P3-41 守りたるために
鏡越しの自分の姿が、少しずつ、よそおいに満ちていく。
カリアスリュート・アイゼンシュレイム・ラピリシアという少女にとって、それは決して珍しくはない光景だった。
己の身分に相応しく自らを飾り立て、社交の場に参加する。好きにはなれないが、逃げる理由も、意味もないものだった。虚飾に満ちた空間は、目に見える武器を禁じられた戦場である。
カリアの今夜の役目は、その戦場に放り込まれる爆弾を守ることだった。
何も起きないなんて、誰も思っていない。
さきほど彼へ伝えた言葉は、偽りないカリアの本音だ。残念ながらただの事実でもあるだろう。可能な限りの手回しは既に行われているが、なにしろ彼は、他の誰でもないリョウ・ミナセである。
付け焼刃の特訓に悲鳴を上げていた、情けない顔を思い出してくすりとカリアは笑う。
楽しいだけでは済まないだろうが、退屈や倦怠とは、絶対に無縁だという確信があった。
「……カリアさま、お顔を少しこちらへ」
いつものカリアならこんなとき、ただ侍女たちに言われ、なされるがままだった。
彼女らが選んだドレスを纏い、彼女らが手にした装飾具を身に着け、髪を結い飾られる。向かうべき場へ相応しく「己」が仕上げられるのを、それこそ人形のように待っているだけだった。
だが、今日は違った。
違わせたいと、なんとなく、そう思った。
その身にまとうドレスから始まり、結う髪のかたち、飾る花や宝石、指先から足元に至るまで。すべてをひとつひとつ吟味し、カリアは自分で決めていった。
時間に余裕を持っておいてよかった。廻る時計を見ながら、最後の仕上げを施されながらカリアは思う。これまでに例の無い彼女の積極性に、侍女たちの火がついてしまったのだ。
本日のカリアは、パーティーの参加者であると同時に護衛である。
いつもなら、極力飾りはおさえた、機動性に重点を置いたものを身につける場面だ。否、ただ参加するだけの役割であってもそこまで変わらない。カリアという少女は、物心ついたときから既に、ただきらびやかで華麗なだけではいられなかった。綺麗でかわいらしいだけのものを、纏っていられる立場ではなかった。
けれど今日は。
促されるまま、そっとカリアは目を閉じる。
「……目を開けていただいて結構ですよ、カリアさま。どこかきついところはございませんか」
「大丈夫よ。丁度いいわ、ライリ」
「御髪はいかがですか。極力お邪魔にはならないよう、仰せの通り、飾りも軽いものを選ばせていただいております」
「ありがとう。ティエナの髪結い、いつもほんとうに素敵ね」
簡素な礼を口にすると、なぜかふたりはぷるぷると震えながら口を覆った。
涙ぐんですらいるさまに、カリアは小さく苦笑した。ふたりはカリアが幼い頃から、彼女の身の回りの世話を担当してくれている古株だ。お任せください、今までで一番のカリアさまに! 若干力強すぎる感があった宣言の通り、目の前の鏡に映る己の姿は、いつもとは幾分違って見えた。
粧すこともまた、ひとつの武器であるという。
これで、少しでも守れるなら、いくらだって、かざってみせよう。
「……お嬢様。入室を許していただいてもよろしいですかな」
「どうぞ」
見計らったかのような頃合いで、ドアの外から執事の声がする。
今回、ニースに代わって彼女に同道するセルバ・フォゼットのものだ。フォゼットの名の示す通り、彼はニースの祖父であり、先々代からラピリシアの家を支え続けてくれている人物である。
ぴっちりと撫でつけたロマンスグレーに片眼鏡、という常の通りのよそおいの彼は、入室してすぐ、驚いたようにひょいと眉をあげた。
次には穏やかに笑む。
「おやおや、これは。あいつめは、随分と悔しがるでしょうな。ほんとうにお美しいですよ、カリアお嬢様」
「ありがとう」
「先ほど、こちらにミナセ殿が到着されました。ご準備はよろしいですか」
「ええ」
差し出される手を取り、立ち上がる。
