P3-32 あすへのぞむ
アノイロクス・フォセラアーヴァ・ドライツ・エクストリー。
二度と返さぬと定めた冠の名は、しかし時折、動くには億劫と感じることもある。
「なにを面白いことをやっているんだ、おまえは」
「……アノイ?」
わざとらしく音を立ててひとりのベンチに近寄ってやれば、ただ座り込んでいた男は振り返った。随分ひどい顔をしていたと報告を受けていたが、暗がりで見える範囲のリョウの顔は、いつもとそう変わりはないように思える。
先ほどまでの一幕が理由であろうと、容易に知れた。
つい笑ってしまうと、むっとリョウが眉間に皺を寄せた。
「なんで王様が、こんな夜遅くにこんなところにいるんだよ」
「おのれのヴァルマス【劔】の不調を聞いて、様子見に来るのはそんなに可笑しいことか?」
「そういう理由で、俺を面白がりに来てるだけだろ」
「そうだな。否定はしない」
「あっそ……」
呆れたようにリョウは息を吐く。半ば以上諦めているその顔に、やはり大した曇りはない。
本当にさまざまな意味で、半年前には全く想像もしていなかった未来が実現しているものである。
アノイも応じてにやりと笑った。
「慰められて、少しは気も晴れたか」
「どこから見てたんだよ」
「遠目にどこの逢瀬かと思っただけだが」
「……アノイ」
「まあ、それは今は置いておいてやろう」
夜遅くに藪蛇は面倒である。そもそもアノイはまだ、この男が最終的に「どう」しようとしているのかを知らない。
気を許しているのは、場の風情だけ見ても確かだった。ほかの人間より近しい場所を、感覚を許しているのも見て取れた。しかしその先は、互いの関係を、変える気はあるのか。そこがアノイには見えない。
だから今は「置いておく」。国内の面倒ごとを敢えて他国で着火させる趣味はないのだ。
そうして一息置くと、次には言い放った。
「なぜ、何もできん奴らにつけ込むような隙を与えた。凡俗が」
表情は変えず、眉ひとつ動かさずに。
リョウは黒い目を見開き、そのまま、目前で凍り付いた。
一片の情状酌量もない、相手をさいなむためだけの言葉である。この男に沿うことを選べば、決して口にしない類の台詞である。
絶対に、ほかの誰もこの男には向けないだろうものである。
だからこそアノイは続けてやった。
「今回は部下にすくわれたな。よくよく礼を言っておけ。二度三度と、同じように助けの手を入れることができる保証なぞ、どこにもないんだからな」
表情は笑ったまま、真正面から叩き潰すような台詞を突きつける。さもなくばおまえの不完全は、望みと裏腹にひとをころす。惨い事実を含ませ、アノイは己の劔を見据える。
不完全、未完成、未熟、半可。
リョウ・ミナセの存在を際立たせる因子ともなる青臭さは、この男を世界から、孤立させてはならない、独立など、とてもではないがさせられない理由である。どうにも本人が暢気に過ぎて、忘れがちになる事実である。
エクストリーに現れた異者は、いかにアノイが言葉で大仰に飾ってやろうが、たいへん身勝手にいつの間にか片手落ちだった。
だからこそアノイは、ほかには伸ばされぬ類の救いをもたらしてやる。
ほしいものを、一切の状況など考慮しない糾弾をくれてやる。
「……ホント、とことんアノイは俺の好感度上げに来ないんだな」
確実に深々と刺さっただろう台詞に、しばしリョウは凍り付いたままだった。
表情ごと硬直をほどくように、リョウが口を開いたのは、アノイがたっぷり五十は数えた後のことだった。
苦笑する男に肩をすくめる。
「おまえの一番欲しいであろう言葉を向けてやっているだけのことだが?」
「あー、そうだな、ありがとう。アノイって、なんか何も怖くなさそうだよな」
「そう見せん術に長けているだけのことさ」
「……ああそう」
弱気を鼻で笑ってやると、もうひとつリョウは苦笑を重ねた。
まったく「主」というのも損なものである。既にほかの役目を定めてしまっている以上、余っているところはこんなものしかないのだ。
アノイは主として続ける。
