P3-35 光明を求め 2
「ンだよ。来てたンなら声くれェかけろよ」
「いや無理だろ何言ってんだ」
朝食を貪り食うヘイを目の前に、椋は特大のため息をついた。
なぜか昨日も今朝も、次々呑むように朝食を平らげていく彼が目の前にいる。
あまりにも変わらない光景に、妙に安心してしまう。気遣いなのか、なんなのか。何にしてもありがたいと椋は思った。
ジュース片手にリーがやわらかく笑う。
「復活できたようで何よりだ、リョウ君」
「うん。おかげさまで。リベルトもピアも、昨日はありがとう」
「いいえ、そんな」
「大したことなんて何もしてないですよ。むしろ、お伝えするのが遅くなってしまって、すみませんでした」
ピア、リベルトも笑って応えてくれる。リベルトのいう「お伝え」のほうへ視線を向けると、完全に珍獣を見る目のふたつとかち合う。
アンヘルレイズの魔術師が、椋に会いたいと言ってきている。
しかもそのふたりは、昨日「あの時間」に当直に当たっていた人物であるという――そのことを椋が知ったのは、本日目が覚めてすぐのことだった。
みんなに言われている通り、昨日に比べればずいぶん椋の気分は上向きになっていた。もちろん反省はいまも重く残っているが、それを踏み台に前を向けるくらいには回復してこられていた。
よってそんなコンディションの椋に、会わない理由があるわけもない。身支度も早々に、そのふたりがいるという部屋に椋は足を向けた。
向けて、扉を開いた先では、もはや喧々囂々の大舌戦が繰り広げられていたのであった。
――だから吸収の程度の感覚だ。抵抗の違いなんだ!
――だァからだからも何もねェよ、数字出せ、俺らにもちゃァんとわかるかたちで見せてみやがれ。そもそも抵抗と吸収が何だっつンだよ、なんも前後で変わらねェっつンならなんで差が生まれるわけだ?
――何度も同じことを言わせないで。治癒に必要なのは魔力、およびその大本となる魔素なの。魔素を与えたほうが魔術の浸透が迅速で円滑になるのよ!
――それもまた、君たちの主観でしかない。あまりに説得力が皆無だ。魔術師はどうも己の感覚のみでものを語る悪癖がある生き物だが、君たちもまだまだ、そこに嵌って動けないでいるようだな。
――……っ僕たちを馬鹿にしているのか?
――あァ? いちいちンなことやってやるほど俺はヒマじゃねェよ。
何の話をしているのか、正直さっぱりわからなかった。
フリーズした椋に内側の彼らが気づくまで、それなりの時間とさらなる言葉が積もった。
「……詐欺にでも遭っているような気分だな」
「同感ね。そもそも、あっちとはあんまりにも空気からして違いすぎるわ」
ぼんやり論争を思い返していた椋は、はっと、その声たちにまた視線を戻す。
カーゼットの面々がテーブルを囲むこの場における「新顔」ふたり。言葉とは裏腹にどこか楽し気にも見える表情で椋たちを眺める男女こそ、椋との対話を望んでくれた、アンヘルレイズの魔術師たちである。
神経の細かそうな、細縁眼鏡の青年がトレイズ・ヴァルター。いかにも気の強そうなつり目が印象的な、ピンクがかった茶色の髪をセミロングにした女性がカツキ・リリアーナ。
「当事者」であるふたりの目は明るかった。昨日ここにやってきたときは相当ひどい顔色だったと聞いていたが、彼らもまた、ちゃんと休めたのだろう。椋はほっとする。
二人の言葉に、この場を作った仕掛け人、リベルトもまた笑った。
何とリベルトは昨日のうちに、アノイはもちろん、フェイオスおよびヘイル夫妻に、ふたりとの相対の許可を取ってきてくれたのである。
「だから言ったじゃないですか。うちの局長は違うけど、ぜんぜんちがわない人だって」
「納得できるわけないでしょそんなの。なんだかせざるを得ないみたいだけど」
「どれだけ語ろうが絶対に話の尽きない、あんなものの起点だというんだからな。まったく、正気の沙汰じゃない」
肩をすくめるカツキに、続いて妙に楽しそうにトレイズが鼻で笑う。