身をかざりたてる装身具が、しゃらりと涼やかな音を立てた。できるだけ美しく彩りながら、できるだけ軽く、いかなる立ち回りにも、極力邪魔にならないように。カリアの無茶な要求を、全力をかけてかなえるべく苦心してくれた、侍女たちの努力の結晶だ。
歩む。セルバが、廊下へと続くドアを開く。導かれるまま、しずしずと歩いてゆく。
そしてパーティー会場である大広間へ続くドアの前。設えられた椅子の隅に、彼は所在なさげに座っていた。
すぐ傍らに控える騎士、クレイトーン・オルヴァの方が先にこちらへ気づいて頭を下げる。うなずいて、カリアは名前を呼んだ。
「リョウ」
取られていた手をそっと外し、青年の名前をカリアは口にする。黒は縮こまっていても、常と異なるものを身にまとっていてもすぐに分かる。
ぱっと顔を上げた彼は、きょろきょろと周囲を見回した。
そしてカリアと目が合った瞬間、彼は大きく丸く目を見開いた。
「待った?」
「あ、……いや」
瞠目したまま、一言も声を発してくれない彼のもとへ歩み寄り問いかける。二度、三度と瞬きをして、そこでようやくリョウはまともな反応を返してくれた。
少し楽しい気分になりながら、カリアは今のリョウを観察する。
朝闇色とでも呼べばよいのか、群青よりも更に深い、落ち着いた色のジャケットとスラックス、綺麗なブルーグレイのタイ。胸元に光る白銀のチェーンブローチには、彼を示す翼持つ劔と花の蕾の意匠があしらわれている。
慣れない衣装のせいか、常よりさらに猫背なのが残念なところだ。せっかく髪もきれいにセットされているのに、いつものとおりに表情がどこか抜けていて緊張感が足りない。
この装いで、治療に向かう時のような凛々しさがあればちゃんとヴァルマス【劔】だろうに。
くすりとカリアは笑った。ああ、良くも悪くも、たいへん、リョウだ。
「素敵ね、その衣装。とてもよく似合っていると思うわ」
「そう、か?」
「うん。すごく意外」
「ひどいな!?」
からかいの言葉に、ようやく彼がまっすぐカリアを見る。
そしてまた微妙にぴきりと凍った。うろうろと視線を彷徨わせたリョウは、ひとつ息を吐いたあと、少し肩を落として笑った。
「……ごめん。カリアも、というか、カリアがよく似合ってるよそのドレス。さっき名前呼ばれたとき、一瞬誰だか分からなかった」
「ほ、んと?」
「ウソついても仕方ないだろう」
思わず聞き返してしまったカリアに、やわらかくリョウは笑ってみせた。
なぜか鼓動は、彼の言葉を耳にした瞬間早くなる。しかし聞こえたそれら以上は、何も続かないらしいことに気づくと途端に速度を落とす。
カリアは半ば無意識にこぼしていた。
「……それで、おわり?」
「え?」
「あ、……う、ううん、なんでもない」
自分で自分の言葉が良く分からなかった。慌てて首を横に振る、かざりものが、シャンデリアを照り返してきらりと光る。
カリアから尋ねるより前に言葉をくれた、それだけでも、彼というひとを考えてみれば随分な特別だ。予想した、想像した通りに、カリアの姿に驚いてもくれた。なのに。
どうして、なんだか物足りない?
今以上に、私は彼からなにがほしかったの?
自分で自分の気持ちがわからない。内心首をひねっていると、あ、と口の中で呟いたリョウがその場に立ち上がった。瀟洒な作りのヒールのおかげで、いつもより、彼と顔が近い。
待っていると、手のひらが差し出された。
「お手をどうぞ、お姫様」
彼には似合わない、芝居めいた妙なセリフだった。
いつもより近いところに照れと冗談が混ざった笑顔があって、ぎゅっと胸の奥がふいに痛んだ。ごまかすように手を重ねると、緊張でか、わずかに彼が震えているのが伝わる。ぎこちないリードと表情に、また妙な具合に、淡くカリアの胸はきしんだ。
完璧に心得たタイミングで、ドアマンがふたりへと扉を開く。
彼らや周囲の護衛たちが、何かをこらえるように小刻みに震えていたことなど知る由もない。
改稿版「やがて、イシャになる」http://ncode.syosetu.com/n0579gf/ も連日投稿中です。
合わせてお楽しみいただければ。