「ついでにもう少し好感度を下げてやろうか。命令だ我がヴァルマス【劔】、リョウ・ミナセ。おまえには明日ここで開かれるパーティーに出席してもらう」
「……は?」
「すまんな。俺としてもそういう場でのお披露目はもう少しあとにずらしてやりたかったんだが、俺の悪友どもの攻勢があまりにも喧しい」
「……は……?」
「断れば、そうだな。昨日のようなことが、少なくともあと四度は繰り返されると考えれば話が早いだろうな」
「昨日のようなこと、って、」
完全についてこられていないリョウは、大変間抜けな顔をしている。
アノイとしては心地よいほど想定通りの展開だが、とりあえずカリアには伝えぬようにしておこうと思う。彼の格好つかないところを、他人から語ってやる意味もない。
昨日のようなこと。昨日、アノイはレニティアス現国王セルクレイドとともに、リョウのもとを訪れた。
今日、彼が円卓をともに囲んだ面子は、それに加えてあと四人。どの相手の巡らせる策略も、この男程度が逃げ通せるような甘ったるいものではないだろう。
アノイの悪友が、あと四回。
呟いたリョウは、深々とため息を吐いた。
「……命令って時点で、もう俺に拒否権ないだろ」
「そうだな」
「なんでだよ」
「俺がアノイロクス・フォセラアーヴァ・ドライツ・エクストリーであり、おまえがヴァルマス・ノイネ・カーゼット【朝闇の劔】リョウ・ミナセであるからだな。恨むならまず、己の意思を恨め」
しれっとアノイは言い放ってやる。
もはや声もなく、がっくりとリョウは首を垂れた。
「全力で面白がってるだろうアノイ」
「それほどにおまえは、どこまでも停滞と無縁であるからな」
「なんで今日の明日なんだ」
「昨日も今日も、おまえがひとりで状況を変えたからだ」
アノイは大多数に映る「現実」を告げる。う、とつぶれたような呻きをあげたリョウは、しかしそれ以上なにも言ってはこなかった。
もう少し抗ってくるかと思ったが。アノイは眉をあげた。
「俺じゃないとは、言わないのか?」
「言ったって、そう見えなきゃ誰も納得しないだろ」
「自覚はあるのか。……明日は特に、出席さえすればあとはおまえは何もしなくていい。おまえのエスコートにはカリアをつける、基本的な会話は、カリアに任せて口を噤んで耳だけ適当にすませていろ。なにを訊ねられようが、カリアの合図がなければ応じなくていい。話すとしても、ただ設定をなぞるだけで構わん」
どこかむすくれたような調子に、アノイは笑いそうになりつつ続ける。一応言い聞かせてはやるが、まともに平穏に終わるとは、アノイ自身かけらも考えていない。
どこまで保つか、問題を起こすか。
あれらは端から例外として、特に相応の位にあり、多国籍の高位者がひしめく中にも入る権利を持つレニティアスの者たちが、この黒にどう接してこようとするか――策を改めてアノイが巡らせ始めたところで、ぽつんとリョウが言った。
「……それ俺がいる必要あるの?」
「愛すべき俺の悪友どもには、おまえの大凡は伝えてある。話をするなら他は隔てる、問題はない」
「質問の答えになってない」
「エクストリー随一の大貴族ラピリシアの令嬢を同伴に現れ、各国の王にも一目以上を置かれる特異の存在であると示す。動くのをやめるつもりがないなら、ある程度の示威も必要なことだ」
「……」
「たとえおまえが凡庸であろうと、それは、おまえの裁尺のうえでの話でしかないからな」
大変に遺憾なることに。
無慈悲な事実たることに。
静かに失われてゆく世界に、完全なる断絶をもって現れてしまった男を見やる。リョウからの好感度は下がるだろうが、一国の王たるアノイにしかなせぬ「守り」である。
これはエクストリーの異者。
わずかであっても確実に、筋書きを軛から外してゆくための一手。
「……またなんか悪だくみしてるな、アノイ」
「ずいぶんな言いようだな。おまえを心配してやっているというのに」
「笑われる未来しか見えないよ」
「愉快そうで結構なことだな」
その意志以外に従わせられない青年に、王は肩をすくめて笑う。
またひとつ違う明くる日が、まだ水面下で静かに近づいてきていた。