かと思うと、次には彼は鋭い視線を椋に向けた。手にしていたパンを置き、身を乗り出すようにして彼は問うてくる。
「そもそも、なぜ新たな術式ではなく魔具なんだ。まずそこから解せない」
「そうでしょうか」
「あたりまえだ。僕らは魔術師なんだぞ。自分が確実に患者を治せることを第一に考えるなら、まず新たな術式を考案し、その有効性を示すべきだろう。「魔機の国」スフヴェイラならともかく、ここはレニティアスだ。質の高いアンビュラック鉱ひとつ手に入れるだけでも、莫大な時間と費用がかかる。そのうえ、もし魔具ができたとしても、実際に必要なときに、手許に魔具がなければ意味がない。さらには魔具というのは、一度完全なものを創り上げても、どうしたところで劣化が避けられないものじゃないか」
つらつらと、立て板に水の勢いで並べ立てられる。
椋が内容を呑み込むのに一拍、噛み砕くのにさらにもう三拍かかった。ほかの人たちはと見ると、カツキはうんうんと頷き、ヘイはたいへん不快そうに口を曲げる。
さらに視線を動かした先のリベルトとピアは、肩をすくめて、若干申し訳なさそうに椋に頷いた。リーは無言無動。無表情である。
総合するとつまり、トレイズの感覚こそが「常識」「ふつう」である、ようだ。
ほんとうにどこまでも、何に関しても根底が「魔術」である。前提条件のあまりに大きな隔たりを、多分これからも何度だって考えることをまた椋は思う。生活することも、作ることも、壊すことも戦うことも癒すことも。当たり前のように、圧倒的な利便性をもって、魔術というものが根本に据えられている。
良い悪いなんて問題じゃなく、そんな仕組みの世界なのだ。
そうやって、すべてがうまく動いて来ていたはずの世界なのだ。
ここはそもそも、椋が踏み込むことなどできなかったはずの領域なのだ。
なぜなら大前提として、医療は「治癒魔術を用いて行われるもの」だから。
魔法のない自分の世界を思った。
魔術に満ちた、この世界のことを改めて考えた。
ここに、医者という職業はない。治癒魔術に特化した魔術師が、祈道士あるいは創生士という名を冠し、その手にする力で病を、怪我を治す。
だからこそ彼らはまず「魔術」を求める。魔術を探り、創り、そうしてひとを治療する。その身ひとつで、請われればきっとどこへでも彼らは赴く。己の魔力と知識と記憶と力、それらすべてを組み上げて、あらゆる傷病を癒やそうとする。
視線を目前へ戻すと、トレイズと真っ向から視線が合った。
彼は口を一文字に引き結び、じっと椋の答えを待っている。
さて何をどう言うべきだろう。迷っていると、椋より前にリーが苦笑した。
「リョウ君。我々が腹を立てる気力を失くすから、その心底から感心したような顔はやめてくれ」
「えっ」
「つーかテメエももちっと怒れや。テメエの思考経路完全に否定されてんだろうが」
「ひて……ああうん、まあ、そう、なるのか」
とは言われても、彼らの意見はまっとうである。自分とほかの常識を比べて考えれば、「当然ならそうなんだろう」と、納得のいってしまうものである。
道具、魔具の欠点としてトレイズがあげてきた項目も大変その通りだ。実際、現在の椋は、魔具なしにはなにもできない。魔具が壊れてしまったら、使い切ってしまったら擦り傷にすら無力だ。残念が過ぎる現実である。特に怒る理由も何もない。
ぽりぽりと頬をかく椋に、心底あきれ果てた顔で、けっとヘイが吐き捨てた。
事態が全く把握できないトレイズとカツキは、ぽかんと口をあけた。
「なによそれ。……なら、なおさら、」
「きっと、すごく正しくて、その通り、なんだと思うんですけど。でも、それじゃ俺が使えないんです」
「はあ?」
下手な嘘をついても仕方がない。正直に椋が告げた事実に、来訪者ふたりは素っ頓狂な声をあげた。
椋にとって、魔術は奇跡だった。
神霊術も創生術も、等しく彼にとっては「魔法」だった。遠く遠く、絶対に手の届かないところにしかないものだった。少なくとも、正攻法では決して手を伸ばせないものだった。
たぶん、本当ならそれで、そのままでよかったはずなのだ。
