従ってまったく分からぬ椋は、ただ自分の感じる事実と思う事柄をそのまま相手へと述べるしか、ないのだ。

 彼の言葉に、こくりと椋は肯定の意を込め頷きを返した。


「そうだとしか、俺にはもう思えません。…さっき、あんたが毒物盛られた貴族に平気で自分の術使ってるの見て確信しました」


 先ほどここに運ばれてきたのは、とあるうら若き女性だった。

 顔面蒼白な両親そして召使たちに、うちのお抱え程度ではどうにもならないと、頼むから娘を助けてくれ、この子は二週間後にオルヴァ家への嫁入りを控えているんだと涙涙に嘆かれた、あとでヨルドに聞いたところによれば、それなりに位のある貴族のご令嬢だった。

 昼食ののち、徐々に他人への受け答えがおぼつかなくなり、最後には突然力なく気を失ってしまったのだという彼女。

 すぐにお家専属の祈道士が治療にあたったものの、彼女の目が覚めることはなく更には呼吸まで微弱になってきたことから、ヨルドを訪ねてきたということだった。


「なんで中毒を治すのに、術を普通に使っちゃならないんだ?」

「いや、だって」


 毒物を体内へ取り込んでしまった患者の、全身の血流が活性化したりしたらどうなるか。

 水にモノを溶かすとき、かき混ぜた方がずっと早く溶けてしまうのと根本は同じ理屈である。毒蛇にかまれたりしたとき、咬まれた部位より少し上を縛って血流の制限をする理由もまた同様だ。

 つらりと椋がそう述べれば、ああ、なるほどな、とヨルドは頷きそして、少し考えるように己の顎に手を当てた。


「そういやたしか、…中毒の可能性がある患者に対しては、基本術式じゃなく解毒の術式を、祈道士は最初にやるように教え込まれるって話を確か昔アルセラから聞いたことがある」

「え? そうなんですか」


 だとすると、治癒術師であるヨルドはともかくとしても、あの患者の家の祈道士というのは。

 皆まで言わせず、はっとどこか乾いた苦笑めいた笑いをヨルドは返してきた。


「まァ間違いなく、解毒の術式を別に組むのをサボったんだろうなあ。何せ祈道士の基本術式ってのは、扱うのはそう難しくないうえに万能だ。…で」


 そこで一度、ヨルドは言葉を切った。ニヤリとどこか、今度は妙に楽しげに椋に向かって彼は笑う。

 その表情は昨日目にした、アルセラが椋へと向けたものとは何かが確実に異なっていた。

 あちらが椋の指摘に愕然とする顔だったなら、こちらは椋の示すことに、驚きとともに感動めいた感覚でも抱いているかのような顔だ。


「そんな一方の俺は、他の患者とそう変わらない術式を彼女に対しても、使った。にもかかわらず、目に見えて彼女は回復し手足にも力が戻り、俺たちの目の前で無事に目を覚ました、と」

「はい」


 頷く。ヨルドは毒を消したのではない。…彼女の身体から強制的にすべての毒素を消去し、さらにその毒素の影響を受けた体の部位をも、術者として患者へそそぎ込む魔力で「正常」なものへと作り変えてしまったのである。

 無論この中毒の一例だけでは、ヨルドの扱う魔術の作用機序そのものを解明することはできない。治癒術師の魔術が「外側」だと椋がほぼ断定できるのは、今日だけでも何例も見た彼の「創傷治癒」ゆえだった。

 訓練中にかなりの深さまで足を切ってしまった人や、折れた腕の骨が皮膚を突き破ってしまった人、そのほか重度も様々な人々の怪我も今日、椋はヨルドの後ろで見てきた。

 昨日アルセラのもとで見た同じような症例の治療とは、その二つは似ているようでいて根本から違っていたのだ。


「それに俺は、怪我なんかで「欠け」の出来た部分を、自分の魔力を変化させたもので補填してる…だったか?」

「ええ。祈道士は、周囲の組織を活性化させることで怪我をした部位に新たな組織を作る…要するに普通に、自然に怪我が治る過程を魔術で加速させることによって怪我を治療していました。でも治癒術師の怪我の治療は、そうじゃない」

「なるほど。あいつらは周囲から借りて作ってるもんを、俺らはゼロから自分の力で作ってる、と。そういうことでいいのか?」

「まださすがに断定してしまうのは早すぎるんでしょうけど、少なくとも今現在の俺はそう思ってます。…ああ、あと、たぶん治癒術師の消費魔力がひどいっていうのも、そのあたりに原因があるんじゃないかと」


 祈道士の神霊術が内側、患者の本来持っているものをさらに活性化させることで効果を発揮するものなら。治癒術師の魔術というのは術者の魔力を、患者が苦しむ原因を取り除くものとして変化させ、患者へと送り込むものだ。

