P3-42 誰が踊る
そのふたりが場に足を踏み入れた瞬間、一斉に広間の空気が動いた。
オルトリエ・ヘールヴェイもまた、流れに逆らわずそちらへ視線を向けた。眺めやり、視界に入ったものに、その輝きの強さに、思わず目を見開いた。
そこにいたのは、しろがねの姫君と、黒の青年だった。
息をのむほど美しい金と銀の令嬢の手を、夜の天蓋から切り取ってきたような黒の髪と瞳の青年が取り、ゆっくりと中心へ進んでゆく。
若い、ういういしい一対だった。黒の青年は大変な緊張ぶり、リードが大層ぎこちない。一方の令嬢は悠然と堂々たる立ち姿で、一斉に集中した視線にも、小動もせず、微笑みすら浮かべて青年を見つめている。
オリエは思わず両手で口許をおおった。叫びだしたくなる衝動を必死に堪える。うそ、小さく呟く誰やらの声が聞こえた。違う、いや違うわけもない、間違えるはずもない。この場に列席する金と銀に黒。そのような色彩を持つ国は、エクストリー以外にありえない――。
カリアちゃん。
わからないのはもう本人だけだろう変化の理由が、この一瞬だけでも簡単に見て取れる。
「なるほど。オリエが騒ぐわけだなあ」
「そぉでしょぉ?」
傍らの夫、バークシー・ヘールヴェイののんびりした言葉にオリエは笑う。
うんうん、と人の良い顔で彼はうなずく。世の汚いことなど何も知らなそうな風体で、彼は「黒」がこの場に姿を現すとうわさが広がる前から、このパーティーへの参加を決めていた。
直感的に、最適解を導き出し実行する。
バークシーの力に、これまでにも幾度となくオリエは助けられてきた。今日もまた然り。ここまできらきらした「答え」、見逃したらとんでもなく後悔する。
一国の王女と言われれば、誰もが信じてしまうほどの美しい「姫君」がそこにいた。
特に近い年頃の、いわゆる結婚適齢期の子息令嬢はみな一様に絶句している。信じられないのか、はたまた、信じたくない、のか……。
見る目なぁい、オリエは内心でつぶやいて笑った。
今の彼女に「氷の荊姫」だの「人形姫」だの、誰も言えるわけがない。さんざんに彼ら彼女らが積みかさねてきた不愉快な揶揄は、今この瞬間、完全に過去のものになった。
銀白の糸で細やかな刺繍が施された、美しいマーメイドラインの白いドレス。肩から背中にかけてざっくり開いたデザインだが、その凛とした立ち居振舞いのせいか、決して淫靡な印象は与えない。
首元には光を編んだような、繊細な金の鎖と透明の宝石を幾重にもつらね、瀟洒なレースの手袋に包まれた腕はしなやかだ。輝く長い銀髪は複雑に結い上げられ、大輪の白百合と真珠の髪飾りも上品に美しい。それ自体が、最高級の冠のようだった。
しみひとつない、透き通るように白い肌に、あえかな紅をさした薄い唇、凜と通った鼻筋、透明度の高い、まっすぐな金色のひとみ。
内側から光り輝くような美貌とは、まさに今の彼女を指す言葉であろう。
バークシーがしみじみと言う。
「綺麗になったなあ」
「ほんとぉにねぇ」
「一年前のあの子とは、まるで別人みたいだなあ」
「そぉなんだよねぇ」
きれいだと、ある意味はじめてオリエは思った。思えることが、奇跡のようだとも思った。
そっと青年の腕を取り、自然に自分と絡ませる。彼女は、間違いなくこの場の誰より眩く美しかった。
一度はほとんど、心を閉ざしてしまったと聞いていた。
けれど今、オリエの前で、カリアスリュート・アイゼンシュレイム・ラピリシアが、堂々と美しく咲いている。一切の無駄な気負いなく、凜然と、「彼」の隣に並び立つ。
ここまで見せつけられてしまっては、いったい誰が、その光の理由を疑えよう。
彼女のとなりの青年は、ただ見比べればひどく凡庸だ。頑張って背伸びをしているのがオリエにもわかるし、上等の衣服に着られているように見える。
けれど、彼こそ、あの黒の青年こそ。
どこにもほんとうになにもない、この不可解にすぎる「異分子」こそが、カリアスリュート・アイゼンシュレイム・ラピリシアという少女を変えたのだ。
「陛下へのご挨拶が終わったら、行くかい?」
「んん、ぜひ。カレとも、やっぱりねぇ、一度は話してみたいと思ってたんだよねえ」
集中し続ける視線の先で、ふたりはまっすぐに場の主、レニティアス国王セルクレイドの御許へと進む。
ちょっと青年が躓きかけたのは、見ないふりを決め込むことにした。これはただの咳払いである、笑ってなどいない。
「お初にお目にかかります、セルクレイド・ラディエル・ヴィエ・レニティアス陛下。エクストリー王国より参りました、リョウ・ミナセと申します。本日はこのような場にお招きいただき、大変ありがとうございます」
御前にてふたりはそろって腰を折り、まず、黒の青年が名乗った。
いい声だ、オリエは思う。わずかに語尾が震えてはいたが、ちゃんと芯が通っている。このあたりでは聞かない響きが、その黒色によく似合う
実は「お初」ではないことは、オリエ含むごく一部の腹心のみぞ知る茶目っ気あふれる事実。凡庸と侮られがちな見た目とは裏腹に、彼女らの戴く王はたいへんにしたたかな切れ者なのだ。
続いてカリアも挨拶を述べた。
「カリアスリュート・アイゼンシュレイム・ラピリシア、お招きいただき、まかりこしました」
それはエクストリー王国の筆頭貴族の名である。エクストリーで指折りの、若き焔の魔術師の名である。
彼女が自ら名乗ってようやく、現実に気づいた間抜けもいた。
ざわめきのうち、セルクレイドは鷹揚に笑った。
「よく来てくれた。あわただしい中ではあるが、楽しんでいってくれ」
そこまでは誰もが想定した通り。
だが次の瞬間、凡庸の線は崩れ落ちた――小さく、セルクレイドの後方で声があがったのだ。
「……え?」
思わずオリエは目をひらいた。彼女は己の目を疑った。動いたのは、確かな動きを彼女が見たのは、常ならばまだ、こんな頃合いには決して動くはずがない紗だった。
それは、いかなるものをも透し、破る彼の方のためのもの。
俗世とそちらとを隔絶し、明確な区切りとするための。
「……、」
まだオリエ以外のほとんど誰も気づかない。彼女の視界の先で、細く白い、レースの瀟洒な手袋に覆われた手が紗をあげる。
誰に促されるでもなく、ひかれるでもなく、御自ら前へと一歩を踏み出す。そこでようやく気づいて慌てて手を伸ばそうとする側近たちをよそに、「彼女」の御目は、ただ一点のみに向けられていた。
遠目でも、はっきりとその意思がわかった。
その存在に、気づいた青年が黒い瞳を瞠る。隔てを抜けて姿を現したのは、ひどく華奢な、風が吹けば折れそうなほどに細身の人物だった。
セルドラピオン、細い、悲鳴のようなささやきがさざ波になる。
ああなるほど、あなたの御「眼」にすら、彼は異質に映るということなのか――
目前の舞台では、驚愕は一瞬に収めたセルクレイドが「彼女」を青年へ紹介しはじめようとしていた。




