P3-36 光明を求め 3
「――――と、いうわけで」
「よくわかったけど、集中しなくていい理由にはしてあげられないわよ、リョウ」
落ち着かない様子の彼を、すっぱりカリアは一刀両断した。
本当に停滞とはなんなのだろう。定義から考え直したくなる状況だ。一昨日も昨日も、そして今日も今日とて。リョウの周囲には、目まぐるしいほどの変化が満ちている。
きょう、彼に与えられた「癒士としての時間」は午前中だけだった。
そこで彼は、アンヘルレイズの術師たちに出会い、会話し、同じ志をもって魔具を創り出すという方向性に至った、という。
「でも、よかった。全部じゃないけど、だいじょうぶそうね」
「え?」
「リョウ、出す方の手が逆よ」
「あ」
さらりと指摘すると、リョウが間の抜けた声をあげる。現在のリョウは、カリアを指導役にしてマナーの付け焼刃特訓中だった。
今晩の相手役を務めるカリアとて、たったこれだけでリョウがちゃんとできるとは全く思っていない。
ゼロよりも一のほうが多少はマシ、その程度だ。立ち居振る舞い、些細な身のこなし、彼の立場に望ましい程度のものが、一朝一夕で身につくわけもない。
こうでああで、もそもそもう一度確認するリョウの姿に小さく笑って、カリアは時計を見上げる。相応に時間は過ぎており、あともう少しでこの場を終わりにしなければならないことを針が示していた。
名前と顔は、大凡頭に入れている。
近づけてはならないもの、確実に接触する相手。かの六王は大前提として、あとは――
「……カリア?」
「っ、ごめんなさい、なに?」
「いや、何か難しそうな顔してたから」
また俺がなんか間違えたのかと。思考の間に復習を終えていたリョウが、カリアの顔を覗き込む。
見返す黒い瞳は、面倒がってはいても倦んではいない。
昨夜、星の下で暗がりに見たような、どう手を伸ばしたらいいのかわからないひかりはなかった。おのれに苦しみながら、それでも逃げられない人の色はもうなかった。
もちろん、まだたった一晩である。完全に消せたわけではないだろう。彼が彼であろうとする限り、迷い自体が消えることもないだろう。
それでもちゃんと「次」を見据えようとする。できることを、今日もまた探そうとする。
そんな彼の姿勢を、カリアは好ましいと思った。不安定で、危うくて、次はどうするかわからなくて、だから、少しでも、寄り添えたら、そばにいられたら。
小さく彼女は笑った。
「嫌がらないのね。今日のこと」
「もう嫌がったよ。思いっきり昨日のうちに、アノイに。……というか、カリアは嫌じゃないの?」
「え?」
「いや、だって俺、絶対になんかやらかして、カリアに迷惑かけると思うよ」
わからない言葉に首をかしげた彼女に、たいへん真面目に、とてつもなく当たり前のことをリョウは言った。
思わずカリアは何度か瞬きをした。
「そんなこと心配しなくていいのに」
「するだろ」
「いらないわよ。だって私はそのためにいるんだもの」
本当に、なにをあたりまえのことを言っているのだろう。
むしろ他の誰に、かれを任せられるというのだろう。
きょう、これから彼女たちが向かう場は、ただでさえ有象無象、魑魅魍魎の巣食う広大の間である。そこに今回、さらなるきわめつけの異質が投げ込まれて、もう、情報は散らされていて、なにも起こらないわけがない。
エクストリー国王が、それまでの意志を曲げてまで得た劔。
どうしたところで炎上するのだから、ある程度は盛大に「良いように」燃え盛らせていい。奴が他国に奪われることがなければ、それだけで構わない――アノイから、今朝一番に笑ってそうカリアは告げられていた。
ゆえにきっぱり言い切る彼女に、なぜかリョウは変な顔をする。
妙に子供っぽく見える表情がおかしくて、カリアは笑った。さらに彼が憮然とする。
「面白がってるな?」
「そうね。あなたがどんなふうになるのか、私だって見てみたいしね」
「ひどいな」
つられるように、リョウもまた笑った。ひらいた窓からゆるりと吹き込んだ軟風が、少しぼさついた彼の黒髪を揺らしていく。
ときのながれは穏やかだった。
こんな時間だけが続けばいいのに。決してありえないと理解しているからこそ、詮ないことを、わずかだけカリアは考えた。
そもそもただの王の外遊、式典参加だけでいいなら、リョウ・ミナセはここにいない。ヴァルマス・ノイネ・カーゼット【朝闇の劔】が、今ここに在る意味など、なにもない。
現実は情状酌量など一切なく進む。
小さく、カリアは息をついた。
「何も起こらないなんて、現時点でもだれも思ってないわ。あなたはきっと何かを間違えるし、私も、望むままにはすべてを守れない。きれいなものも、おいしいものもきっとたくさんあると思うけれど、それ以上に、こわくて底が知れないものが無数に、今夜は集うでしょうから」
「……うん」
「だから、リョウ。ちゃんとエスコートさせてね。離れないで、私のそばにいて」
どれだけ少し、わずかでも、この手を伸ばして、そのこころを守ることができるように。
もういちど笑って見上げたカリアに、驚いたようにリョウが目を瞠った。ぱちぱち、音がしそうな勢いで黒が瞬きをする。ややあってぽりぽりと頬をかくと、また何とも言えない表情を彼は浮かべた。
「リョウ?」
「いや、なんか、うん。その通りなんだけど、なんか微妙だなあと」
「なにがよ」
「いろいろと。……とりあえず、まともな壁の花になれるように頑張るよ」
「きっと無理だと思うけど、そうね」
今のところ、この黒の参加が明らかなのは今夜だけだ。
まともに息をつく暇もあるか知れない、というのが現実的なところだろうが、今それを口にするのは控えた。リョウとてわかっているはずだからである。おのれの「異質」の理解はいまも中途半端だが、それでも彼は「ちがう」ことを――ある種の諦めに似たものももって、認識し受け容れている。
ずいぶん遠いところに来てしまったような気がした。
まだカリアがリョウと出会ってから、半年も経ってはいないというのに。