 それはつまり言ってしまえば、「魔術による外部魔素の移植」による欠乏諸因子の埋め合わせ、とも言える。

 そしてその、患者の欠乏諸因子をすべて、魔術により患者個人個人にぴったり合うよう完璧に創り上げなければならないことを考えれば。治癒術師の魔術が神霊術よりずっと、コストパフォーマンスが悪いことにも納得がいく。

 というのが、現在の椋が治癒術師云々に関して考えていることだった。


「なるほど、なあ」

「…おっさん?」


 妙に意味ありげに自分の顔を撫で、そして彼はまた思わせぶりに顔をうつむかせる。しかしただの若造の椋に、彼がその中に含ませている感情の意味など読みとれようはずもない。

 言ってくれなければ、分かるはずもない。今の仮説に対して彼が抱くのが快だろうが不快だろうが、この世界とズレた椋の意識の絶対差は、そうと声に出して指摘してもらわなければ決して埋められるめどすら立たない。

 従って他に何もできずに、ただ目前の男の次の言葉を行動を椋は静かに待った。

 くっと、どこか、必死に抑えようとする感じのある笑い声がしたのはそして、椋がたっぷり十秒ほどを沈黙の間で数えたときだった。


「…あー、あー。まったく、なあ、はっはは、なんてこった」


 そうして待った結果として、返ってきたのは笑い声だった。

 不意についっと、ヨルドが顔を上げてこちらを見てくる。まっすぐにこちらを見据え顔を押さえる手も離した彼の顔は、ひどく愉快そう、というよりも痛快そうな光をその目に宿して笑っていた。


「俺らが何年かかってもさっぱり分からなかったことに、たった二日でおそろしい考え突きつけてくれやがって」

「…はあ」


 口先では椋を非難しつつも、その実、声の調子やら目やらはどこまでも思いっきりヨルドは笑っている。一体何がそこまで楽しいのか分からない椋もまた、つられるように苦笑した。

 そもそも目前の彼と椋とを、単純に比較すること自体に色々と無理があるのだがそこは敢えて椋は言わない。誰もが当然と考え疑わないことに疑問を突き付ける、その難しさは椋としても、決して分からなくはないからだ。

 先ほどの仮説を出せたのは、この世界と自分の持つ根本としての世界が当たり前のようにどこまでも「ちがっている」からだ。ある程度絶対的に違っているものとして、本来椋たちの日暮らす世界ではありえない出来事をものをひとを流れを描くため、作られた世界であることを椋が知っているからだ。

 椋がかれらの違いを指摘できたのは、結局は差異の存在とその意義の実在を、絶対のものと決めてかかっていたからだ。

 他のどんな作り手でもない、自分という幼馴染を持つ水倉礼人という男は、

 絶対にその部分に適当に、無意味に役割を二つにふるなどありえない、と。


「ヨルド」

「ん?」


 そこまで椋が考えたとき、不意に室内の沈黙を外側からの声がさらりと破った。

 閉じたドアの向こうからの声が、気取らず気安げに彼の名を呼び捨てるのを椋は耳にした。何か椋に向けようとしていたらしい言葉をとじて、ヨルドはドアの方へと視線を向ける。

 椋も彼にならってそちらへ目を向ければ、先ほどと同じ声は更に中へ、彼へと入室の伺いを立ててきた。


「ヨルド、今大丈夫かしら」


 それは澄んで凛とした、女性というより少女、と形容するほうが似合う声だった。キンキン高いわけでもなく自然に通りが良いその声には、しかしなぜか聞き覚えがあるような気がする。

 だがここがあのクラリオン近辺だというならともかく、今の椋がいるのは宮廷直属の治癒術師であるヨルドの施術室だ。

 まずありえないはずの感覚に内心首をかしげる椋をよそに、外にいるのが誰なのかわかったらしいヨルドは、応の返答を彼女へと返す。


「ああ。ちょうど患者も途切れたところだ、ニースか?」

「ええ、お願い」


 ニース? …人の名前?

 かつっと何か、ビー玉が軽く頭に当たるような感覚がした。しかしその小さな衝撃は、椋に違和感と既視感の正体を詳らかにするには至らない。

 結局訳の分からなさだけがいや増してしまい、ううむと更に椋が首をひねっているうちにがちゃりとドアが開いた。


「失礼します。ヨルド様」

「こんにちは、しばらくぶりねヨルド、…っ!?」

「へっ?」


 光景を目にした瞬間、ほぼ無意識で変な声が口をついて出た。中に入ってきたのは、黒と銀をベースにした軍服をピシリと一ミリの隙もなく着こなした黒ぶち眼鏡の青年、と。

 そして。


「か…り、あ?」


 まったくもって予想だにしていなかった綺麗な金と銀の色に、半ばぽかんとしながらその名を椋は、呼んだ。




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