けれど「今」、既存の魔術をただなぞるだけでは病気が治せない。疾患を確定するのにすら、過去にたった一度使われただけのものが必要になる。
だから椋はここにいるのだ。
誰より微力で、一人ではなにもできない存在として。
「俺には大した力がありません。ほとんど、無力って言っていいくらい、何もないんです。治癒魔術の腕や知っているものの数だったら、俺は、あなたたちに絶対に遠く及びません」
だから、みんなに助けてもらっている。
誰もしないような大間違いをしでかして、べこべこに凹んでみっともなく縋って、励まされたり甘やかされたりしている。
特に魔具師二人には、確実に相当にひどい無茶ぶりしかしていない。某猫型ロボットもかくやという勢いだ。自覚はある、改善は、きっとできない。二人が椋を面白がって、楽しみにしているような面が大いにあるという状況もあって。
無魔だということは、さすがに黙っておけと言われていた。
それが聴取を待ってやる交換条件だとも、アノイからは言われていた。
ならば魔具を「増幅器」と言い換えればいい。うまく嘘がつけない椋に、そう助言をくれたのはリーだった。
それが「完全な嘘」ではないところが肝だ。ただ願ってもかなえられないきみの、やれることを増幅するのが私たち魔具師の仕事で役割だ。そうだろう?
あんまりにすっ飛んだ屁理屈は、ただ椋のためだけに優しかった。
目を白黒させるふたりに、さらに椋は続ける。
「そもそも、治療法がひとつじゃなきゃいけない理由ってないと思うんです」
「……は?」
「たとえばトレイズさんのおっしゃるように、治すための術式が開発できたとします。でももし、それに物凄い魔力や技量が必要である場合、ごく限られた人しか、その病気は治せないことになる。それはつまり「その人」が倒れたら、治療法が消えてしまう、ってことで。方法論は書物に残せるかもしれないけれど、次にその術を使える人間が現れるまで、実質、患者を救う手だてが存在しないことになる」
「……だが、今回はあくまでも異常事態なのであって、」
「ランスバルテの狂華術式が、人を冒す病としてあらわれたのは、これで二回目だと聞いています」
二度あることは三度ある。
嫌な諺であるが、下手に目を背ければ自分が痛い思いをするという訓戒の言である。
ぐっとトレイズが押し黙った。それ以上の反駁は来なかった。
もっと、知ろう。椋は、自分に刻み付けるようにまた思う。少し話すだけでもこれだけ違うのだ。点滴が、薬がなくても、痛い思いをさせなくても、病気が、怪我が治せる。他のものなんて必要ない、術者と、意志と、確かな力と、それだけがあれば、何も心配はいらない――椋には逆立ちしても口にできない。
だから、そんな微力の椋は、ヘイとリーに無謀をまた頼み込む。
止まらず進み続けるために。自分ができる限りのことを、なんとか、やり続けていくために。
たとえ傍目には悪手でも、最後にそれが、わずかでも患者さんたちのためになれるなら。
「……やはり、もう少し早い時点でリョウ君を連れてくるべきだったな」
「あー。まったくだ。……つーワケだ、常識がテメーらが云々の問題じゃァねェんだよ。ただコイツが、我らが局長サマが必要だと判断してる。それに、テメーらの半端の研究が組み込めるかもしれねェっつー話だ」
「おいこらちょっとヘイ、リーさんも。話を聞かせてもらう側が、そんな態度じゃだめだろ」
よほど先ほどの言葉たちが、ふたりには腹に据えかねたらしい。
だが、「ちがう」のである。当然のことなのである。だからこそ、対立することも、相乗効果を生むことだって、きっと、できる。
すっと、椋は頭を下げた。
「俺にも聞かせてください。少しでも先に、俺たちが進めるように。患者さんを、一分一秒でも早く、治すことができるように」
二人が息を呑む音がした。
苦笑する息の音が、四つか五つか、それくらいぱらぱらと聞こえた。
それはおそらくこの三日間のなかで、どこより一番希望に似た光が点された場所だった。




